Hello− カナダ滞在中、カナディアンロッキー山脈の入口の街バンフにて開業したマッサージ治療院が思いのほか成功してしまったので、引き続きバンフに残ってしばらくの間働くことを決めたのですが、その前に北極圏を含めたアラスカと東カナダを回るプチジャーニーに出発したまさしです。
バンフでの生活にひと区切りをつけて、今まで住んでいたバンフスプリングホテルのスタッフアコモデーション(社宅)の家も引き払ってしましました。
すぐにでも「いざアラスカへ!」と思いきや、ここで嬉しい連絡が入りました。
オーロラガイドの同輩である僕の相方KAZOOが奥さんと一緒にバンフに遊びに来るというのです。
KAZOO夫婦は西の都バンクーバーに住んでいました。
実は1ヶ月前にも2人はバンフを訪れ、隣街のカルガリーで毎年開かれる世界最大規模のカウボーイ達の祭典”スタンピード”へ一緒に行ってきました。
その時に僕の家に滞在しながらバンフ近郊を観光して回ったのですが、2人はすっかりバンフが気に入ってしまい、今回はバンフだけでなく、「アイスフィールド・パークウェイ」というバンフから北上してカナディアンロッキー山脈の中を突き抜けていく美しい道があり、途中氷河や湖を見ることができるカナディアンロッキー山脈観光のハイライトとなっているので、この道を通り抜け「アイスフィールド・パークウェイ」終点の街ジャスパーまで行こうという予定なのです。
このジャスパーもバンフと同じくらい人気の高い美しい街で、見所もたくさんあるため、ジャスパー周辺も回ってからバンクーバーに帰るという流れでいくことになったのです。
ちょうどいいので僕は、KAZOO夫婦がバンクーバーに帰る車に便乗してバンフからバンクーバーまでの移動をすることにしました。
アラスカへは、バンクーバーから北上して陸路で入国するか、もしくはバンクーバー近郊から船で入国しようと思っていたのです。
そんなこんなで、KAZOO夫婦と共にまずは、ジャスパーに向けて出発することになりました。
バンフ出発後、アイスフィールド・パークウェイの見所に立ち寄りながら、一日かけてジャスパーに到着しました。
ジャスパーでは、待ち合わせしている人がいました。
名前を「ミドリ」さんといい、彼女とはオーストラリアのアデレードでアップルピッキング(りんご収穫作業)をして共に働いた仕事仲間でした。
その後もリフト(車を乗り合い、ガソリン代を割り勘しながら、共に旅をする方法)で西オーストラリアのブルームまで移動したため、結局オーストラリア半周を共にしてしまった気の知れた仲間なのです。
オーストラリア後も日本に帰国した短い期間に合わせるようにして何度か再会をしたのですが、ここ最近めっきり連絡を絶っていたのでした。そんな中ある日ミドリさんメールが届きました。
「お久しぶり。私は今カナダのジャスパーという街でツアーガイドとして働いています。まさしくんは一体どこで何をしているのでしょう?」と。
ちょっとビックリしました。
世界は広いが、世間は狭いのです。
「バンフでマッサージ師として働いています」
という内容メールを返信して、近々再会しようと約束し、今回ジャスパーに行くいい機会ができたので、ミドリさん宅にお邪魔することになったのです。
ミドリさんは、職場の同僚達とシェア暮らしをしていました。
つまり、全員ロッキーガイドです。みんないい人で日替わりで案内してくれたり、情報をくれたりして、ガイドチャーター状態の効率のいい滞在期間を過ごしました。
ミドリさんは僕だけでなく、初対面のKAZOO夫婦も自分の部屋に泊めてくれました。
所狭しの寝袋状態でのざこ寝状態です。こういうのを許してくれるところがあたりがミドリさんはやっぱりバックパッカーなのです。
バックパッカー経験のある人との付き合いは、同じバックパッカーとして本当に楽なのです。
昔、歌手になることが夢だったミドリさんは、ふとした時にすぐ歌を口ずさみます。
しかし、すぐに歌詞を忘れ、急に鼻歌になったり、曲の続きを忘れたのかブチブチと切れ、先に飛んだりするので、音飛びのレコードを聴いているような気分にさせるのです。
アップルピッキングで働いている時も、オーストラリアで移動している時も、いつでも彼女の歌を耳にしていました。
懐かしくも、ついこの間のようにも感じられる旅1年目のオーストラリアを想い出すようなBGMを聴きながら、ジャスパーを堪能し、ロッキー山脈にしばしの別れを告げました。
次の目的地はバンクーバーです。
僕にとっては最初のカナダであるバンクーバー。あれから早1年以上が過ぎていたのですね。
バンクーバーに住んでいるKAZOO夫婦の家は、海が目の前に見えるステキな家でした。
ここに居候させてもらいながら、アラスカの行き方を考えていました。
そこにオーロラ会社カナディアンEXで共に働いた同輩アシスタントガイドの子が偶然訪れて来ました。彼女のガイドネームは「ホリピー」といい、今シーズンもアシスタントガイドとしてイエローナイフに戻るのですが、その前にどこかカナダ国内の旅行でもしようかと、早めにカナダに来ていたのでした。
そこでKAZOO夫婦に挨拶しようと訪ねて来たのでした。
これからアラスカ&北極圏に行くという僕と会い、彼女の心は揺れました。
「私も一緒に行っていいかな?」
オーロラ会社で働くにあたり、同じオーロラタウンであるアラスカ、さらには極北生活経験がある者から見た北極圏というのはたいへん興味がある場所であり、ガイドとしての経験を深めるという意味でも一度は行っておきたい所なのです。
僕としても一人旅より二人旅の方が何かと便利で、安く済むことも多々あるので大歓迎なのですが、いつも行き当たりばったりな旅やヒッチハイクをする僕の旅でも女の子連れとなると、そうも行かないので少しスタイルを変えて旅をしなくてはいけません。
とはいえ、今回の目的は「北極海まで行く」という漠然としたこと一つだけだったので、どうにでもスケジュールの変更は利くし、二人で移動するメリットの方が多くなりそうなので、喜んでこの申し出を受けました。
当初の希望はアラスカに行くならデナリ国立公園のマッキンリー山に登ることと、可能ならば根性を出して、北極点に行けたらいいなーぐらいに思っていました。
しかし、秋であるこの時期はもうすでに寒すぎて、デナリ国立公園への入園は禁止になってしまっていたし、北極点はお金と時間がかかり過ぎるということで、今回の挑戦はあきらめざるを得ませんでした。
確かにマッキンリーは行こうと思えば、ベストシーズンに合わせていつでも行ける所だし、山はなくならないので急ぐ必要もありません。それ相当の装備も必要なので、マッキンリー目的だけでまたいつか挑戦してもいいぐらいなのです。ただ山を遠くから眺めるだけなら、ロッキー山脈で十分だったのです。
北極点に関しては、そうはいきません。北極点に陸路で行くには、北極海が凍りきった時期を狙わなければならないし、世界トップクラスのプロ冒険家達がスポンサーをつけて最強装備持参で3ヶ月ぐらいかけてやっと到達できる所だったのです。
もちろん大金はたいてツアーとして飛行機で飛んでしまえば、誰でも行けますけどね。
冒険家達が命を懸けて挑戦し、実際に何人もの冒険家が命を失っている北極点到達。極限まで切り詰めた節約の旅をする僕には予算も実力も時間も足りません。これこそ一生変わる事のない場所であり、急ぐ内容でもないので、またいつか通らなければならないような関門として目の前に立ち塞がった時にでも挑戦してみるつもりです。
心置きなく目的を、北極海一本に絞ることができました。
そんなこんなで、限界まで北を目指す二人旅が始まりました。
結局なんだかんだで船もやめ、一番安上がりなバスと二人だからこそ可能となったレンタカーを使うことにしました。
オーロラタウンの一つホワイトホースまでバスで行き、それからレンタカーで陸路国境を越えてアラスカに入る。この方法が最も安く上がるのでした。
バンクーバーからバスに揺られてまる二日、ホワイトホースまでやって来ました。
このホワイトホースでも再会した人がいました。
オーロラ会社カナディアンEXでの先輩オーロラガイド里見さん、通称「トミーさん」でした。
十代の頃からアラスカ好きで何度となく足を運び、現地人の村で生活を送る変った人です。
この時もユーコン川という有名な川をカヌーで下って、カナダからアラスカまで行ってきた帰りで、しばらくホワイトホースに滞在した後、再び今年度のオーロラガイドの仕事をするため、イエローナイフに戻るということでした。
こんなトミーさんだけあって、ホワイトホースという北の僻地での再会であるにも関わらず、とっても自然に感じました。
そんな再会も束の間で、下調べを済ませたら早レンタカーにて出発でした。
ホワイトホースからのアラスカへの道は美しく、時々広大なユーコン川を横目に山あり湖ありの気持ちよくドライブができる道でした。
道のりは単純で、間違えたこともありましたが、出発した同日の深夜には無事アラスカの首都フェアバンクスに到着できました。
時間にも余裕があるわけでないし、アラスカはアメリカ合衆国なので当然USドル、おまけに北の地ということで、物価が高いので長居するわけにはいきません。
さっさと北極海に出れる手筈を見つけて行動に移りたいのでした。
北極海に出る方法は二つありました。
一つは、デンプスターハイウェイという北に向かって、一本道でのびている工業用の道を使ってプルドーベイという街まで陸路で行く方法。
もう一つは、陸路では道がひかれていないので行けないアメリカ大陸最北端の街バローへ飛行機を使っていく方法。このどちらかでした。
いつもの僕なら、飛行機を使わない陸路移動が基本ですので、迷わずデンプスターハイウェイをヒッチハイクでもして、北上しながらプルドーベイを目指すところでしょう。
このデンプスターハイウェイは、工業用にひかれた道路なので、舗装されていないことはもちろんのこと、ひどいデコボコ道なので普通の乗用車では、行ってはいけない道でした。
別に乗用車だと通してくれないと言うことではないのですが、レンタカーを借りる際に、
「絶対にデンプスターハイウェイにはこの車で入るなよ!」
と、きつく釘を刺されていたのでした。
確かに保険に入っているとはいえ、車に何かあったら一体いくらかかるかわかったもんじゃありません。とりあえず僕らが乗ってきた車では、デンプスターハイウェイには入れないのです。トラックを改めてレンタルするか、ツアーに参加するしかないのです。
もう一つ迷わせる理由がありました。
それは、「バロー」という街。
バローはイヌイットが住むアメリカ大陸最北の街です。
この後、アメリカ大陸最南端まで行くことが決まっている僕には、どうせなら最北と最南の両方に行っておきたいのです。
しかも、そのバローには「ポイントバロー」と呼ばれる岬があり、そのポイントバローこそがアメリカ大陸最北端の中の最北端なのです。
ポイントバローはそのまま北極海に消えていきます。そして、北極海が凍りつき北極という巨大な氷の大陸に変っていくのです。
このポイントバローに行ってみたくなったのです。
ひっかかっていることは、やはり「飛行機を使うこと」でした。
飛行機を使えば、誰だってどこだって行くことができます。
「自分はそんなあまちゃんな旅の仕方はしないぞ!」
いつもその視点で地図を見て、旅のルートを決めてきました。
そこまでガンコにならないと、時間やお金がなくなった時に、つい空路の手段を考えてしまう習慣がついてしまうと思ったのです。
それだけは避けなくてはいけないと、自分に言い聞かせているのです。
旅とは本来取り決めも何もないもの。だからこそ自分である程度の取り決めを持っていないと、取りとめどなく方向がズレて行ってしまう可能性を十分に秘めているものなのです。
それも縁だと言ってしまえば、そうかもしれませんが、楽な方や楽しそうな方に流れてしまうような縁の使い方はしたくないのです。自分が決めた「この道」。この道の先に待っている縁の存在を既にビリビリと感じているのです。
今の僕の旅で、空路を手段の一つに入れてしまっては、楽になること間違いなのです。
しかし、今回バローへの道が特別に感じてしまっている理由は、飛行機でしかいけない場所だということでした。
それなら飛行機を使うしかなく、これは甘えとは違うような気がしたのです。
だからこそ迷い始めたのです。
では、デンプスターハイウェイをトラックで行くことが、特別なことかと考えてみると、はっきり言って普通自動車免許さえ持っていれば誰でもいけるのです。
料金はどちらも変りません。どちらかと言うと、時間と滞在費がかさむ分、デンプスターハイウェイを通って、プルドーベイまで行く方が高くついてしまうのです。
そんな迷った僕への最後の一押しとなったのが、ホリピーの存在でした。
「アメリカ大陸最北端か・・・うん、バローに行きたい!」
飛行機を使うことになんの抵抗もなく、それどころかむしろ飛行機が好きなホリピーからしてみたら、わざわざ時間とお金と手間をかけて、ガタガタデコボコ道を走りながら、プルドーベイという小さな工業都市に行く必要はまるでなしですよね。
もっと人数がいて、時間もあれば話は別ですが、今の僕らの状態では、当然の選択かもしれません。その当然の選択ができなかった僕は、ちょっと頭が固くなっていたのかもしれません。
確かに、プルドーベイに行こうと思ったのは、陸路というこだわりのみで、バローという陸の孤島で住むイヌイット達が住む最北の街に興味があったこと、無理矢理押さえ込んでいたことに気付きました。
ホリピーに感謝です。
そうと決まれば、早チケットを買いに行きました。
バロー行きには、とっても都合のいい飛行機が飛んでいました。というよりは、バロー行きのチケットを買うと、もれなくバロー1日観光としてガイド付きの車でバローの街を案内してくれるとのことでした。それに合わせて、飛行機が早朝に一便と夜に一便の一日二便だけ往復しているといった感じです。
早朝の便に乗り、夜の便でフェアバークスに戻ってくることにしました。これならバローでの滞在費も荷物の移動もありません。
そして翌朝、早朝6:00には既に空港にいました。フライト時間は確か2時間ぐらいだったと思います。
飛行機の窓から外の景色を見下ろしていると、次第に緑が減ってきて、ある一定の場所を堺に緑が完全に消えました。これがまさにツンドラ気候です。
北極圏は寒すぎて木が育たない世界なので、緑といえば苔、もしくはわずかな草のみなのです。これには少し驚きました。
知識の上では知っていましたが、実際緑が育たない世界というのはこの世が滅んだ跡のようで、恐怖さえ湧き上がってきました。
戦争なり天候なり何かのウィルスなりで、この世が滅んだ時には、まさにこんな感じなのでしょうね。
ひょっとして人間だけが滅んで、公害等もなくなり、今より青々として世界が広かるようだったら、それはそれでちょっと悲しいですね。
なにはともあれ、初めての北極圏に足を踏み入れました。
空港に到着してしばらくすると、イヌイットの若者が迎えに来ました。
どうやら、彼がガイドのようです。
名前を『ジョー』といい、顔立ちも含めどことなくメロリンQの山本太郎に似ているので、これからは『太郎』と呼ぶことにします。
ジョーでいいっつーの!
そんなメロリンジョーの案内で、最初に行った所が「北極海」。
おいおい、いきなりメインかよっ!と思いきや、
「ここはメインじゃねーよ」、とジョーが言いました。
ただ北極海に出てしまったから、少し止まって見せてあげただけのようです。
次に行った所がお墓立ち並ぶ「墓地」です。
いいセンスしているぜ、ジョー。
ツンドラの水分をたっぷり含んだ大地の上に簡素にも十字架がグッ刺してあるだけのお墓が並んでいました。いくつも斜めに傾いています。
それにしても、こんなこの世の果てのような所に自分のお墓があるのって、どんな気持ちなのでしょうか?どうせなら眺めがいい所とか、もっと人がお参りに来やすい所がいいのかな? とも一瞬思いましたが、きっと彼らはここで生まれ、ここで育ち、ここで死んた人達に違いないので、やっぱり北極海が見えるこの地が一番ふさわしいのかもしれません。
なんだかんだで、ここバローは特別な所なので、ひょっとしたらこの土地の人以外の人もここに埋葬されている可能性も十分考えられます。
「あぁ、わしが死んだら、静かな北の大地にでも埋めてくれんかのぅ。公害もなく、空がきれいで、海が見えれば最高じゃ。これでオーロラなんかが出た日にゃー、わし、死んでもいいわい。ってあれ? そんときにはわし、もう死んじゃってる?!」
みたいな人、きっといるに違いありません。
もし、これが有名人だったらどうでしょうか?
仮に「マイケル・ジャクソン」がここに埋葬されたとしたら、一体どれだけの人がわざわざここを訪れ墓参りしていくのでしょうか?
そして一体その知名度は何年ぐらい続くのでしょうか?
一時的に報道されてたくさんの人達が来たとしても、その後も通いつめたりするのはかなり難しいですよね。
さらには、
「あ〜ん、マイケルがそこに眠っているのなら、私もそこに眠りた〜い」
と考える人も出てくることでしょう。そんな人が相次げば、バローはもう墓だらけ!
ただでさえ「この世の終わり」のような雰囲気漂っているのに、そんな墓ばっかり増えた日にゃ〜、マイケル・ジャクソンだけにまさに「スリラー」。
こうなってしまったら、きっと住民はマイケル・ジャクソンに怒りを持つことでしょう。
「ちくしょーっ、マイケルめ! オマエが余計なことをするからこの街がこんな墓だらけになっちまったじゃねーか! 北極だからって永遠に美しいままの姿を保つ、まさに’氷の館’だなんて勘違いしてんじゃねーぞ! ツンドラの大地ですぐにぐちゃぐちゃブヨブヨだぜ!」
でも考えてみたらマイケル自身には何の否もないはず。彼はただこの地に眠りたいだけで、集まって来たのはファンが勝手にしたことです。しかし、このファン達だって権利はあります。
「なんでここに埋葬されちゃいけないのさ? 個人の自由じゃないの? こっちとらちゃんとお墓の土地代払ってるんだからねっ! どうせ土地あまってるんだし、大自然の中で狩りや漁をして生活しているイヌイットのくせして、細かいことぐだぐだ気にしてんじゃねーよ!」
と言いかねませんよね。
う〜ん、マイケル・ジャクソンだけに、まさに「Who's Bad?」。
って、マイケル・ジャクソン、まだ生きてるっつーの! 一応ね。
さて、もし自分がここに埋葬されたら、一体何人ぐらいの人が手を合わせに、はるばるここまで来てくれるのでしょうね。また、一体誰だったら、わざわざここまで来て手を合わせたくなるのでしょうか?
そんなことを考えている間に、次のスポットに着きました。
そこは、クジラの解体現場でした。
僕がバローに着いた日は、ちょうど捕鯨の解禁日の翌日で12時間前に取れたばかりのクジラを解体している真っ最中でした。しかもこのクジラは約30フィート(約10m)あり、丸々と太っているので過去16年間で一番の大きさだと、みんな喜んでいました。
それにしても、クジラの解体作業はすさまじい光景です。
最初は大まかにぶった切って、トラックで引っ張っていきます。肉塊が大きすぎて人力では、運べないのです。それを何回も繰り返して、クジラが最初に横たわっていた場所を中心に四方八方へと解体された部分が引きずり広げられていくのです。
その引きずり広げられていった肉塊を今度は人力でさばいていきます。
まるで人間が小人みたいです。この光景にはきっとガリバーもビックリです。
そうこうしていくと・・・想像できるでしょうか?
辺り一面血の海で、あちらこちらに生々しい肉塊がゴロついているのです。もちろん本体からは鮮やかな内臓がなだれ出てきています。
僕は、こういったグロテスクな場面は、全然平気なのですが、あまりにリアルな「赤の世界」に驚きました。
この肉塊の周りでイヌイット達が、肉を切り取り持って帰っていきます。
お金を払っているようには見えなかったので、おそらく’欲しい人は持ってけドロボー’状態で、どうせたんまり余るに決まってるんだからって、感じでしょう。
焼肉屋の食べ放題のように、どこかで入場料払ってたら、それこそ民族のイメージ崩れちゃいますよね。
この切った肉をその場でゆでて食べている人達もいました。
どうやらこの解体作業をしている人達の家族のようで、解体には時間がかかるため、早速捕れたてのクジラをおかずに食事の用意をしているのでした。
一切れもらって、僕も食べてみました。味がまったくつけてなく、ただ茹でただけなので美味しいとは感じませんでしたが、柔らかく簡単に噛み切れる割には弾力もある歯ごたえで、例えるなら”柔らかく油っこくない豚の角煮”といったところでしょうか。
普段は節約のため、ほとんど写真を撮らない僕が、このクジラの解体だけはパシャパシャ撮ってしまいました。
ちなみに僕は知らなかったことだったのですが、クジラからまるでホウキのようにたくさんの毛が生えていた部分があったので、
「クジラにも体毛があったんだー」
と思って、一応イヌイット達に尋ねてみると、それは「歯」だというのです。
彼らいわく、クジラの歯は毛ブラシみたいになっていて、噛むというよりはこすような感じで毛と毛の間を通り抜けて、口の中に入ったものが消化されるようなことを説明してくれました。
どこまでが本当かはわかりませんので、興味のある人は勝手に調べてみてください。
再び車に乗り込み、しばらく街を紹介しながら走りました。
病院や警察やスーパーマーケットといったどこの街にも幾つかありそうなものも、この小さな街には全て一つずつしかありません。
一見普通に建てられてあるように見えた家々も近くでよく見ると、高床式住居になっていました。ツンドラの大地はほとんど沼地のように柔らかいので、深くまで杭をしずめて建ててあるんだと思います。
殺風景で小さい街なのですが、歩いて回るには少し距離があるので、車を出してくれて助かりました。
街を回って目についたのは、骨と粗大ゴミでした。
骨は巨大なクジラの骨で、主に海岸沿いに適当な間隔をあけて、いくつも転がってました。
恐竜の骨にも見える海獣の成れの果ての姿。
中には、その骨をアートのように組んだり、飾り立ててある場所もありました。
街中に転がっているのは、巨大な粗大ゴミ。
一見ゴミがそのまま放置してあるただの汚い街にも見えるのですが、一応これには理由があり、こんな辺鄙な場所にある街故に物や道具に対して稀少価値が高く、壊れて役に立たなくなった物であっても簡単には捨てずに、そのものではなくその部品の一部を何か他のものに利用するために残してあるらしいのです。
そう聞くと、粗大ゴミもゴミには見えてこなくなるのが不思議でした。
いい話だなーと一瞬感心してしまいましたが、しばらくして考え直してみると、納得できない点がふつふつと湧き上がってきました。
確かに物を大切し、再利用する姿勢はすばらしいことです。
しかし、だからと言って街中の至る所に放置しっぱなしにするのはどうでしょうか?
僕はよく散らかった部屋にお邪魔することがあります。
別に食べ物が腐っているとかバイキンが繁殖しているということはないのですが、ただ物や服が無造作に散乱した部屋。つまり不潔ではないが、散らかっている状態です。自分にも身に覚えがあるし、気を抜くと掃除をした後でもすぐに散らかってしまうことは誰にでもあることだと思います。
僕自身は来客がある時にでも、片付けるようにしているし、定期的に掃除もしています。
来客がある時でも、基本的に片付けない人もいます。
そういう人の部屋がいいとは、おせじにも思わないです。
まだ自分の部屋だからいいけど、これが公共の場であるなら、なおさら褒めることはできません。バローはまさにこの状態です。
自分の部屋を散らかし放題の人にとっても、散乱している物はゴミではなく必要なものなのです。まったく同じことですよね。
表現方法や伝え方一つで、たいしたことでもないのに聞こえをよくすることはいくらでもできます。
聞こえをよくすることは、ポジティブでもなんでもありません。こういうのを「見破る」というか、客観的にもう一度考え直してみる。その後で、さらにもう一度情を交えた主観で考え直してみる。
この客観と主観の両方で見ることを、誰かが言ってた
「曇りなき眼で見定める」
というヤツではないでしょうか?
これは、何においても当てはめることができ、旅の中においても同じです。
たいしたこともしていないくせに、
「どこどこ行ってきました。どうだすごい経験だろ!」と豪語する人もいます。
例えば、アラスカや北極と聞くと、かなりパンチの効いたネームバリューですが、日本の高校生がバイトで稼いだ程度の金があれば、誰でも来れる所なのです。
”大切なことは、そこへ行くことではなく、そこで何を学んでこれるのか?”
”どれだけ楽しんでこれるか?”
”そしてその経験を何に生かせるか?”
だと思います。
見て来たものを大まかに覚えているけど、すぐに忘れてしまう人がほとんどです。
「暗記する必要は仕事にでも使わない限りないと思いますが、本気で体験すれば記憶に残るはずなのです。
「行った甲斐があった濃度」にここで差が出てくるはずなのです。
今回のプチジャーニーは、先輩オーロラガイドのトミーさんがしていたようなサバイバル技術が必要な旅ではなく、誰にでもできる難易度の低いものです。きっと東カナダの旅もそうなるでしょう。
だからこそ、『視点』 『疑問』 『感受』の3つをフル回転させていかないと関門どころか『休憩所』になってしまうのです。
安全な今回のプチジャーニーでは、その危険が十分にあるので「油断は禁物」と粗大ゴミをいくつも横目で見過ごしながら思いました。
バロー周遊も前半の部を終了し、しばらく自由時間をとった後、再び集合しました。
後半の部はイヌイット達の民族舞踊から始まりました。
床を踏みつけて音を出し、リズムを刻む。そこに太鼓の伴奏が入るのです。
初めて見た踊りだったので楽しめたことと、3歳ぐらいの幼い子供まで踊っていたことに驚きました。
幼い子は、踊りを披露しているというよりは、音楽が鳴ったから叩き込まれた動きを取ってしまった、という感じでした。
ガイドのジョーもここではダンサーとして登場してきました。
彼も子供の頃から、踊りを叩き込まれながら成長しているので、他の若い子供達より上手でした。
まさか こんな一面があったとは。
「メロリンQをぜひやって見せてくれ〜!」
という僕の願いは届くはずもなく舞踏は幕を閉じました。
暗くなる前に、いよいよ今回のハイライトである「ポイントバロー」へ向かいました。
途中クジラの解体をしていた場所を通り過ぎましたが、解体作業はほとんど終了しており、後には血まみれの赤い広場にいくつかの残骸が転がってました。
「白熊が来た時にこういう残骸を食べていくんだよ。」
ジョーは言いました。
白熊は、温かい間は北極点の周辺の氷の上に生息していて、冬に近づき北極海が凍りきると氷の上を渡って、陸地までやって来るのです。北極点にずっといるわけではないし陸にずっといるのでもないのです。
北極とは、主となる大陸がないため、北極点を中心に海が凍った氷の部分と、北半球北部の一部の大陸や島が北極圏内に入っていて、それらが一般に言う「北極」となっているのです。
北極圏の定義は白夜があること。
白夜とは、365日のうち1日でも太陽が沈まない日があれば、そこは白夜のエリアといえ、北極圏内であるということになるのです。
そんなこんなでポイントバローに着きました。
日本語の地図には、『バロー岬』と記されている所です。
さぁ、靴を脱ぎ、ズボンをまくり、覚悟を決めて歩き出しました。
ジャブジャブと膝までつかり、北を見つめます。ついにここまでやって来ました。
アメリカ大陸最北端中の最北端。
しかも今、海に入った瞬間から、アメリカ大陸をほんのちょっぴり抜け出したことになるのです。
「だから なんだ?」
と言わないでください。
旅する者に世間を完全に納得させられるような理由など、全てにおいて持ち合わせていないのですから。
この先、カナダでもう少し働き、その後に南下します。するとアメリカ大陸がぶっ壊れない限り必ず最南端に到着することになります。
今こうして足元の冷たさに耐えながら、北極点があるはずの水平線を見つめています。
こうなることは、必然的に決まっていたことだと、足元から刺すように感じ取れるのです。
海の中とはいえ、冷たさにマヒすることなく、足元にレールの感触がここでもはっきり感じています。
そして少なくとも2年以内には、最南端にいる自分も見えるのです。
もう少し先には、他の大陸の最北南端や山の頂に立っているはずなのですが、今のこの時点では、そこまで見る必要はありません。
さらにもう少し先まで見ることができたなら、人生楽なんでしょうけどね。そう甘くはありません。
北極海に立っていられる時間にもそろそろ限界が来ました。
厳しい冷たさ。
「限り」があるからこそ、次のものに視線を移すことができるかもしれません。
快楽もしかりです。
海の中に手を入れ、一握り。
砂は流れ落ち、小石だけが拳の中に残ります。
それを握り締めたまま、クルリと回り右をして、次なるポイントに視線を移します。
とりあえずこの次は、北米大陸最東端まで行ってきます。
世界で2番目に広い国土面積を持つカナダ。そんなカナダは横長の形をしています。
それをさらに越え、アラスカから・・・、ましてやポイントバローから「北米大陸横断」が今始まったのです。
拳の中の一握りのカケラの数々は、北極のカケラでもあり、最北のカケラでもあります。
これらは僕の地球のカケラコレクション、「星のカケラ」に加えます。
そして、仲間たちへのちょっとしたお土産に。うわっ、安っ!
陸に上がりました。凍傷にこそなっていませんが、凍える足を急いで拭く僕を見て、ガイドのジョーが言いました。
「長いことガイドをやっているが、この時期の北極に入ったヤツはオマエが二人目
だ。」
ちっ、二人目かよ。
なにはともあれ、今回のアラスカでの目的は、無事果たせました。
ポイントバローのすぐ手前、そこにはクジラの骨で造った「ヤシの木」がありました。
この寒い北の土地で少しでも暖かさを感じようと、南国風を装うとは、誰が造ったのかは知りませんが、アジなマネをしますね。
その少し手前には、トーテムポールが立っていました。
ジョーが言いました。
「これがアメリカ大陸最北のトーテムポールだぁー!」
あっそ。
ここでは、全ての物の頭には、「アメリカ大陸最北の」という枕詞がつくのです。
しかしながら、確かにこれはこれでアジがあるのかもしれません。
トーテムポールは、先住民(インディアン)の文化です。それをイヌイット達が飾る。シャレっ気のある人達です。
最北トーテムポールを見た後は、記念館のような所を見て、空港で解散しました。
飛び立つ飛行機の中で、街灯りのほとんどない街を見下ろしながら、最北の地を後にしました。
ちゃんと空港で北緯70度越え証明書をもらい、パスポートにも「ポイント・バロー、アラスカ、北緯71度28分」のスタンプを押してもらいました。
このスタンプは、バロー誕生100年記念の時に作られたもので、おそらくパスポートには押してはいけないスタンプなんでしょうが、そんなことはお構いなしに押してくれました。
うれしい証です。
そのスタンプには、
「Top of the world」と、刻まれていました。これもうれしい言葉です。
今回のバローでは、いくつもの『カケラ』に触れて来ました。
北極海で手に入れた「北極のカケラ」
街中に転がる粗大ゴミという名の「資源のカケラ」
海岸線に転がる「海獣のカケラ」
そして、この「海獣のカケラ」はこの地に埋葬された「人間のカケラ」と共に新たな「北極のカケラ」へと分解されていくのです。
これら全てが『最北のカケラ』であり、僕の欠けた部分をほんの少しだけ埋めてくれたような気がするのです。同時に僕の頭の中にある「世界のパズル」にまた新たな1ピースがはめ込められました。
いつか「北極点」という入手困難な小さなピースがはめ込まれる日は来るのでしょうか?
本気でそのピースが欲しいのかどうかさえ、まだわかりません。
バローを出た後は、再びフェアバンクスに戻って来ました。とりあえず、もう今回のアラスカには未練はないので、先も詰まっていることだし早いようですがカナダに戻ることにしました。
フェアバンクスでも、オーロラは見れました。確かにここも、イエローナイフと同様、真上でオーロラが弾けました。
しかし、やはり太平洋からの暖流の風がマッキンリー山を始めとする山脈にぶつかり、上昇気流を発生させるため、天候が悪いのです。オーロラガイドの勉強をした時に覚えたオーロラタウンに関する知識で知っていましたが、確かに雲が多いのです。
まだ僕達が来た時は、曇りだったからよかったものの、2週間前からデナリ国立公園に滞在していた人に尋ねたら2週間ずっと雨だったそうです。
つまり、オーロラ目的でアラスカに行った場合、1週間いれば数回のオーロラを見ることができるでしょうが、3泊4日ぐらいだとかなりだとかなり危険な賭けになると思います。
イエローナイフとは、全然晴天率が違うのです。
せっかく時間使って高いお金出すんだったら、1回でも多いオーロラを見たいですよね。
もしイエローナイフに一週間もいたら、まず間違いだろうし、いろんなオーロラが見ることができるはずです。元オーロラガイドとして、短期間滞在のアラスカオーロラツアーはおススメしません。
せっかくだったので時間を作って、フェアバンクスの街も散策してきました。
街は意外と広い街で、車がないとちょっと移動に困ってしまいます。発展レベルはたいしたことはありません。USドルの物価もカナダから来たものには、高く感じます。
秋のアラスカの気温は確かに寒いのですが、イエローナイフモードに頭を切り替えていたので、所詮は秋の気候としか感じられませんでした。
やっぱりバローのほうが少し寒かったのですが、僕にとっては許容範囲だったので、
「絶対に上着は羽織らないぞ」と痩せ我慢して、旅人制服で通しました。
結局、痩せ我慢が出来てしまえるような寒さだということです。
フェアバンクスの街の雰囲気はなんだか閑散としています。
モンゴルを想い出した僕は、
「やっぱり寒い土地では、にぎやかさに欠けてしまうものなのかな?」
と思いましたが、それにしてはイエローナイフはあんな極寒の地なのににぎやかさを感じるし、バンフもにぎやかな街です。チベットのラサも独特なチベット仏教の雰囲気が「熱」というか「臭い」を発しているような気がするので、”温もり”があるように感じました。
気候や地形は、そこに住む人に確実に影響を与えていると思いますが、努力次第でなんとでもなるものだと思いました。
フェアバンクスでの個人的なおススメは、「アラスカ大学」です。
アラスカ大学では、オーロラを含めた天文学の研究に力を入れていて、日本もこの研究には大きく力を貸しています。天文マニアではないけれど、天文好きな僕には、こういう場所があることだけでも、なんだか嬉しくなるのです。従業員たちにも親日家が多いと聞きました。これも嬉しい話です。
そして、もう一つ。アラスカ大学の敷地内で生きた「モスコックス」を見ることができました。
「モスコックス」とは、日本名「麝香牛」といい、引きずるぐらいの長い毛で全身が覆われている 北極圏にしか生息しない生き物です。大きさは牛ぐらいで、ゆっくり動きます。
「風のナウシカ」に出てきそうなオーラをムンムン出している動物なのです。
角の形も独特で、「中世の音楽家」の髪型をイメージさせる変った動物です。一度は見ておきたいと思っていたモスコックス。
カナダ国内の動物園にもいると聞いたことがありますが、どうしても動物園に行ってみる気にならなかったので、野生ではないとはいえ、このアラスカ大学で見れたことに大きな喜びを感じました。
オマケですが、このアラスカ大学から小さくですが、マッキンリー山が見えました。
さて登頂するのはいつのことやら。
そんなこんなでアラスカを出て、再びカナダに帰ってきました。
ホワイトホースでレンタカーを返却して、今回バンフを出てからここまでかかった全ての費用を計算してみたら、カナダドルでギリギリ$1000切れるぐらいでした。3週間で使った全額としては、僕にとって大きな金額でしたが、この移動距離と飛行機代も入っていることを考慮すると、安く済んだほうだと思いました。
ホワイトホースに滞在しているトミーさんと再び同じ宿に泊まり、アラスカ話に花を咲かせました。
夜にはもちろんオーロラを見に出かけました。
ホワイトホースもオーロラ鑑賞ツアーで名が通った街です。料金も安くイエローナイフやアラスカに比べるとツアー自体の料金はそれほど変らないにしても、交通費を入れて計算してみると、安いコストでオーロラが見れるということで大々的に宣伝しているのです。
ここは、オーロラガイドとしては、チェックしておく必要があるのです。
しかも、トミーさんという自分よりオーロラに詳しい先輩ガイドが一緒です。
これはもう外は寒いが、行かなくっちゃっ!
はい、行きました。さて結果は?
正直、がっかりしました。
ホワイトホースは、緯度は高いもののオーロラの出現する領域であるオーロラベルトから外れているため、真上にはオーロラが来ないのです。
遠くで弾けるオーロラを横から見ている状態なのです。
オーロラは、北からやって来て南へ下り、弾けながら再び北へ帰っていくものです。その北へ帰っていく瞬間が最も強く明るく美しいオーロラが動くのに、ホワイトホースでは北から来るオーロラがここまで来る前に北へ帰って行ってしまうのです。
これでは、オーロラの姿が視界に入って入るものの本当にオーロラを体験したとは言えません。臨場感たっぷりで真上に広がる花火を見上げるのと、打ち上げられている花火を離れた場所から眺めるのでは、全然違いますよね。これとまったく同じことなのです。
しかし、オーロラを見たことなのない人にとっては、そんな違いはわかりませんので値段と宣伝文句にやられて、ホワイトホースに足を運びます。
そこでオーロラを見れた人は、まだラッキー。
遠くのオーロラでも見えたことには、変りありませんし気分が高まっている分、実際にはたいしたことのないものでも美しく感じられるかもしれません。
しかし、ホワイトホースには、もう一つ落とし穴が!
それはホワイトホースが山に囲まれた街だということです。
ただでさえ、太平洋からの暖流の風の影響を受けて曇りやすくなっているのに、こんなにも中規模の山がたくさんあったら、天候が悪くなることは目に見えています。
車でホワイトホースの付近を走っているだけでも、雨が降ったりやんだりしていました。
別に僕がいた期間の話をしているのではありません。ホワイトホースの降水量を調べてみればその天気の悪さがわかるはずです。
晴天率も悪く、晴れたとしても遠くのオーロラしか見えないとなると、滞在期間に関係なく、人に勧めるわけにはいかないのです。
実は僕の友人の中にも、料金に引かれてホワイトホースにいった人を何人も知っていますが、残念ながら延泊までしたのに、結局見ることができず帰るハメになっていました。
僕の姉もそのうちの一人です。
それでホワイトホースに不信感を抱いていたのですが、オーロラガイドという経験を積んだ後に、実際自分が来て見て納得しました。
「こういうことだったのか!」、と。
友人達はみんな、
「とりあえず、オーロラが見れればいいんだよ」
そう言って出かけて行きましたが、それさえも叶わず帰ってきました。
仮に見えたとしてもどうなんでしょうか?
すごいものを見るために大金を出しているのに、それは実はすごい状態では見えてないだなんて。
いったい何のために見に行くのでしょうか?
これはもうお金の問題ではないと思います。
こんなことを書いてしまうと、ホワイトホースのオーロラの会社に対して営業妨害になるのでしょうか?
しかし、ホワイトホースを訪れた者の一人として、そう感じてしまったのなら、それはしょうがないことですね。きっとホワイトホースでガイドしている人も、分っていることだと思います。
別にホワイトホースに行ってはいけないと言っているのではありません。
そこのオーロラはキレイではないと言っているのではありません。たまに強いオーロラが出たのなら真上まで来ることだってあるはずです。
ただ僕はオーロラガイドの一人として、またオーロラを楽しんで観賞している者の一人として自信を持って、イエローナイフを勧めているのです。
ホワイトホース滞在中のある日、今夜こそは雲がどこかへ行ってくれるかもと願い、みんなでオーロラを探しに行きました。
トミーさんチーフ(ツアーを仕切るリーダー)のオーロラガイドがもう一人ついたツアーです。
この日のお客さんは一人だけ。
偶然同じ宿に滞在していた女の子です。
願いが届いたか、雲が晴れ、ついにオーロラが姿を現しました。
だんだんと近づいてくるオーロラを見ながら、三人は弾ける瞬間を待ちました。
「それじゃーMAくんに、ここでオーロラの説明をしてもらおうかな」
チーフから使命が出されました。
女の子は嬉しそうに拍手をします。
これは断るわけにはいきません。オーロラガイドとしての腕の見せ所なのです。
久々だけど、やらなくっちゃ!
はい、やりました。 さて結果は?
「はーいっ、それでは少しずつ近づいてくるあのキレイなオーロラ。でもあれはまだまだ本当の姿ではなく、成長する前の小さな状態。もうしばらくすると、僕らの頭上までやって来て、真上で見上げることができますよ。でもここで満足するのはまだ早い! この通過して行ったオーロラが戻って来るときが、最もオーロラが強く弾けるのです。これからですので成長する過程を見てて下さい」
そう説明した瞬間、遠くでオーロラが弾けたような動きを見せました。
あれっ? と思いながらも、
「まだまだ、これからですよー」
と引っぱる僕に、チーフは申し訳なさそうに言いました。
「あ、ゴメン、MAくん。ここはホワイトホースだから、もうあれで終わりなんだよね」、と。
えっ!?
すると間もなくして、オーロラはトミーさんの言った通り、こっちまで来ることなく、そのまま煮え切らない状態のまま北の空へと消えて行きました。
薄暗い闇の中、静かに流れるユーコン川のせせらぎと、自信満々で声高らかにオーロラ説明をしたマヌケなガイドのシルエットが残されました。
「そ、そんなバカな・・・」
そんな可哀想なガイドに、
「あ〜、でっ、でも本当にキレイだったねー」
と、優しい女の子はフォローを入れてくれました。
あぁ、まだまだ世の中に僕の知らないことはたくさんあります。
「ピューッ、ヒュルルルゥーー」
そんなユーコン準州に今夜も冷たい風が吹くのでした。チャンチャン。
宿に帰ると、ホリピーがみんなのために温かいお茶を入れて待っててくれました。
さすがアシスタントガイドです。
こんなオーロラツアーもあったホワイトホースも出発の時が来ました。ここでトミーさんはもちろんのこと、ホリピーともお別れです。
二人はこれからイエローナイフに向かうのです。
また二人はあの生活を再開するのですね。
うらやましいような、かわいそうなような。 あぁ、南無阿弥陀仏。
なにはともあれ、イエローナイフ以来の「北の世界」を楽しんだ約1ヶ月弱。
北極海という目的も果たせて、悔いないです。
さて、アラスカ&北極圏をやっつけたこの次は・・・?
東カナダに向かいます。目指すは北アメリカ大陸最東端。
ひとまず、また2日かけて、バンクーバーに戻ります。
KAZOO夫婦にいい土産話ができました。
それでは、SEE−−YAA−−−−−−−−−−
FROM まさし