2003年7月 カナダの洗礼 ■カナダ・バンクーバー編
 Hellor− 初のアメリカ大陸、カナダに来ました まさしです。
 旅を始めて早5年目。そして4度目の日本からの旅立ち。おそらく今回が今のスタイルでする最後の旅。

 目標は一つでも多くの関門を突破して、生きて日本に帰ること。
 ‘地球一周’なんて簡単。でも‘世界一周’、こいつは骨が折れる。
 最大の難関はアフリカ大陸。期間は未定。おそらく2〜3年。

 年齢なんて気にもしてないけど、日本で待ってる人もいる。手持ちの資金は今のところ50万円。
 とても世界中を回れる金額じゃーない。

 そんな訳で‘資金稼ぎ’、海外生活、社会勉強、語学修得とよくばり目的を一気に果たすためにカナダに来ました。
 ヴィザはオーストラリアについで再びワーキングホリデーヴィザ。
 ワーキングホリデーは使い方次第。今のところ僕が一般を見てきた上での見解では、ワーキングホリデーは時間がゆるすなら誰もが一度は経験した方がいい。

 ‘ワーキングホリデー’略して‘ワーホリ’の一年間は夢のように楽しいはず。2度目ともなれば要領も熟知しているため、さらに壁が少なく出やすいもの。出やすいからこそあらためて考える必要があるのです。しっかりとした意志と考えを持っていないと、もったいない時間の使い方になってしまう可能性が高いのです。「ただ、楽しいから」では、それこそただの子ども。一年間の海外生活で得たことをこの先どう活かしていくか? そう目を向けていかない人は2度目も同じような生活を送りかねないのです。

 2度目のワーホリを否定しているわけではありません。使い方次第では、2倍以上の素敵な経験を得る可能性を十分に秘めていること、僕も分かっているつもりです。ただ、2度目は、1度目よりも出やすい反面、さらなる覚悟がいると思うのです。
 そう、やるからには1度目の濃度を超え、目標は何が何でも達成しなくちゃいけないのです。
 僕は勝手に自分自身には、そう言い聞かせているのです。

 今回日本を出てくるとき、家族は何もとやかく言いませんでした。
 家を出る前の最後の夜、残業から帰り疲れて布団に横たわる父の体を、自分のためにマッサージしました。僕が触れたかったのです。その間、母は小言一つ言わずに僕のボロボロになった杖袋を期待以上の手の込みようで繕ってくれていました。姉は黙ってヴァイオリンを弾いていました。最高のプレリュードです。
 これが伊藤家最後の夜でした。徹夜で部屋の片づけと旅の準備、そして当時の覚悟をインクに変えて日記に筆から落としていました。そして翌朝、朝早い父を見送り、続いて姉と母を見送りました。

 僕の旅立ちは、いつもこうです。
「行ってらっしゃい! そして行って来ます!」
 このけったいなあいさつは、まじめに日本社会で働き朝早く出金する者に対して、これからその道をはずれようとする者がかける、けじめの言葉。照れくさくて「ありがとう」なんて言えないけど、その大切な言葉は手を合わせた神棚に向かって。名残惜しい友人たちにも短いメールであいさつを。なんて言おうか迷ったけど、ふと頭に浮かんだ5年前の旅立ちの時にともに送ったあの言葉、
「離れていても共に成長し続ける仲間がいること、僕は誇りに思います」と。

 いつもの制服に身を包んだら、杖を一振りして、いざ、旅立ちの刻!
 今回も涙は出ません。涙を流したのは、4年前の始めての旅立ちの時だけ。

 そんなこんなで今、カナダ。そりゃ〜ホリデーしてる場合じゃないね。
 さて、まずは北米大陸カナダから。そう言えば、なんだかんだで先進国はオーストラリアについで2カ国目。ほらほら来た来た厳しい入国審査。はいっ、引っかかりました。

 理由はパスポート。実は僕のパスポート、ちょっと落書きがしているのです。全ページ、黄色の蛍光ペンでマスに区切った線が引いてあるのです。これは、そのマスに合わせて入国出国スタンプを押してもらうためで、こうすることによってページを節約できるのです。ほとんど見えるか見えないかの線なので、アジアの国々はすべて文句なしでパスしてきたのですが、あぁ、さすが先進国。よく見てるし、頭も固い。
「このパスポートは無効だ!」
「はっはっはー、・・・・そこをなんとか!」
 30分以上の押し問答の末、晴れてカナダ in☆
 まったくもって他の誰でもない。間違いなく僕のせい。カナダの風はどしょっぱなから厳しかったぜ。 アホか?

 なにはともあれ、カナダ上陸。始まりは西の都バンクーバー。
 晴天の中、エアポートシャトルに乗って空港からダウンタウンへと向かいました。
 どこかで見たことのある風景・・・、そうだ、オーストラリアのシドニーに似ていました。それもそうです。カナダもオーストラリアと同じ元イギリス領。イギリスの息のかかった香りがするはずです。その香りはダウンタウンに着くともっと強く感じられました。

 他にひっかかったことと言えば英語。カナダ人の英語がさっぱり聴き取れないのです。僕の基本はオーストラリア英語。世界的にはオーストラリアがなまっていることになっているのですが、僕にとってはどっちが正しいかなんてべつに支障はありませんでした。しかし今思えば、英語圏ではない国に自分たちが来ていると言うことを皆が意識しているため、きっとアジア人の僕に対しても分かりやすく、ゆっくり話してくれていたのでしょう。

 カナダはこてこて英語圏。しかも多国籍国家。外国人だからといって容赦ありません。もともとその程度の実力だったと言えばそれまでなのですが、特に英語を忘れかけた今となっては、予想以上に辛く感じました。カフェで朝食セットについてあれこれ質問するだけでも結構手間取り、店員さんもまるでアホと話しているかのようなあきれた表情で対応してくるので、・・・はぁ、ちょっとショックでした。

 宿に帰って、ため息を思わずもらすと、同室の男が声を掛けてきました。
「どうした兄ちゃん? うかない顔して」
「僕はこれまで旅をしてきて、特に英語に困ったことはなかったのに、ここに来てさっぱり解らないんだ」
「オマエ、今英語しゃべってんじゃねーか」
「ほとんど聴き取れないんだよ。でも、あんたが言っていることは解るなぁ。どこの出身なの?」
「オーストラリアさ」
 はぁ〜、やっぱり。
「まぁ、気にするな。気楽に行こうぜ。まぁ、飲めよっ」
 あー、この楽観さがオージーのいいところだね。

 とは言え、ここはカナダ。言い訳なんか吐きたかない。郷に入ったら郷に従い、さっさとここになじまなくっちゃいけないのです。先進国で英語圏だからって、正直ナメてたところがありました。頭をガチャっと切り替えて、1から勉強しなおしのようです。

 シャワーを浴びに行き、安宿とはいえ、あびたい時にお湯が出る便利な先進国の肩書きに油断していた最中、湯を浴びていたのに途中から冷水しか出てこなくなり冷たい思いをしました。発展途上国ではこんなこと日常茶飯事なのに、この時ばかりはぎょっとしました。

 そうか・・・。
「‘洗礼’とは本来キリスト教で信者となるための儀式であり、頭に水を注ぐことによって原罪を洗い清め、新たな生命によみがえることを象徴する」ことだと聞いた事がありましたが、カナダの安宿のシャワールームの片隅でこんな目が覚めるような洗礼を受けるとは・・・。あぁ、思わず素っ裸でアーメンです。

 そんなことしながら初めてのカナダを味わっていたのですが、あまり街の散策ばかりに時間を使っていられません。まず第一にしなくちゃいけないことは仕事探しです。
 仕事はガイド業と決めていました。カナダの中で代表されるガイド業は、ロッキーガイドとナイアガラガイド、オーロラガイドの3種類で、その他には各街を案内するツアーガイドがあります。1年間丸々働くつもりなので、理想は全種類3ヶ月ずつぐらいで経験できたらいいのですが、そんな都合よくいくわけもなく、とりあえずはバンクーバーのガイド事情を調べにかかりました。

 現地に着いてから直接話をして現状を聞く。そこで初めて頼む。このやり方でこれまでNoもYesに変えてきました。要領が悪いようにも思えますが、僕にはこのやり方が合っているのです。

 まずは一番あてにしていたHISから。実は先日オーストラリアを訪れた際に、ケアンズ支店から推薦状をもらってきたのです。僕は愛社精神たっぷりの人間なので、今でもHISの社員の気分でいますし、旅先でもHISを勧めまくっているのです。ヒゲをそっておめかししてHISオフィスに向かいました。が・・・、しかし、バンクーバー支店はオフィス業務だけでガイド業はおこなっていないとのことでした。その後他社も尋ねてみたのですが、どこも募集しておらずいきなり行き詰まってしまいました。

 けど、なぜでしょう? 少しも気分は沈みませんでした。
 バンクーバーを歩き回ってまだ数日ですが、モワモワと感じることがありました。
 それは「ここは僕が住む場所ではない」でした。

 バンクーバーはキレイな都会です。高層ビルから少し歩けば公園を兼ねた海岸があり、区画された道路や歩道のわきには、花いっぱいの鉢植えが街灯にぶら下がっていて、スーパーやコンビニ屋という便利な店も並び、ネットも使える大きく快適な図書館に皆が足を運ぶ。移動にはバスや路面電車はもちろんスカイトレインという電車が広範囲の移動を可能にしています。天気が悪いところを除けば、一見すべてがそろっているような街なのですが、確かに何かが足りないのです。

 それはひょっとしたら、日本育ちの僕から見た大きな変化なのかもしれないし、世界的観点で比べた時の興味深さなのかもしれません。ただ単に今の僕にとって必要な場所ではない、そう感じてしまったのです。

 ふと昔の記憶がかぶりました。それは4年前、オーストラリアでの1年を終え、日本へ帰国する前に日本以外のアジアの国々を少しのぞいてから帰国しようと、東南アジアを経由したときのことでした。生まれて初めてのアジア、それはタイの首都バンコク。
 右も左も言葉もルールも解らない初めてのアジアは、少し恐怖さえ感じました。
 これから数ヶ月バンコクを基点として東南アジアの国々を回ろうと計画していたので、バンコクで情報集めをして基礎知識をつけてから出発しようと考えていました。バンコクに着いた翌日、ガイドブック片手に街の片隅に立っていたら、1人の日本人男性が声を掛けてきました。
「すみません。そのガイドブックを少し見せてくれませんか?」と。彼は数ページをペラペラめくってメモをとり本を返してくれました。僕がまだバンコクに来たばかりだと言うことを話すと、いっしょに食事をしようと誘われました。その時にした雑談は当時の僕にとっては、どれも新鮮な情報ばかりでした。分かれる際、最後に彼は言いました。
「来たばかりで何かと不安も多いとは思うけど、もしこれから短期間のうちにタイを含めた東南アジアの国々を回るつもりなら、1日でも早くこのバンコクを抜け出した方がいい。ここで得られるタイ文化の知識は他のどこにいっても同じだし、逆にここでは通用することでもタイの他の地に行ったら通用しないことはたくさんある。時間を有効に使い、1つでも多くのことを経験したいのなら、勇気を出して1日でも早くこの地を離れた方がいい」
 その翌朝、僕は思いきってバンコクを出るバスに飛び乗りました。

 その日から約1ヶ月後、タイとミャンマーとラオスをぐるりと回って再びバンコクへ戻ってきたとき、僕は彼が言っていたことの真意を実感しました。バンコクの便利さ、難易度の低さに愕然としました。ここが単にチケットを手配したり両替をしたりする旅の準備をする所、もしくは旅に疲れたバックパッカー達が休憩をしたり、再会を祝い飲みあかす所、さらには物価の安さにかこつけて女を買ったりネオン街を遊び歩く所だと気づいたのです。不道徳レベルはまったく異なっているけど、これと似たような感じをバンクーバーの街を歩いてみて感じました。

 業種や専門科目によっては例外はあるけど、普通の仕事や勉強ならここじゃなくてもどこだってできる。カナダ国内の他の土地はもちろん、ものによっては日本でも。海外生活初心者には大変なじみやすい所。が、それ故にそこには折を見て卒業が必要なんじゃないかなと思いました。バンクーバーもカナダの一部。しかしもっと他国と比べても特徴深いところがカナダにはあるはずです。そんな所こそ、カナダらしい場所と言われるのではないでしょうか? もちろんその土地を愛す個人的な想いが関わってきた場合に関しては、また別の話ですけどね。
 何はともあれ、僕は3日目にしてバンクーバーを出ることを決めました。
 どこへ・・・?

 日本語で書かれたフリーペパーを手にしました。それは、バンフタイムズというバンフという街で発行されているフリーペーパーで、その中にオーロラガイド募集の広告を目にしました。
 はい、はい、はいーっ、ズバッ!っときたよ。これしかないと思ったね。しかも締め切りがその翌日だったので、さっそくレジュメ(履歴書)を作成して即郵送。
 この時とっさにひらめいたのは、「オーロラガイドは冬の仕事か。よし、冬まではロッキーガイドをしよう!」と。
 それを決めた当日、バンクーバーに留学していたオーストラリア時代の友人と連絡が取れて、
「泊まりでパーティーをするから来ない?」という誘いがありました。 よしっ! グレイトタイミング!
 すぐに荷物をまとめて宿を出ました。4年半ぶりの友人との再会。その女の子はバンクーバーの学生ゆえ、身なりは整っていましたが、キャラクターは何も変わっていませんでした。
「まさしはまだその服着てるんだね。分かりやすいよ」と彼女。そして、
「まさしがバンクーバーに来るって聞いて、いいのかな?って思っちゃった。ここはまさしが住む街じゃないよ」
 さすが、よく分かっていらっしゃる。パーティーの翌朝、その足でバスターミナルに行きバンクーバーを出ることにしました。行き先はもちろんロッキー山脈の麓の街バンフです。
「今行っても仕事はないよ」という噂も耳にしましたが、とりあえず行ってみなくちゃわかりません。バスターミナル(カナダではバスディーボと言う)でわずか1週間足らずだったけど、自分のバンクーバーを振り返りました。

 都会ゆえ、冷たいあしらわれ方も何度かされたけど、まだたかが1週間。
「今はまだカナダを批評するには早すぎる」そう思いました。
 バスディーボへ行く途中、ある男がものすごい勢いで僕の所へ来て 「2ドル貸してくれ!」と言いました。
「何で?」 この男の眼球の動きから見て、おそらく薬が切れたのでしょう。それを分かった上であえて聞いてみました。英語の勉強も兼ねていい機会かなーっと思ったのです。
「どうして2ドル必要なのか、解りやすくゆっくりと最初から最後まで説明してよ。そしたら考えてもいいよ」
 結局男は「話せば長くなるんだ!」 を連発してきっちりとした説明はしてくれませんでしたが、「どうかお金を恵んでくださーい」という消極的な物乞いとは違い、すごい勢いと堂々たる態度と必死さが気に入ったし、生粋のカナダ人ということだったので、カナダ到着記念にして「これからカナダヨロシク代」として2ドルをこの男に渡しました。
 金を受け取った男は、両手で2ドルコインを包み込み一目散にダッシュしていきました。
 陸上フォームとしてはイマイチだったけど結構早く、まるでアラレちゃんのように彼の走った跡には砂埃がモクモク舞い上がらんばかりにすっ飛んで行きました。
「バーイチャ! バンクーバー」 ん? 確かこんなようなせりふをインドネシアでも言ったっけ?

 そんなこんなでバンクーバーを後にしました。オーストラリア以来の長距離バス、グレイハウンド。
 あぁ、アジアのバスに比べるとなんとキレイで快適なことか。ゲロも砂埃もゴキブリもヤギもニワトリもモスリムもいない。窓にガラスもはまってる。
 もぅ最高! 先進国バンザイ!

 さてこの次は、世界自然遺産ロッキー山脈の入り口と言われる国立公園バンフです。
 カナダの物価は高いです。聞くところによると、バンフはカナダで1、2を争うほど物価の高い街。ガイドにはなれるのでしょうか? 先はさっぱり分かりませんが、カナダの関門の1つであるロッキー山脈にこんなに早く足を踏み入れる事になるとは。そう思うだけで足元のトレッキングブーツくん達がリバーダンスを踊り出しそうです。

 それでは、次回は山の中から。
 SEE−−YAA−−−−−−−−−−
                         FROM まさし