2003年7月 Mの食卓 ■カナダ・バンフ編
 Hello− カナダにやって来て まずは自分の居場所を探しているまさしです。
 西の都バンクーバーに入国して一週間経たぬ間に次の場所への移動を決め、バスへ飛び乗ってしまいました。
 バスを降り、今回訪れた街は世界自然遺産ロッキー山脈の入り口と言われるバンフです。

 バンフは世界的な観光地で、夏は山登りや湖巡り、冬はスキー&スノーボードといったウィンタースポーツを目的に一年中賑わいを見せている街です。
 訪れるのは外国人だけでなく、国内に住むカナダ人達も観光として、またはひとシーズンだけのリゾートアルバイトを求めて全国各地からやって来ます。

 人口約6000〜8000人。端から端までは30分足らずで歩けることができる村ほどの小さな街。メインストリートこそ観光地で賑わっているものの、通りを1本外れるだけで閑静な避暑地のように人通りがなくなるので、人ごみによる窮屈さがないのです。

 そのメインストリートを中心としたダウンタウンも国立公園の中ということで厳しい規制があり、高い建造物はもちろんのこと、派手な看板さえ出すことができないので、自然と景観を損なっていないのです。
 バンフの街は東西南北に一つずつある4つの大きな山に囲まれていて、どこにいても4つの山のうちのどれかの山が視界に入るため、常に山中を感じられるのです。標高も約1400mと高く、「酸素が薄い!」と感じられるまではいかなくても、アルコールが早く回ったり、疲れやすく感じる人もいるぐらいです。

 僕はバスを降り、バスディーポから100mほど歩いただけで “ズバッ!” ときました。
「自分が住む場所は、ここだ!」と。カナダに来て2回目の“ズバッ!”でした。

 発展途上国を旅してきた僕にとって、山の景色や田舎街は特に珍しいものではないのですが、理由や理屈抜きで、「ここだ!」と感じたのです。

 ズバッ! ときた心情のせいでしょうか? 僕の目にはバンフの街が第2の故郷であるオーストラリアのケアンズと重なって映りました。‘山のバンフ’と‘海のケアンズ’、さらに気候も全く正反対の街なのに・・・。不思議ですね。

 何はともあれ、この土地に対して何かの縁を感じてしまったのなら、しかたがない。
 仕事や物価に関係なく、とりあえずこの街に住むことを決め、それから生活する術を探していこうと決めました。

 バンフのダウンタウンにある通りの名には動物の名前が付けられています。ベアーストリート、バッファローストリート、ラビットストリート・・・、といった具合におなじみの動物を始め、カリブー、エルク、ムース、オッター、リンクス、クーガーといったパッとイメージしにくい動物の名前もあります。べつにそこの通りにその名前の動物が出現するというわけではありませんが、実際に山から熊や鹿のような大型動物が下りてきて、街中を歩き回ることもあるため、
「街の中に自然動物が!」、と言うよりは、
「自然の中に街を作った!」、と言う方が的を射ていて、些細な所からもここに住む人達の動物に対しての共存姿勢がくみ取れるのです。

 宿に向かいながらも通りの名が書かれている標識に目を配っていたのですが、カナダに来たばかりの僕にとって聞いたことがない名前の動物が意外とたくさんありました。

「えーっと、ウルフは狼で、ここを曲がるとマーティン? なんだ? 人の名前か? 人間も動物だしね」
 またまっすぐ行くと、
「ムース? ・・・洋菓子か? そしてここが、エルク? 妖精は・・・エルフだからその仲間かな? いやはや、幅広いねぇ」
 なんてね。今から思えば馬鹿を通り越して微笑ましいぜ。

 そんなこんなしながら、とりあえず宿を見つけ、身を軽くしました。仕事も大切ですが住所が決まらなければ生活は始まりません。翌日、さっそく街の掲示板に張られてあるルームメイト募集の張り紙を片っ端からメモッってきて家探しの準備を整えました。

 この夜、僕は誕生日を迎えました。

 新しい土地での一人ぼっちの誕生日は少し寂しい気もします。祝ってくれる人どころか知り合いさえもいません。
 これから始まる期待と不安がコネコネと戦うつまらない指相撲の試合をボーっと眺めていると、Miss.サミシガリータが背中に‘孤独’とか‘一人’とかの文字を指で書いてくるので、時々こすって消すのです。

 しかたがない。こんな時には、ネットショップに行って、クリック一つでその指をへし折ってやるのです。遠く離れた海外の山の中から、文明の機器と友からの祝いメッセージに感謝です。

「せめて自分でお祝いを・・・」と、収入のない男なりの奮発した夕食を摂ってみると・・・、
 あらまっ! 一人で食べるごちそうはどうにも美味しくないのです。やっぱり味覚からの喜びは、僕の中では重きを示さないようです。

 足りてないことを感じたから、足りてた頃の環境に感謝する。
 足りてないことを感じるから、これから何を求めたらいいのかが解るのです。

「これからこの街で一人でも多くの人と話をしていこう」と。

 いったいどれだけ先のことになるかはわかりませんが、いつかこの街を出る時、僕はいったい何というのでしょうか?
 そう思うと、何の予定も約束も入っていない自分に小さな楽しみが湧いてきました。

 とりあえず、来たばかりの今の気持ちを見下げるロッキーにぶつけてやろうと、口元に両手をあてて吠えました。

「エイドリア〜〜〜ン」
 はい、私はこの程度の人間です。

 小さな街とはいえ、ジグザグに歩き回った体とあれこれ考えた頭の中、まったく疲れた誕生日でした。そして、名実共にちょっとだけレベルの上がった誕生日。

「ここで、この時期に誕生日を迎えることができてよかった」

 もしかしたら、いつでもどこでも僕はそう口にしていたかもしれないのですが、今回も胸を張って、そうほざきます。

 さぁ、忙しい日々が始まりました。カナダ最初の家探し。
 電話掛けまくって約束取れたら、即訪問です。家探していると、思いがけない収穫があることに気付きました。知り合いが確実に増えていくのです。

「こりゃいいや! 興味がない家もこの際だから、片っ端から訪れちゃえ」、ってね。

 その中でもさらに思いがけない収穫がありました。オーロラガイド経験者に会えたのです。仕事内容、資格、給料、会社内の雰囲気と、僕が欲しかった情報を次々と入手することができました。

 肝心の家探しの方は2軒当たりがありました。1軒はめちゃくちゃキレイで即入居可。でも、たったの2ヶ月以内という期限付きで即日返答をしなければなりませんでした。

 もう一軒は、興味深そうなメンバーの家ではあるが、来月からの入居。まだ来月までは数週間ありました。安宿に泊まっているとはいえ、日がかさめば出費も多くなります。すぐにでも家を決めてしまいたいのです。

 よし! それでは、めちゃくちゃキレイな家に即入居して期間を1ヶ月にしておいて、来月からはもう1軒の家に移ってしまおうと決めました。うん、即答を求められた中でのこの選択。
 僕は自分に、「なんて頭がキレる男だ」と頭をなでなでしました。

 んがしかし、天狗になった鼻はへし折られると決まっているもので、やっぱり落とし穴がありました。即日入居可のキレイな家は即日返答を求められていたので、すぐに来月までの数週間だけ住むことを伝え、交渉が成立しました。バックパック1個の身軽な引っ越しをウキウキで済ませ、一時的とはいえ快適な家での生活に腰を下ろしました。次の住所は、決まっているので、この間に仕事探しに集中しようと意気込んでいた矢先のことでした。数日後、もう一軒の家の方から連絡が入り、
「申し訳ないけど、キミより長期で滞在するっていう人が現れたので、その人に部屋を貸すことになりました。悪いけど他を当たってください」、とな。
 アジャパーって感じ。

 次の家の当てもなくなり、今の家の延長もできませんでした。早くも次に入る人が決まってしまっていたのです。来月からの家探し再びです。まぁ、なにはともあれ、次の当てはないけれど来月まではひとまず住む家が決まりました。

 この家はあるツアー会社の社宅らしいのですが、この年は社員数が少ないため、一般に貸し出していました。就労ヴィザで働く日本女性が代表として借り、シェアメイト(同居人)を集めて住んでいました。部屋は4つ。僕以外は3人とも女の子でした。
 後で聞いた話なのですが、僕に対しての第一印象は悪かったみたいです。その理由の1つとして、僕が初めてこの家を訪れた時に、玄関で靴を脱ぐと同時に靴下まで脱いだことでした。

 僕の旅先での習慣の1つなのですが、靴と靴下はワンセットにして脱ぎ履きするのです。
 理由は裸足で歩けば汚れは素足の裏に付きます。そして靴を履く時に靴下を履けば、靴の中は汚れません。汚れるのは素足とそれと接している所、つまり靴下の中だけです。こうすることによって、まだまだこの先何年も使わなくちゃいけない大切な靴の中は汚れないし、靴下長持ちするという、これは洗練された旅技術の一つなのです。

 けれど、そんなことが一般に理解されるはずもなく、
「ちょっとちょっとー、あの人家に上がる時に靴下まで脱いだよ。普通脱がないよね。服装もなんだかおかしいし、あの人絶対ちょっと変だよ!」
 そう言われていたそうです。

 まぁー、失礼しちゃうわね。

 みんなはこの家のことを「B棟」と呼んでいました。社宅のA〜D棟の中のB棟だからです。ここのシェアメイトには共通点がありました。全員名前の頭文字が「M」から始まっているのです。もちろん偶然。代表者であるマコ、住人マリ、マミそして、新メンバー、マサシ。
 さらにオマケで、最初は居候として登場し、自分の家が決まってからも毎日のように遊びに来るほとんど住人同然のマリコ。

 ここは「B棟」ならぬ「M棟」でした。

 カナダのワーホリは、オーストラリア、ニュージーランドに比べて年齢層が高く、その中でもさらにバンフは他の都市よりも比較的年齢層が高いといわれています。たしかに30歳前後の人がほとんどだといっても過言ではないようです。M棟も例外でなく20代は僕だけでした。それだけにメンバーはしっかりしていて、家の中はいつもキレイに保たれていました。
 そして何より、みんな料理が上手でした。

 シェアハウスで期待したことの一つにシェアメシというのがあります。食事をシェア(分け合う)するのです。楽チンでメニューのレパートリーも増え、そして安い。さらに‘楽しい’という、いいことづくめなのです。

 シェアメシをする家、しない家は各家それぞれなのですが、この家のスタイルは、基本は各自で済ます。でも頻繁にみんなでメニューを決めては、シェアメシをするというものでした。毎回のシェアメシになぜかタイトルが付けられ、‘すし祭’とか‘ギョウザ祭’といったように代表メニューに‘祭’という言葉を添えて、祝うのです。そして必ず毎回写真を撮っていました。

 僕は食事の時には、いつも料理を作る側の人間だったのですが、この家にいた時はいつも後片付け係でした。
「作るのを率先してやってくれる人が何人もいるのなら、任せてしまいましょう、後片付けは僕が」
 たまにはこういうポジションもいいものですね。

 毎日の生活の中で欠かせない事であり、大切な交流の場である「食事の場」、つまり食卓に恵まれたということは、良いシェアハウスに巡り合ったと感じさせたことの1つでした。

 M棟のメンバーの中に‘食べる’ということで思い出す人がいます。あえて名前を出すのも、なんなので‘Mさん’としておきましょう。

 彼女は四六時中食べ物の話をしていたような気がします。別にデブ子ではありません。大飯食らいでもありません。特にグルメでもないのですが、気が付けば彼女は食べ物や食べ物屋さんの話をしていました。

「あの店の〜が美味しい」
「あの時のアレは美味しかったな」
「あれをこうすると、もっと美味しくなる」
「ごちそうさま、あー美味しかった」
「さて、今日は何を食べよっかな」
「今度、みんなでアレ食べない?」

 うーん、ある意味すごい。

 食べることしか考えていない訳でもないのですが、比重が重いこと間違いないのです。
「食べることが大好き!」という人は、特に女性ではよく聞く話ですし、実際に僕もたくさん会ってきました。ですが、1つ屋根の下で暮らしていたためか、ここまで耳についた人は初めてでした。

「あのね、あの店にはね、‘夢のように美味しい’デザートがあるんだよ」

 そんなばかな。‘夢にように美味しい’なんて肩書きが付く食べ物なんて、この世にいったいいくつ存在するだろうか? しかしここまでくると、そう話をする彼女は微笑えましくさえ映りました。
 そんな彼女と長い間、1つ屋根の下で接していたので、僕も改めて「食」というものについて考え直してみました。

「食べることが好きか?」
「食べ方にこだわりを持つタイプか?」
「食べないと動けないタイプか?」
「空腹だとイライラするか?」
「質より量か、量より質か?」
「嫌いな食べ物は?」
「食べれないものは?」
「一日何食?」
「ほかの事と比較した時の、食事の優先順位は?」
「自分はグルメなのか?」
「何を食べた時に衝撃を受けた?」
「食べて涙を流したことはあるか?」

 う〜〜ん・・・。
 食べることはもちろん好きだけど、他の経験を積めそうなチャンスを潰してでも食事を優先することはない。空腹自体は不快だが、その後の感謝の心さえ痛感できてしまえる、さらに美味しい食事を摂れると思うと、快感にさえ感じられる技術は身につけた。質とか好き嫌いの次元の話はどうでもよく、それを後回しにしてでもそこでのオススメ料理を選ぶ。特にオススメがない場合には、自分が今までに食べたことが無い、もしくは食べた回数が最も少ない物に手を伸ばす。

 人間界の食べ物である以上、害を持たない限りなんでも口にできると思っている。
「食べたら病気になる」、「目がつぶれる」、「I.Qが下がる」といったことがなければ、それはしょせん味覚レベルの問題なので、できないことはない! と自分には言い切れる。

 日本等で定住している時は、1日1食か2食で、3食きっちり食べることはほとんどない。
 旅先では、食べられる時に大量の量を食べる。移動中なら2〜3日であれば余裕で食べずに我慢できる。変ったものを見つけたら、移動中でも食べてみる。グルメとは掛け離れているけど、味がわからない人間でもない。味のうすい順に口にしていき、目の前にある調味料は一通り試す。人に料理を食べさせる時には味にこだわるが、自分一人の時はなんでもいい。

 今まで食べた物で最も衝撃を受けた物は、日本食を禁じていた時に数ヶ月後に口にした、キッコーマンの醤油。

 細胞に染みわたるようで自分の体が長い間大豆を摂取して形成されていたことを認識した。
 自論は「空腹が最高の調味料」。と、こんなところ。

 なんだかこうやって書き出してみると「自分は食にはうるさくない!」と言っても、どえらいこだわりを持っているように聞こえてしまいますかね?

 でも、これらのことを間単にまとめてみると、
「何でも食べれるし、食べれなくてもやっていける」ってことだと思います。
 えらく旅に適した舌を持ったものだと、感心、感心! 自分で頭をなでなでしました。

 ここで1つひっかかることがありました。

「食べて涙を流したことはあるか?」

 答えはもちろん、「NO」でした。

 それにしても「涙を流す」ということは、1つのキーワードになるんじゃないでしょうか?
 人は心が揺れ動くほどの強い刺激を受けると、よく涙が出ます。
 場面や思い出によって涙を流すことはあるけど、味覚で涙を流すほどのことなどあるのでしょうか?

 聴覚では、いい音楽を耳にした時、鳥肌が立ったり、思い出の曲じゃなくても涙が出ることありますよね。視覚でも美しい景色や壮大な風景を眺めていると、涙が出ることあると思います。

 嗅覚では、匂いで昔を思い出し、気が高ぶることはあるらしいのですが、
「あ〜、この香り、たまんな〜い」と涙を流している人は、少なくとも自分を含めて僕は会ったことがありません。

 感覚では、
「あ〜、そこそこ気持ちいい〜」 そして、涙ぽろぽろ・・・って、
これちょっとヤバイ気がしますよね?

 では、味覚では?
 食べ物を口にして食べられていられる環境への「感謝の気持ち」やその食べ物から思い出される「想い入れ」によって、涙を流すことはあるのでしょうが、美味による快楽や苦痛、つまり‘うまさ’や‘まずさ’で涙を流すことはないような気がします。

 どうやら肉体への快楽ではなく、感情に直結することが涙につながるようですね。

 味覚は僕の解釈では、肉体への快楽だと勝手に思います。
 拒食症などの「病気」に関しては、また別の話ですけどね。

 涙が‘出る’、‘出ない’について話をしていますが、べつに泣きたいわけではありませんよ。

 涙の正体は、まだ現代科学でも完全に解明されておらず、涙の成分はなんと血液と同じらしいのです。ただ色がついていないだけ。感情の変化によって、目から流れる無色の血。

 そんなミステリアスでミラクルパワーを秘めていそうな涙に繋がるような強烈なことこそ、大切な時間を割いて修行している今、追求していきたいことであり、自分が進むべきことのちょっとした道しるべではないでしょうか?

「涙は人生の道しるべ!」

 うん、これちょっといいね。

 なにはともあれ、今はまだ味覚による喜びは僕には重きを示さないようです。

 もしこんな僕を見て、
「あ〜ぁ、本当に美味しい物を食べたことがないのね〜かわいそうに」
 そう思ったら、
 ねぇ、ど〜か、涙が出るくらい美味しい物を食べさせて♪
 おいおい、こんなオチかよ!

 書き出してみると長いけど、贅沢に溺れずになんでも食べられることはいいことではないでしょうか? たいていの物を美味しく食べられる僕ってラッキー。
 チャンチャン。

 こんな僕が食べることについて不快と感じることが1つあります。
 それは、早食い。

 僕は大まかな時間を決め、ある程度意識してゆっくり食べます。よくかんでゆっくり食べることは栄養の吸収もよく、健康に関していいことづくめなのです。約40分くらいを目安にしていきます。この40分という時間は、レストランに入り誰かと共に食事をすると思えば、べつに長くもない、気にもされないほどの時間なのですが、普段の日常生活でこれをすると、よくイライラされます。
 どんくさい、バカにさえ見られることもあります。

 早く食べようと思えば、たかだかどんぶり1杯ぐらいのものなら、ストップウォッチで計ってでも早く食べられるのです。でも、何度話しても「早くたべることのできない遅い人」と「ゆっくり食べてる人」の違いがわからない人が結構います。おそらく、そういう人は「早く歩けない遅い人」と「ゆっくり歩く人」の違いもわからないのでしょう。

 もしスポーツのように派手さを持たない合気道や弓道、茶華道や太極拳やヨガといった、じわりじわりとした動きにも意味をもつものの良ささえも理解できないのなら、逆にかわいそうな気がします。

 ゆっくり食べている理由の1つに、幼い頃「日本むかし話」か、何かで見たある物語がチラつく事があります。

 あるところに1人の男がいました。その男は独身で、家族がいません。毎日、出勤しては働き、家ではあわの飯に手を合わせて食事をする、という平凡なシーンが繰り返されました。

 貧乏な村人にとって、白米を食べる暮らしは夢のまた夢で、あわやひえが主食だったみたいです。僕が幼かった故、記憶が定かではない所も沢山あるのですが、ある日、男はいきなり仕事を辞めて、田植えを始めました。仕事を辞め、収入が無くなってしまったため、男は毎日の食事さえもできなくなり、日に日にやせこけていくのですが、無心になって植えた田んぼの世話に力を入れていました。

 やがて、田んぼには穂が実り、稲刈り、脱穀を手作業でしながら、ついに男は米を収穫しました。すっかりやせこけた男は、その米を両手ですくいながら、まじまじと見つめます。

 そして、水でとぎ、鍋にかけ炊き上がるのをじっと正座して待ちました。炊き上がった米を茶碗にもり、1粒1粒光り輝く米粒を見つめているのです。

 そして、ゆっくり手を合わせ、箸でひとつまみ、口にふくみました。男は涙をぬぐいながら噛みしめ、おかずも何も無いごはんだけを味わっているのでした。

 鍋の飯を満足いくまでよそい、食べ終わると、男はその場に倒れて死んでしまいました。

 ここで、この話は終わってしまいました。

 この物語の一場面一場面がゆっくりとしたカメラワークで追っていて、その男の米に対する姿勢と米の大切さがリアルに伝わってくるように構成されていて、トドメの「死」という結末が、幼な心に衝撃を与えました。小さい頃には、それほど意識しなかったのですが、大きくなるにつれて、米を目の前にすると、この物語の中で男が米粒を見つめているシーンがチラつくようになったのです。

 日本にいた頃は、普通に食べ物を粗末にしてはいけないなーぐらいの感覚だったのですが、旅をするようになり、発展途上国の現状を目の当たりにしてからは、その思いはさらに強いものへとなっていったのです。腹を減らした人達と接した後に、自分はどこかの屋台で食事をとる。そうしていると、自然と今や昔の自分の環境に感謝しながら、味わってゆっくり食べるようになっていきました。

 べつに早く食べている人が何も考えてなく感謝の気持ちも感じていないと言ってる訳ではありません。ただ僕の場合、ゆっくり食べることによって気持ちの整理をしながら味わうことができているのです。

 仮にそれがなかったとしても、時間にせまられた食事って味気ないですよね。

「何を食べる」、よりも「味わって食べる」。

 まさに「質より量」、ならぬ「質より時間」。

 量は食べられる時には、可能な限り多く。
 あれっ? これって対人でも似たようなことが言えるかも。

 有能な人と濃い話を短時間するよりも、誰であろうと時間をかけて、その人のことを知ろうとすれば、学ぶことは必ずあるし、いいところも見えてくる。人数は可能な限り増やして。

「人生の中で起こることは、全て皿の上でも起こる」、と
どっかの誰かさんも言っていましたが、僕もあーだこーだとほざきながら、今日も米粒とおかずを見つめます。

「ちょっと、アナタ! 早く食べてくれないと洗い物が片付かないじゃないのさ! いつもタラタラタラタラ食べて、まったくもぅ、本当トロイんだから」
 あぁ〜、そんな声が未来の我家の食卓から聞こえてきそうです。

 旅をしていると時々、「グルメトラベラー」という人達に会うことがあります。
 グルメトラベラーとは、その名の通り世界各国にある美味しいものを求めて旅している人達のことで、リッチな人から少ないお金で回っている人と様々です。

 とはいえ、グルメトラベラーは基本的には、ある程度お金に余裕のある人がほとんどで、特に目を見張らせるような旅の手練には会ったことがありません。

 ただ自分の知らない美味しいものを食べてみたいという女の子や、勉強のために世界を回っている料理人なんかも、この分類に入るのでしょう。

 別に彼らが自分で「私はグルメトラベラーです」と名乗っているわけではありませんが、旅先での会話の中で、僕が長く旅をしていることを知ると、
「何が一番美味しかった?」、「あの国のアレ食べたことある?」
と、必ずといっていいほど尋ねてくるので、その人が旅の中で何に比重を置いているかが容易にくみ取れるのです。厳しい基準で切り落とした特徴ある料理と、僕の中での食に対する想いを述べた後は、僕も彼らに聞き返します。

「グルメトラベラーの舌をうならせるほどの日本では味わえない料理は見つかりましたか?」と。

 答えは、「NO」。

 そりゃそうです。定型的な「和食」というものを除いても、日本で当たり前のように食べられている、名づけて「和製外国料理」でさえ、平均レベルが高すぎます。

 だしにもこだわり、素材の持つ味を生かした和食の繊細な味つけと調理法のレパートリーの多さは、ここで語る必要もないと思います。

 もちろんどこの国でも高級レストランで出てくるものは美味しいです。ですが、それはその国の料理が美味しいというよりは、質や鮮度を高めたのであって、その国の中で一般的に食べられていないものは、その国ならではの旨いものとは言いがたいような気がします。

 一般の人が容易に手に入れることができるという点でみても、日本で手に入る範囲は地球規模ですし、既に日本食化された外国料理と多彩な調理法をもつ日本食を身近なものとする日本人から見て、目を見張る料理なんて本当に数少ないのです。

 動物の肉という素材で考えてみても、たしかに世界には、ヘビ、ワニ、カンガルー、アザラシ、トナカイ等、様々な動物がいて、食用化されているものも多いのですが、最も一般的な「牛」、「豚」、「鳥」を越えるほどくせがなく、万人に愛され、安いものは聞いたことがありません。

 魚介類だってそうです。日本人の基準で見てしまえば、重要となるポイントは時期と鮮度ぐらいでしょう。だから、それらのことを踏まえてみると、日本人から見て、見新しい物といえば、せいぜい野菜や果物といった天然素材ぐらいです。
 それ以外で日本では味わえない、代用できないものなんてあるのでしょうか?

 もちろん「ある!」と信じてこれからも探していくつもりですが、期待はしていません。
 実は既にそれらしいのが幾つか見つかってはいるのですが、まだふせておきます。

 もしみなさんの中で、
「あの国のアレがズバぬけているらしい」、という情報を耳にした人がいたら、もしくは体験した人がいたら、僕もサイフと相談してできる限りためしてきますので教えてください。

 一通り世界を回った後で、日本と比べても平均レベルの高いもの、もしくは「めずらしい食べ物」、「げてもの料理」なんかをまとめて発表・報告できたらいいなと思っています。

 ズレた話をコキャッと戻し、「バンフで職探し」というど現実へ。

 あわよくば、ロッキーガイドになってしまおうとバンフに来たわけですが、あちゃー、時期が悪かった。

 この年のカナダは「アメリカ同時多発テロ」と「SARS」の影響で、観光業の仕事はさっぱりなし、募集もなし。この年採用された旅行会社の新人ガイドは仕事がもらえなくて、デビューもできない状態。挙句の果てには、かけもちバイトで生活している始末。
 現役ガイドも被害を受けていることはもちろんのこと、ヘタすると会社の存続さえ危ないところもあるのです。

 履歴書を持って、「採用してください」と言ったら、笑われました。ネットで探しても全滅でした。ガクーンとしながらポケットを探れば、バンクーバーで手に入れたオーロラガイド募集のチラシが!

「もう、これしかない!!」

 冬がシーズンのオーロラ鑑賞ツアー。どうやら毎年シーズンが始まる前の夏には募集をかけているオーロラガイドの仕事。これ一本にしぼるしかないと思いました。カナダの旅行業界全てがダメージを受けているとはいえ、今こうしてオーロラ会社が人を募集しているということは、採用枠は狭いかもしれないけど可能性はあるということ。こいつを逃すわけにはいきません。

 実は既にバンクーバーを出る前に、1つのオーロラ会社に履歴書を郵送しておいたのです。この当たりはさすがに2回目のワーホリということもあり仕事が早い。すかさず念には念を入れ、2つ目のオーロラ会社にも履歴書を送っておきました。

 この時はまだ7月。面接は8月か9月。合格発表は10月。仮にオーロラガイドが合格しても仕事はシーズンである冬、つまり11月からなのです。それまでとりあえずの仕事を見つけ、生活費と旅の資金を稼がなくてはいけません。

 ところがどっこい、さすが観光地です。例年より募集が少ないとはいえ、すぐにいいところが見つかりました。
「オールド・スパゲティ・ファクトリー」という名のイタリアンレストランです。アメリカや日本にもあるチェーン店で、名古屋の実家近くや大学の近くにもあったので知っていました。
 オールド・スパゲティ・ファクトリーは、カナダが発祥だということでカナダにふさわしい仕事ですし、従業員に日本人がいないということが決め手となりました。

 なにせ住まいが日本人だけの家なので、職場ぐらいは絶対にカナダ人とかかわるものがよかったのです。得意のハッタリ面接で、早採用でした。希望とはかなり違った業種ですが、とりあえずの収入源ができて、一安心でした。

 カナダに来て、1週間以内に住む街が決まり、バンフに来て1週間以内に住む家と仕事を決めることができました。この先、ガイド業に就けるかどうかも、移動するかどうかもわからないけど、カナダに来て2週間以内にとりあえずの生活が確保できたことは我ながら順調だったと思っています。

 そんなこんなしているうちに、月日は流れていきました。

 やっとこさ見つけた住まいの契約は、その月の末まで。僕の後には既に入居する人が決まっていました。この子の名前は「めぐみ」と偶然イニシャル「M」。入居にふさわしい新メンバーです。そんなMさん達の心やさしい計らいで、僕は居候という立場でM棟に残ることを許されました。

 実はこの家「M棟」はあと1ヶ月で家ごと元の社宅に返さなければならないとのことでした。理由は代表で家を借りてるMさんが結婚するということで、それをきっかけに他のMさん達も全員帰国することになったのです。だから1ヶ月後には僕はを含めて全員が引っ越しです。

 僕が与えてもらった居場所はリビングでした。どこでも寝ることができますが、ここのリビングはこりゃまた快適でした。
 仕事をしながら、休みの日には山に登ったり、報告メールを書いたり、シェアメイトと「祭」と呼ばれている美味しい食事を摂る。

 ちょっと前の誕生日には一人ぼっちでした。

 しかし、今では「ただいま」と帰る家があり、「おかえり」と返事も返ってくる。食事も共にする相手もいるのです。

 そんな生活をしていると、それこそ月日はあっという間に流れ、引っ越しの時がきてしまいました。この家の最後に立ち会うことができて僕は嬉しく思いました。

 時の区切りは何かしら人を成長させます。卒業、引退、退職、退部、誕生日、年越し、新世紀、出国、帰国、別れ、そして引っ越しも然り。

 卒業生たちはそれぞれの愛情こもった家をキレイに掃除しました。これを期に帰国するMさん達からたくさんの生活用品をもらいました。バックパック1つだった僕の荷物は一瞬にしてスーパーのカート(手押し車式巨大買い物カゴ)に3台以上になってしまいました。

 次の家は既に見つけてあったので、カートで3往復して運んでいきました。スーパーのカートで引っ越しができてしまえるところが街の狭さを物語っているようです。
 これが「バンフ式引っ越し」なのです。

 M棟メンバー達に別れを告げ、家の前でM棟解散です。両手でカートを押すために、いつもは手に持つはずの「杖」は背中の服の間に忍者のように差しました。

「さらば、M棟」

 と一声かけてカートを押し始めると、真っ昼間に移動する緑色した忍者の頭上で、
「アホーアホー」
と、にくいタイミングでカラスが鳴きました。

 M棟は大変居心地がいい家でした。それ故に早く出る機会が来てよかった気もしました。カナダでは、定住型で生活しているとはいえ、旅先に変わりません。居心地がいいところに甘えているわけにはいかないのです。これは1つのいい区切り。またこの次には、新しい出会いと新メンバーとの共同生活が待っているのです。面倒ではあるけれど、この方が濃度が上がること間違いないので胸は躍るのです。
 バンフ生活もまだ始まったばかり。

 さて、この次は・・・。

 ひきつづきバンフにて仕事をしながら、オーロラガイドに合格できるように下準備を始めます。ただ家が変わるだけ。次の家ではどんなメンバーとの生活が待っているのでしょうか?
 新しい家での生活を紹介する前に、次回は僕が働いているイタリアンレストランの様子について紹介します。

 それでは、SEE−−YAA−−−−−−−−−−
                         FROM まさし