Hello− イエローナイフでのオーロラガイドという任務を終了して、再びロッキー山脈の入り口の街バンフに戻ってきたまさしです。
僕がバンフに戻ってきたのは5月中旬。暖かくなってきたとはいえ、周りの山にはまだ雪が積もり、スノーボーダーやスキーヤー達が最後のひと滑りしようと、板を片手に歩いている姿を目にします。
バンフはウィンタースポーツのメッカなので、みんな自宅からブーツをはき、板を片手に歩いてバス停まで行きます。そして、バスに乗るとスキー場までは近くて10分、遠くて40分といったところです。
イエローナイフから帰ってきた僕には、「夏か!?」と思えるほど、暖かく感じました。
これから数ヶ月は、バンフで生活するので、新しい家を見つけなくてはいけません。とりあえずユースホテルに宿り、バンフの空き部屋状況を探ることにしました。
チェックインの時間までまだまだ時間があったので、散歩に出かけることにしました。
向かった場所は、お花畑。
ここは、一年前バンフに来てまだ間もなかった頃、オーロラガイドの面接を城のように大きいバンフスプリングスホテルで受けた帰りに寄った場所でした。
あの時の心情は、
未知なる仕事に不安を抱え、本当に自分が目指してもいい道なのか?
と悩んでいたのでした。
お客さんを乗せての右車線左ハンドルの大型車の運転にも恐怖感を感じ、海外傷害保険にも入っていない僕は、事故ったが最後、旅の計画さえもオジャンになりかねなかった危険な選択に頭を抱えていたのでした。
このお花畑のすぐ横にある芝生に寝転んで考えた僕は、
「”ズバッ!”ときたのならしょうがない」
そう言い放ち、目の前の道を進むことを決めたのでした。
あれから約一年後。
何事もなく経験と技術だけを身につけて、再びこの場所に戻ってきました。
芝生にバサっと飛び込み、あの時と同じようにゴロンと仰向けになり、空を見上げました。
「関門をくぐるということは、こういうことなのだ」
そう実感しながら、初めての旅、オーストラリアの集大成であったエアーズロックの上で日の出を見ながら、湧き上がった熱い心情と重ねながら、あの時と同じ台詞がこぼれました。
「これからも旅をつづけよう」と。
気づかないうちにそのまま眠ってしまい、しばらくして目を覚ました頃にはチェックインできる時間をとっくに過ぎていました。
この日のバンフの気温は、マイナス10度。外で昼寝をするにはちょっと低い温度ですが、イエローナイフ帰りの僕にはとっても快適でした。
イエローナイフを出た今、自分の変態レベルがまだ少し上がっていたことにこの場で気づきました。
さて、今回バンフに戻ってきた目的は、
”マッサージ治療院の開業”。これ1本です。
そして、この仕事の収入で次の旅の資金を作っていかなくてはいけないのです。
この時点で僕の手持ちの残高は、日本から持参してきた40万円。
カナダの銀行にある貯金は、$2000を切っていました。
実はオーロラガイドの仕事ではほとんどお金を貯めることができなかったのです。
「経験をお金でカッタノダ、買ったのだぁー!!」
と、後頭部をバシバシはたきながら、自分にそう言い聞かせましたが、やっぱり現実問題お金がなければ旅はできません。この先最低2年ぐらいは旅が続くのですから。
ふんどぉうりゃぁーぁぁーっ!!
と、気合を入れなおして、次なる関門をにらみつけます。
「お金かっ・・・ないのなら、・・・稼いでやろうぞ ホトトギス!」
この瞬間、僕は自分の目が「$」マークになっていることに気がついたので、慌てて手の平でこすり消し、いつもの ”くどい中にも温もりあふれる眼差し” に戻して、
「自営業かっ・・・やるのなら、・・・成功させようぞ ホトトギス!」
そう関門に挑む闘志に替えて燃え上がらせました。
とりあえず、自分の生活を整えなくては仕事もへったくれもありませんので、家探しをし始めました。
この時期はどこの家もすでに人が入ってしまっていて、家探しには一年の中でも最も難しい時期だと言われていました。本腰を入れて探さなくっちゃと思いながら、街をタッタカ歩いていたら、聞き覚えのある声に呼び止められました。声の主は、以前バンフに住んでいた時のシェアメイトでした。
そうです。「クーガーアコモ」のメンバーです。
久々の再会。互いの元気な様子を確かめ合った後で、僕の家探し現状を話すと、
「ちょうどよかった。今、私の家はシェアメイト達が全員出て行ったばかりで、今住んでいるのは私と彼氏だけだから泊まりに来てよ」と。
キラン☆計画どぉぉーりっ! ってウソつけ。
早速翌日から彼女達の家に移りました。
この家は今月末までで他の新しいオーナーの手に渡ってしまうということで、今月中に全員が出て行かなくてはいけないのですが、今月分の家賃は住人全員がもうすでに払ってあり、今月末まで住んでいてもいいのでした。
にもかかわらず、僕の元シェアメイトカップル以外の人々は全員出て行ってしまったので、部屋が2つも空き部屋になっているのでした。
僕にとっては好都合です。
しかし、ここに一つ問題がありました。
この家を次の人に渡す前に、当然の事かもしれませんが、大掃除してから受け渡しをしなければいけないのです。
しかし、すでに出て行ってしまった住人は掃除をしないまま自分の部屋だけ片付け、ずらかってしまったのです。さすがにこういう所がカナダ人ですね。
しかも、そのずらかった住人が時々現われたりもするのですが、彼らの言い分は、
「もう、掃除したよ」
というのです。
しかし実際は、家具の一部がなくなっただけで悲惨なありさまでした。このままでは最後に出て行く元シェアメイトのカップルが今も住んでいる以上全部を掃除しなくてはいけません。
そーこーで、「泊めてもらうお礼に僕がこの家を掃除するよ」
ダダンッ! A型役者の再登場です。
「クーガーアコモの件、忘れたとは言わせないよ。僕は掃除が得意なのだ」
よっ、名俳優!
僕の掃除技術は、イエローナイフのカナディアンEXでの驚異的な掃除方法の中でもまれ、さらにレベルアップしていたのでした。
「大掃除縁、ここにあり!」
と言い聞かせて、修業の成果を試す時が早くもきたのです。
やりたかないけど、やらなくっちゃ!
はい、やりました。
さて結果は・・・?
自分で言ってやるぜ、
「Good job!マサシ☆」
なんだか半年前と言ってることとやってることが、ほとんど変ってないですね。
なにはともあれ、生き返ったこの住居、残りわずかの期間ですが、自分の家のように使わせてもらいました。そこに嬉しい知らせが入ってきました。
元クーガーアコモメンバー達は、ここに残っている彼女以外はみんなそれぞれの旅行に行ってバンフにいなかったのですが、バラバラの日程ではあるけれど、近々一人ずつ帰ってくるとの連絡が入ったのです。
全員家を引き払ってバンフも出て行ったので、自分の帰る家はありません。
「まったく、しょーがないなー」
自分のことを棚に上げていることに気付きながら、あさっての方向を見つめながらほざくのです。
それから数日後、次々と帰ってくる元同居人達を迎え、しばしのクーガーメンバーとの共同生活を始めました。
掃除した甲斐がありました。
マスクラットストリートにあるこの家は、一時的にクーガーアコモとなったのでした。
懐かしさを味わっていたのも束の間。再会した面々はヴィザの期限が切れてしまうという理由で、一人また一人と帰国していきました。
これは、海外で出会った者の間では避けられない別れなのです。一時的なクーガーアコモは、再びマスクラットアコモへと戻っていきました。
そして、僕もいつまでもここにいるわけにはいきません。この家には期限があるので、一刻も早く家を見つけなければいけないのです。今までも新聞や掲示板の貼り紙で片っ端から探していたのですが、なんと50軒も断られたのです。
理由は、僕の滞在期間が”3ヶ月間”と短いこと。
そしてもう一つは、「男だから」というこの2つの理由で断られ続けたのです。
「女性希望」という家は結構多いのです。
なぜ、僕の滞在期間が3ヶ月と決まっていたかというと、僕はカナダにワーキングホリデー、略して「ワーホリ」として入国してきました。ワーホリヴィザは1年で切れてしまうのでもうそろそろなのですが、延長できるので最高延長期間である6ヶ月延長をすることにしたのです。もう3ヶ月くらい働いて残りの3ヶ月をアラスカと東カナダを回るのに使い、そのまま次の国であるアメリカに足を踏み入れるという計画でした。
このバンフ滞在後、再び移動生活が始まるので、定住期間になんとしてでもお金を稼いでおかなくてはいけません。
それにしてもそんな大事な資金稼ぎの期間に、初めての自営業なんかに挑戦してもよかったのでしょうか?
これも十分”バクチ”でした。
ここでお金が入らなかったら、旅の中で行けない所が増え、期間も必然的に短くなるのですから、肩書き『旅人』としては、これほど痛いことはありません。
しかしながら、この道を行くことに決めたのです。
この自営業の経験は、関門としてどうしてもくぐっておきたかったのです。
僕は、『商』にはなれない男だと思います。
はっきり言って、商いはお金にもっと執着心を持っている人が向いていると思います。
僕は経験には貪欲ですが、お金に関してはすぐに満足してしまうのです。
「これだけあれば、十分かなー」と。
そんな僕だからこそ、男として一生に一度は社長になってみたかったのです。
従業員はもちろんいませんが、自分の判断がすべてに直接影響をもたらすポジションについてみたかったのです。
さっきから、「〜してみたかったのです」という言葉が続いていますが、こんな僕は「子供」なのでしょうか?
それとも、自分の道を自分で切り開いて歩いている「大人」なのでしょうか?
それとも、目先の事しか見えてない「頭の悪い人」なのでしょうか?
答えは・・・まだ小僧の僕には答えられません。
少なくとも『頭の悪い子供』ではないと思っています。
誰だって将来設計のきちんとできている『頭のいい大人』でありたいと思うかもしれませんが、『頭のいい大人』が本当に充実した人生を送っているかというと、そうでもないと思います。
特に僕の場合は、”偉人の仲間入り”を勝手に目指していますので、低い基準で満足しているわけにはいかないのです。
とりあえず今の時点では『興味深い大人』を目指し、片っ端から関門に飛び込んでいこうと思います。
どんな大人になるかは、僕が一番楽しみにしているのです。
「ちょっとこのバカ息子!何が”偉人の仲間入り”? バカなこと言わないで、公務員にでもなって早く人並みの生活をしてちょうだい! ったく、いつまでたっても子供なんだから・・・」
あぁー・・・、親から見たら、いつまでたってもバカ息子です。
そんなこんなで、とうとう次の家が見つからないままこの「マスクラットアコモ」を出なければいけない期限がきてしまいました。
そんな僕は「家なき子」になってしまいました。
自分の家がなく、外に出される気分は悲しいものです。ある意味なかなかない経験ですよね。
しかし、「捨てる神あらば、拾う神あり」とは言ったもので、その翌日にはすぐに家が見つかったのです。家賃は、僕の予定金額を越えていましたが、選択の余地はありませんでした。
とはいえ、やっぱり値段は値段だけあって環境はよく、僕の希望していた条件はすべてそろっていました。
今回の家探しで一番重きを置いていた条件が、
”来客を泊めてあげられること”
だったのです。
今回のバンフ滞在期間中には、僕の家族を始めいろんな人が僕を尋ねてバンフまで来てくれるという話があがっていたので、ここだけは譲れなかったのでした。定住することが少ない僕を捕まえるのはこういう時ぐらいしかないのです。
自分の部屋に、シャワー、トイレ、自分専用の出入口まであったので、来客にも最適な部屋でした。
いい機会なので、僕の友達だけでなくバンフに来る予定のある人を誰でもかまわず泊めまくることにしました。
主に友人なのですが、会った事もない友人の友人でもお構いなしに引き受けました。旅人として人の家に泊めてもらうことが多いので、せめて自分の家がある期間ぐらいはできる限りの恩返しを世間に対してしておきたいと思ったのです。
この家はバンフで最も由緒あるホテル「バンフスプリングスホテル」のスタッフアコモデーション(社宅)で、たまたま空いている部屋を一般に貸し出ししたところ、すぐに食いついたのが僕だったのです。
そうです。バンフスプリングスホテルの敷地内にあるこの家の目の前には、オーロラガイドの面接をしたあの「魔女の城」がそびえ建っているのでした。
当時はズガドォーーン!と巨大に見えた城ですが、今こうして見てみるとそれほど特に威圧感のあるものでもないようにも映りました。人の心情というのは目に映るものさえも変えてしまうものなのですね。
この家に住んでいるのはカナダ人3人とオーストラリア人4人の7人、そこに僕を加えた計8人の大シェアハウス。さらに猫までいて8人と1匹の新しい生活が始まりました。
家が決まれば、次は仕事です。
どんなマッサージをして、何時間、いくらで、どういったスタイルでお客さんと接し、どう宣伝するか?
問題はたっぷりありますが、逆に言えば全部自分で決められるのです。
まずは、自分の中での「テーマ」から。
こいつは大切なことですよ。
せっかくこの街に来たのだから、自分がこの街にいた証と影響を多くの人に残していきたいと考えました。
ただ肩もんで、「あー、気持ちよかった」と言わせるだけじゃなく、僕と接したことによりその後もその人に何か残るようにしたいのです。
テーマは『お客さんに影響を与える』。こいつに決めました。
なんだか漠然とした、一見わけのわからんテーマですね。
そこで、ただのマッサージ師ではなく、マッサージ治療師として治療をメインとした接客をしていくことにしたのです。
だから、できる限りの多くの人に接したいとはいえ、1人にかける時間を長くしました。
料金はみんなにマッサージのチャンスが行き届くようにできるだけ安く。サービスは最高のサービスを。
あれっ?1人に時間をかけて、料金を安くしたら、合計収入がとっても低いものになるのでは?
やっぱり僕は「商」には向いていません。
しかし、そこを何とかして僕の旅が成り立つだけの最低金額を集めなければなりません。
最低金額をはじき出し料金を設定しました。
バンフのマッサージショップの平均は、1時間$60〜75です。もちろんカナダドルです。
日本も1分100円計算の、30分=3000円、1時間=6000円が相場なので、同じようなものです。
そこで僕の料金は、どんなに長く延長したとしても、$30以上はもらわないことにしました。
これが僕がはじき出した最低料金です。
そして、お客さんの家まで行き、マッサージをして帰る「出張スタイル」にしました。
「マッサージを受けた後、車を運転して家まで帰るのが辛いんだよね。そのまま寝てしまいたいのに」
という意見を参考にしました。
これなら僕も場所を用意しなくてもいいし、何より自分達の家でマッサージをしてもらうほうが受ける側にとってリラックスできる環境であると思ったからです。
あらかじめシャワーでも浴びておいて、マッサージ後すぐに自分の家で眠ることができるのです。もちろん出張料金は取りません。お客さんの回転数は、当然減ってしまいますし、自分が移動しなくてはいけないので厳しいところもありますが、これが僕なりの最高のサービスなのです。
マッサージ自体は、基本を「日本式指圧」を中心にしてメディカルマッサージをしていきます。
そこに中国式、タイ式、インドアーユルヴェーダと今まで学んできた各国のマッサージのいいとこ取りをしており混ぜ、そこに合気道を始めとした武道技やヨガを加えていくことにしました。
そして、お客さんの体調次第で時間が作れれば、足ツボマッサ−ジ、リンパマッサージ、頭マッサージ、フェイシャルマッサージなどもしていくことにしました。体の一部しかこっていない人や健康だけどマッサージ好きという人は、どうにでもメニューを作り変えることができるのです。
今になり思います。いろんなマッサージを学んでおいてよかった。
初診のみマッサージ後「診察時間」を作って、その人の体の特徴を探っていきます。
その後に診察発表として、頭から足裏まで箇所箇所の気になる所を説明して、全体での総合発表を伝えます。
この診察の後にその人の体の特徴を考慮した、僕からできる「健康アドバイス」として体を壊した原因や姿勢などのこれから意識していった方がいいことについてここで説明します。
これら「診察時間」と「健康アドバイス」は初診の時だけで十分ですので、二診目からは、その分マッサージを長くしてあげるのです。
そして最後に、これから具体的にどうしていったらいいのか? ということで、ストレッチや体操の講習のをするのです。
この講習をすることによって、僕がいなくなった後でも自分で体調を整えていくことができるというのが狙いでした。
このストレッチは、毎回一つずつ宿題のように出すことにしました。
一度に何種類を教えたところで絶対に続かないので、
「これだけでいいから、続けてやって下さい」
と最初に一つだけ教え、約一週間から2週間の間をあけて、習慣になってきたかな、という頃に次のストレッチを今までのストレッチに加えていく。
この繰り返しによって、少しずつ毎日ストレッチにかける時間を増やしていってもらうのです。
出した宿題を三日坊主でやめてしまい、前回のストレッチを忘れてしまう人もいるので、「前回の復習」もすることにしました。
僕もプロの端くれですので、
その人が毎日その課題を続けていけるのか?
サボっているのか?
それぐらいは見れば分かるのです。
これらのメニューを全てこなそうとすると、当然時間が長くかかってしまいます。
しかし、これはどうしようもないことでここで手を抜いてしまっては、人に影響を与えることなんて到底できないのです。
一人当たりに費やす時間、これを決めるのに迷いました。
マッサージは最近1時間30分以上はしてあげたいです。もちろん全身マッサージで、一部だけをもみ続けるわけではないので必要以上にもみ過ぎているわけでもないし、本当にしっかり全身マッサージをすると、この程度の時間はあっという間に過ぎてしまいます。
だからもみ過ぎでもないし、ましてや「もみ返し」にしてしまうほど僕はヘタクソではありません。
よく「肩だけが凝ってるから、他の所はマッサージしなくていいから、肩だけお願いできますか? その分安くできますか?」
と聞かれるのですが、一部だけ短時間の中でほぐしても効果は薄く、気休めにしかならないのです。
日本のクイックマッサージが典型的で、短い時間でとりあえずのマッサージをしてごまかし、その中でお客さんを納得させなくてはいけないので『圧(押す力)』も強くする、すると筋肉に負担がかかり過ぎて「もみ返し」になるのです。
それに短い時間で設定するとお客さんが時間を気にしてしまいます。
30分3000円などという料金設定の中で仮にマッサージ師がちょっと手を止めるようなことがあったら、
「ちょっと1分100円払っているんだから、手を休めないでよ!」
と些細なことも気になってしまいます。自分の家で人目と時間を気にすることなく、時間をかけていいマッサージを全身にする。
人間の体は、全部の箇所がつながっていますし、精神もつながっているのです。
ということでこれまでのことをまとめてみると、
初診
『マッサージ 約1時間30分』
『診察』
『健康アドバイス各種』
『ストレッチ講習』
二診目以降
『マッサージ 約2時間』
『ストレッチ復習』
『ストレッチの追加講習』
ここまでのメニューを3時間以内で終わらせ、料金は$30です。
他のマッサージショップと比較すると、マッサージ時間だけで見ても、倍の時間をかけているのに、料金は半額以下なのです。しかも出張しているのにです。
これが僕なりの限界でした。
一人につき3時間の拘束時間を取っているので、一日にできる人数も3人できればいいとこです。
日中働いている人がほとんどですし、朝や昼間からマッサージをする人はほとんどいないので、開業時間も後にずらすようにして、遅めに設定しました。
午後の3時、6時、9時の3コマの時間帯に早い者順で予約を埋めていくことにしました。
3時からのマッサージが終わり次第、6時のマッサージに間に合うように移動する。これは狭いバンフだからこそ可能となった組み方です。
移動手段は、本当はイエローナイフで手に入れたスケートボード、略してスケボーを使うつもりだったのですが、バンフに来てたった一ヶ月で盗まれてしまったので、前回のバンフ滞在中に手に入れたローラーブレードを再び使うことになりました。
こんな感じのサイクルとスタイルで仕事をしていくことに決めました。
さて、問題は「どうやってお客さんを取っていくのか?」
これが一番重要ポイントかもしれません。
バンフは狭い街なのでウワサはすぐに広まります。
ですので、単純にチラシを作り、掲示板に張ることにしました。
ここでひっかかってくることは、
「どこまで宣伝していいのか?」
でした。
カナダは医療系の資格にとても厳しく、他の国の免許や資格を持っていても、カナダでは無効だし、書き換えもできないのです。就労ヴィザかワーキングホリデーヴィザという次元の話ではないのです。
しかも、僕はトドメの観光ヴィザ。働いてお金を稼ぐこと自体違法行為なのです。
マッサージ料金にも問題があります。他店と比べて「時間が倍の、料金半額以下」というのは業界の”価格破壊”であり、営業妨害にもつながります。
敵が増えること間違いなしです。
そーこーで、「オマエはどうする? 紙一重犯罪者!」
学歴は乏しいが、小ざかしい知恵にあふれている僕はこんな手段を取ることにしました。
まずはチラシは全て日本語で書く、そこにボールペンによって
「$30をチップという形で頂いてます」
と付け加えるのです。
「基本的には、ボランティアとして無料でマッサージ活動をしているが、感謝の気持ちとしてお小遣い感覚でチップを頂く」
そういう設定にしたのです。
しかも、念には念を入れて、料金だけを印刷ではなく、手書きにしてあるので、いざとなればしらを切り通せます。
「えっ、何この$30って? いったい誰がこんなこと付け加えたのかなー? こっちはボランティアでやっているのに。まったくこまっちゃうなー」ってね。
あぁ、なんとしらじらしい。
英文のチラシではないので、現地のカナダ人は読めません。
現地でマッサージ業をしている人はほとんどカナダ人なので、基本的には日本人なら大丈夫です。
でも油断するわけにはいきません。そういうのを妬んで報告して喜ぶ、俗に言う「チクリ」が時々あるようなので、できるだけ敵を作らないようにしなけらばいけません。
もちろんカナダ人を始めとしたその他の国の人もマッサージしますが、この場合は誰か知った人の紹介という形になるでしょう。
チラシの構成にも迷いました。
「どういったチラシがみんなの目に留まり、宣伝効果が高いのか?」と。
マッサージを希望するお客さんは、8割が女性です。
男性のマッサージ師、しかも出張スタイルということなので、自分の家の中へ入れることになります。そうなると誰でも警戒しますよね。
だからと言ってあまりにかしこまっていてもインパクトに欠けてしまい、人の目には留まらないような気がしました。
そーこーで、思い切ってめちゃくちゃ怪しいチラシを作ることにしました。
読んだ人の記憶に残り、あわよくば話題にまで上がるようなインパクトのあるチラシを作ることにしました。
こうすることによって、
「ねぇねぇ、ちょっとこのチラシ見て見て!」とか
「あの怪しいチラシ見た?」
と、とりあえずは広まると思いました。
「怪しさで広まってもダメじゃないの?」と思いがちなのですが、とりあえず目立てばいいのです。
バンフの狭いコミニティーをふんだんに生かした作戦でした。
しかもパッと見ても目立つように『子犬ちゃん』の顔シールを四隅に貼り付け印刷しました。
テレビ局が使う業界戦法に、
「視聴率を当たり障りなく稼ぐなら、動物か子供ネタを使え!」
というのがあると、どこかで耳にしたことがあったので、怪しげな文面の周りに、マッサージにまったく関係のない子犬ちゃん達を飾りつけたのです。
こうして出来上がったチラシがこちらです。
このチラシと友人達の口コミ命で広めていきました。
そんなこんなで一応下準備は整いましたが、すぐにお客さんが来るわけありません。
最初はすごく暇でした。
この暇な時間ももったいないので、友人同士の飲み会に顔を出して、名刺代わりにチラシを渡してきたり、バンフで経営を営んでいる日系の会社が企画している毎年恒例のゴミ拾い参加したりしました。
バンフでこれから仕事をしていく上で同じ日本人住人達に対して、そしてこの街自体への挨拶がわりとしてこの企画に参加しました。
ちょっと残念だったことは、参加者全員が日系会社の社員で強制参加であり、一般参加の人がなんと僕一人だけだったのです。
どうやらゴミ拾いが目的というよりも会社同士の”新入社員の顔見せ”といったところでしょうか。
とってもステキな企画になので、もっと一般に広まるようにすればいいのにと思いながら僕も顔を広めてきました。
これ以外にもトレッキングに出かけたり、報告メールを書いたりして、毎日をできるだけ充実させようと励んでいました。
シェアメイトの中に、バンフスプリングスホテルのレストランで働いているパテシエ(お菓子職人)が2人もいたので、家の台所にはお菓子作りの道具がやたらとそろっていました。
いい機会なので時間があるうちにお菓子作りを練習することにしました。料理は目分量でなんとでもなるのですが、お菓子作りはそうはいきません。
分量を量り、出来上がりを待つ。ここに、”焼き物”と似たような面白さがあるのです。
しかしながら、だからこそ逆に挑戦してみたなるのです。
「目分量でお菓子を作れるようになってやろう!」と。
というわけで、シェアメイトたちが寝静まった深夜、台所を一人占めしてお菓子作りに励んでいました。
半プータロー、バンザイ!
そんな暇な時期に定期的に入っていた仕事は、知人からの紹介でした。
この知人というのが、僕がバンフでマッサージ業をすることになったきっかけの人で、顔の広い夫婦でした。
この人達自身がマッサージ好きで顧客として毎週予約を入れてくれるのですが、それだけではなく友人を続々と紹介してくれるのでした。
こうして定期的には仕事が入るものの、とても”お金を貯める”とはほど遠い収入しかありませんでした。
そんな中、ワーキングホリデーの人達からこんな意見を耳にしました。
「たしかに2時間近くマッサージしてもらって、$30は安いけど節約に励むワーホリにとっては、ちょっと頼みにくい金額だよね」と。
僕もオーストラリアでどん底のビンボーワーホリ経験者ですし、カナダでも似たようなものなのでその気持ちはわかります。金に困っている人に弱い僕はなんとかしてあげようと思い、思い切ってキャンペーンを企てました。
名づけて、”初回半額キャンペーン!”です。
読んで字のごとし、初回は3時間かけて$15ポッキリというやつです。
すると、こういった話は口コミで早く広がり、次々と友人関係者からの予約が入りました。
しかし、やはり1日3人が最大人数ですし3コマという限られた時間帯の予約が全て埋まることなどほとんどないので、この値段での仕事はかなり厳しいものがありました。最初のひと月が過ぎ去り、家の家賃を払う時に収入と出費を計算してみると、家賃を払っただけなのに赤字なってしまいました。
これでは、事業失敗です。
その月限りで”初回半額キャンペーン”は中止せざるを得ませんでした。
しかし、そんな落ち込みかけた矢先に何本もの電話が入ってくるようになりました。
その内容は、マッサージについての質問でした。
「チラシを見ましたが、マッサージキャリアはどれくらいあるんですか?」
「資格はもっているんですか?」など、
当然であり、答えにくい質問に加え、
「マッサージ時間を1時間にして、もっと安い料金でやってくれませんか?」というものがあれば、
「1時間半のマッサージで、さらに診察や講習時間までついてくるのに、この値段なんですか? なんだか安すぎて怪しいですよ」
と、言ってくる人もいました。
さらに、
「あなたは自分の技術をそんなに安売りするもんじゃないですよ」
と説教してくる人もいました。
とりあえず、キャリアはマッサージを始めた時から、数えて5年ほどと答え、資格らしい資格はタイで取ったくらいものでしかないけど、接骨院の勤務経験やアジアの国々で技術交換として実践経験を積んできたことを説明してわかってもらいました。
出張スタイルのため、時間を短くして薄利多売にすればするほど、移動時間に時間を費やしてしまうし、何よりマッサージというのは凝ってる部分だけをほぐしても効果はほとんどないので、体のためにも時間を短くするわけにはいかないことを説明するのです。
さすがに「安すぎて怪しい」という人には、「では、もっとお金ちょうだいな」とは言えませんでしたので、料金を下げている理由を話し、「むしろ気に入らなかったら、お代は頂きません」とまで言って納得してもらうのでした。
中にはこんな質問もありました。
「どこか他のマッサージ店で全裸にならなくちゃいけないところがあると聞いたのですが、マサシさんのマッサージも服を脱がなくちゃいけないんですか?」と。
「こっちとら日本人相手に商売しているのに、男の僕が全裸条件なんかに出した日にゃ〜、お客さん、来るわけねぇーっつーの!」とは言えるはずもなく、
「いえいえ、服はもちろん来たままで結構ですよ。僕は特にオイルなども使いませんし、それどころかあまりにも地肌が露出している服装ですと、マッサージがしにくいですのでバスタオルを被せているくらいですよ」
と冷静に受け答えしました。
まったくいろんなお客さんがいるものです。
そんな中、7月1日になりました。
毎年7月1日は”カナダ・デー(Canada day)”といって、カナダの建国記念日です。
普段からカナダの国旗がやたら目につくカナダですが、この日ばかりはその数が数倍にも増え、街中がカナダ国旗だらけになるのです。カナダ一のお祭りと言っても過言ではないほどに、パレードや花火も上がります。
お祭り騒ぎを一日楽しみ、夜は花火を見に行きました。
花火と言っても日本のように何千何万発も上げられるわけではなく、手の込んだ花火も上がりません。本当に短い間の小さな花火が毎年上げられるだけなのですが、住民はまだかまだかと、待ち望んで橋の上に所狭しと集まってきます。
この小さな街にこんなにも人がいたのかと、思わせるほどです。
たしかにたいしたことのない花火が15分ほど上げられただけなのですが、僕は本当に満足しました。
まるで大学の学祭で小さいながらも自分達で企画したイベントのように。
世界の中でもトップクラスの先進国である日本生まれ、日本育ちの僕らは人工によるすごいものに見慣れ過ぎています。大自然を除く人間界において、ものすごい衝撃を受けるほどの規模のものは今や限られているのです。
そんな中胸に響くイベントというのは、やはり「想い入れ」に強く左右されます。
世界自然遺産の大自然に囲まれた小さな街で、実際はたいした人数でもないのに所狭しと感じてしまう集まりがあり、全員が一つのものを見つめている。この雰囲気にいつもの澄んだ空気がよりいっそう美味しく感じられました。
帽子の下から群集を一望し、そして再び決意を固めました。
「この中の一人でも多くの人達になんらかの影響を与えよう」と。
そうこうしているうちに願いが届いたか、ちょくちょく仕事が入るようになりました。
夜9時からのマッサージが入ると、帰る頃には深夜0時を回ります。
バンフでは、夜9時以降はローラーブレードやスケボーの使用が禁止されているので、静かに帰るか、自転車を使うこともありました。
なぜ自転車を持っているのにもかかわらずローラーブレードで通勤するのか?
その理由は、若き日の夢にありました。
「将来の夢は何かあるのかな?」
昔よく聞かれた質問でした。
実はいい歳ぶっこいた今でもよく聞かれる質問なんですけどね。
まっ、それはこっちに置いておいて、
「特にありません」
ずっとこう答え続けていました。
しかし思い起こせば、あれは中学生の頃、まだ受験勉強の影さえ見えていない1年生の始めのことでした。
僕の中でものすごく漠然と想い描いていた夢がありました。
それは、
「大学の教授になれたらいいな」
と想っていたのです。
細かい利益をきにするわけでもなく、自分の好きな道の研究をして生きる。
しかも若者に”教える”という立場で教壇に立ち、”道”を説く。
漠然とした夢だったので、
「何の教科を教えるのか?」とか
「どうしたら博士号が取れるのか?」
などの具体的なことはまったく考えていませんでした。
にもかかわらず連想は続きました。
「もし、自分が大学教授になったら、医学部や心理学部であるかは関係なく、必ず白衣を着よう。しかもそれは授業中ではなく、通勤(通学)の時に白衣を着よう」
なぜかそう想いました。
さらに連想は進み、
「白衣の下はローラーブレードを履こう」
そこまで想い描いていました。
白衣姿のローラーブレードで通勤しながら、学生達に挨拶をふりまく。
実は密かにローラーブレードの練習もしてたりなんかして、時々キャンパスの真ん中で小技を披露しちゃうのです。
時には、シャボン玉を吹きながらだったり、時には水鉄砲で学生達を撃っちゃったりなんかして。
紙一重で変態オヤジですよね。
しかし、大学教授というのは紙一重の一面を持っていてもおかしくないようなイメージでしたし、むしろこの大学教授の持つ紙一重さが僕の心を引いていたのでした。
それから月日は流れ、だんだんと現実というものがわかってきました。
そんな小さな夢物語はとうの昔にどこかに追いやられ、押し寄せてくる受験戦争や就職活動の波に巻き込まれ、自分が進むべき方向さえ見失ったのでした。
それからさらに時は流れ、肩書き「旅人」として、方向定まらぬとも歩み続けてきました。
そして今、異国の山の中で、昔想い描いていた大学教授もビックリなほどの紙一重な社会的地位のまま、毎日汗を流している自分がいます。
予想できなかった、非現実的な未来です。
そんな中、ある日の通勤途中、風のささやきで空耳が聴こえてきました。
それは声変わりしたての少年の声で、
「やったねっ!」と。
ふと気がつけば、白衣片手にローラーブレードを走らせ、滑りのいい道を選んでは、小技を練習している自分の姿があったのです。
風が吹き抜けるボウ川の橋の上、足が自然と止まりました。
嬉しいような悲しいような形容しがたい気持ちが、息切れと耳打つ鼓動と同調するように胸から立ちのぼり、口から溢れそうになりました。
思わず歯を食いしばりましたが、なんだかなんでもいいので、ひと吠えしたくなったので、先日花火を見上げたこの橋の上から、口元に両手をあてて一言、
「収入どうしているのさ!? 光ゲンジィ〜!」
はいっ、私はこの程度の人間です。
「幼き夢、形を変えて小さく叶う」
こう思うと、スケボーが盗まれたこととさえ、”縁”に感じてしまします。
なにはともあれ、お客さんからの予約が増えるにつれて、収入が増えていくことは本当に嬉しい限りで「お金が入る」というよりは、「これで旅が先に進む」と受け取れ、お客さんはもちろんのこと街中ですれ違う友人達へのあいさつにもハリが出るのでした。
収入と同時に着実に増えていくことがありました。それは「医学知識」です。
お客さんと接していると、肩こりや体のゆがみなどの専門以外の事でも相談を受けます。
「ヘルニアをどうにかしたいのですが・・・」。
んー、かなり区別しにくいのですが、それは整形外科の分野ですね。
「指をきってしまったのですが・・・」。それは外科ですね。
「風邪を早く治したいのですが・・・」。はぁ、内科ですね。
「胃の調子がどうも・・・」。それも内科ですね。
「タンがのどにからまるのですが・・・」。それもギリギリ内科ですね。
さらに、「親知らずが生えてきて・・・」。間違いなく、歯医者でしょう!
「目が悪いんです。最近特に疲れやすくなってきていて、何とかなるものなんでしょうか?」。
眼科、もしくは視力回復手術?
「転んで以来、物忘れがひどく、頭が痛むこともあり・・・」。
一度、脳外科に診てもらったほうがよろしいじゃないでしょうか?
と、ここまではまだ許容範囲。肩こりに関係してくることもありますので、できる限りのアドバイスをするのですが、さらに
「子供の夜泣きがひどく、食欲も低下してきて・・・」。小児科、もしくは保健所?
「先のことが心配で夜も眠れず、抜け毛もひどくなってきて・・・」。精神科医かカウンセラー?
とどめに、
「左肩が重いんですが、何か憑いてるんじゃ・・・」。それっ、霊媒師でしょっ!
白衣を着ていると、誰もが医者に見えてしまいますが、必ずしもそうではなく、医者でさえ専門が違えば何も答えられないのが実情です。
一見分かりにくいのが「整体」「接骨院」「カイロプラティック」「整形外科」「フィジオテラピー」「気孔」で、「整体」や「カイロプラティック」は骨のズレを治すことが全般。
「整形外科」が神経の異常全般で、「内科」に近く手術などでも治療します。
「接骨院」が筋肉も含めた骨、関節への損傷。骨折や外れた関節をはめる「ほねつぎ」というのは接骨院のこと。
「フィジオテラピー」が理学療法士や作業療法士とともにリハビリを行うところ。
そして、「気孔」が手かざしをしたり、念じるだけで病気を治す、ある意味「魔法」のようなものです。
一般で言う「マッサージ師」というのは、医者ではなく反復練習により、体のほぐし方を身につけただけの職業で、普通は医学知識はまったくないのです。サウナで働いているようなマッサージのおばちゃんや、クイックマッサージやホテルで働いている出張マッサージもこれにあたります。
よくマッサージ師達が言っています。
「時々お客さんの中に、『私はここが悪いんですけど、どうしたらいいですか?』と聞いてくる人がいるけどそんなことわかるわけないよなー、医者じゃあるまいし」と。
そこで、僕はいったい何に属するのかというと、一応接骨院勤務経験もあるし、独学や交換学習でも基礎医学や医療マッサージを勉強してきたので、マッサージ師と接骨院(柔道整復師)の中間みたいなものでしょう。
これに合気道を中心とした武道やヨガによって学んだ「人体構造知識」や「自分の体に対する認識力」が助けとなり、治療へ導くアドバイスができているといった感じです。元々昔から健康マニアということもあり、食事療法や健康豆知識を試したりしていましたので、実体験からのアドバイスもしやすいのです。
しかしながら、ここでの肩書きはあえて「マッサージ師」ということにしておいて
「できる限りの治療はしていくし、健康相談にものりますよ」。
ということにしておいたのです。その方がお客さん側にも病院ではないという意識を持ってくれるので多くを求めてこないのです。
仮に重病人からの連絡を受けても困ってしまいします。
時々、先ほど紹介したような専門外のことを持ちかけられたりもしますけどね。
専門外とは言え、絶対に素人よりは医学知識があると断言できますので、責任がかからない程度に片っ端からなんでも相談にのっているのです。
ここでの僕の強みは「解らない!」と言えることでした。
この言葉は医者と呼ばれる人達にとってはかなり言いにくいことなのです。
なぜならみんなそれぞれ自分の病院を持って、生活をかけて診察しています。
うかつなことは、もちろん言うわけにはいきませんが、すべてを頼って通院して来る患者に対して、簡単に
「わかりません、その病気への対処法は知りません」
とは、言えないのです。
医療系の悪いうわさは広まるのが早いです。しかもかなり大げさに伝わっていくものです。
医者のひと言は、想像よりもはるかに重いのです。
僕でさえ、白衣を受け取る時には、肝に命じられました。
「白衣を着ているのものの言葉は、オマエが考えている以上に重いんだ。うかつな言葉は慎み、いつもヤクザと一問一答しているつもりで患者に口をきけ!」と。
ここでの僕の立場は、肩書き「マッサージ師」で医者ではないし、自分が守る病院も持っていません。
だからこそ言えることはすべて言うし、わからないことや自信のないことにもきっぱりと、
「わかりません、知りません」と言い切れるのでした。
それどころかお客さんに対して、「その病気はなんですか?」と聞き返すことさえあります。
さすがに自分の病気の事なので、やたら詳しい人もいるのです。
お客さん側も専門外の人にダメもとで尋ねているので別にがっかりもしませんし、それで僕の事をさげすんだりする人もいません。
意外にも僕がそのことについて知識が豊富だったり、それなりの対応や的を射た返答をすると、
「いやーさすがですね。何んでも知ってるんですね」
となるのでした。
人間の体は現代医学でも解明されていないことなんて、山ほどあるし、人間に関しての問題解決なんて一生かかっても終わりはないのです。
50、60歳のベテラン医師だって知らないことはたくさんあります。ましてや40歳前の医者なんて誰もが確実に勉強中であり、年々経験を積んでいっているのです。
このことはどの業界でも同じことが言えるのかもしれません。
なにはともあれ、せっかく相談してくれる人がいるのだから、僕もできる限り勉強して力になってあげることにしました。
医学書やインターネットで調べたり、同じ病を持った人に相談したりしていくうちに、僕の医学知識も増えていくのでした。
こういうのを経験というんじゃないでしょうか?
知識、経験も増え、人脈も増え、お金までもらえてしまう。
ただ働きのボランティア活動の時と比べたら、ありがたいことこの上ありません。
「3ヶ月だけの治療院」。そう予定して始めたこの仕事。
とうとう最後の月がやってきました。
2ヶ月前とは、比べものにならないほどの忙しさに嬉しい悲鳴も上がります。
お客さんを診察していくうちに、お客さん達の体調やその後の経過が気になってたまらなくなってきました。
それと同時に、
「なんとかもう少し診察を続けてもらえませんか?」
と言ってくれる声も上がってきました。
本当に嬉しい限りです。
そーこーで、「オマエはどうする? なんちゃってドクター!」
「旅人には別れや区切りはつきものさっ」
とたいして貯まっていないお金を切り詰め、行きたい所を大幅に削って出発してしてしまうのか?
それとも働く期間を延長して区切りのいいところまで様子をみて、この機会にもう少し知識を伸ばすか? お金も貯まる。
答えは・・・、
決まっていました。というよりは、自分の気持ちが傾いていることに気付いたのです。
こんなに自分を必要としてくれる人達がいる。その想いになんとか答えていきたくなったのです。
悩んだ末、滞在を延長することに決めました。
一つだけ譲れないことがありました。予定していたアラスカと東カナダの旅です。
アラスカは9月半ばを過ぎたら、寒すぎて回れない所が増え、旅には適さない場所になります。
東カナダは紅葉が世界的にも有名で、ハイライトである秋。このシーズンを見逃したくないのです。
予定通り8月末でバンフを離れ、アラスカ&東カナダの旅に出発することにしました。
しかし、その後に再びバンフに戻って来ることを約束しました。
人生初めての自営業。ラストスパートを迎え、大忙しです。
なーんて、実は忙しい忙しいと言いながらも、深夜にはお菓子作りに励んでいます。
今一番こっているのが、アップルレモンパイです。
深夜にアップルレモンパイを始めとするブルーベリーパイ、アップルレモンケーキ、バナナブレッド、チョコライスクリスピーなど片っ端から焼き上げては、翌日にお客さんの家に
「お世話になりました&また戻ってきます」
という挨拶をそえて届けています。
僕は今、この一つの大学ほどの大きさの小さな街で眺めのいいキャンパスの中を、白衣片手にローラーブレードで走り回っています。
バンフには、大学は一つもありません。
ですが、僕にとってはとても勉強になるバンフという学校で、もう少し勉強して行こうと思います。
いったいアメリカ大陸を南下し始めるのは、いつになるのでしょう?
とりあえずは、今は目の前に迫ってきたアラスカと北極圏を目指し北上することに集中します。
さて、バンフでの仕事を一時休業して出発したこの次は・・・?
アラスカに入ります。そして北極圏へ。
目的は、「北極海に入ること!」
これ一本です。
それでは、SEE−−YAA−−−−−−−−−−
FROM まさし