2004年10月 港で回る風見鶏 ■カナダ往復編
 HELLO−!
 カナダでの仕事を一時休業して北米大陸プチジャーニー中のマサシです。

 世界でも名高い東カナダの紅葉中に、東カナダを回れるだけ回っておきたかったのです。とりあえず、北アメリカ大陸最東端を目指してひたすら東へ向かって移動しました。

 カナダの中心地マニトバ州の州都ウィニペグを出た後は、カナダの首都オタワまで一気に来ました。
 オタワはイギリス色の強いヨーロッパ風の建築物が国会議事堂を中心に建ち並ぶ中規模の都会です。美しく適度に住みやすそうですが、ただそれだけで特に変わったものは目につきませんでした。とは言え、もし始めての海外旅行、もしくは始めての西洋文化としてこの街を訪れたのなら、きっと満足できるぐらいの景観はあると思います。

 ちょっと変わった体験ができるところはオタワにあるユースホステルが元監獄だったところをそのスタイルのまま今も安宿として利用しているため、牢屋の中で寝泊りをして囚人気分を味わえてしまえるというのを売りにしているのです。
 毎晩「監獄探検ツアー」と称し監獄の中をいくつかの逸話を交えながら散策する催しも行われているのです。
 面白そうなのでここにとまることにしました。

 牢屋の中は2つの二段ベッドがあり、狭く、冷たく、圧迫感のある陰気くさい雰囲気です。ですが、夜行長距離バスでの車中泊が続いたここ最近の移動生活と比べても、発展途上国での水も出ないようなダニやゴキブリだらけの安宿と比べても申し分ないほどに快適だったので、囚人が味わうであろう不快感は少しも実感できませんでした。しかし人間はどんな環境でも次第に慣れてしまう生き物なので、きっとここで生活していた囚人たちもこの「牢獄の部屋」自体には不快感を覚えていなかったんじゃないかな? と思いました。
 厳しいルールに縛られた「監獄生活」には不快感を覚えていたでしょうけどね。

 そんなこんなで、首都オタワを後にして再び東へと移動し始めました。
 さぁ、いざ東へ!

 ここから先はケベック州に入ります。

 ケベック州はフランス語圏で英語が通じる割合は大都市モントリオールで50%、州都であるケベックシティーに関しては25%以下とも言われています。 
 英語圏であるカナダ国内にあるにもかかわらず、学校での英語教育はほんのわずかしかふれていないそうです。身内に英語圏の人が居る家庭は英語も話せるようになっていると言った程度らしいのです。
 ケベック州の中で西に行けば行くほど英語が通じ、東へ行けば行くほど英語から遠ざかるようです。
 
 ここでちょっぴり歴史の勉強。

 「新大陸」としてアメリカ大陸が発見され、ヨーロッパから移民達が移り住み各国の文化を広めながら開拓していきました。
 北アメリカには主にイギリスとフランスが移り住みました。
 中・南米には主にスペインとポルトガルが移り住みました。
 どちらも先住民が住んでいたため侵略するように占領していったことは言うまでもありませんね。

 しだいに人口も増え北アメリカを中心に発展していきました。
 一つの国として十分な発展をみせた北アメリカは、ヨーロッパから植民地扱いされることに不満を感じ始め独立を目論んだのです。
 そんな彼らの中でイギリス色の強い人達とフランス色の強い人達が独自の文化を守るために「北」へと移動していきました。
 それが「カナダ」の起源です。

 やがて北アメリカはヨーロッパと喧嘩をするように「アメリカ合衆国」というどデカい多民族国家として独立しました。
 そこに属さなかった北へ移動していった人達によってカナダが生まれました。
 イギリス系は主に西へ、フランス系は主に東へ。

 こんな感じでカナダという国ができあがったので、一つの国にして英語文化とフランス語文化に分かれているのです。

 よくカナダ人が、
 「アメリカ人と一緒にするんじゃなーい!」
と豪語している理由も納得がいきますね。
 さらにアメリカ人とヨーロッパ人(特にイギリス人)が仲が悪い理由も、こんな歴史的背景が大きく関係しているのです。

 うん、なんと大雑把で解りやすい歴史説明なんでしょう!
 NHKこどもニュースもビックリッ!

 なにはともあれ、フランス語圏に入りました。

 モントリオールのバスディーポ(バスターミナル)に着いた瞬間からアナウンスがフランス語に変わりました。紅葉のベストシーズンには少し早かったので、とりあえずモントリオールは後回しにしてケベックシティーに向かうことにしました。できるだけ東のほうからやっつけていきたかったので、ひとまず最東端まで行き着いたら帰り道に一つずつベストな紅葉時季に合わせて気になる街を回っていくことにしたのです。

 ケベックシティーでは休憩も兼ねてユースホステルにとまりました。

 ケベックシティーは坂の街です。丘をグルリと囲むように街があり、そのまま家並みが丘の斜面に沿って上っていくように建ち並んでいます。
 建築様式も全てがフランス調に統一され、昔から変わらないその景観から世界文化遺産に登録されているこってこての観光地です。
 街全体の広さはそれほど広くもなく、徒歩で簡単に一周できてしまえるほどです。観光客や年配者のために下から上までは有料ケーブルカーも運行しています。
 売られているものもオシャレなものが多く、特にアクティビティーがあるわけでもないこの街では買い物に力を入れる観光客の姿が目につきます。

 僕は特に買い物をしない人なので店内に多くの時間を取られることもなく、一応店内には入ってみるもののザザッと見て早歩きでサクサク店から店へと超高速ウィンドーショッピングをして回りました。
 せっかくなので街は隅々まで回っておこうと4時間で2周しました。

 なぜ2周したかと言うと、写真を撮ろうと思って回っていたのですが、これといって写真を撮りたいと思う場所が見つからずしぶしぶもう一周したのですが、やはりシャッターを押すのにかなりためらってしまいました。
 街の上のほうにはもちろん展望台もあり確かに広々としたきれいな眺めではあるのだけれど、特別な眺めではないのです。
 ここでの写真を撮ろうかどうか迷っていたら、日本人観光客のおばちゃん団体が僕の隣で歓喜の声をあげてこう言いました。
 「あらまぁー、きれいな眺めだこっと! こんな景色は日本では見れないわねー」と。
 そして僕にシャッターを押して欲しいと頼んできました。
 「いやいやおば様方、海外旅行中だからそう思い込みたい気持ちはわかりますが、このレベルの景観なら日本でだって経験できるのでは?」
 などと言えるわけもなく、シャッターを押してあげた後には、
 「壮大な景観と供に、たいっっっへん、大変美しく撮れましたよ!」
思わず2回言ってしまいました。  よっ、名俳優!

 「ひょっとしたら自分は無感動になってしまっているのではないか?」
とさえ思いました。
 しかしそうではありません。ちゃんと感動するときはピィーキピキッドカンッ!とたちまちお頭が大噴火してしまうほどに感動しています。
 ただどうしても他と比べた特別性を求めてしまっているのは事実です。そして、自分自身の中では初めての美しい街を散策してそれなりに楽しんだとしても、それを人に伝えるときは特に気をつけるようにしています。
 ただ単に「よかったよ! きれいだったよ!」
という内容の薄いコメントはしたくないので、
 「他と比較してどうなのか?」
 「その人の海外旅行経験を考慮したうえでもその人に勧められるのかどうか?」
を考えてコメントするようにしています。
 そうすると、自然と辛口評価になってしまうことが多いのです。
 
 なにを食べても、
 「これ最高においしい!」
と言って食べたり、誰に対しても、
 「あの人は本当にいい人だよ!」
と紹介する人にも魅力を感じます。しかし、人に勧めたり紹介するときにはできるだけ確かな見解で伝えていくように僕自身はしたいのです。
 本当に無感動で楽しんでないなら、辛い想いや流れ行く時間のリスクを背負ってまで旅を続けることはしていません。

 人に伝えるときに誤解されがちなので言わないように気をつけていることは、
「ここより、あそこのほうがすごいよ、きれいだよ」
ということです。

 うかつにこの言葉を言ってしまうとその場所の全面否定、もしくはもっといいものを自分は知っているという自慢にも聞こえてしまうことがあるのです。
 「これはこれで楽しめるが、実は世の中にはもっとすんごいものがあるよ。是非そっちを一度見ておくことを勧めるよ!」
とは受け取ってもらえない場合が多いのです。
 ですので、あえて何かと比較して意見を聞かれた時や情報としてならこう答えることもありますが、それを目前としている場面でそんなしらけてしまうようなことは言わないようにしています。

 多くを見てきた者ほどその人の発言に重みが増します。うかつに「最高ぉー!!!」を連発していては信憑性に欠けてしまうのです。
 しらけてしまわない程度に情報と割り切って、こういった文章の中では辛口評価をしていこうかと思っています。

 逆にとれば自信をもって褒めたり、勧めたりしているものは本当にいいものである可能性が高いと言えると思いますので上手にこの情報を利用してくれたらうれしいです。
 「たいしたことないよーだなんて、なんと無感動でつまらない人間なんだ」
と悪い方向には受け取らないでくださいね。

 そんなケベックシティーを後にして引き続き出発しました。
 さぁ、いざ東へ!

 この次は一気に北アメリカ大陸最東端の街シドニーです。
 ケベックシティーから丸々一日かけてシドニーに到着しました。生まれて始めての大西洋です。最東端の街と言っても特に何かあるわけでもない田舎の港町でそれらしいモニュメントもありません。その理由はカナダの最東端の街はこの先にある島「ニューファンドランド州のセント・ジョーンズ」だからです。このセントジョーンズの街からしばらく東に行くとカナダ最東端の岬があるのです。
 だからカナダの中で「最東端」というと、このセント・ジョーンズのモニュメントを指しそこを目指す人も多くはないけど、ちらほらいます。
 
 今の僕の旅でのスタイルは島を重要視しておらず、あくまで「大陸」で考えるようにしています。特別な理由がない限り島国を含め島には行きません。
 世界を回るにあたり島を回っていたら、それこそどれだけの時間とお金がかかるか検討もつきません。それに島まで合わせてしまったら、いったいどこが本当の最端なのかもわかったもんじゃないのです。
 地球上の国においては
 「何カ国訪れたか?」
 ではなく、せめて
 「何都市訪れたか?」
で見るようにしたいし、地形においては
 「一つの国の領土の中での最端」を目指すよりは、
地球規模での大陸、せめて亜大陸や半島のなかで区切りをつけていきたいのです。

 ずっとそのスタイルでここまできたのですが、今回ここでちょっと欲を出してしまいました。
 「どうせここまで来たのならカナダの最東端であるセント・ジョーンズまでいってしまおうかな?」と。
 東に進むに連れてこの欲が沸々と湧き上がってきていたのでした。

 シドニーより少し北にあるノースシドニーという港町からニューファンドランドに渡る船がでているので思い切って乗ってしまいました。
 一晩かかってニューファンドランドに着きました。港街「ポート・オ・バスク」です。

 さぁ、いざ東へ!
 っと思いきや、ニューファンドランド州内のバスには、僕が持っているグレハンのバスパスは有効ではないということをこの時点で知りました。新たに購入しなくてはいけないバスの乗車料金を聞いてみるとめちゃくちゃ高く、ポート・オ・バスクからセント・ジョーンズ間の往復とセント・ジョーンズでの宿泊費を計算してみると、今回僕が予定していた東カナダ一ヶ月間の旅、そしてバンフまでの帰り道の総予算とほど同額になったのです。
 これにはさすがにうかつに手が出せません。いきなり旅にかける予算が倍額になったようなものです。

 そーこーで、オマエはどうする? 欲張り端好き男!

 せっかくここまで来たのだから金に糸目はつけず、カナダ最東端を目指してぼったくりバスに乗ってしまうのか?
 それとも、シドニーまで行き着いた時点で目的は達成されたのだから、欲を出した自分と情報不足だった自分のミスだったとあきらめ、本土に戻るための船に乗って帰るのか?

 結果は・・・、バスに乗るのをやめました。

 港町であるポート・オ・バスクで大西洋の海を見ながら自分の下した選択をふりかえりました。
 今回僕は、アメリカ大陸最北端のバローから北アメリカ大陸最東端を目指してひたすら東へ進んできました。相変わらずの陸亀スタイルで、背中の甲羅に風見鶏でも付けたみたいに後ろから吹き付ける風に追いやられるようにニワトリと視線の先を供にしてきました。
 大陸最東端という区切りを果たしたにもかかわらず、時間もないのに欲を出してしまいました。
 一度気になり「行こう!」と決めたことを変更することは「決める」ということに重きをおいている僕には屈辱的にさえ感じることでした。
 お金を持っていない訳ではないので、予算をオーバーすることにはなるけれど思い切ってセント・ジョーンズ行きのバスに飛び乗ってしまおうかとも思いました。

 しかし、その瞬間! 背中に付けていた風見鶏がクルリッ!と方向を変えたのです。
 ドキッとしました。

 お金はあるけど時間がない。もし、ここでセント・ジョーンズ行きに時間を使ってしまったら船とバスの時間を考慮して往復で4,5日は費やすことになってしまいます。
 時間を使えば他で使える時間が短くなることは目に見えていました。欲と勢いまかせにバスに飛び乗った瞬間の「クルリッ!」、方向転換でした。

 「風見鶏」とは、ニワトリの形をした風見(風の方向を見る道具)という意味の他にも「定見を持たない」と言う意味があるときいたことがありました。
 自分の都合のいい方に付こうとする「日和見主義」の意味も含んでいるとも言えますが、僕の中では固くなった頭に発想の転換をもつような前向きな意味合いで解釈していたかったのです。
 目先の「欲張った目標」に囚われて「本来の目的」をもう少しで見失ってしまうところでした。

 ポケットに持っていた「最北のカケラ」である「北極海の石」を目の前に広がる大西洋に向かって、おもいっきり遠くに投げてやりました。
 おもいっきり遠くに投げたつもりなのに、ポチャンッ!とはっきり大西洋が最北のカケラをキャッチした音を耳にしました。
 
 北極海から太平洋に面したバンクーバーを経て、ここ大西洋まで・・・。
 「これで十分じゃないか!」
 柄にもなく無口になっていた口から、そうこぼれました。

 はたしてこれは「妥協」と呼ぶのでしょうか?

 ケベックシティーで自転車で旅をしている人、通称「チャリダー」に会いました。
 彼は自転車でのカナダ横断を目指しバンクーバーから出発してケベックシティーまで来たところでした。この後はノヴァスコシア州のハリファックスまで行ってカナダ横断を終了する予定でした。
 「最東端のシドニーまで、もしくはセント・ジョーンズまでは行かないの?」
と聞くと、
 「ハリファックスだって大西洋に面しているから、そこまで行けば十分横断したことになるでしょ?」
そう言われた時はなんの疑問も持たず
 「そうだ、そうだ、十分だ!」
と納得できました。
 にもかかわらず、自分のことになったらシドニーまで行ったのに、
 「本当にここまででいいのか!?」だなんて。
 「妥協じゃない! 目標達成!」
と今回は
 「モクニョウタッセイ、目標達成!」
と後頭部をバシバシ叩いて言い聞かせる必要もなく、自分で自分の頭をなでなでしました。

 本土に戻る船のチケットを買って大西洋クルーズ再びです。

 一日かかってノースシドニーに着きました。暗くなる前だったので、大西洋にジャブジャブ浸かって北極海に浸かった時の事を想い出していました。
 ここはやっぱり冷たくないのです。暗くなるまで浸かっていられました。

 さて、次の目的地に夜行バスで向かってしまいたいところでしたが、もうこの日はバスは運行していないということで一泊せざるえなくなりました。
 宿を探そうかな? とも思いましたが、ニューファンドランドへの往復の船に乗ってしまい余計な出費をしてしまったこともあるし、それほど寒くもなかったので久々に野宿をすることにしました。
 電気のついているバスディーポでこの後に控えている関門、『赤毛のアン』の舞台であるプリンスエドワード島にむけて『赤毛のアン』の単行本を読みふけり、その近くで波の音を聞きながら一眠りしました。
 翌朝には大西洋から昇る日の出を見た後、風見鶏の指す南へ向かってバスに乗り出発しました。
 
 次の目的地は、ノヴァスコシア州の州都「ハリファックス」です。
 ハリファックスは大西洋に面した東カナダ最大の港町です。

 ハリファックスと言えば、「タイタニック号」です。
 1912年4月14日、絶対に沈まないとまで言われたイギリスの豪華客船タイタニック号が氷山に衝突して処女航海で沈没。2200人中1500人の死亡者を出した世界最大の海難事故としておなじみのタイタニック号です。
 このタイタニック号が沈んだところがハリファックスのすぐ近くなので、ハリファックスには博物館の中にタイタニック号の記念館みたいな場所が設けられているのです。

 こてこての港町ですので、港には大きな帆を構えた海賊船のような船が幾つも並んでいる雰囲気のいい街です。
 とは言えハリファックス自体にはほとんど見所がないので、観光客のほとんどがハリファックス南にある街「ルーネンバーグ」まで足を伸ばします。
 ルーネンバーグは旧市街の家造りと昔と変わらないその景観からゲベックシティー同様、世界文化遺産に登録されている街なのです。

 当然ルーネンバーグ目当てにハリファックスまで来たわけですが、あいにく長距離バスはハリファックスまでしか出ていないのです。ローカルバスが一日一本走っているのですがバスパスも使えないし、ルーネンバーグに夜到着のバスで翌日の早朝ハリファックスに向けてルーネンバーグを出発するので嫌でもルーネンバーグに2泊はしなくちゃいけないのです。ルーネンバーグには安宿がなく、高いB&B(朝食付きペンション)しかありません。日帰りで帰ってくるには日帰りツアーに申し込むしかないのです。
 ツアーと名がつくものにはできるだけ参加したくないので、レンタカーを借りることにしました。もちろん一人でレンタカーを借りると高くついてしまいますので、同乗者を探しシェア(割り勘)する方法をとることにしました。
 ハリファックスでの最初の関門は、リフトメイト(相乗り仲間)をみつけることになりました。安く目的を達成するためには、自分が企画してでも最適の方法にもっていかなくてはいけないのです。

 やりたかないけど、やらなくちゃ!
 はいっ、やりました。 さて、メンバーは?

 4人も集まりました。全員日本人です。ユースホテルに泊まっている人に声をかけて誘いました。僕企画のマサシツアーなのでお約束のように夕食付きということと、ドライバーズガイドの肩書きのダブルパンチで攻めました。 
 翌朝レンタカー屋の開店時間と同時に車を借りてきて出発です。

 さぁ、いざルーネンバーグへ!

 道中は赤く染まった紅葉の並木道がひたすら続いていました。
 途中「ペギーズ・コーブ」という観光スポットである海岸沿いに建つ灯台に寄ったのですが、ものすごい観光客の数でした。こんな端っこまでみんなよく来るものですね。僕ら旅をしている者ならわかりますが一般の人がなんでここを選んだのか尋ねたかったぐらいでした。
 そんなに時間もないので、ちゃっちゃと出発です。

 途中少し雨も降ってきましたが無事ルーネンバーグに到着です。

 小さな港に沿って平行に通っている通りにカラフルな家が並んでいます。港から奥に進むにつれて高くなっている坂の街ですので、平行に列になった家並みが階段状に上がっていくといった街並みです。
 だから横から見たら階段状ですが、港を挟んで真正面から見ると手前の家並みと奥の家並みの高さがずらすように異なっているため、幾つもの家が同時に見ることができるのです。建物にカラフルな装飾が施されているだけでなく、窓にも特徴があり各家が異なる様式の窓がつけられておりマニアにはうけているみたいです。

 幸い街並みや建築様式が売りの名所なので天気はほとんど関係なく堪能できました。
 ここまでひっぱっておいてなんですが、噂ほど一見の価値あり! と言えるほどのところではありませんでした。確かにファンも多いきれいな街なんですけどね。

 港には慰霊塔が建てられており、それには航海で命を落とした船乗り達の魂が迷うことがないように方位が印されていました。行き先を見失った人達にふさわしい心使いだと思いました。
 そんなこんなで、ハリファックスに戻り夕食を食べてマサシツアーは終了です。

 ここで一つ小さな問題が起きました。
 リフトメンバーの一人が宿のベットを確保できなかったのです。もともと予約がいっぱいでこの日は泊まれないことになっており、前日の一泊は何とか泊まれキャンセル待ち状態だったのでした。しかしあいにくキャンセルが出ることはなく、この日に泊まる宿がなくなってしまったのです。

 とっぴんパラリンぷぅ!
 とけったいな効果音と供に頭の上の「閃きの電球」が光り、「ジェントルマン!」という文字を浮かび上がらせました。
 えっ!? 車を返却するのはどうせ翌朝なんだから僕が車の中で寝て、僕のベットを仲間に譲ってあげろってことかい?
 確かに野宿に比べれば遥かに快適だし、その分の宿泊代を払ってもらえば一泊分浮くことになります。
 唯一の心配は台風が近づいて来ているということでした。
 「台風の中の車中泊か・・・」
と思いながらも腹の中ではもう決めちゃっていました。

 気にならないなら、代わらなくっちゃっ!
 はいっ、代わりました。 さて、いかがな夜を過ごされました?

 幸い風が強いものの雨が降っていなかったので寝るのを諦めて夜の港町散策に出かけました。
 台風は直撃しているわけではなく、既に反れて行ってしまっていたのでそこまで激しい風ではなかったのですが、港の波を荒立てるには十分すぎるほどの強さでした。
 真夜中の港でギシギシと音を立てて揺れ動く巨大な船の数々はなんとも言えないほど不気味なものです。間違いなく海で命を落とした者の魂がさまよっていると言い切れるほどです。全てが幽霊船に見えてきます。

 車に戻ってもつまらないので発想を切り替えることにしました。
 幽霊船だと思うから怖いのです。だったらいっそのことこれらの全てを海賊船だと思い込むことにしてみました。これなら怖くはないし、それどころかなんだか闘志が湧いてきちゃいました。
 もし時代が替わって大昔、自分が海賊だったら・・・。そして今、出航の前夜でありこれから長い船旅にでなくちゃいけないとしたら、どんな気持ちになるのか想像してみました。
 海には危険がいっぱいです。クラゲに刺されたり、珊瑚で引っかいちゃったり、日焼けしすぎて火脹れ状になってしまったり・・・。
 チッチッチッ! そんなちんけな話をしているのではありましぇーん!

 昔、ゴムボートで沖に流されてしまったことがありました。満潮も近づいてきていて波が高く岸に帰れなくなってしまったのです。漕いでも漕いでも進まないあの恐怖は今でも忘れません。船で海に出て遭難しそうなシチュエーションになったら恐怖と不安はあんなものでは済まないはずです。
 映画「タイタニック」の弦楽合奏団のように落ち着いて腹をくくれるのでしょうか?
 「我先にっ!」と救命艇に飛び乗るのでしょうか?
 飛び乗ることが悪いことなのでしょうか?
 もし自分が救命艇に乗り込んだ最後の一人で、まだ一人だけ本船に残されていたとしたら今回のユースホステルの一件のように代わってあげられるのでしょうか?
 親友だったら代わってあげられるのでしょうか? 親だったら? いったい誰だったら代わってあげられるのでようか?
 「僕は将来有望な偉人の卵だから」
とほざき、できるだけ自分が代わらなくてもいい方向にもっていくのか?
 もしくは、
 「偉人参上ぉーっ!!!」
とほざきトォーッとカッコつけて救命艇から自ら本船に飛び移るのか?

 それではもし、救命艇に乗れてない人が3人いて、救命艇に乗れている自分の隣にはすんげぇーデブが乗り込んでいたとする。そのデブに、
 「オマエが降りれば3人の命が助かるぜ!」
と説得にかかるか?
 もし、そのデブがたいしたことないヤツで、
「僕は絶対に嫌だね。僕はグルメだからもっと美味しい物を沢山食べたいんだ。鉄板焼きの肉は霜降りしか認めないし、ウニの寿司は軍艦ではなく握りで、ドンペリはやっぱロゼかな・・・」
 などとぬかしやがったら、残された3人の価値の合計とこのデブの価値を独断と偏見で瞬時に天秤にかけて、殺人者の汚名を自分があえて背負うことになろうともこのデブの腹にボディーブロー一撃お見舞いして、バックドロップで海底へ叩き落してやるか?
 そして、何もなかったかのような涼しげな顔でこうほざくのです。
 「さぁ、席が空いたよっ! 身代わりになった彼のためにもこれからの人生大切にしなくっちゃね☆」
 よく言うぜっ!

 それではもし、自分が救命艇に乗れてなくて、大嫌いなヤツが既に乗っていたとしたら、
 「オマエが生き残るより僕が生き残ったほうが世の中のためになるんだよ!」
と引き摺り下ろしボディーブロー一撃お見舞いして、自分が乗り込むか?
 もしくは、
 「みなさーん、この人でなしの彼と僕、どっちが助かったほうがいいと思いますかー? 挙手で結構ですのでお願いしまーす」
 と多数決を呼びかけてしまうのか?

 それではもし、誰かが自分に、
 「私よりもマサシさんが生き延びてください!」
と言ってきたなら、その申し出を受けられるのか?
 「えっ、マジ!? いいの? いやぁーなんだか申し訳ないなぁー」
なんて簡単に引き受けれる訳ありません。
 
 病人、老人、親、いったい誰の申し出なら受けられるのか?

 それではもし、どデカイ犬が救命艇に乗っていたら?
 「その犬を降ろして僕を乗せてくれぇーーーいっ!」
と言うのか?
 もし言ったとして、
 「嫌だよっ! 僕の大事なパトラッシュを降ろさないで!」
と子供が犬にしがみついたら?
 あ痛ぁーっ!

 そんなくだらないながらも頭を抱えてしまいそうな「もしも」が荒れ狂う波のごとく打ち寄せてきて、頭の中は目の前の嵐のようにかき乱れてしまいました。

 あれっ? たしか海賊船という想定だったはずなのに、いつの間にか豪華客船に乗っているシチュエーションに変わってしまいましたね。
 海賊船にグルメなデブやパトラッシュが乗っているわけありません。

 ズレタ話をコキャッと戻し、そうそう、もしも自分が海賊だったなら?

 「陸亀スタイル」の僕が海に出るわけですからやっぱり「海亀スタイル」ということになり、船や海賊旗は亀をモチーフにしたデザインになってしまうのかな? とも思ったのですが、それではあまりにも弱そうですね。
 きっと帆先にも風見鶏でもつけていることでしょう。
 移動自体は船でしているものの、人のいない海に出ている時間は非常に少なく、陸に船をつけている時間がやったら長くなってるような気がします。

 うーん、なんだか想像すればするほど自分が海に興味がなく海賊には向いていないことを自覚していくのでした。
 別に海賊である必要はどこにもなく、漁師や客船の船員である「船乗り」なら全て同じことでした。
 目の前で闇と嵐の中、揺れうごめく「いかにも海賊船」に夢を乗せて走らせようとしたけれど、どうもうまくいきません。
 それもそのはず、僕はこれまでに自分で船を出したこともないし、船による長旅もせいぜい3日限度です。自分に経験がないことは想い描きようがなく、やっぱり僕はフィクション作家には向いていないことを自覚しました。
 
 ただ港に立っていただけなのに「船乗り」と「フィクション作家」という二つの道が塞がったような気がしました。決め付けてしまうのは早いけど、興味がないなら仕方がありません。
 しかしその分、自分には人と話したり対自然なら自分の足で登る山の方が向いていることが再確認できたような気がしたし、自分が経験してこその物語りを着色することなく書き残していくことが自分には向いているのではないか? そんな道が開けたような気もしました。

 旅立ちの時、手の甲に書いた落書きの一つに、こんな言葉がありました。
 「自分にできないことが分かるから、自分にできることが見えてくるのだ!」
と。
 その落書きしたインクは今は落ちて消えてしまいましたが、今でもはっきりと僕にだけ確認することができています。

 何事もズバッとくるまで具体的なことは決めないようにはしていますが、ふとした時に感じるこういった自分の中で自覚した想いの一つ一つも、旅の想いでと一緒に忘れないようにザックリ刻み付けていくのです。
 今後、自分の将来を選択する場面に生かされることを信じて。

 「ちょっと、このバカ息子! 船乗りだとかフィクション作家だとか、当ても経験もないことをごちゃごちゃ考えて消去してるぐらいなら、さっさと公務員試験でも受けなさい。年齢制限もすぐそこまできてるのよっ! そんな‘もしも・・・’を考えてる暇があるなら就職できなかった時のもしもでも考えなさい!」
 あ痛ぁーっ!

 そんなお叱りが実家から聞こえてきそうです。
 「だって、だって僕、海賊になるんだもん!」
 はいっ、現実逃避。

 そんなこんなしていたら・・・、あららっ、太陽が顔を出しました。

 今回のハリファックスでの夜歩きを野宿と呼んでいいのかどうかは分かりませんが、前回のノースシドニーでの野宿の時と合わせて大西洋から昇る日の出を見るのは二回目です。ここより東には何もない所まで来ているはずなのに、まるで隣の大陸にある灯台が光っているかのように太陽は力強い輝きを放ちました。
 まったく大自然には敵いません。

 「さぁ、いざ東へ!」をキーワードにここまで来たカナダ横断。最後の方はやけに港であれこれ考えさせられました。
 めまぐるしく回る頭の中と同調するように・・・、いいえ、「競争」するように回り続けた背中の風見鶏。
 どちらも勢いよく加速し、ピタリと止まります。

 先に決断を下した方の勝ちです。
 ニューファンドランドでは、負けました。
 ノースシドニーでは、勝ったつもりです。

 そしてここハリファックスでは、勝負をするまでもなく方角はどちらも決まっていました。
 今度は西へ。目指すはもちろんバンフです。

 せっかくなので東カナダを回りながら徐々に西へと戻っていくつもりです。紅葉シーズン真っ盛りですしね。
 
 さて、とりあえず目標にしていた東まで行き着いたこの次は?
 もう少し東カナダを回ります。次の目的地は『赤毛のアン』の舞台として有名な「プリンスエドワード島」です。
 アンに負けないぐらいの感受性を全開にして挑みます。

 それでは、
 SEE−−YAA−−−−−−−−−−
                         FROM まさし