2004年5月 イエローナイフのナイト ■カナダ・イエローナイフ編
 Hello− カナダの極北イエローナイフにて、引き続きオーロラガイドとして仕事しているまさしです。

 イエローナイフに来て早いもので、半年の月日が過ぎていきました。
 オーロラガイドという肩書きを名乗っていたこの半年間、僕の旅の中で大きな割合を占めることになるであろうカナダという国の濃度を増すのには、申し分のないほどの濃い時間を過ごせました。

 イエローナイフは、場所も中身も「極端」という言葉が似合う普通の人間界とは常識が異なる特別な街。そんな特別な所だからこそ、人に紹介しがいがあるのでした。
 イエローナイフを訪れる人達は、まるで「銀河鉄道」にでも乗ってしまったかのような心情を味わったことでしょう。

 空翔る列車の中では、耳に溶け込みやすい街の名前がアナウンスとして流れます。
「次はイエローナイフ、次はイエローナイフです」
 
 そんな高められた期待を裏切ることのない、まさに「異惑星」を短期とはいえ、そこの住人として出迎えてたことを嬉しく思うと同時に、僕にとっては一体どっちが旅人なんだか困惑してしまいそうな経験でした。

 ツアーガイドとして仕事の内容を軽く上回るカナディアンEXの仕事内容には、正直何度も驚かされました。

 極寒まき割り、極寒洗車、巨大な塊となった凍った排泄物の処理、極寒雪かき、凍った湖の上を雪かきして、氷の道を作るアイスロード作り、などなど肉体労働を始めとするすべての仕事の頭に「極寒」という文字がもれなくついてくるので、難易度は何倍にも膨れ上がるのでした。

 よくお客さんに、こういう案内をしていました。

「極北にて寒くならない方法の一つとして、”汗をかかない”というのがあります。皆さんに貸し出ししている防寒着はマイナス60度対応ですので、防寒着の中にさらに着込んでしまうと、室内や車内で熱くなってしまい汗をかいてしまうことがあります。もし、そのまま外に出てしまうと、汗が一瞬で冷えてしまい、体を冷やすことになりますので気をつけてくださいね」

 下っ端のガイドは、使いっ走りでいつもあっちこっちと走り回り、防寒着を着ていないのに汗だくになり、その汗は凍りキラキラと光を放ちます。そして寝不足と疲れた表情は一切見せず、さわやかガイドスマイルでお客さんに語りかけます。
 
「汗をかかないことが寒さを防ぐ秘訣です☆」

 説得力ねぇーっ!
 
 頭から立ちのぼる熱と水分は、髪の毛にも白髪のように凍りつき、’関口宏’もビックリなヘアースタイルに早変わりです。
 
 お客さんには帽子やフェイスマスクを渡してあるので大丈夫ですが、ガイドはやっぱり案内する時に頬が見えたほうがいいので、できるだけ帽子もフェイスマスクもつけません。朝・昼・夜といつでも登場し、寒さに対して体を張った案内をしているオーロラガイドの生き様を見るのも、カナディアンEXのツアーの楽しみの一つなのかもしれません。

 カナディアンEXの制服は、マイナス60度対応の最強防寒着である赤いジャケット(通称「赤ジャケ」)と、黒色のオーバーパンツ、フェイスマスクにもなるネックウォーマー、ミトンの手ぶくろと、帽子、’ガンダム’もビックリの巨大ブーツの6点セットが基本で、これと同じ6点セットがお客さんにも貸し出されています。

 しかし、ガイドは時々少しジャケットをはおるだけで、手ぶくろも自前の薄手のものをはめ、帽子もほとんどかぶらず、ネックウォーマーで顔をおおうこともありません。赤ジャケの下は、カナディアンEXオリジナルTシャツ一枚です。

 イエローナイフ空港に降り立ったお客さん達は、鼻毛も凍る極度の寒さに震え上がります。
 そこにガイド達が半袖のTシャツ姿で迎えに行くので、
「その服装はパフォーマンスですか?」
とよく聞かれるぐらいです。
 
 仕事と割り切り、極度の寒さの中何でもしました。
 そのおかげで、寒さや凍傷から身を守る術とか金属に素手で触らないようにするといった極北習慣や、花やゴムさえも凍りつく世界の中で、道具を壊さないように扱う術などが身につき、カナディアンEXならではのサバイバル技術を駆使した仕事をこなすうちに、極寒で生きていく術「極北技術」を修得できました。

 オプショナルツアーのネイチャーピクニックを案内する生物学者であり、女優として演劇活動もしているイエローナイフ名物ガイド『ロージー』の案内を、お客さんと一緒に何度も聴くうちに自然生態学も覚え、アイスフィッシングに行くたびにスノーモービルにも乗る。氷や雪の上での右車線・左ハンドルの運転などの細かい技術はもちろんのこと、インディアン(先住民)とイヌイット(エスキモー)にも接し、民族との文化の違いを肌で感じる。

 こういったことの一つ一つが積み重なって、極北技術のレベルをさらに上げていくのです。
 何度もポカしましたが、その度にレベルアップのファンファーレを耳にしました。
 ここで身につけた極北技術、どこで使うことがあるのでしょうか? はいっ、ラーニング!

 少ない人数で仕事を回していくには、超合理的に仕事を段取り、人材の能力を最大限まで使い切っていかなくてはなりません。まさに、将棋やチェスのような駒を動かす戦術状態でカナディアンEXは動いていました。

 ツアーを仕切っていく’チーフ’というポジションについたガイドが、そのコマの配置を社長と相談しながら決めていくのです。

 下っ端ということと、キャラクターを考慮して「MA」という駒の使い道に、チーフは頭を悩ませます。 
 そして、チーフは言います。
「MAは将棋で言うなら『桂馬』、チェスで言うなら『ナイト』だね」
 あらまっ、ずいぶんと動きに限りのある捨て駒だこと。
 涼しげな表情の中に、刺すような鋭さ、ここにありです。

 オーロラガイドとして身につけた能力の一つに「オーロラ写真撮影」の技術があります。

 カナディアンEXのオーロラ写真は、あの世界中で最もポピュラーであり、世界トップクラスの質の高さを持つ雑誌『ナショナル・ジオ・グラフィック』にも使われたことがあるほどの、どこに出しても恥ずかしくないレベルなのです。

 特に人物とオーロラを一緒に撮影する技術は、カナディアンEXの専売特許みたいなものです。
 では、ここでトレーニングを受けた僕は、世界にも通用する撮影技術が・・・、
 そんなわけありません。

 所詮一年目のオーロラガイドです。社長や先輩たちに比べたらまだまだです。KAZOOも同期なので同じようなレベルです。もともと特にカメラに興味があるわけではなかった僕とKAZOOですが、せっかく身につけた技術なので使わないともったいないかなと思い、ない暇を見つけては個人的にオーロラの写真を撮りに夜な夜な出かけていました。

 もちろん最初は、先輩達に連れて行ってもらい、オーロラ撮影スポットやコツなんかを教えてもらいます。次第に自分達で撮れるようになってきてからは、新人2人で行くようになりました。
 ツアーシーズンの終わりに近づくと、自分の時間が作りやすくなってくるので、それこそ2人で三脚をかついで毎晩でかけました。

 僕らはどうしても教えてもらったスポットではなく、自分達で発見した2人しか知らない場所を見つけたかったので、新雪にズボズボと埋まりながら森の中をさまよい歩き回りました。

 そして、ついに発見しました。
 大きな岩肌が特徴のある小高い丘を!
 新雪をしっかりと踏み固めて行き来をしやすくして、僕らはこの丘に通いました。
 まさに秘密基地の気分です。

 ある日、KAZOOが言いました。
「この丘の名前、まさしが決めてくれよ」と。

 それからしばらくして僕らは、この丘のことを”いきつけの丘”と呼ぶようになりました。
 この”いきつけの丘”は、男子寮から徒歩でわずか15分のところにあります。

 コーヒー好きのKAZOOは、
「よし、今日はオーロラを撮りがてら、丘の上でコーヒーを飲むぞ」
「今日はコーヒーと一緒にマフィンも持っていって、オーロラを見ながら食べるぞ」
 と、少しずつ目的がずれるようにして、KAZOOの手荷物は増えていきました。

「なんとか丘の上でラーメン食べれないかなー? ねえねえ、家から作って持っていったら間に合うと思う?」
凍るっつーの!!

 僕もなかなかシャッターを切らないタイプの人なので、カメラは三脚にセットするものの、寝転がってオーロラを見ながら、これからの、またこれまでの旅の事を考えたり、詞的なことが思い浮かぶように感受性を全開にして、自分の時間を楽しんでいました。
 よくよく考えたら毎晩のんびりとオーロラを見ながら、時々写真を撮って楽しむなんて贅沢な趣味ですよね。

 いきつけの丘を始め、森や凍った湖の上で、想い出に残る様々なオーロラと出会いました。

 ある日、森を歩いていたら、強いオーロラが真上にやってきました。
 それまで真っ暗だった森の夜道は、オーロラの明かりでほのかに色づいたのです。

”約10年に一度だけ、赤色のオーロラが見れるよ”
 そう言われています。
  珍しさに惹かれて
「赤色のオーロラ見たぁ〜い!」
と口にする人が多いのですが、実は赤色のオーロラにはほとんど動きがなく、ただボーっと明るく壁のようにゆっくりと近づいてくるだけの退屈なオーロラなのです。
 赤色は人間の目には認識されにくく、カメラのレンズには時々写ることがあります。

 基本は緑色。
 緑色のオーロラは、動きも大きく見る人を楽しませてくれるのです。
 弱いオーロラだと、この緑色が白色に見えることもあります。

 弾けた瞬間のみ、ピンク色のオーロラが緑色の下にシュルシュルと流れるように現われます。
 最も動きの速いオーロラがこのピンク色オーロラなのです。
 
 このピンク色を見て「赤色が見えた!」と勘違いする人が多いのですが、
”赤色は緑色の上にしか出ないが、ピンクは緑の下にしか出ない”のです。
 緑のオーロラにピンクが走れば、そこそこのオーロラを見たといえると思います。
 世界で代表的なオーロラタウンはイエローナイフを始め、北欧とアラスカです。
 地面が照らされるほどのオーロラは、オーロラタウン以外ではまず見ることができないでしょう。

 僕がこの森の夜道を歩いていた時も、視界は緑に色づきました。
 地面の真っ白な雪のバンカーはほのかですが、美しいグリーンへと早変わり!
 僕は思わずつぶやきました。
「ヘイッ! キャディーさん、ここはアイアンじゃなくってパターを貸しなっ!」と。

 ある日のこと、凍った湖の上で明け方近くまでオーロラの写真を撮っていた時の事でした。

 この日は満月。 
 イエローナイフではオーロラの強さが他とはレベルが違うため、満月でも月明かりにかき消されることなくオーロラを見ることができます。

 そうこうしていると、地平線の向こうが明るくなってきました。
 もちろん太陽です。
 太陽は顔は出しているものの美しい朝焼けを作り始めました。
 すると、その反対側にオーロラが現われ、弾けたのです。
 
 胸高なる中、慌ててシャッターを切ったものの、どういった構成で撮ったらいいのか迷いました。
 なぜならそこには、夜空に弾けるオーロラと、星と、満月と、足元の雪原と、その向こうの森、さらに向こうに朝焼けがあり、その明かりが美しく雲を染めているのです。

 これと同じドキドキを以前に覚えたことがあります。

 それは子供の頃、近所のおもちゃ屋さんに閉店後の夜中、こっそりと入れてもらった時のことでした。

「好きなだけここにいていいからね」
 そう言って、おもちゃ屋の店主は、カギを渡して2階の自分の家に帰っていきました。
 一人店内に残された僕は、今まで商品なので触りたくても触れなかった物まで自由に手に取ることができる魔法のカギを手に入れたのでした。

 ガラスケースを開け、いくつかおもちゃを手にとって見ましたが、一つのものに熱中して遊ぶことができず、視線はすぐに他のものへと移ってしまうのでした。
「う〜ん・・・どれで遊んだらいのか、わかんないや」

 同じ台詞を大人になった今、カナダのオーロラの下でつぶやきました。

 またまた別の日、「行きつけの丘」で雪のベッドにゴロンとひっくり返り、星空の下、自分の吐いた立ちのぼっていく白い息を見上げながら、人生について考えていました。

 春も近く最強防寒着「赤ジャケ」を着ているので、それほど寒くはありませんでした。
 するといつの間にやら、そのまま・・・眠ってしましました。

 どれくらい経ったでしょうか?
 さすがに体が冷たくなってきた頃、目を開けてみると、目の前に巨大なフェニックス(不死鳥)の姿があったのでした。
 それは当然本物のフェニックスではなく、オーロラがその姿を形作っていたのでした。

 ちょうどその瞳の位置に”美の女神:金星”が輝いていたため、命が吹き込まれた巨大な生き物に感じたのです。

 うたたねから目が覚めて瞬間、目の前で羽ばたく”こいつ”と目が合いました。

 あのインパクトは、今でも言葉にしにくいです。
 まるで、本当に伝説の生き物が目の前に現われた時のように。

 ガイドとして、また住人としてリアルに頭に思い描くことができる街。
 その街の上に燃え上がる、
 『永遠になくならないであろう一瞬の命』
 とっさにカメラを握り締めた手は、少し震えていました。

 他のものなら似たようなオーロラ写真を撮ることができるでしょうが、このオーロラは二度と遭遇できるとは思わなかったのです。

 艶やかなその姿はすぐに見えなくなり、金星だけが跡に残りました。
 
 しばらく残された瞳である金星を見つめながら、納まりつつある胸の鼓動に耳を傾けていたら、記憶の中に聞き慣れた声でつぶやく台詞が聞こえてきました。

「きれいと言われる時は短すぎるわ」
 つぶらな瞳を細くして、昔婆さんが言っていました。

 ん!?
 
 たしかイエローナイフに向けてバンフを出た夜にも、似たような台詞を想い浮かべていたような気がしますね。
 時が経つのは早いのです。

 そんなこんなで数々のオーロラとの出会いは、嬉しいことに写真として収めることができました。

 誰の目にも気にすることなく、贅沢にオーロラを楽しんだあの時間、これまでの集大成がこれらオーロラ写真という形で残ったのでした。
 すると・・・、 

 とっぴんパラリンぷぅ!

 と、けったいな効果音と共に僕の頭の上にある”ひらめきの電球”が光り、
「トライ!」
という文字を浮かび上がらせました。

 えっ!? オーロラの好みは十人十色。
 せっかく撮った写真の数々、どうせこれから旅をしていく中で多くの人達と出会っていくなら、僕のオーロラ写真の中から選りすぐりの写真を見せて、どのオーロラが人気あるのか統計を取ってしまえってことかい?

「何でこれ以上、旅の荷物を増やさなくちゃいかんのさ・・・」
と思いながらも腹の中では、もう決めちゃってました。

 作りたかないけど、作らなくっちゃ。

 はいっ! 作りました。
 さて出来栄えは・・・?

 なかなかいいものができました。自分で言ってやるぜ、
「Good job! マサシ☆」

 写真にタイトルと解説までつけた僕の中では大作です。

 長いこと旅をしていると、
「写真を見せてください」
と言われること多々あります。

 もちろん普段は写真を持ち歩くどころかデジカメさえも持っていませんので今まで撮った写真を見せることは不可能でした。
しかし、この度カナダでオーロラガイドという経験を経たことで、
「オーロラの写真がみたぁ〜い!」
と言われた時の期待に添えられるものができたのでした。

 これらの中からどのオーロラ写真が好まれるのか?
 投票を集めて人気の高い作品を見つけ出していこうと思います。

 旅先で僕と縁があれば、今この文章を読んでいるあなたも一票加えることになるかもしれません。
 投票の結果は数年後。

 オーロラの想い出話のついでにもう一つ。

「オーロラから音が聴こえる」
 そんな噂があります。

「オーロラの音を聴いた!」
 そう発言する人が世界各地で何人も現われたのです。

 ある日、僕が「いきつけの丘」で寝転がりながら、オーロラを待っていると、来ました!

 背の高いカーテン状のオーロラが、僕に向かって平行に迫ってきました。
 そそり立つようなそのオーロラは見上げると、まるで”巨大なパイプオルガン”の前に立っているような気分に錯覚させました。

 この巨大なパイプオルガンが真上に来た時、突風と共にすべての鍵盤を同時に押したような汽笛が、列車のごとく通りを過ぎていくのを聴いたのです。

「こらっ! マリファナでも吸ったんじゃねーの?」
 なんて言わないでくださいね。

 ただ、人間が理解を超えるほどの大自然と向き合った時、その時はすべての責任なき発言が許される。そんな気がしました。

 白い息と共に一言、僕の口からこぼれました。
「うそつきはメルヘンの始まりだ!」と。

 そんなこんなでたかだか一年目のオーロラガイドの僕ですが、イエローナイフに住んだことにより100回以上はオーロラを見ることができました。いろんなタイプのオーロラを見ましたが、本当にすごいオーロラを見た時は、僕は無意識に大笑いしてました。

 途中で「はっ!」と気付くのです。

「オレ、今笑ってた?」ってね。

 これからの人生の中で一体何回ぐらいこの『無意識の笑い』が出るのか楽しみです。

 宇宙飛行士の毛利衛さんが、宇宙からの地球の頭上に現われたオーロラの姿を見て、こう言いました。

「静かな宇宙空間の中で、ゆっくりと揺れるオーロラはまるで音楽のようだ」と。

 これからの僕の旅や人生において、「オーロラ話」はきっと身近なものになるような気がします。
 つまり、これから先どこにいてもオーロラを意識することになるでしょう。
 僕の旅は、宇宙にこそ行きませんが、この地球上からその音楽とやらに耳を澄ませます。

 お客さんを空港まで送り、空港でチェックインを済ませた後、最後の挨拶をします。
 この最後の挨拶は、ガイドによって違います。
 僕の挨拶はいつもこうでした。

「今日皆さんが見たオーロラ・・・これが皆さんにとって最後のオーロラだなんて、どうか言わないでください。来年再来年じゃなくてもいいです。何十年後になってでもいいから、『またオーロラを見に来よう!』。そう自分の中で約束してください。そうすることによって、オーロラと極北の世界は皆さんにとって過去のものでなく、身近な存在となるはずです。またのお越しをお待ちしています」
 そう言って、頭を下げていました。

 来年にはもう僕はイエローナイフにはいないのに・・・。
 期待と願いを込めて、再来の言葉をかけていました。

「僕は旅の途中です。だから来年度以降戻ってきて、再び仕事することはありません」
と面接の時点で社長には話してありました。

 そんな僕だからこそ、
”オーロラと関わるのは、これが最後ではないはずだ。最後だなんて思ったらもったいない”
 そう感じていたのでした。

 目標にしていた”お客さんと友達になる!”

 こいつも僕の中では成功しました。
 この先もつながりそうな人、何人も見つかりました。
 そんな彼らと一体いつまでつながっているのか?

 それは誰にも分かりませんが、この出会いは大切にしていきたいと思っています。

 バンクーバーで最も日本人に親しまれている情報誌「ウップス」が、イエローナイフでのカナディアンEXをオーロラ特集として取材に来たところ、「こんな人も働いています」のコーナーで僕を取り上げて、顔写真入りで紹介してくれました。
 そのこともあり、空港にお客さんを迎えに行った時点で、
 「あっ、ウップスに載ってた人だ!」
ってな具合に、知名度が一時的に少しだけ上がっていたことも影響していたのかもしれません。

 オーロラガイドは普通のツアーガイドとは少し違って「アクティビティーガイド」みたいなものだったので、親しくなりやすかったということもあるでしょう。

 でもやっぱり一番の成功の理由は、カナディアンEXのお客さんを身近に感じツアーを営むスタイルにあったと、確信しています。

 オーロラは僕にとって、カナダにおいての「くぐるべき関門」の一つでした。

 立派かどうかはさておき、一人前のオーロラガイドになりました。これからまだ先は長いけど、いい基準ができました。

 この先旅の中で、「オーロラより衝撃を受けることは何か?」

 このハイレベルな視点で歩いて行こうと思います。 
 見る目は厳しく!でも、期待も高めて。
 想う念力は、天までも届くのです。

 何はともあれ、春を迎えました。
 雪もだいぶ溶け、街の中心部にある大きな電光掲示板の気温計から「−(マイナス)」の表示が消えました。

 今にも割れてしまいそうな凍った湖の上に立ち夜空を見上げると、春のオーロラの特徴である背の高い「紫色のオーロラ」が姿を現すようになりました。
 楽しかった氷遊びもここまで。「氷の彫刻展覧会」や「凍るシャボン玉ショー」は紫色の緞帳にて、毎年幕を閉じるのです。

 今では、すっかり当たり前になってしまったオーロラ鑑賞に最適なこの湖の上も、初めて歩いた時は魔法にさえ感じられました。

「魔法がと・け・る」
とは、こういうことなんですね。

 いくつものステキなナイト(Night)をありがとう。

 昼と夜とが交差するチェスボードの上で、下っ端のナイト(Knight)はオーロラ戦士の一人として戦い抜きました。

 途中何度か襲いかかる黄色いナイフに切られそうにもなりましたが、絶妙なタイミングでの「白刃取り」を成功させてきたのです。取った刃はポイッと捨てず、幾つかぶら下げてあることにしました。

 カナディアンEXの制服ともお別れで、いつもの旅の制服に再び袖を通します。

 旅の制服である帽子とカバンに、「白刃取り」で得た「イエローナイフ」が装備されました。任務が終わった後でも、この小さな刃はその志をチラつかせてくれるのです。
 他にも新アイテムが装備に加わりました。マグライトと手ぶくろとライターです。
 いつでもポケットから、シャッキーンと取り出せるようになっています。ネックウォーマーもカバンの中に詰めました。

 そして、再び杖を握り締め、帽子の下から次の目的地を見つめます。

 さて、念願のオーロラガイドの任務をまっとうしたこの次は・・・。

 ロッキー山脈の入り口の街バンフへ再び戻ります。
 バンフにてマッサージ治療院を開業するのです。
 人生、初めての自営業。果たしてうまくいくのでしょうか?

 日本で使っていた白衣も届いたことだし、特価で売られていたスケートボードも買いました。
 スケートボードでこけても、事業ではこけないようがんばります。

 それでは、SEE−−YAA−−−−−−−−−−
                         FROM まさし

*カナディアンEXのHP*
 http://www.aurora-tour.com/