Hello− アメリカ大陸最初の国カナダにて念願のオーロラガイドという仕事につき、極北イエローナイフで働いているまさしです。
僕が採用されたオーロラ会社の名前は『Canadian EX.(カナディアン・イーエックス)』といいます。日本人夫婦が経営するアットホームが売りの会社です。
よくお客さんから、「カナディアンEXの『E.X』って何の略なんですか?」と質問されます。
勝手に「カナディアン・エックスプレスのガイドさんはみんなタフですよねー」と名前を思い込みで作って話す人もいます。他にも「カナディアン・エクスプロージョン(爆発)」とか「カナディアン・エクスペリエンス(経験)」と思う人もいます。
中には「カナディアン・エクスタシー(歓喜、または狂喜など一応辞書にはこう出てる)」と思う人がまれにいるらしいのですが、そんないかがわしい風俗じみた名前をつけるわけがありません。
正解は「カナディアン・エクスペディション(Expedition)」の略で、「探検旅行」、「探検隊」という意味です。あまり聞きなれない単語ですよね。
文中では略して”カナディアンEX”と表記していくことにします。
夜中にバンフを出発した翌朝、アルバータ州の州都であるエドモントンという街まで来ました。
ここで今年の新人達を一度集めてから、全員でイエローナイフまで車で北上する手筈になっていました。
一体どんな同輩達が何人集まってくるのか?
一斉知らされていなかったため、妙なドキドキ感がありました。集団に属するにおいて、人間構成は大きな影響をもたらしますが、その中でも同輩の存在は最も重要なことの一つだと過去の経験から学んでいたからです。
すごい濃度と経験になるであろう半年間を一緒に過ごす仲間達、どんなメンバーなんでしょうか?
僕だけが電話面接だったため、試験会場などで誰かに会っているわけでもないので、同輩どころか社長や上司の顔も知らないのです。きっと社長を含め会社側の人達も、一体どんな子が来るのだろうと期待半分、不安半分くらいの気持ちでいることでしょう。
第一印象も大切です。後に残る大切な思い出になることは間違いないのですから。
そーこーで、「オマエはどうする? 謎のルーキー!」
当たり障りなく謙虚に登場し、良識のあるところを見せつつ様子をうかがい、少しずつ自分を出していくか?
それとも、ここは一発なにかハデな登場をして怪しまれながらも思い出を一つ作っておくのか?
前者はなんだかつまらないし、後者は妙なレッテルを貼られると面倒くさいので、その中間を取って当たり障りない程度のプチ仮装をして登場することにしました。
そうです。幸か不幸かこの日は10月31日、ハロウィンなのですから。
実はエドモントンに着いた瞬間から僕は既にプチ仮装をしていました。
仮装といってもピエロのような赤っ鼻ボールを鼻につけ、右手には狼男のグローブ、左手には真っ黒で長くとがった魔女のつけ爪指キャップを5本全部にしていたぐらいの些細なもので仮装と呼ぶには手を抜きまくったものでした。
集合場所はエドモントン空港。一足早くバスで到着していた僕は待ち合わせ場所であるアライバル(到着)ゲート近くで、まずは隠れて見張りしました。
しばらくすると、一人の日本人らしき女の子がゲート近くのベンチに座って、誰かを待っているように見えました。
「来たっ! きっとこの子はカナディアンEX関係の子だ」
この時の僕の目には、日本人を見たらカナディアンEX関係者に違いないとしか映りませんでした。
年恰好から見て20代前半、ということは新人スタッフの一人だな。あの姿勢の悪さから見て人前に立つガイド業とは思えないので十中八九アシスタントガイドだろう。手荷物から見て旅慣れていなさそうだから、箱入り娘のカナダワーホリってとこかな。
離れた場所から僕は望遠鏡を使って観察していました。ほとんどストーカーです。
いつまで経ってもその子しか現われなかったので、思い切って声をかけてみることにしました。
「すみません、カナディアンEX関係の人でしょうか?」
斜め後からいきなりの呼びかけと赤っ鼻のトレッキング男を見て、女の子の目は丸くなりました。
「はっ、はい。そうです」
ビンゴっ!
僕は自分が電話面接だったため、誰一人スタッフの顔を知らないことと、ウキウキワクワクの今の心境を語ると、女の子はずっと笑っていました。
後から聞いた話なんですが、この子はこの時僕を見て、
「あちゃーっ、この人イッちゃってるぅ」
と思ったらしいです。
まぁー、失礼しちゃうわねー!
やっぱりこの子はアシスタントガイドの採用のワーホリでした。
さすがに「箱入り娘ですか?」とは聞けませんでした。
そんな彼女と話をしていると、いきなり男性2人女性1人の3人組が声をかけてきました。
「こんにちは、待たれました?」
どうやら女の子を見て僕らがカナディアンEXの待ち合わせメンバーだということがわかったようでした。
そりゃそうですよね、女の子は面接で面識があるのですから。
とりあえず赤っ鼻をつけたままで挨拶をして、それからすぐに赤っ鼻を外してもう一度挨拶をしました。
3人ともちょっと引いていましたが、すぐに雰囲気はよくなり、互いの自己紹介をしました。
声をかけてきた男の人が、今回引率としてやってきた先輩ガイドで、その後にいる自分と同じぐらいの年恰好の男の人と20代前半ぐらいの身長の低い女の子が新人でした。
どうやら新人のオーロラガイドは、この男の人と僕の2人だけが採用されたらしく、後はアシスタントガイドの女の子が4人採用されたとのことでした。しかもアシスタントガイドのうち2人は、一足先にイエローナイフに行っていて研修を始めているとのことだったので、ここで集められたのは、この同じような年恰好の2人のアシスタントガイドの女の子と僕を含めたオーロラガイドの男性2人、計4人でした。
そんなこんなでひとまず新人4人と先輩ガイドの5人で、2日間かけてイエローナイフに向かうことになりました。
イエローナイフに行く前に、エドモントンで買い出しをしていくことになりました。
イエローナイフは陸路で行ける北の最果ての街で、カナダ一物価が高いと言われているらしいので、とりあえずは持てるだけのくさらない食品や消耗品を買いだめしてから、北へ上がっていくことが毎年の恒例なのでした。
幸いエドモントンには、「ウエストエドモントンモール」という世界最大級のショッピングモールがあるため、そこで日本食を含めた全てものが手に入るのでした。
ここで先輩から最初のミッションが(指令)が出されました。
「ガイドの2人の内、どちらかナビが得意な人はいるかな?」
そう話を振られました。
僕は運転は好きな方ではないが、ナビなら人並みにできるはずです。でも人に自信を持って得意だと言えるほどの自信はないので正直に、
「苦手ではないですけど、特に自信があるわけでもないです」
と答えました。
すると、もう一人の新人である彼は、
「僕は得意です!」
そうはっきり答えました。
この自信に僕は少し驚きました。
まだ全員が会ってから30分も経ってないのに、この時点でなんだか一歩差をつけられたような気がしました。
確かに彼のナビは分かりやすく、そつなくこなしていましたが、そのナビ力でなく、こういった場で前に出てくる姿勢と自信に僕は先を越されたのでした。
「なかなかできる同輩だ。でもこうでなくっちゃ!」
僕はうれしいゾクゾク感を覚えました。
この同輩ガイドの彼、名前を「カズ」といい、日本での職業が獣医師だったため、後に英語で動物園を意味する「ZOO」と名前の「カズ」の「ズ」を引っかけてガイドネーム『KAZOO(カズー)』と呼ばれるようになりました。
この会社には、全員コールネームというか、ガイドネームがあって、大体はイニシャルか名前を少し文字った呼び名がつけられます。
僕は文章の中で、できるだけ登場人物の固有名詞は控えるようにしていうのですが、KAZOOはこの先にも登場回数が多くなりそうな気がするし、僕にとっての主要人物ということで、あえて名前を出してみました。
ウエストエドモントンモールでの買い物は、集合時間を決めての自由行動となりました。
僕が買い物をすませ集合場所に戻ると、まだそこには誰もいませんでした。
ただ一人の日本人らしき中年男性がその付近に立っていました。日本食も大量においてある有名なショッピングモールなので別に日本人がいても全然珍しくないのですが、その男の人は赤っ鼻をつけた僕の顔をマジマジとねめまわしていました。
「なんだよ。今日はハロウィンなんだぜ。この程度の仮装、珍しかないでしょ?」
ぐらいの気持ちで気にせず、その辺をふらふらしていました。しばらくしてみんながやってきました。
どうやらみんなも買い物はとっくに終わっていて、全員トイレに行っていたとのことでした。
すると、みんなは同時に頭を下げて誰かに挨拶しました。
視線の先を見ると・・・そうです、さっきの「ねめまわし男」がいました。
えっ、誰!? と思っていたら、先輩が、
「社長の鈴木成二さんだよ。そうか、初対面だったねー」と。
ぎょっ、ふえぇーーっ!
僕は慌てて帽子と赤っ鼻を取り、頭を下げました。
社長はちょっと引きつっていましたが、すぐに落ち着いた声で、
「初めましてヨロシク。その鼻はバンフからつけてきたのかな?」
太く低い声、あぁ電話面接の社長さんに間違えありません。
まっ、これもいつかいい想い出に変わるとすぐに頭を切り替えました。
でも実は、後でこっそり先輩に、
「社長さんはああいったジョーダンは大丈夫な人なんでしょうか?」
と尋ねたら、全然大丈夫とのことだったのでひと安心でした。
さて、買い出しが終われば、いざイエローナイフへ。
2日間の車の中では、先輩がイエローナイフでの仕事の内容や会社の雰囲気や他の社員の紹介などを話してくれました。その代わりに新人達は一人一人、自分達のプライベートな情報を話して互いの親近感を一気に縮めるという内容になりました。
車に乗って2日目の夜、緯度もかなり高くなり周りは雪景色です。そろそろイエローナイフに到着するという頃に、先輩がもうすぐオーロラが強く現われるからオフィスに行く前に、少しオーロラを待って’初オーロラ’を見てから行こうということになりました。
実はその前からも何度か薄いオーロラが出ていたのでした。
先輩は、
「薄いときのオーロラを見ておいて、次第に強くなっていく変化を見ておいたほうがいい」
と言って、新人達に見せようとしたのですが、申し訳ないと思いつつも僕だけはオーロラを見ないようにしていました。
僕の中でオーロラを最初に見た時に受けるインスピレーションを大切にしたかったため、人生最初のオーロラはできるだけ強い状態のものを見たかったのです。
「申し訳ありません。オーロラに関する勉強はこれから一生懸命しますので、最初のオーロラだけは強くなってからのものを見せてください」
今思えば、わけの分からんこだわりを持ったやりにくい新人だこと。
車を停めて全員外に出ました。冷たく澄んだ空気が体の中まで冷やし、白く煙る自分の息が視覚的にも寒さを増すようで、できるだけ遠くに細く息を吐きました。
僕らが降りた場所はツアーでも使っているオーロラ鑑賞地でした。
「来るでぇ!」
関西弁の先輩は、一声そう言って真上を見上げていました。
僕も同じように真上を見上げると、視界の両端から溶け出した緑色の絵の具が水の中を進むかのようにそれぞれ伸びてきて、真上の真ん中辺りで混ざり合うように合体して渦を巻き始めました。
後で勉強をしてわかったことなのですが、これが「渦型オーロラ」というヤツでした。
オーロラとは、ゆっくりとなびくカーテン状のものと思い込んでいる人が多いのですが、意外に速く動き、形も様々なタイプのものに分かれているのです。
初めて見たオーロラ。
渦巻く、それはまるで召喚魔法で何かを呼び出しているようで、今にも渦の中から巨大な何かが降臨してきそうでした。
もちろん実際には何も降りてくるわけないのですが、この時の僕には今回の物語が始まるオープニングタイトルが降りて来たような気がしました。
’初オーロラ’を堪能した後は、街中にあるカナディアンEXのオフィスに行き、一足先に飛行機でエドモントンから戻って来ていた社長の鈴木さんを含めオフィスマネージャである奥さんとガイドの先輩と先に来ていたアシスタントガイドの同輩2人と顔を合わせました。
この日は早く寝て、翌日には会社の社宅である男子寮と女子寮にそれぞれ移動して、これから半年間寝起きする場所に落ち着きました。
このカナディアンEXという会社は、創立10年ぐらいの会社です。
社長の鈴木誠二さんは、元北極圏を飛び回るパイロットで、今でも山火事の消火活動などでパイロット活動を続けています。
そんな北極圏、極北に詳しく北国での生活も長い鈴木さんが若くして立ち上げた会社で、お客さんへの配慮が行き届くようにと一回のツアーで連れて行く人数をある程度制限して、少人数でのツアーが人気の会社です。
だから、大手の旅行会社からの団体客を受け付けていないのです。これはツアーの雰囲気にかなり影響してくることで、個人で申し込んでくるお客さんはやはり年齢層も若く、
「どうしてもオーロラが見たい」
「オーロラだけが目的でカナダまで来ました」
というお客さんばかりなのです。
団体ツアーやカナダ全土のいいとこ取りで行われているパッケージツアーから来たお客さんにはどうしても、
「しょうがないから一緒について来ちゃった」とか、
「ロッキー山脈やナイアガラの滝が見たくてカナダのパッケージプランに参加した」
というお客さんが混ざります。すると必然的に、
「あーこんな寒い所はもういいから次のナイアガラに早くいきたーい」とか、
「こんなねむい思いをしてまでオーロラを長い間待っていたくない。早く宿に帰らせてー」
というようになり、盛り上がるはずのツアーの雰囲気が台無しになってしまうことがあるのです。
少人数にこだわるカナディアンEXのオーロラツアーに参加したお客さんの中には、リピーターがかなり多いのです。
ここで縁あって共に働くことになったカナディアンEXのオーロラガイドを簡単に紹介しておきます。
全てのガイドに「肩書き」が付けられ、名札にガイドネームと共にそえられるのです。
まずは最もキャリアの長い村上さん。
肩書き「氷の彫刻家」、ガイドネーム「LOKO」、通称「ロコさん」。
カナダの生活にこれまでの人生の半分を費やしている大工さん(正確にはログビルダー)。持ち前の建築技術でオーロラ観賞用のキャビンを作ったり、素材を氷に変えて、氷の彫刻やイグルーと呼ばれるイヌイット(エスキモー)達が使う「かまくら」を作る職人。極度の寒さのため、何かと故障の多い極北でもロコさんがいれば、なんでも何してしまう頼もしい存在。
ガイド暦も長く、人前に出慣れしているため芸能人と一緒にいるのと変わらない最高のエンターテイナー。こてこての関西弁でお客さんを魅了し、「ロコさんファンです!」と言って訪れるお客さんも多い。
続いて大塚さん。
肩書き「極北デザイナー」、ガイドネーム「YOSHI」、通称「ヨシさん」。
「極北の奇才デザイナー」の異名を持つウェブデザイナー。カナディアンEXのTシャツを始めとする数々のグッズは全てヨシさんのデザイン。オーロラガイドの前には、犬ぞり師としてイエローナイフで修業をしていたので、イエローナイフ在住も長い。カメラの扱いにも詳しくオーロラガイドに引き抜かれた。
ちなみにエドモントンまで新人達を迎えに来た引率の先輩というのがこのヨシさん。
そんなヨシさんの同輩、福島さん。
肩書き「極北のすし職人」、ガイドネーム「福助」、通称「福さん」。
バックパッカーとしての経験も豊富でカナダでは、日本食レストランですし職人をしていたこともあり、すしはもちろんのこと料理の腕は最高。佐川急便や真珠の養殖で鍛え上げたごつい体格の割には手先が器用で、ロコさんを始めとするいろんな人から技術を盗む。
仕事に対して一切手を抜かないオーラがムンムンで、会社にある全ての防寒着を自分の子供のように手入れしているカナディアンEXで数少ないA型。
そして、里見さん。
肩書き「シャボン玉お兄さん」、ガイドネーム「RIO」。「里見八犬伝の里見です」の自己紹介がおなじみで「サトミ」の「トミ」を取って通称「トミーさん」。
10代の頃からアラスカにちょくちょく足を運んでいて、現地のイヌイットやインディアン達と親しく生活をしている。
オーロラシーズンが終わると先住民の集落の中に消えていく、ただ者ではない人。
外見はNHKのアナウンサーに出てきそうなおとなしい顔立ちだが、いつも自然に対して五感を研ぎ澄ましている野人の素質を持っている。ニュージーランドでフィッシングガイドの経験もあり、魚にも詳しくトミーさんも行くアイスフィッシングは、さらに楽しいと人気。極北シャボン玉実験の発案者でもある。
こんな個性あふれる先輩達に加わり、今回採用された新人2人。
僕の相方、林さん。
肩書き「動物のお医者さん」、ガイドネーム「KAZOO」、通称「カズー」。
日本では獣医師として働いていて、同じ動物病院で働いた奥さんと一緒に渡り、今回経験としてオーロラガイドを希望した。ここで支給された給料をバンクーバーに住む奥さんに仕送りするというあっぱれ妻思いの旦那。冷静沈着を装うのが上手く頭がキレる男。
彼は言う、
「オレはマサシみたいに心がキレイじゃないから、間違いなく地獄行きだな」
とか何とか言いながら、仲間内の人間関係や人の心の変化にいつも気を配っている、心優しき気のきく男。
そして、「将来有望な偉人の卵」と勝手にほざき旅を続けるマッサージ師まさし。
肩書き「世界一周中断中」、ガイドネーム「MA」、通称「マー」。
そうです。「まさし」の「ま」だけ取られて「MA−(マー)」と呼ばれるようになりました。
‘くん’をつけて「マーくん」と呼ぶ人が出てちゃいましたが、かつて僕の事を「マーくん」と呼ぶのは、亡くなったバアさんだけだったので、なんだか複雑な気分です。
なにかポカやってしまった時には「マー坊」とか「マーたれ」とか呼ばれることがありました。
あぁ、下っ端は辛いです。
気づいた人もいるかもしれませんが、オーロラガイドはみんな何かしら「副業」というか「技業」を持っています。
そうでないと、シーズンもののオーロラガイドという職業にはつきにくいのかもしれませんよね。
オーロラガイドは全部でたったの6人。そしてアシスタントガイドの女の子が4人の総勢10人の従業員を、社長である鈴木夫婦が動かすアットホームな会社です。
しかし、本当にツアーの内容や接客の対応は最高に良く、裏を知っている従業員の目から見ても家族を始め、誰に紹介しても恥ずかしくない自信を持って「楽しいツアー」と勧められる会社なのです。
これって本当にすごいことだと思いませんか?
普通、裏を知り尽くしている従業員から見たら、
「うちのレストランは美味しいけど、時々3秒セーフや古いものでも出しちゃうけどね」とか、
「うちのホテルは実は掃除が適当だから泊まらないほうがいいよ」
「うちのツアーは結構ぼったくった値段だから、自分で他のツアー会社をあたった方が安いよ」
など、知れば知るほど自分の会社を勧められないネタが湧いてくるもの。
しかし、胸を張って「最高のツアー内容だよ」と言いきれる会社に勤務できたことを本当に誇りに思えるのです。
その上値段も安い!
ときたもんだから、逆に少しうさん臭いくも聞こえます。
そんな最高のツアー。
そのツアーを構成する従業員になるための研修は、すさまじいいものでした。
男子寮という家が決まった翌朝、すぐに新人全員をそろえたミーティングが開かれました。
「オーロラツアーは自然相手のツアーです。数パーセントの確立ですがイエローナイフとは言え、オーロラが出なかった時も過去にあります。しかしうちの会社が目指したいのは、オーロラが出なかった時こそ、我が社のツアーが最も面白くなるようにスタッフの力量がものをいう会社にしていくことです」
社長のこの言葉に胸を打たれました。
この会社はオーロラに頼って金儲けをしているのではなく、オーロラ関連で人を楽しませようとしている。
そして、その人を楽しませることのできる人材を育てようとしている。その姿勢がグサグサ伝わってきました。
アクセントに特徴のある太い声で話は続きます。
「今、全員が同じスタートラインに立ちました。スタートの合図と共にそれぞれの仕事を始めて下さい。この半年がどういったものになるのか? どこまで成長するかは、この瞬間から始まり、結果は半年後に出ます」
「それでは、位置について・・・」
椅子を少し下げ、テーブルに手をついて、間を計ります。
「いきますよ・・・。よーい、ドンッ!」
この合図と共に寿命が縮むような辛い中にも、やりがいのある半年間が始まりました。
僕ら新人の最初の仕事は研修です。
オーロラガイドはオーロラさえ勉強すればいいってものではありません。
空港での’いろは’、宿泊先の’全ての規則と構造’を頭にたたき込みます。
市内観光のためにイエローナイフの歴史から街の全てを勉強して、まずはイエローナイフのガイドにならなければいけないのです。
そして、犬ぞりやアイスフィッシング等の昼間のオプショナルツアーを引率できるようになり、氷の上での大型車の運転、運転しながらマイクを使って車内アナウンス、言葉使いを含めた接客態度、これらを習得した上でオーロラとお客さんを一緒に写す”オーロラ撮影技術”を身につけていくのです。
他のガイド業と違うところは、極北というマイナス40度を下回る常識離れした所での案内なので、極北ならではの危険を回避する極北技術を、まずは自分が身につけ、それをお客さんに理解させ習慣化してもらわなければいけないことでした。
ここでも覚えなければいけないことが、目の前にある一面に広がる雪ほどあるのでした。
とりあえず目の先の目標は、
「同輩、特に同じオーロラガイドであるKAZOOに負けないこと」
といったところでしょうか。
っと軽く思ってみたものの、この目標はけっこう難しいものとなりました。
KAZOOは勉強が得意でした。何時間でも机について黙々と勉強をし続けるのです。
そして、ちゃんと見事なマニュアルノートを作成して、頭に着々と修めていくのでした。
だてに獣医師に合格してないのです。
僕はというと、勉強を始めればすぐに集中力は切れ、眠くもなります。
紀行文を書いている時とは、別人のように机にもついていられなくなってくるので、床に座り込んでストレッチを始める始末です。
リビングにふらりと行くと、先輩達が気を遣って話しかけてくれます。
「どう、勉強ははかどってる? 分からないことがあったら質問してよ」
僕はガンガン質問し、特に面倒見のいい福さんなんかは何時間でも説明してくれました。
こうして2人のルーキーの勉強スタイルはまったく違ったものとなり、KAZOOはいつも自分の部屋の勉強机に、僕はいつもリビングで先輩達と話をしながらメモっていくのでした。
旅人らしい勉強法ですよね。
研修では当然ガイドということで、実際に話してみる形式での練習がメインとなり、ここでも僕とKAZOOの特徴はすっぱりと分かれました。
KAZOOの説明の特徴は、さすがに机上でしっかり頭に詰め込んでいるだけあって、知識豊富で次々と課題をこなしていくのでした。
しかし、落ち着きのある医者の口調で淡々と説明が進んでいくので、説得力はあるものの、正直眠くなるのでした。
僕はというと、覚えたことは必要以上のオーバーリアクションと強調された声の起伏で説明していくので、雰囲気は出るものの、知識が乏しすぎて大切なことが伝え切れなくて、説明不十分この上ないものでした。
審査する先輩達からはいつも、
「2人は互いのいい所を取り入れなさい」
と言われていました。
こういったこともあり、別にガイドとしての話し方だけでなく普段の日常生活からもお互いのいい所・悪い所を指摘し合ったり、相談し合ったりしながらライバル心の中にも強い仲間意識が芽生えていったのでした。
幸い、僕とKAZOOは2人一室与えられ、20畳以上ある地下の大広間で半年間同じ時を過ごすことになったのです。
朝には目覚まし時計のアラームの音と同時にストレッチを始める僕の隣で、見よう見まねで僕と同じポーズを取ろうとする相方の姿が、顔を洗う前の眠気まなこににじんで映っていました。
この研修中には、ものすごい頻度でテストが行われました。
最初に机について知識の詰め込みをして、一度本番を想定して実際に話してみたら、その次にはすぐテストです。
市内観光、オーロラ講座、車内でお客さんにするアナウンスなど一つ一つのテストに合格してこそ、晴れてオーロラガイドとしてデビューできるのでした。
研修中で指摘する先輩達の目は厳しく、手話混じりのよく動く僕の身ぶり手ぶりや、伝わりにくい奇妙な擬音語や口癖なんかも、ルパン三世の「石川五右衛門(ごえもん)」もびっくりなほどに、バッサバッサと切り捨てられていきました。
そんな先輩達の顔には、
「また今日もつまらぬものを切ってしまった」
と言わんばかりの表情が浮かび上がっていました。
辛い研修の中にも「オプショナルツアー体験」という楽しい勉強もありました。
昼間もイエローナイフを楽しんでもらうため、極北ならではの体験ができるツアーにオプショナルツアーとしてお客さんを連れて行くのですが、その引率ができるようになるためにガイドは全オプショナルツアーを体験して全て頭にたたき込んでいくのです。
スノーモービルを自分で運転していく「アイスフィッシング」や生物学者の案内で”かんじき”を履いて雪の森の中を歩く「ネイチャーピクニック」、代表的な「犬ぞり」や「ドリームキャッチャー教室」でオリジナルドリームキャッチャー作りをするのです。
ちょっとした息抜きもつかの間で、すぐに感想を書いたレポート提出。
それでもこれらはいい経験になりました。この先デビューした後は、お客さんと一緒に何十回もこれらのツアーに参加することになるので、これだけとってもやりがいのあるガイド生活と言えるでしょう。
そんなこんなで僕とKAZOOは、厳しいテストを一つずつ克服していくうちに、そろそろ恐ろしく長く感じた研修期間も終わりに近づき、デビューの時であるツアー開始日を目前としました。
もちろんツアー開始日に向けて気持ちが高ぶらせているのは僕達2人だけではなく、同輩であるアシスタントガイドの女の子たちもオフィスワークはもちろんのこと、バス内でのアナウンスやお菓子作りなど本番に向けてラストスパートをかけているし、先輩達も高い次元で昨年までの経験を生かした、より楽しくより効率のいいツアーを作っていけるよう頭を悩ませていました。
ツアー前日、ミーティングにて新人全員にガイドの証として、「マグライト(キャンプ時に使うような手の平サイズの懐中電灯)」が渡されました。
いかにも夜の仕事という感じがしますよね。
全員が何らかの証として同じものを持つ、ちょっと戦隊ものチックですが、僕はこういうのが大好きなのです。
スタッフ間でよく自分達のことを、「オーロラ戦士」とか「オーロラ屋」とか呼ぶことがあります。
「寒さ」や「スケジュール」との苛酷な戦いっぷりからのイメージや、オーロラを扱う仕事というイメージでこう呼び始めたのでしょう。
僕の中では、常識が異なる’異世界極北’と’星降る夜空’と’オーロラ’という不思議な力が、宇宙や異惑星を舞台とする『スターウォーズ』を連想させるので、ジェダイ気分でマグライトという名のライトソードを振り回しながら、効果音を自ら口で「ブォーン、ブォーン」と発しながら楽しんでいます。
ここで簡単にイエローナイフの紹介をしちゃいます。
「Yellow Knife」、略して「YK」と呼ばれています。
イエローナイフは北緯62度27分「極北」に位置しています。
「極北」とは、北極圏より少し南のエリアのことでギリギリ北極圏に入っていない場所のことをこう呼びます。ちなみに北極圏の条件とは、「白夜」があること。
1年(365日)の内に1日でも太陽が沈まない日があれば、そこは「白夜のある場所」といえ、「北極圏」であるということなのです。だから極北では、毎日太陽は沈みます。
とは言え、「ほとんど北極圏」、「ほとんど白夜」なので、春・夏・秋の間は一応太陽が沈んでいても、地平線ギリギリの辺りにいるので、夜でも暗くなりきらず明るい時間が長いのです。
それと反対に冬は日照時間がとっても短いのです。1月なんて午前10時に上った太陽は昼の2時には夕焼けの中にしずんでいくのです。
だからオーロラが見えやすいのは、夜の長い冬(11月〜5月ぐらいまで)でツアーシーズンもちょうどその頃にしています。夏には気温20〜30度まで上昇するのですが、期間も短く春秋で0〜マイナス10度、冬にはマイナス40度まで下がり体感温度はさらに下回るのです。
日中と夜との気温差はほとんどありません。そのためツアーでは、
「北極点でも大丈夫!」
というマイナス60度対応の最強防寒着を貸し出しています。僕らガイドの制服も同じものを着ています。
さすがにここでは僕の旅制服であるトレッキングスタイルは通用せず、仕事だと割り切って新たな制服に袖を通しているのです。
イエローナイフは北アメリカ大陸の内陸に位置していますので、湿気がなく、雪はたまには少し降るぐらいでほとんど降りません。街は一面雪景色ですが、これはたまに降った雪が積もり残っているものなので、寒すぎて雪は春まで融けないのです。だから半年間は雪景色の街なのです。サラッサラのパウダースノーで砂みたいなものです。
山が一切ない平地なので、残念ながらウィンタースポーツはできません。
ノースウエスト準州の州都なので、ビルもいくつかあることはあるのですが、本当に一部だけで街らしくはあるけれど、中心部(ダウンタウン)は街の端から端まで徒歩10分未満、ジグザグ歩きで30分の小さな街なのです。
中心部から外れると、先住民(インディアン)やイヌイット(エスキモー)の集落がちらほらあるため、街中には民族衣装に身を包んだ人達も見かけます。
こんな小さな街でも生い立ちまで遡ると勉強することはたくさんあります。
ツアーではオーロラはもちろんのこと、イエローナイフが栄えた理由から説明しますので、敢えてここでは語りません。
ぜひ一度この街に来てみて下さい。
研修の最終試験にもなんとか合格して、いよいよ本番が始まりました。
ツアーは通常3泊4日で行われます。
夜のオーロラツアーは21:00ごろから深夜1:30ぐらいまで行われ、しばしば延長もします。にもかかわらず翌日は朝から市内観光やオプショナルツアーにお客さんを連れて行き、夕方ごろ宿泊先まで送り届けたと思いきや夕食を食べたらすぐに、また夜のオーロラツアーに向けて迎えに行くのです。
特に昼と夜とでガイドが分けられ代わるわけではないので、ほとんど一日中接客しているようなものなのです。
しかし、そのおかげでお客さんと話す機会も増え仲も深まります。
仲が深まるとガイドとは言え人間なので、
「なんとしてでもこの人達にいいオーロラを見せてステキな思い出を作ってあげたい!」
その想いが高まれば高まるほど疲れた体に力もみなぎってくるし、夜のツアーもついつい延長してしまうのです。
こういったガイド側の想いは、自然とお客さんにも伝わるものでツアー全体の雰囲気もどんどん良くなっていくのです。
お客さん同士でも仲良くなります。帰国後に「イエローナイフ同窓会」が行われることもあるくらいなのです。
最高にいい循環がこうしてここに生まれるのです。
今回僕がガイド業をするにあたり目標としていることが一つあります。
それは、”お客さんと仲良くなること”です。
オーストラリアのケアンズでツアーガイドをしていた時、もちろん僕は一生懸命働きました。
できるだけお客さんにはいいサービスを尽くし、自分がどこまでいい仕事ができるかを試しました。ガイド生活はいい経験となり、かけがえのない思い出になりましたが、一つだけ引っかかることがありました。
あれだけお客さんに尽くしたのにガイド生活が終わった後に、一人のお客さんともつながっていませんでした。
お客さんがケアンズに滞在している時には、仲良くしていても、帰国してからも個人的に連絡を取り合うほど仲になった人はいなかったのです。
これには少し悲しくなりました。
別に努力の成果を形で残したかったわけではありませんが、結局「ガイド」と「お客」の壁を越えてはいなかったのです。
この壁は越えない方がいいのか?、越えた方がいいのか?、は人によって意見が異なりそうですが、僕個人的には壁は片っ端から越えまくりたかったのでした。
ガイドは所詮一時的な案内人であって、その人の旅行の思い出には一筆加えることができるけど、その人の人生にまで一筆加えることはできないのか?
その旅行がその人の人生に一筆加わっていると考えれば立派に影響しているけれど、本当に自分の存在がその人にとって強烈なものであれば、その後もつながってくのではないか?
などと答えのでなさそうな葛藤が、グレートバリアリーフのサンゴに引っかかった海藻のようにユラリユラリとゆらめいていたのでした。
「何か引っかかっているのなら、そいつを取り除いてやればいい!」
難しそうで簡単な答えは、当時オーストラリアしか知らない20代前半の小僧にもわかっていました。
そこで再びガイドという肩書きを名乗ることになった今、試してみる時がやってきたのでした。
ジャジャン、試してみる刻!
う〜ん・・・、これちょっと、ゴロ悪いね。もぅ使わないとこっと。
あーだこーだの、どってんばってん言ってないで、試してみてから吠えたいだけ吠えればいいのです。
よし、できた!
ためして、ドッテンバッテン!
あらら、まさし君またパくっちゃった?
そんなこんなで、半年間に今後もつながっていきそうな縁を感じた人がいたら、できるだけつなげていこうと決めました。
結果は、最低半年後。
ツアーが始まってからも忙しい日々は続き、頭の中は覚えたお客さんの名前でいっぱいでした。
カナディアンEXの方針の一つで、「お客さんの名前は覚える」というのがあったので、食事しながらもお客さんの名前の書いてある一覧表とにらめっこしていました。その甲斐があってかお客さんとの距離は近くなるし、ツアーも盛り上がるのです。
ツアーの内容はここでは特に語りません。
ツアーの雰囲気は、ガイドのメンバーやお客さんの顔ぶれによっても多少は変わることがあるからです。
オーロラの状況によっても変わってきますよね。
しかし、会社自体の雰囲気やお客さんとオーロラに対する姿勢は変わりませんので、自信を持って勧められるのです。
よく聞かれる、
「オーロラって結局、何?」
この質問にもここでは触れるのをやめておきます。
ツアーの中で『オーロラ講座』というイベントがあり、
「今見たばかりのオーロラが一体どうして光っているのか?」
「そもそもオーロラって一体何なのか?」
という疑問を分かりやすく説明するイベントがあります。
このオーロラ講座をしているのは、カナディアンEXだけで、他のオーロラツアー会社は、ただのオーロラが見える場所に連れて行くだけなのです。
ぜひ、前知識なしでオーロラを見て、その後でその正体を現地で知ることをお勧めします。
オーロラツアーは自然相手のツアーです。
建物のようにそこに行けば必ず見れるというものではありません。
確かにこのイエローナイフなら、3泊4日滞在すれば少なくても90%以上の確立で見えてはいるものの、100%じゃないという思いと毎日変わるオーロラの姿にいつもドキドキしています。
「寒さ」でなく「お客さんの歓声」でぶっ飛ぶ疲れと眠気。
オーロラを見上げていると・・・、
「はぁ〜っ、あっ!・・・」
自分の吐いた白い息が邪魔なのです。
「自分の息が邪魔」、そう感じてしまうような、ちょっと特別な世界。一度体験しに来て下さい。
現地人(カナダ人を始め住民達)はオーロラには興味を示しません。
理由はわざわざ見るほどのものではない、と思い込んでいるからです。
かと言って現地人はみんな毎日のようにすごいオーロラを見ているのかと言うと、実はまったくその反対でほとんどの人がちゃんとしたオーロラを見てないのです。
この街の上空には、普通オーロラがやって来ます。オーロラとは徐々に成長するもので、小さく淡いものからだんだんと大きく光の強さを増して、不規則な時間帯で弾けるのです。
ちなみに、オーロラが激しく動き出すことを業界用語で「弾ける(はじける)」と言います。弾ける時間は一瞬。その瞬間が最も明るく動き出すのです。
外の気温はマイナス40度。外で待ち続けることは不可能なのです。
つまりオーロラの動きを読む技術と観測しようとする姿勢がないと、最も美しい瞬間に出会うことは難しいのです。
現地人にそんな技術があるわけありません。
また、現地で生活している人達には、規則正しい生活があります。オーロラが強く成長するのは、ほとんど深夜を越えてからなので、翌日仕事があるにもかかわらずわざわざそんな深夜まで夜更かしをして、マイナス40度の中防寒着を着込んで外で待つ人なんていないのです。
早い時間で出ている弱いオーロラを見て、
「オーロラなんかしょっちゅう見てるよ」
と現地人は言います。街灯りのある明るい場所からオーロラを見てです。
オーロラだって、星と同じで本当に暗い場所から見るオーロラと街中から見るオーロラではレベルが違うのです。
弱いオーロラを見て、また明るい所で見ても人は、「オーロラを見た!」と言います。
不思議と人間は一度知った気になったら、「それは、もういいよ」という気持ちになるものです。現地人のオーロラに対する姿勢も同じなのです。
僕ら日本人はオーロラが見えにくい場所から、わざわざ遠くまで足を延ばして見に来るのですが、そのおかげで、
「せっかくなら最高の状態のオーロラを見たい!」と思わせ、「最高の条件での最高のオーロラ」に望むので、これは僕らの特権なんじゃないかな? と思います。
まだアジアの国々やその他の発展途上国では、オーロラというもの自体の情報が広まっていないことと、経済的な理由もあり、日本人だけがオーロラを見に来ます。最近やっと韓国人が来るようになったぐらいです。
このことを考慮しても、日本人はオーロラに関して特権を得ていると言えるでしょう。
オーロラツアー会社は、日系のものしか存在してないのですから。
イエローナイフに来る国内線の飛行機が値段が高いため、カナダ国内やアメリカから来る場合も、実は日本からの値段とほとんど変らないのです。だからカナダ人やアメリカ人も高いお金を払ってオーロラを見に来ることはありません。
彼らは言います、
「オーロラなら1回や2回見たことはある。わざわざあんな寒い所に高いお金を払っていく必要ないね」と。
そんなカナダ人やアメリカ人にオーロラ写真を見せると、
「What? なんじゃこりゃ〜ぁ?」と、
太陽に吠えちゃうぐらい驚きます。
ぜひ日本人として、この特権を生かしてみてはいかがでしょうか?
同じ日本人としておススメします。
仕事をして定住しているとは言え、僕にとっては今も旅先であり、いつもより長い期間で移動している旅人はこんな地の果てまでやってきました。
思い返してみると、寒い所と言えば数年前のチベット以来です。寒さのレベルが違いますけど。
あの頃はチベットの風になびくタルチョ(旗)に向かって杖という指揮棒を振っていましたが、今この地では杖をマグライトに持ち替えて、なびくオーロラに向かってリズムを刻んで振っています。
この瞬間だけが戦士が戦いを忘れることのできるひとときなのかもしれません。
さて、この次は・・・?
もうしばらくオーロラガイドとして、この地で氷の上を走り回ります。
それでは、SEE−−YAA−−−−−−−−−−
FROM まさし