2003年10月 クーガー桃色吐息 ■カナダ・バンフ編
 Hellor− カナディアン・ロッキー山脈の入り口の街「バンフ」にて、ひきつづきカナダ生活を送っているまさしです。

 バンフに来てやっとこさ見つけた最初の住居「M棟」からも引っ越さなければいけなくなり、スーパーのショッピングカート(手押し車式巨大買い物カゴ)をえっちらこっちら押しながら、新住居にやってきました。

 この新住居も本来はある会社の社員用社宅なのですが、この年は「SARS」と「テロ」の影響で仕事も例年より少なく、新入社員を採用しなかったため、社宅にも空きができてしまい、空き家にしておくのももったいないということで、一般に貸し出ししていたのです。

 この家はクーガーストリートという通りにあるため、「クーガアコモ(アコモデーション)」と呼ばれていました。
 ちなみに「クーガー」とは、別名「ピューマ」とか「アメリカライオン」と呼ばれており、凶暴なネコ科の哺乳類に属すヒョウみたいな動物のことです。バンフやその近郊の街でも、クーガーに人間が食い殺される事件を数年おきに耳にします。

 このクーガーアコモのメンバーは、元から住んでる日本人女の子2人、そこに新しく入居することが決まった日本人女の子1人とこの社宅を所有している会社のカナダ人男性社員1人、そして僕と、男2人女3人の計5人で住むことになりました。
 とはいえ、このカナダ人の彼は出張が多く、ほとんど家に帰ってこなかったため、実際は日本人男1人女3人の4人で住んでいたようなものでした。

 それにしても、この家は日本人の所有物で住民が女の子が多い割りにはきたない家で、散らかってこそいませんが、目の行き届いてないスペースがたくさんある。お世辞にも清潔とは言い難い家でした。

 どういうわけか、僕はこれまでの人生において掃除に縁があるみたいで、気が付けばいつも大掃除に立ち会っているような気がするのです。

 僕の血液型はA型です。
 ですが、実は細かい事はそれほど気にならない性質で散らかっていようが、整頓されてなかろうが、ぜんぜん気にならないのです。何かを収集したりもしません。

 しかし、ある時思いました。
 自分はA型だから、ひょっとしたら他の人よりも細かい作業をした時に不快を感じる度合いが少ないんじゃないだろうか? だとしたら、もっと自分はA型としての特性を生かさなくてはいけないんじゃないだろうか? と。

 特性は「特権」でもあり、「特権」とは生かせば文字通り「特別」な「得」するありがたい権利。
 よし、使わなくっちゃ!

 僕は血の持つ不思議な力を信じてます。どっかの誰かも言ってました。
「魔女は血で空を飛ぶんだよ」、ってね。

 面倒くさいことの多いこの世において、その面倒くささが人より感じにくいとは、うん、なんとすばらしい!
 そう「スバラシイ、すばらしい」と後頭部をバシバシはたいて言い聞かせました。

 その日以降、僕はA型を演じるようになりました。経験という濃度を増すためには、あらゆる方面からパワーを引いてこなくっちゃね。

 ダダン! A型役者の誕生です。

 気が付く限りA型で。そして、
「え〜!? そんなこといいじゃん。男のくせに細か〜い!」
と、うざかられない程度に譲る。とりあえず、これでいく事に決めたのです。

 さらに、僕は昔’清潔好き’でした。
「汚いものには触れない!」という’潔癖症’ではなかったのですが、身の回りはかなり清潔に努めていました。

 しかし、肩書きを改め、「不潔トレーニング」を積んで以来、どんな境遇でも大丈夫になりました。不潔道免許皆伝です。それこそ、うんこ、ゴキブリ、死体だってへっちゃらぷーです。

 こうでなくっちゃ、世界最貧国を筆頭とする発展途上国メインで回る旅なんてやってられません。

 とはいえ、ここで日頃から不潔にしていたのでは、ただの「不潔ヤロー」で、「一線越えたレベルアップ」とはほど遠い無精者です。よって、これも修行の一環として、普段は清潔に努めることに決めました。

 不潔免許皆伝のA型役者は過去の決意に尻たたかれ、腫れ上がった尻隠して、涼しい顔してほざきます。

「僕は掃除が得意なんだ☆」
 よっ、名俳優!

 驚いたことにこの家には雑巾が一つもありませんでした。前の家「M棟」メンバーからもらったタオルを割いて雑巾作りからスタートです。
 やりたかないけど、やらなくっちゃ。

 はい、やりました。
 さて、家の様子は?

 自分で親指を向けて言ってやるぜ、
「Good job! マサシ☆」

 家の古さはどうしようもないけど、とってもキレイになりました。
 一番力を入れたところはリビング。最初は薄暗い物置みたいな空間で、テレビのアンテナも外れていて、ビデオもあるのに接続されていませんでした。住人に聞いても使っていない空間だったのです。

 せっかくのシェアハウス、縁あって一つ屋根の下に暮らしているのだから、どうせなら家族のように仲良くしたい。お互いに影響し合え、得るもの得れたらいいのかな〜っと思うのです。
 他人と関わる事が嫌いだったり、自分だけの時間を大切にするタイプの人もいます。でも本当にそうしたいならシェアハウスではなく、一人部屋のアパートを借りるべきです。出会いや情報交換、生活する上での効率をどこかで期待しているからこそ、シェアハウスを選んで住んでいるのだと信じたいです。

「人と関わるのが嫌いなら、ドミトリーに泊まるべきではない」
 いかにもバックパッカーっぽい考え方ですかね?

 なにはともあれ、人が集まる場がなければ、交流のしようがありません。
 自分の部屋以外でもやすらぎを感じられ、ついつい共同のスペースに行きたくなるような家こそ、住みやすく恵まれた条件の家のような気がします。

 そんな交流の場にもってこいの場所がリビングです。

 みんなが集まるようなリビングを作るこそが自分に課せられたこの家での最初の使命のような気がしたのです。

 そんなこんなで、この家のリビングは生き返りました。これを機会にシェアメイト達がリビングでくつろいでくれるようになったのです。

 海外で生活している日本人の間で、よく日本のテレビ番組を録画したビデオテープが交換されています。誰かが日本に帰国した時に、大量に持ち帰ってきたものが自然と順番に流れてくるのです。

 ちなみにテレビ番組での一番人気はやっぱり’お笑い番組’。日本のお笑いはバカバカしくもハイレベルなのです。

 クーガーアコモのメンバーもどこからかそんなビデオテープを借りてきてはリビングルームで大爆笑していました。
 僕がメンバーの中で一番夜遅い時間に帰宅していたので、家の玄関の扉を開けると、中から笑い声が聞こえてくるのです。 あぁ、これぞ父の喜び!

 そんな日本のビデオの中からシェアメイトの女の子達が僕に見せたい番組があると言われて見てみました。それはもちろんバラエティー番組だったのですが、その中の企画で、「赤の他人同士がメールで同居人を募集して一緒に住んでいるという人達がいる! その人達の実生活を追え!」
 みたいな感じで何組か日本でシェア生活している人達を紹介しているものでした。

 そしてその企画の最後の大取りとして紹介された家が女の子3人と男1人が住んでいる一軒の家でした。

 番組側は、
「なんと一つ屋根の下に3人の女性と住んでいるという’夢のような生活’を送っている男がいる!」
と、声高らかに騒ぎ立てていましたが、いざその生活っぷりを男に尋ねてみると、いろんな雑用にこき使われ何かしら気を遣って生活していて、’夢の生活’とはほど遠いものでした。

 何かあるとすぐ、「ねぇ〜、おねがぁ〜い!」と甘い声を出してくる。
 それを断ると、「えーっ!! やさしくなーいっ!」と非難ゴーゴー。
 かわいそうに見えてくるほどでした。

 番組の締めとしては、
「理想のように思える生活も現実はそんなに甘くないですねー」
みたいなこと言っていましたが、なんだかんだこの男はシェアメイトの3人の内の1人に告白して今は付き合っているということで「めでたしめでたし」で終わっていました。

 男女関係なく他人同士が同じ家に住む。これは海外では当たり前のようになっていることですが、日本ではまだ珍しいことであり、だからこそ番組までになっているのでした。
 女3人と暮らす男という境遇が僕と一致していたから、僕に見せたかったとシェアメイト達は言っていました。

 旅先で男女混合のドミトリー暮らしが基本の僕にとっては、シェアメイトが男だろうが女だろうが、まったく気にならないのですが、番組で言っているように男が女の子達と暮らすことがハーレムのような’夢のような生活’とはほど遠いことを実感しているので、共感しながら楽しめました。

 日本人の友達や男だけの家で暮らしている友達からは、「いいなー」と言われることが多々ありますが、必ずしもそうではないし、「マッサージ師は触りたい放題でいいなー」ということも同じなのです。

 この場を借りてよく聞かれる質問にサラッと答えておきました。

 お笑い番組の他にも、もう一つ人気なのが音楽番組。当時のヒットチャートをランキング付けでカウントダウンしていくものでした。といってもだいぶ時期に時差があるため、日本ではとっくの昔にランキングから落ちている曲も海外では新曲なのです。

 この当時の我が家でのヒット曲は、森山直太郎の「さくら」でした。

 あのシンプルの中にも味のあるプロモーションビデオにクーガーメンバーはハマっていました。
 僕が歌うと、「やめてぇー!」ってね。
 まぁー、失礼しちゃうわね。

 なにはともあれこのクーガーアコモは、いつも笑い声とテーマソングとなった「さくら」の歌声が賑やかにこだましている温かい家となりました。
 よしっ、計画通ぉーりっ!
 
 さてさて、楽しんでばかりはいられません。内が落ち着けば、今度は外に目を向けなければなりません。

 視線の先は、オーロラカイド。

 “ズバッ!”ときたならしょうがない。
 この聞き慣れないそれこそ’夢のような’仕事、こいつに向かってまっしぐらです。

 狙っていた会社は2社ありました。このうち1社は、「M棟」に住んでいる時に既に面接を受けに行っていました。

 この面接のために、スーツとまではいきませんがYシャツにネクタイ、そしてズボンを激安服屋で購入しました。
「中身は高いんだぞっ!」と、自分に言い聞かせ面接会場へと足を運びました。

 面接会場は、バンフで最も由緒あるホテル「バンフスプリングスホテル」、略して「バンスプ」でした。
 フェアモントという大手の会社が経営している観光名所になっているぐらいの大きな城のようなホテルです。

 当時の僕はバンフに来たばかりでまだ「バンスプ」を知らなかったので、人に尋ねながら歩いていたら、
「まっすぐに歩いていけば誰でもわかるよ。城が見えたら、そいつがバンフスプリングスホテルさ」、と誰もが常識のように知っていました。

 ダウンタウンから歩くこと15分、現れました。そびえ立つ城が。

 ただでさえ、面接で緊張しているのに、
「えっ!? 本当にここで面接するの?」ってな感じで見上げていました。
 遠くから眺めていたので、さらに大きく見えたのでした。

 当時の心境としては、「トムとジェリー」に出てくる魔女が住んでいて、いつもその上だけ雷が鳴り響いているような館に見えました。
 メールでの面接の案内を読む限りでは、面接官は女性でしたので、まさにピッタリのシチュエーションです。

 僕は風にピロピロと安っぽくなびく$5のバーゲンセールで買ったネクタイを締め直して、気合を入れました。

 ジャジャン!! 勝負の刻!

 城の正面にまで来て、安物衣装を身にまとったハッタリ役者は岸壁のような建物を見下げてほざきます。
「ふっ、しょせん人工建造物か」と。
 そのハッタリ役者は横から見ると「ブリッジするじゃねぇ〜のか?」級にふんぞり返っているのを自覚しました。

 ホテルの一室に誘導されて、面接開始です。

 最初は、カナダ人との英語面接。続いて日本人上司との日本語面接です。
 オーストラリアのケアンズで受けた旅行会社H.I.Sの面接よりはいささか余裕がありましたが、やっぱり面接は緊張するものですね。なんとか問題なく面接も終了しました。

 なんだかどっと疲れた帰り道、春のロッキーに咲き乱れたお花畑の前で立ち止まり、オーロラガイドという仕事について考えました。

 聞こえはステキな仕事だけど、極北という常識が異なる地で、雪や氷の上をバスほどの大きな車を運転する。もちろんお客さんという同乗者付き。さらには、マイクで話しながら・・・か。
 とどめは、僕はまだ一度も左ハンドルの車も右側車線の道路も運転したこともなく、事故でも起こした日にゃー、お客さんに命はもちろんのこと旅の計画さえも崩れる。救いようのないのは、僕は海外障害保険なんかに入ってなーい!

 これってけっこうマズイことだらけかも・・・。
 今しがた面接でハッタリぶっこいて来た人間とは思えないような弱気な心境です。

 そーこーで、「オマエはどうする臆病役者!」
 人のことを見ながら、メイプルシロップでもすするかのように舌を出し、ピロピロネクタイにぶら下がって、首を絞めようとするバイキンみたいな小悪魔が決断を迫る。

「ヤメチマエ、ヤメチマエーイ!」、と豪語する小悪魔とは対照に、
「悔いのないように、やるだけやってみなさいよ!」、と天使ちゃんがネクタイの裏側にある細い方にぶら下がり、励ましのエールをささやいてくる。
 天使さん・・・、そこにぶら下がれるともっと苦しんだけどぉ〜。

 こんな時はこれまで自分がどうしてきたのかを思い起こせば、答えは出るような気がしました。

「今までの旅の中でさんざん自信をつけてきただろ? 仕事のこととはいえ、旅先と同じ感覚で物事を決めていけばいい」

「この道に、“ズバッ!”っときたなら、それはもう足元にレールの感触があったはずでしょ?」

 そう、風が帽子のつばをこするようなささやきと、トレッキングブーツがレールをつま先で蹴飛ばす鈍い響きが聞こえたような気がしました。
 帽子も被っていないし、トレッキングブーツも履いてないのに。

 安物なりにかしこまった服装をしていた僕は、お花畑の横にある芝生にバサっと飛び込み、旅と同じようにゴロンと仰向けになり、空を見上げました。
 こうすると・・・、あらまっ、ネクタイにぶら下がっていた彼らの重さは感じません。

 今日の結果はどうであれ、次の面接に向けてもう1社のオーロラ会社へのアプローチに全力を尽くすことを決めました。
 もう1社のオーロラ会社は、少し様子が違っていて一通りの大きな封筒が郵送されて来ました。中にはアンケート用紙が何枚も入っていました。

「このアンケート用紙を埋めてから返送してください。そしてあなたらしい最近の写真を2枚同封してください」

 そんな感じの内容が書かれたカバーレターが入っていました。そうです、これはどうやら書類審査のようです。面接に行き着く前に、この会社には書類審査があるみたいです。

「手強いかな?」と不安に思った矢先、アンケートを埋めていくに連れてその感覚は変わっていきました。
 このアンケート用紙、なかなか面白いのです。量もあるので埋めていくだけでもけっこうな仕事なのですが、それよりも文章の内容がけっこう突っ込んだことを質問してくるのです。

「サバイバルレベルはどれくらいですか?」
「犬は好きですか?」
「お菓子作りは得意ですか?」
 これオーロラガイドの審査書類なんだよね? って感じなのです。

 中には答えにくいものもありました。

「あなたの5年後は何をしていますか?」
 いやはや海外で将来を迷っている者に対して、この質問はキツイなぁーと思い、とりあえず飛ばして次に進んでみると、
「あなたの10年後は何をしていますか?」
と来たもんだ。
 わかるわけないでしょっ! と思いながらも、このアンケートが完全にその人の中身を探ろうとしている姿勢がひしひしと伝わってきました。

 僕はこの会社にどんどん興味が湧き、惹かれていることに気付きました。

 アンケートを埋めた後は写真です。
 旅先では僕は写真を現像しないので、自分の写真は一枚も持っていなかったのですが、山登りに行った時、友人が撮ってくれた写真が2枚あったので、コイツを送ろうと思いました。

 ですが、この写真の1枚は’山頂を見上げながら裸で後ろ姿’、もう一つは’林の中で蠅叩きを振り回す姿’で、もちろんどちらとも帽子によって顔は写ってないのです。

 これは賭けです。

「なんだこれは顔が写ってないじゃないか! まったく非常識なヤツだ」
と反感を買うか、もしくは、
「写真の意味はよくわからんが、とにかくすごい自信だ! 面白そうなヤツだ」
と興味を持ってくれるかのどちらかでしょう。

 僕はこの写真をアンケート用紙と共に送りました。
 この書類審査用紙とも言えるアンケート用紙の内容から察するに、この会社は狭い常識に囚われることなく、本質を見抜いてくれるはず! と信じたのです。

 返事はメールという形ですぐ返ってきました。
「弊社の面接を希望して下さりありがとうございます。オーロラガイドになるためには、ドライバーライセンスクラス4の取得が必須となります。今年はバンフでの面接は行いませんので、クラス4の所得ができ次第、再度連絡頂ければ個人面接という形で面接を検討いたします」
 そんな内容でした。

 バンフでの面接が行われない、これはショックなことでした。得意のハッタリ面接でやる気を買ってもらおうと企んでいたのですが、これではオジャンです。
 そして、クラス4の取得が必須であること、これにも先手を取られました。

 ’ドライバーライセンスクラス4’とは緊急車両やタクシーなど業務として人を乗せて運転できる資格で、取得には自動車試験場にて学科試験と実技試験の両方に合格しなければなりません。しかも時間とお金と勉強が必要となるものなのです。

 最初に受けた大手オーロラ会社の募集には、運転とガイドの両方をする’ドライバーズガイド’と運転はしないガイドだけの’ステップ・オン・ガイド’の募集もあり、仮にクラス4が取得できなくてもステップ・オン・ガイドとしての可能性が残っていたのです。
 しかし、2社目のこの会社には、’ステップ・オン・ガイド’がないというで、最初からクラス4取得が必須と釘を刺されたのです。しかも僕の資格取得の進み具合次第で面接の可能性が発生するという、合格までにはほど遠い答えが返ってきたため、手強さを感じざるを得ませんでした。

 すぐにクラス4試験に向けての手続きを申請しに行ったのですが、これが思った以上に面倒なのです。
 まずカナダ国内の普通免許であるドライバーライセンスクラス5に書き換えなくてはいけません。もちろん、クラス5に書き換えるにも筆記試験が必須でお金もかかります。バンフには、領事館がないので、400km以上離れた所あるアルバータ州の州都エドモントンまで自費で行かなければいけません。日帰りできる距離ではないので、移動費に加えて宿泊費もかかってしまいます。

 そして、クラス5の試験合格後にクラス4筆記試験の予約ができ、筆記試験合格後に健康診断を受け、異常なしとみなされれば実技試験の予約ができます。
 この実技試験も日本と同じようにキャンセル待ちが出るほど混雑しているらしく、すぐに予約ができるかわかりません。
 とどめにカナダの実技試験は車を持参しなくてはいけないのです。試験場には車を用意してくれません。車を持っていない人はレンタカーを借りて試験に挑むのです。
 あぁ〜、いったいどれだけの時間がかかり、全部でいくらぐらいかかってしまうのでしょうか?

 以上の工程はもちろん一発合格できてこその流れであり、不合格なら当然受け直しなので、予約をするところから始めなければなりません。

 さっそく試験場で教本をもらってきました。中を開くと、当ったり前のごとく英語の長文。
 しかも非日常的な単語のオンパレードです。

 道のりが遠くなればなるほど人の心はゆらぎます。それどころか消したはずの不安や固めたはずの覚悟までぐらつき、浮き出てくるのです。

「ちょっと無理なんじゃないの?」
「間に合わないんじゃないの?」
「お金、そんなに使っていいの?」
「お金使って、すべったり、間に合わなかったらお笑い草だね」
「だいたい今のオマエにその仕事の条件は合っているのか?」

 こんな心理状態で眺める外国語で書かれた本の中の文章は、ぐにゃぐにゃと形を変えて分かりやすい楽ちんな誘いの言葉へと変身しては、集中力をかき乱すのです。

 その度に僕は、
「ヤリガイアル! やりがいある関門だ!」
と、後頭部をバシバシ叩いて言い聞かせるのでした。

 少しずつ前進するこちらの状況をメールで伝えていくと一通のメールが返って来ました。

「クラス4に向けての勉強ははかどっていますか? ここらへんで一度電話面接でもしてみましょうか?」
 メールの最後には、電話面接の日付と時間が書かれていました。

 胸がドキドキしました。
 このドキドキは今だ結果さえ出していない自分の後ろめたさを恥じる思いと、ちょっとでも前進したいという小さな動きに対する実感がハモったものでした。

「電話面接のお知らせ、ありがとうございます。受話器の前で正座してお待ちしております」
 そう返信しました。
 すると、再び一通のメールを受信しました。今度は僕が最初に受けたオーロラ会社からのメールでした。

「返事が遅くなって申し訳ありませんでした。まさし様をオーロラガイドとして採用することが決まりましたので、クラス4に向けて頑張って下さい。クラス4が取得できなかった場合は、ステップ・オン・ガイドとして採用いたします。これから先の動きについては改めて連絡します」と。

 な、なに!? 合格しちゃったの?

 実は1社目の面接結果が結果発表の期日を過ぎても、一向に来なかったので僕はてっきり不合格したものだと思い込んでいました。

 そして、何よりこのころには正直僕は2社目の’人を見る’会社に惹かれていたのでした。

 複雑な心境でした。このままこの合格に甘んじてしまえば、面倒な面接もしなくてすむし、ステップ・オン・ガイドという地位に妥協すれば、試験も余計な出費もなくなり、さらには事故の危険性もなくなるのでは・・・。

 そんな賢明なのか、逃げ腰なのかよくわからない雑念に囚われながら杖を振り回していたら・・・。

 ゴツンっ!
 杖に頭をコツかれました。

「悪い頭でつべこべ考えてんじゃねぇ。棒倒しで行く先決め手もいいが、それでシコリが残るのは他でもないテメーだろうが」

 あぁ親も兄弟も親友もそばにいない一人旅。迷う自分に活を入れてくれる存在とはありがたいものです。甘ったれた自分の背中を押してくれる・・・頭をコツいてくれる旅の仲間に感謝です。

 電話面接の日が来ました。
 約束の時間の15分前から、電話の前で正座して待ちました。

 リンリンリーン♪ 電話のベルが鳴りました。

 来たぁーーっ! ジャジャン!! 勝負の刻!

 受話器を丁重に持ち上げ、とりあえずお約束の台詞を口にします。

「Hello」
 この時ばかりは、僕は「ハロー」はちょっと舌を巻いていました。

 すると、
「あれ!? あの〜高見と申しますけど、うちの娘はいてはりますか?」
 っっっとっとぉーシェアメイトのお母さんでした。

 こっちも余裕がなかったので、シェアメイトにお願いして、お母さんに改めて掛け直してくれるよう頼んでもらいました。
 もう一度やり直しです。再び正座をしました。

 リンリンリーン♪ 電話のベルが鳴りました。

 今度こそ来たぁーーっ! ジャジャジャン!! 勝負の刻!

 巻き舌で「Hello」。
 すると、
「もしもし、度々すみませんねー。高見の母ですけど娘にもう一回・・・」

 ‘グララァーガー!’と、まっ暗になるのをぐっとこらえて事情を話して切ってもらいました。
 いやはや、さすが関西のお母さんだけあって、絶妙なタイミングだこと。

 リンリンリーン♪ 電話のベルが鳴りました。

「ハロー」、と普通に出たら、
「もしもし、まさしさんはご在宅でしょうか?」
 少しかしこまった太い声の男性でした。

 間違いなし! ジャジャジャジャン!! 勝負の刻ぃー!

 電話の相手は、オーロラ会社の社長さんでした。
 この勝負は30分以上にわたり繰り広げられました。

 最初は今の「オールド・スパゲティ・ファクトリー」の仕事の話。続いてオーストラリアでのガイドの話。そして、今のクラス4に関する進行状況と、少しずつ本題に近づいて来ました。
 もう1社のオーロラガイドの合格を頂いたことも話しました。合格したものの自分の気持ちが御社に傾いていてしまったことも打ち明けました。

 そしてついに、僕の履歴書の中で最も突っ込まれると面倒な部分にスポットライトが当てられました。

 僕の履歴書には、職歴と職歴の間に度々長い「空白期間」があります。
 これはもちろん’旅の期間’です。自分の旅への誇りと、経験から得た様々な想いをぶちまけました。

 自分の部屋で正座をして電話面接を受けていたのですが、いつの間にか僕の正座は座禅に変わり、帽子を被って電話をしていました。

 どれくらい経ったでしょう。しばらくすると、オーロラ会社の社長さんは言いました。
「あなたは変わった人ですね。わかりました。合格です。11月から採用させて頂きますのでよろしくお願いします」と。

 へっ!? 合格しちゃったの? まだクラス4も取れていないのに?

 社長さんは、腹の据わった声で続けます。

「うちの会社は、ちょっと変わった人ぐらいじゃないとやっていけないんですよ。あなたは合格です。クラス4に向けて頑張って下さい。ここまで言った以上、うちとしても仮にまさしさんがクラス4に合格しなかったとしても、ひとまず採用します。こちらでその後の事は考えますので大丈夫です。
 しかしですね、まさしさん。こちらに来てもらってから勉強して頂く事は沢山あります。本当につらいのはこれからです。クラス4に合格するというハードルもオーロラガイドになるための前座に過ぎないのです。これぐらいのハードルはひとまず越えてもらわないとね」

 うまい釘の刺し方です。僕も興奮を抑えきれぬまま聞き返しました。

「採用してくださり本当にありがとうございます。クラス4が取れなくても採用してくださるとまで言って頂いたことは本当にうれしい限りです。ですが、僕のほうも覚悟を決めていますのでこの場を借りてはっきり言います。僕の名に懸けて合格してみせます! 不合格だったなら土壇場でもかまいません、容赦なく切り捨てて下さって結構です。
 そして先ほど変わり者しか採用しないとおっしゃってましたが、ということは僕以外の他のスタッフ達も変わり者ぞろいと言うことでしょうか?」

 少し間を空けた後、
「う〜ん、そうですねー。うちのは変わってますよ」
 そう答えてくれました。
「その言葉を聞けて安心しました。変わり者の先輩と同輩にお目にかかれる日を楽しみにしています」
 そう別れの挨拶に代えて、受話器を置きました。電話面接終了です。

 一つの関門を突破した手応えを、握った拳にビリビリ感じました。

 レベルアップのファンファーレが鳴ったかどうかは分かりませんでしたが、大量の経験値を獲得したことは間違いありません。レベルアップのファンファーレを聞き逃したのは、意識がこの先に立ち塞がっているクラス4の試験合格に向いていたからだと思います。

 浮かれてなんかいられません。さっそく最初に合格をくれた1社目の会社に丁重に断りの電話とメールを入れ、クラス4合格に意識を集中しました。

 資格の取得や試験というのは面倒くさいものです。しかしながら、この社会の中で生きている以上仕方のないことですね。今となっては、これも’うれしい悲鳴’なのかもしれません。
 やりたかないけど、やらなくちゃ。

 はいっ、やりました。さて、結果は?

 まずはクラス5から。
 全10問の○×試験。3つ以上間違えたら、オジャンです。
 クラス4に向けて、めちゃくちゃ勉強した甲斐があってか、サクッと合格しました。まずは、第一関門突破です。

 続いて翌日にクラス4筆記試験を受けました。全20問の5択の選択問題です。
 同じく3つ以上間違えたらオジャンです。さすがにクラス5とは英文の長さも違います。こういった運転免許の筆記試験は、日本も海外も同じでわざと紛らわしい問題形式にしてあります。
 いわゆる’ひっかけ問題’です。’ひっかけ’に注意するのと同じくらい僕の場合は、英文の訳し間違いに気をつけなくてはなりません。

 ひと通りやり終えた後に全体を見直してみると、自信のある「∨(チェック)」だけのボールペンの色が濃く、迷って自身のないものは色が薄くマークしてあるのに気付きました。
 色を薄くしてもダメだっつーの!

 結果、1問だけ間違えたけど合格しました。

 試験官からは、
「オマエの英語力じゃ無理だね」と言われていたので、合格が決まった瞬間、そいつの目の前で、カウボーイ級の巻き舌で、
「ルリリリリリリリィィ、ヤッホォーウァッ!」
と、雄叫びを上げて喜んでやりました。
 そして、運よくその翌日にクラス4実技試験の予約が取れたのです。これは本当に運のよいことです、何ヶ月も予約待ちをする人もいるのですから。

 さっそくレンタカーを借りに行きました。観光地であるバンフのレンタカー代は、バンクーバーなどの都市と比較すると3倍近い値段がかかります。ですが、この時ばかりはほとんど気になりませんでした。
 健康診断もサッサと済ませて、車持参の実技試験の始まりです。

 実技試験とは、もちろん路上運転試験です。隣に教官を乗せて必要以上の目視確認と安全走行。18歳の時の自動車教習所以来です。

 大丈夫! ちゃんと前日に街中をローラーブレードで走り回り、手信号を出しながら車を運転しているイメージで練習しました。一時停止やスクールゾーンの場所も全部頭に入ってます。
 狭い街バンザイ!

 路上運転終了後、難しい顔をしたハゲオヤジは一言、「合格だ」と言いました。
「ルリリリリリリリィィ、ヤッホォーウァッ!」
 僕は思わず10回近く聞き直しました。すると、
「いい加減にしろ! 早く手続きをしにオフィスに行け」、と怒られました。

 だけどそんなことはじぇーんじぇーん気にもしないで、試験場スタッフに片っ端からハグしまくり、晴れて合格通知を手にした瞬間、レベルアップのファンファーレを耳にしました。

 これまでのカナダ滞在中で、一番うれしかった瞬間でした。

 3日間にわたる連続試験によって、一気に勝負を決めました。短くも長くも感じたこの3日間。
 僕は思わず白髪をチェックしてみました。
 よしっ、1本もない!

 これまで何人ものツアーガイド経験者をはじめとするクラス4取得者にアドバイスを求めてきましたが、みんな口々に、
「大丈夫、そんなに勉強してるなら、きっと合格するよ」、と言いました。
 それでも、やっぱり僕の中での心配は消えなかったし、「本当かな?」という疑いの念さえ持っていました。

 しかし、いざ自分が合格してみると、
「なんだ、やっぱりちゃんと勉強すれば合格するじゃないか」と、
まるで余裕だったかのような気がしてくるのです。資格試験というものは、どれもこんなものではないでしょうか?
 きっと僕も誰かに
「クラス4の試験は難しいですか?」と聞かれたら、
「うーん、たぶんちゃんと勉強していれば合格できるよ」
 そう言ってしまいそうだなと思いました。成功者とは、大口を叩きやすいのです。
 成功者が大きなことを言うと、
「おぉーさすが! やっぱ、言うことが違うよなー」と感心しがちで、成功する前の者が大口を叩いてもいまいち信憑性に欠けてしまいます。ですが本当にすごいのは、成功する前なのに大口を叩けた人の自信、もしくは勇気ではないでしょうか?

 言い換えれば、成功した後に口に出してはただのこじつけにも聞こえてしまします。

 テストでいい点数を取った後で、
「やっぱり努力が大事か」
というのは簡単ですが、テストの前に
「今日は努力したから大丈夫さ」
 そう言い放つのは自信と勇気が要りますよね。

 みんなの前で大口を叩く! それぐらいできるようでなければ、自信や予感は本物とは言えないんじゃないでしょうか?

 理屈っぽい一面を持つ僕ですが、直感や縁という理屈や理論では説明できないものを大切にして生きているつもりですので、これからも“ズバッ!”ときたことや縁を感じたことには達成する前に大口叩いていくつもりです。

 そうすれば、ちょっとは大物に近づけるじゃないかなーっと、勝手に信じ、ドキドキしながら大口を叩いていくのです。

 1年に1度ぐらいしか実家に電話を入れない僕ですが、実家に電話する時には必ず、
「もしもし、将来有望な偉人の卵、一人息子のまさしです」
と長い枕詞を付けて名乗ります。
「このバカ息子! 本当の大物達は何も言わずに勝手に成功をいくんだよ」
 あぁ痛ぁーーっ! いったい何歳までこの枕詞を口にするのでしょうか?

 そんなこんなで叩いた大口通り、クラス4合格です。

 家までの帰り道、早くこのことを誰かに伝えたくて少し速歩きになっていました。
 海の向こうの大切な人達にメールを送ることも大事なことですが、とりあえず口伝えで話したかったのです。家に帰れば伝える相手がいるということは、幸せなことだと実感しながら、僕の速歩きは時速7kmを超えていました。

 家に帰ってシェアメイト達に合格を伝えたら、翌日さっそくシェアメイト達と隣街まで車で買い物に行ったり、数日後にはロッキーの山道を走り、湖巡りをしたり、世界遺産の「ダイナソー国立公園」という化石の発掘で有名な場所などに遠出をしました。いい左ハンドルの練習です。
 運転があまり好きではない僕も、この時ばかりは喜んでアッシーです。

 オーロラ会社にも連絡して、晴れてドライバーズ・オーロラガイドとして採用確定です。

 イエローナイフに向けての出発日時も決まりました。これは長居したバンフを去る日時が決まったことにもつながります。もしオーロラガイドになれなかったら、しばらく腰を落ち着けようかな? とまで思ったこの街。名残惜しさは隠せません。

 常に他の地に移動する僕が次にこの街に戻って来るのは、一体いつのことやら・・・、と後ろ髪ひかれるような気持ちでいたら、なんともう一つの縁が転がり込んで来ました。

 ある日、インフォメーションセンターみたいな所で、受付スタッフに僕がマッサージ師だという話をしたら、その受付の人は大のマッサージ好きで、「今度よろしく頼むよー」みたいなことを話していたら、後ろから見知らぬ日本人女性が声を掛けてきました。

「あのーちょっとお話を聞かせてもらったのですが、マッサージ師なんですか? 私はマッサージが必要な体なんですけど、お願いできませんか? 料金はおいくらでしょうか?」

 いやいや料金どころかまだマッサージをすることさえも決めていないし、もうすぐここを出ちゃうし・・・。待てよ、ひょっとしてこの街にはマッサージの需要があるのかな? と思い始めたのでした。

 そこの受付スタッフの人と、さらにその人の奥さんも一緒にマッサージをするようになり、お金は取りたくなかったのですが、相手からしてみたら、タダってわけにはいかないし、お金を取ってくれないと次から頼めなくなる、ということで適当にチップをもらい始めました。
 そして、その夫婦から
「オーロラガイドが終わったら、バンフに戻って来て、今度は正式にマッサージ師として働かないか?」
という誘いがありました。

「誘い」、というよりは「提案」ですね。
「絶対に需要はあるし、イエローナイフに行ってる間にも宣伝をしておくてあげるからさ」
 そこまで言われたら僕も真剣に考えてみることにしました。

 今までマッサージ師としてお金をもらったのは、接骨院に勤めている時の給料ぐらいで、基本的に旅先ではボランティアとしてしていたことなので、お金を取るのは正直気が引けるのです。だけどこの技術を求める人がいるのならできる限りしてあげたい。それで旅の資産稼ぎになるのなら、僕がカナダに来た目的も果たすことができます。

 しかし、これはどこかの会社に勤めるわけではないので、収入方法だってチップという形にしても違法行為スレスレ。ひょっとしてヤバイかも?
 もしお客さんが集まらなかったら・・・、仮に集まっても続けて予約が入らなかったら経営が成り立たず、旅の資金も貯まらず計画もオジャンに!

 確かにこのリスクは大きいが、
「正直男なら一生に一度は社長、経営者を経験してみたい」
という願望もある。

 僕ははっきり言って、経営者に向いていない、’商い’に適した人間ではないけど、だからこそこの機会に一度経験してみるのも、このカナダ生活の濃度が濃くなるはず。

 なんだか“ズバッ!”としてきました。

 やってみる価値は十分ある!
 そう思った瞬間、それはもう関門へと変わっていました。
 僕は夫婦にイエローナイフでのオーロラガイドを終えた後、再びバンフに戻ってくることを約束しました。

 バンフの友人やお世話になった人達にも別れの挨拶でなく、
「しばらくいなくなりますが、春に再び戻って来て『マ』業を始めます」と、
 宣伝もチラつかせた一時の挨拶として一声掛けて回りました。

 職場のレストランにも挨拶に行きました。来月からここを離れ、イエローナイフに行くことを打ち明けると、マネージャーは、
「Good luck!」
 そう言って、シャララーンとウィンクを一発弾かせて、快く退職を許してくれました。

 山賊コック達は、包丁を縦に振りながら言いました。
「次に戻ってきた時は必ずここに立ち寄りな。パスタをたらふく食わせてやるぜ!」
 ゲップ・・・、毎日パスタを食べていたので、当分はパスタは遠慮したいです。しかし、半年後となると、ここの味が恋しくなるかもしれませんね。

 バンフはカナダ人にとって、夏か冬に短期で働きに来るリゾートバイトの観光地。
 夏のスタッフが冬までいることはほとんどなく、来年の春には、重役やコック以外は、総入れ替えになっている可能性が高いのです。
 彼らとは、ここでお別れです。

 みんな盛大に祝ってくれました。飲みに行ったり、踊りに行ったり、アイスホッケーの試合を見に行ったり・・・。
 外はもう雪が降り始めていました。雪の中、ピザ屋の前で騒ぎ過ぎで、警察に呼ばれてひと悶着。山賊コック達もそう簡単には引き下がりません。
「今夜は送別会なんだよ。めでたい席で酒飲んで騒いで何が悪い!」
 いやいや、あんた達 ここ外だから・・・。

 雪の積もっている中での自転車レースも、バカバカしくカナダ人らしくいい思い出となりました。
 あの「女神様」も透明感のあるすずしそうな顔のまま、根性で雪の積もっている中を自転車をおこぎになります。
「あぁ、女神様、あぶない!」
 ヒヤヒヤ、ゾクゾク! 最後まで’爺や’です。

 再び戻ってくるということで、今まで使っていた生活用品やM棟からもらった大量の道具は、クーガーアコモのメンバーに預けていくことにしました。

 時は10月下旬。北国の秋は終わり。周囲の山々はすっかり真っ白に姿を変えました。

 10月31日はハロウィンです。
 カナダでは、日本と違ってハロウィンの日にはクリスマス級に飾り付けをして祝います。
 当日は仮装をしたモンスター達で街中いっぱいになるほどです。
 クーガーアコモもみんなで飾り付けをしました。家じゅうコウモリやカボチャだらけです。

 残念ながらイエローナイフ行きは、10月31日のハロウィンの日にエドモントンという街で集合ということなので、僕は10月30日の夜にバンフを出発しなければなりません。クーガーメイトと仮装を楽しむことはできないのです。

 クーガーアコモのシェア生活が始まったばかりの頃、僕の提案で「クーガーカメラ」というものを用意しました。みんなで割り勘でインスタントカメラを買って、メンバーの面白い場面や出かけたときの思い出をこのカメラに収めようというものでした。
 この家を出る前に何かクーガーアコモに残したいと思い、そのクーガーカメラを現像に出してみんなが写った写真を切り貼りしてコメント、吹き出し、紹介文等を添えて、クーガーメンバーの思い出をリビングの壁に何枚か貼り付けることにしました。

 バンフ出発の夜がやってきました。バックパッカー得意のパッキング(荷物まとめ)はとっくに済ませてあるので、出発日だというのにのんびり写真を切り貼りしていました。

 以前シェアメイト達との雑談の中で、
「まさしはいつも言ってることとやってることが違うよね」
という話題になったことがありました。

「別にキレイ好きでもない」、と言いながらしょっちゅう掃除ばかりしているし、
「料理が特に好きなわけでもない」、と言いながら料理ばかりしているし、
「A型だけど細かい作業にこだわりを持っているわけでもない」、と言いながら、「工夫」と称して工作じみたことをして、何か便利アイテムを作っている。そんな僕の生活っぷりを見ていてそう思ったのらしいのです。

 そして今もこうしてはさみをチョキチョキやりながら、「吹き出し」の台詞に頭を悩ましている姿を見て、シェアメイトは再び言うのです。
「本当にまさしは言ってることやってることが違うよなー」、と。

「そりゃそうさ、人間好きなことだけをやるんじゃなくて、好きじゃないから苦手だからこそ数をこなしたり意識してやるようにしていかなくちゃね」

 偉そうにそうほざいてみたものの日本社会で働きもせず、旅を続けている僕が言えるセリフではないのかもしれません。

「働くことが嫌だから」ではなく、「今、旅の経験が必要と感じたから」、この道を選択したこと。
 僕の周りの人達が理解し認めてくれたとしても、社会は認めてくれないかもしれませんね。
 だからこそ、ただの旅ではなく社会も認めてくれるような経験を上手いことハモらせていこうと、いつも興味深い話に耳をすませているのです。

「オーロラガイド募集!」
「カナディアンロッキーで自営業初挑戦!」
 さて、次はどんなことが聴こえてくるでしょう?

「なぁ山賊コックとして一緒にパスタを作ってみねーか?」
 え? 何か言った。じぇーんじぇーん聞こえませんでした。

 さぁ、いよいよ出発間近。
 クーガーメンバーの写真を壁に貼り終えバックパックを背負います。

 ふと、「さくら」を口ずさんでみました。
 あまり邦楽を聴かない僕が覚えた数少ない最新曲。いったいこの家で何十回プロモーションビデオが流されたことか。
 そりゃ覚えるっちゅーの。

「さらば、友よ。旅立ちの刻」

 深夜3:00の出発のはずなのに見送ってくれるシェアメイト達に感謝。

 外はチラチラ雪がチラついていました。気温は−16℃。白い息もなかなか消えません。雪景色の中、バスディーポ(バスターミナル)へ続くクーガーストリートを歩きながら、今までのバンフ生活を振り返りました。

 僕がこの街に来た時は7月。景色もすっかり変わり、トレッキングのメッカはこれからウィンタースポーツのメッカとして人を集めます。なんだかんだで約4ヶ月。僕にしてはかなり長いほうです。そして春に再び戻って来ることになるとは・・・、
 まったく縁のある街です。
 あっという間の4ヶ月。おそらく、あっという間に半年経って戻ってくるんでしょうね。

 合気道の僕の師範は稽古をしながらこう言います。
「楽しい時はすぐに過ぎちゃうね」、と。

「桃色吐息」という曲の中にも、
♪きれいと言われる時は短すぎて〜
と締めくくられていたと記憶しています。

 100年という短すぎる人間の時間をこれからどう生きるか?

「いろんなことがあったなぁ」と締めくくるか、
「あっという間だったなぁ」とつぶやくのか、どっちでしょうか?
 両方でしょうか?
 とりあえず今は老後に「あっという間」と言えないような濃度の濃い日記を大量に書き続けようと思います。
 そして厳選して一発入魂して撮った濃度の濃い写真を時々添えるのです。

 この街で、M棟で、レストランで、道場で、山の頂上で、湖で、自動車試験場で、そしてクーガーアコモで過ごした時間を思い返し、さらにこれから目前に現れたオーロラガイドという胸踊るような道を遠目で眺めると想いは一気に溢れ、
「ブハァーっ」
と熱い吐息として舞い上がりました。

 無意識に口ずさんだ「さくら」のBGM鳴り響く夜道は、僕の目には桜舞い散る花道に映っていました。そこに舞い上がる同色の吐息。同色と言えど、ほのかに異なるその煙の質感から、僕は素直に「桃色」を感受しました。

 雪が桜色なら息は桃色ですか?
 どえらいピンクな夜道だこと。

 ピンク色は人間の怒りを抑えるとともに眠気さます色だと聞いたことがありますが、確かに全然眠くなりません。実際はただ単に寒いからなんでしょうけど。

 余談ですが、「クーガー」という言葉には、「男食いする女」という意味が口語で含まれていて、日本で言う「男にだらしない女」のことを「あのメス猫が!」という表現があるのと同じようなものでしょう。
 災い女性色の強いクーガーメンバーの中には、そんな色恋がらみのクーガーはいませんでしたので、ビデオでやっていたような男女間の「桃色遊戯」はありませんでしたが、彼女達に時間を使った僕は都合のいい餌食になっていたのかもしれませんね。
 とは言え、お世話になった面もあったので、気持ちよく「give and take」を楽しめました。

 さて、長居したバンフにひと区切りつけたこの後は?

 極北の地にてオーロラガイドとして働きます。
 オーロラってどんなものなんでしょうね? 今はさっぱり解りません。
 久々に肩書き「ガイド」に戻ります。

 それでは、SEE−−YAA−−−−−−−−−−
                         FROM まさし