2004年10月 ウィニペグのアーティスト ■カナダ往復編
 HELLO−!
 旅の資金稼ぎのためカナダで定住生活をしていたのですが、季節限定の特徴を持つ場所を訪れるため少し仕事を休業して北米プチジャーニーを始めたマサシです。
 最初の目的地であるアメリカ大陸最北端、アラスカのバロー岬にて「北極海」をやっつけた後、アラスカから再びカナダに戻り北アメリカ大陸最東端を目指して動き出しました。

 移動手段は今回もバスです。
 北アメリカを網羅している「グレイハウンド」という大手バス会社、通称「グレハン」が発券しているバスパス(乗り放題定期券)を買いました。1ヶ月間有効のバスパスを購入したのでこの時点からきっかり1ヶ月間の制限ができました。

 「カナダ1ヶ月間の旅」と聞いて長いと感じるか短いと感じるかは人によって異なると思いますが、カナダはロシアに次いで世界で二番目に広い国土面積をもつ国。しかもこのバスパスを買った時点で僕のいるホワイトホースという場所はカナダ最北西端と言ってしまっていいぐらいの人里離れた「隅っこ」です。ここから反対側の大陸最東端まで重要となる名所を一通り抑えながら回るとなると1ヶ月間というタイムリミットはカウントダウン状態に短いものに感じてしまえるのです。
 ただ東に行くのならまだしも、東カナダを回り終えた後には再びカナディアンロッキー山脈の麓の街バンフまで戻ってきて仕事を続行するため「カナダ横断」ならぬ「カナダ往復」なのです。
 北海道から沖縄まで往復して戻ってくるのとはわけがちがうのです。

 とりあえずホワイトホースから西の都バンクーバーまでバスで2日かけて南下しました。そして再びバンクーバーに住んでいるオーロラガイド時代の相方「KAZOO(カズー)」のところに一泊し、アラスカ&北極海話に花を咲かせました。ここで名残惜しいカズー夫妻ともしばしのお別れです。次の再会は何年後になることやら。一期一会の出会いと別れは街の数ほど経験してきましたが、心の友との長期の別れを経験した回数は・・・、
 まだ「2ケタ」です。
 
 さぁ、いざ東へ!

 ここから正に東に向かってひたすら進み始めることになります。
 最初の目的地とした街はオカナガン地方にある「サーモンアーム」です。
 オカナガン地方とはブリティッシュ・コロンビア州、略して「B・C州」にあるカナダ一のワインの生産地と農産物の産地で知られ、気候もよくファームステイ(農場体験生活)をする人も多い所なのです。このオカナガン地方を東に抜けたところにカナディアンロッキーがあり、そこからアルバータ州へと州が変わるのです。

 バンクーバーを出た後、ひとまずケローナというオカナガン地方の心臓部となっている街を訪れました。ここでの目的は「オゴポゴ」です。
 この名前を耳にしたことがある人もいるかもしれません。オゴポゴとは地球上で伝説となっている生き物の一つです。竜のような姿をしていてオカナガン湖に生息していると言われている巨大生物で目撃件数が相次ぎ伝説にまでなってしまったものです。
 有名な「ネス湖のネッシー」のカナダ版、「オカナガン湖のオゴポゴ」なのです。

 オゴポゴの存在は僕は小学生の頃から知っていました。と言うか、むしろ小学生の時に読んだ「世界の不思議」みたいな感じの本で知っただけで、それ以降20年以上その名前を耳にしませんでした。
 ひょっとしたらまだビートたけしの番組「天才たけしの元気が出るテレビ」、略して「元テレ」の中の一企画であった「おじゃが池のオジャガーくん」のほうが記憶に残している人が多いかもしれません。
 「おじゃが池のオジャガーくん」とは「おじゃが池に謎の生物が生息している!」という疑いをきっかけに「元テレ」が調査を開始して何回も何回も引っ張ったあげく、最後には番組が用意した怪獣のぬいぐるみを池から登場させた馬鹿馬鹿しいオチの企画です。この調査の中で「餌でオジャガーくんをおびき寄せてみよう!」と用意した食品、主に果物と野菜をレポーターである高田純二が「今回も用意しましたまずは新鮮なトマト、にんじん、キャベツ、りんご・・・」と一つずつ紹介していくのですが、毎回必ず最後にバナナを紹介し、「キャベツ、りんご、そしてそんなバナナ!」と言うのです。
 このしょーーーもないネタにもならないようなネタを真顔でネタにしてしまう高田純二に僕は感銘をうけました。

 幼心に学びました。
 「どんなすごいことをするか?どんなすごい物を用意するか?ではなく、本当にしょーもないことでも言い方一つでネタにさえ生まれ変えることができるのだ」と。
 そして同じ時期、ビートたけしからも似たようなことを学びました。
 ただビートたけしが「コマネチ」をしただけで会場は大騒ぎになります。
 「笑い」というよりは、
 「うわぁー、あのビートたけしがコマネチを披露してくれた!やって見せてくれたぁー!」というような興奮と嬉しさの歓声が上がるのです。
 やはり「何をするか?」ではなく「誰がするか?」、これは全てのことに大きく影響するのだと学びました。

 「自分の旅を世に広めたいなら旅で有名になろうとするのではなく、何か他の事で有名になってから旅をしたほうがいい」
 そんなようなことを誰かの紀行文で読んだ覚えがあります。

 たしかにその通りです。有名人はちょっと何かをするだけで話題になりますが、無名の人がかなり高いハードルをクリアーしても、その業界では一時的に話題に上がりますが普通の人は誰も知らないだろうし、下手をすれば「へぇー、すごいねー」とは言われるもののちょっと変人扱いされる場合もあるぐらいです。

 無名の僕は正にこの道にいます。
 しかもまだまだ世界に評価してもらえるようなことは何一つ達成していません。僕の変わった生き方が凡人レベルでの「へぇー、すごいねー」という言葉を言わせているだけなのです。そもそも「世間に評価されなくちゃいけないのか?」という思いも生まれてきます。
 べつに評価を狙っているわけではないのですができるだけ多くの人に高いレベルでの影響を与えたいとは願っています。僕の中のこの想いがただの自己満足では許されない頑固とも受け取れるような「使命感」を保っているのだと思います。

 「使命」・・・、難題で頭の固そうな単語ですね。

 何をして人々にいい影響を与えていったらいいのでしょうかね?
 自分の使命とは、一体なんなんでしょうか?

 今はこの漠然とした使命感が関門を突破するための力の源となっているので、とりあえずはよしとしましょう。
 しかし、この「とりあえず」という期限は間違いなく日々終わりに近づいています。いつか自分の使命について、それなりの答えを出さなければいけない時がくるはずです。

 それはいつでしょうか? 今の「世界放浪の旅」が終わった時でしょうか?
 それとももっと後でしょうか? 後にしてもいいのでしょうか?
 楽しみであり、不安も隠せません。

 この近づいてくる先の見えない闇のような存在を直視するにあたり恐怖や不安を感じてしまうのか? それとも楽しみとして感じていけるのか? この辺が「性格」と言っていいのか「器の大きさ」と言っていいのか、わかりにくい紙一重の基準でわけられているような気がします。
 こんな基準や世間の評価をまったく気にすることなくひたすら自己満足の世界に浸ることができるのはアーティスト(芸術家)と呼ばれている人たちの道なのかもしれませんね。
 「自分は芸術家肌の人間なのかな?」
 「芸術家になれるのだろうか?」
 「そもそも芸術家になりたいのか?」

 そんなこんなを考えながらオカナガン湖の畔まできました。

 確かこの街のどこかにオゴポゴの像があると聞いていたので、せっかくだから一目見てやろうとどこにあるのか聞き込みを開始しました。
 何人もに聞いてみたのですが、僕の発音が悪いのか? もしくはただ単に知名度の低いのかは判りませんが「オゴポゴ」と言っても誰も知らなかったので、最後の手段として僕のイメージでオゴポゴの絵を描いて人に見せたところ一発で、
 「おぉっ、これならあそこにいるよ」とわかってもらえました。

 まるで何かのコンクールに入賞して世間から認められたような芸術家気分でオカナガン湖に沿って教えられた方向に歩いていくと、いました!
 全長5から6メートルの竜のような生き物が、地面の表面を泳いでいるかのように頭や体が所々地表に飛び出していました。

 小学生の頃本で読んで知ったものを、大人になってから訪れる。それがどんなものであってもやっぱりドキドキ、ワクワクしてくるのです。

 目の悪い僕には近づくにつれてその顔がどんどんはっきりしてきました。すると・・・、
 なんじゃ、こりゃ?
 遠くから見た分には気分が高まっているということもあり、それなりに立派に見えたのですが、近くで見たらなんと不細工なマヌケ面。目なんか完全にイっちゃってます。
 いくら架空の生き物だからといってこれではオゴポゴに失礼なぐらいです。
 まったくもって製作者のセンスを疑ってしまいます。きっとこんなものでもどこかの芸術家がデザインしたのでしょう。 にんともかんとも。

 なんだか根拠のない自信を手に入れケローナの街を後にしました。

 バスで4時間ぐらい走ると本来の目的地「サーモンアーム」に到着しました。
 ここに来た目的は会いたい人がいたからです。バンフのバンフスプリングホテルの社宅に住んでいたときのカナダ人のシェアメイトの両親でした。
 以前この老夫婦が子供に会いにバンフを訪れたときにしばらくの間僕らの家に泊まっていたので、その時に仲良くなったのでした。
 「わしらが住んでるサーモンアームはカナダで一番気候の面で見ても過ごしやすく産物が新鮮で豊富に獲れるのじゃ。近くを通るときは必ず遊びに来てくれよ。ワイナリー(ワイン農園)巡りに連れて行くからの」
 と自信満々で豪語していたので是非とも行ってみたくなったのでした。
 自分の地元を自信満々で人に紹介できること、人を招待できることをなんだかとても大切なことに思えました。

 この老夫婦ははっきり言って金持ちでした。6から7台もある高級車の中から「今日はどれにしよっかなー」と車を選んで出かけるのです。自分で数台の車を分解して組み合わせて作り上げたというオープンカーでサーモンアームを案内してもらいました。するとその道中、同じような改造オープンカーに乗った老人達とすれ違い短いおしゃべりをして別れるということが何回かありました。
 どうやらここは隠居生活をしている金持ち達が多く住んでいる街のようです。確かに気候も天気もよく空気も景色もきれいなところです。これで食べ物も新鮮だということなので隠居生活には最適です。
 大きな街ではないので商売はやりにくいかもしれません。

 約束通りワイナリーをいくつも回りヘベレケのサーモンアームを過ごしました。

 近くの公園にはほのかに色づきかけたメイプルの木が沢山生えていました。僕はこの中からあえて赤く色づきかけたものではなく、自分の服の色に近い緑色の葉っぱを選び帽子に飾りました。こっちの方が僕には似合うのです。
 これから東カナダは紅葉のシーズンです。世界でも名高い紅葉のメッカというのを経験するためにこの時季を選びました。何か一つでも一撃ありますようにと期待を込めて帽子に飾ったメイプルリーフでした。
 居心地のいいサーモンアームですが時間のない僕は数日で出発せざる得ませんでした。

 さぁ、いざ東へ!

 西側から再びロッキー山脈に入ります。ここからは住み慣れたアルバータ州です。バンフは通り抜けて東へ・・・、と思いきやバンフのお客さんから急患の依頼が入ってしまったので一度バンフで降りることになりました。もう自分の家も引き払ってしまっていたので友人の家に居候させてもいました。
 仕事も終わり、さて引き続き東へ・・・、と思いきや幸いこの週はインディアンサマーの期間に入っていることに気づきました。インディアンサマーとは夏が終わり秋を迎えて気温も下がりこれからいよいよ冬に入いるかなー? というころにもう一度真夏のような暑い日が一週間ほどやってくることをいいます。冬に入る前に先住民(インディアン)達が最後のお祭りをする期間ということでこの名前が付けられたそうです。
 インディアンサマー期間は気温も快適で天気も雲一つない晴天になることが多い最高の状態なのです。これはトレッキング好きにはたまりません。
 僕には一つ登り残した山がありました。
 それは「ノーケイ山」というバンフの町から見て西に位置するバンフで最も近いスキー場としておなじみの山なのです。

 バンフは大きな4つの山に囲まれた街です。
 北のカスケイド山、東のランドル山、南のサルファー山、そして西のノーケイ山です。
 北、東、南の山は登ったのですが西のノーケイ山だけはまだ登っていなかったのでした。
バンフっ子としてはこれは越えておかねばいけない関門だと思っていたのでした。しかしノーケイ山は4つの山の中でも最も難易度が高く「山登り経験上級者以上」というランク付けになっている山なのです。そのため登る人も少なく情報もなかったのでずるずる登り逃してしまっていたのでした。

 そーこーで、オマエはどうするバンフっ子!
 ただでさえ厳しいタイムリミットがある東カナダの旅。一日でも早く東に向けて出発するか?それともインディアンサマーと急患の依頼を縁と受け取り、この機会にノーケイ山に挑んで4つの山を制覇しておくか?

 答えはやっぱり「登っとこっ!」でした。

 時間はないけど登らなくっちゃ!
 はいっ、登りました。 さて、感想は?

 軽く遭難しかかりました。いろいろあって下山し始める時間が遅くなってしまって山の上にいる時点で暗くなってしまったのです。一瞬帰り道さえも見失い、闇の中の急斜面をしゃがんだ状態で滑り降りてきました。
 下山した時には既に深夜になっていました。さすが上級者用の山。とは言えものすごい難易度だったというよりは「なめすぎた!」といったところでしょうか。幸いこの山の上からバンフの夜景が見ることができました。展望台からならまだしも夜中の山の上にいることは普通ではありえないことなのでこれもいい経験になったと楽しめました。
 なにはともあれ、無事下山して翌日にはバンフを出発できました。

 さぁ、いざ東へ!

 次の目的地はマニトバ州の州都「ウィニペグ」です。
 特にウィニペグでしようと思っていたことはなかったのですが、バンフから東の都トロントまで直行で行くと丸々3日間バスに乗りっぱなしになってしまうので、ウィニペグで一度下車して、一泊しないものの朝から夜までウィニペグの街を散策して夜行バスに乗って再び東へ移動し始めることにしたのです。
 バンフからウィニペグまでは約24時間。なんだかんだで長いです。途中サスカチュアン州を越えて行くのですが、このサスカチュアン州がこれまたなーんにもない所で牧草と牛しかいません。逆にあるものと言えば「360度に地平線がある」といったところでしょうか。それが売りのサスカチュアン。地平線は見慣れているものの、ふと気がついたことは雰囲気が雪のない北極圏に似ていました。北極圏に比べたらまだ木があるのですが広すぎて木の存在はあってないようなものなので、一面に広がる荒野の感じがまだ記憶に新しいアラスカの北極圏をダブらせたのだと思います。

 長距離の移動は旅人の血を騒がせます。
 「次の停車駅はウィニペグ、ウィニペグです。停車時間は12時間です」
 そんな車掌さんの声が聞こえてきそうな気分で地平線を眺めていました。
 バスだっつーの!

 そんな何もない風景を越えてのウィニペグ到着です。
 さて、朝9時から夜9時までのきっかり12時間。せっかく来たのなら堪能しなくてはもったいないです。

 では、ウィニペグと言えば・・・、やっぱり「クマのプーさん」です。

 ディズニーで有名な「クマのプーさん」の物語は正式名称を「ウィニー・ザ・プー」といいウィニペグ動物園にいた熊のウィニーがモデルとなった話なのです。「ウィニー」という名前もウィニペグの街の名前からとって付けられたのでした。本当はこのウィニペグより東にあるホワイトリバーという街にいた熊なのですがウィニペグに連れて来られ、その後イギリスかどっかに連れて行かれて「クマのプーさん」という物語が誕生したような話を聞きました。詳しくは自分で調べてみてください。
 この「クマのプーさん」こと「ウィニー」の記念像がウィニペグにあるウィニペグ動物園に作られているということでウィニペグに来た観光客はほとんどが一目見に足を運ぶののです。何もない証拠ですよね。とは言え、クーガー(ピューマ)やリンクス(大山猫)といったカナダの珍しい動物も見れるし白熊やモスコックス(麝香牛)、トナカイなどの北極圏にいる動物も見れるのでウィニペグ動物園ははずすことのできない観光名所となっているのです。

 僕は特にクマプーに興味があるわけでもないし動物園という不自然なところには行きたいとも思ってないのですが、特にやることもないのでとりあえず動物園のあるアシニボイン公園に行ってみることにしました。このアシニボイン公園という大規模な公園は気持ちのいい公園で、ここだけでも一日過ごせてしまえるような雰囲気のいいところでした。
 ましてこの時季は紅葉が色づいているのでなおさらです。
 そんなこんなでウィニペグ動物園の門の前に来てしまいました。自然派の僕は動物園という不自然な場所に外国で入園したことがないことに気づき、こんな機会もめったにないと思い直し、せっかくなので入園することにしました。
 偶然この日は日曜日。家族連れが開園を待つようにして門の前に並んでいました。僕もこの列に並び開園と同時に入園することになります。なんだかものすごい動物園好きみたいですよね。

 入りたかないけどはいらなくっちゃっ!
 はいっ、入りました。 さて、感想は?

 入園30秒で「クマのプーさん」のモデル「ウィニー記念像」を見つけ、とりあえず写真を一枚パシャリッ! 係員に頼んでウィニーと一緒にです。
 なんだかものすごいクマプー好きみたいですね。早くも目的達成です。

 せっかく海外初の動物園なのでここにいる動物の名前を全部覚えてやろうとツアーガイドの視察状態で散策しました。
 一番最初に現れた動物は、なんと「白熊」でした。
 おいおい、いきなり最もレアな動物かよ!といった感じですが、この白熊のあまりにもやる気のない態度にまったく驚きも何も感じませんでした。
 もちろん妙にやる気みなぎっていて火の輪なんかも潜っちゃうようならもっとしらけてしまいそうですが、グァム島にいた観光客もビックリなほどに ぐでぇーダラァー しているのです。
 仮にこの白熊がどんなに凶暴で威嚇を続けていたとしても、僕は何も感じなかったかもしれません。理由は「檻の外」という安全地帯にいるからです。どんなに危険なものと迎え合っても安全が確保されている状態では危険でもなんでもないので本来の魅力の百分の二ぐらいの価値しかない気がします。
 約分しろっつーの!

 ちなみに、テレビが百分の一といったところでしょうか。ひょっとしたらまだ写真や活字で読んだだけのほうが想像力膨らんで興奮できるのかもしれません。
 この白熊に比べたら狂犬病でよだれジュルジュルの発展途上国にいる野良犬のほうがよっぽど迫力があるようにも思えました。

 旅の荷物はバスディーポ(バス乗り場)のコインロッカーに入れてきたのですが,
合気道の武器である「杖(じょう)」だけはロッカーの中に入らなかったので手に持って歩くことになりました。
 手に持っていた杖でちょっと白熊を威嚇してやろうと思い檻の外からブンブン振り回してみました。 するとっ! ・・・係員のおっさんに怒られました。
 あたりまえだっつーの! 

 白熊の檻の並びにはグリズリーやブラックベアーの檻がありましたが、熊はバンフで堪能しているので横目でチラッで終わりです。

 なかなか広い動物園で動物の種類も多いです。カナダの中でも珍しい動物達を見ることができました。もしアラスカでモスコックスを見ていなかったら僕は興奮していたのかな? とも思いましたが、たぶんこのシチュエーションではそれもないようなきがしました。

 さらに南米にいるリャマやアルパカやビクーニャ、なぜかホワイトタイガーなんかも大々的に紹介されていました。
 やはり気候のせいか象やライオン、キリンといったアフリカの動物はいませんでした。
 しかし、オーストラリアの動物だけは特別に別館が建てられてあったので行ってみると温室のガラス越しの檻の中にカンガルーだけがいました。
 「オマエだけかいっ!」と思わずつっこまずにはいられませんでした。
 やはり他大陸の動物は貴重なのです。
 
 暖かいカンガルーの檻の前でお昼ご飯代わりのにんじんをボリボリかじりながらオーストラリアを想い出し、デザートであるバナナを食べようとかなーと思っている間に疲れが出たのか一時間ほどうたた寝をしてしまいました。
 ふと目を覚ますと数人の子供たちがバナナを片手に持ったままでベンチで眠っていた僕を見て笑っていました。
 俺は見せ物じゃねーつーのっ!

 とっさに両手を上げて「ガオォー!!!」とやると「キャァーーーッ!!!!」と子供たちは逃げて行きました。
 僕の「ガオォー!」と子供たちの「キャァーッ!」がこだました後のシーンと静まりかえったオーストラリア館にはバナナを片手に振り上げ固まった僕、その周りには立ち上がった拍子に転げ落ちた餌のように食べたにんじんのカス、そして ぐでぇーダラァー のカンガルーだけが残されました。
 なんだかよくわからないけど、僕は寂しくなってしまいました。
 きっとみんなに煙たがられながら日本の公園にたむろしているホームレスたちもこんな気持ちなのかな? と思いました。

 そんな「見物された」オーストラリア館を出て引き続き動物園を回りました。なんだかんだでそれから4時間かけて3周しました。
 できるだけ臨場感を出すためにイメージの中では檻がないと想定した「野獣の島」の中を散策している気分で手にしている杖をいつでも抜けるように抜刀状態で構えて回っていました。 するとすれ違ったカナダ人3組ほどに同じ質問を受けました。
 「キミが手にしているのは銃かい?」と。
 んなわけねっつーの!
きっと冗談できいたのでしょうが、僕から不自然なほどに殺気と警戒オーラが出ていたのかもしれませんね。
 同じモードのままお土産屋に入ったら僕の不審な雰囲気に疑いをもったのか店員が2人もずっと後を付けてきました。完全に万引き疑いです。
 なんだかんだでこの動物園騒がせでレンジャーコスプレが少し入ったようなお客は会館から閉館までみっちりと堪能していきました。十分すぎるほどに堪能したウィニペグ動物園、もう二度と来ないでしょう。

 そんなこんなでアシニボイン公園を後にしてダウンタウンに戻りました。

 ダウンタウン内は無料バスも巡回していますし歩いてもそれほど時間のかかる広さではないので、徒歩で端から端まで突き抜けるように歩きバスでもぐるりと一周しました。特にすることもなくなってしまったので、早めの夕食を食べようとフードコートを歩いていたら一人の男が駆け寄ってきて話しかけてきました。

 「キミ!キミが手にしているのはひょっとして武器じゃないのか?」
 縮れた髪を後ろで一つに束ねた細身のこの男、純粋な白人ではなく先住民(インディアン)と白人との混血だと思います。Tシャツとジーンズ姿の服装からみても警備員でもなさそうです。
 「そうだよ。日本の合気道で使う武器さ」
と言うと、
 「俺も昔、武術を習っていたんだ。是非キミの棒術が見たい! ちょっとデモンストレーションを見せてくれよ」
 ちょっと興奮気味に頼まれました。
 なんだか面倒くさそうなオヤジだったので、こんなところでは一目に付きすぎてできないし、 ある程度のスペースもいる。しかも武器である杖を布の入れ物から出すとその瞬間から銃刀法違反になるから駄目だと断ったのですが、
 「一目につかないいい所に案内するからさ」
と言ってきました。
 誰が知らない土地で見ず知らずの男に一目のつかない所へのこのこ付いて行くわけねーだろ! と思い断り続けていました。しかし、それでもなおしつこく
 「どーしても、どーしてもお願いだ!頼む!」
と後を付いて来るので、このオッサンなら襲いかかってきても勝てそうだし、わざわざ武器を持っている武道家相手に話しかけてきたぐらいだから襲う気もないだろう。仮に仲間がいそうな場所で本当に人目から離れたところなら途中で走って逃げてしまおうと思い、ちょっとだけ見せてあげることにしました。
 男は嬉しそうに付いて来い! と合図をして歩き出しました。

 全ての抜け道を知り尽くしたような軽快な足取りで次々と建物内の裏口のような扉を幾つも抜けて人目のない従業員用の駐車場にでました。かなり視界も開けていて人が隠れている様子もなく、すぐそこには大通りも見えていたのでいつでも逃げ出せる状況でした。
 少し安心しましたが、ここで彼はこう言いました。
 「俺が昔学んだ棒術を最初に見せてあげるから、ちょっとその武器を貸してくれよ」と。

 そーこーで、オマエはどうする? よそ者武道家!
 見ず知らずのこの男に自分の武器である杖を渡してしまっては危険だとみなし断固断るか? それともいざとなれば逃げられるシチュエーションだし、このオッサンに負ける気はしないということで、警戒しながら渡してみて様子を見るか?
 どこに危険が潜んでいて、何が起こるかわからない外国ではこういったシチュエーションでの浅はかな判断が命取りとなるのです。

 迷いましたが近くに鉄パイプが転がっていたのを見つけたので、とりあえずそれをさりげなく拾ってきて軽く振り回して見せ、念のため石を三つほど拾いポケットに入れてから杖を渡しました。一応念には念を入れ、杖を手渡す前に軽く杖を構えて見せ、
 「相手から武器を取り上げる技があるのは知ってるかい? 僕から武器を取ってみてよ」
とふってみると、そんな技は知らないよと言うので、
 「そっか、日本ではどんな状況でも相手から武器を奪い取る練習もしてるんだよ」
と本気半分、デタラメ半分の威圧の言葉をかけてみました。
 確かに合気道では武器で襲い掛かってきた相手から武器を奪い取って押さえ込む技もあるのですが、本当に実戦でそれが使いこなせるかと言うとちょっと疑問なのです。
 慎重に杖を渡して、サッと間合いを取りはなれました。
 
 この男は二、三回素振りをしてなにやら「型」のようなものを始めました。確かにどこかで習った経験はあるみたいですが、はっきり言ってたいした腕ではありませんでした。
 僕の警戒もむなしく、あっさり杖を返してくれました。
 一応この男から杖を受け取るときには、
 「こうやって奪い取るんだよ」
と杖術の一つを使って奪い取ってみせたところ妙に喜んでいました。なんだかまんざら悪いヤツでもなさそうな笑顔を時々見せるヤツでした。

 そんなに本気でフルコースの杖術を見せる必要もないので、数分間の杖術とファイヤースティックの技であるバトンのようにクルクル回しながら杖で風を切る音を聞かせると、その男の顔は「侍」に出会えたような満足した表情をみせました。

 数分間の杖演武も終わりそろそろ夕食を済ますために行かなければならないことを伝えると、
 「この時間にはフードコートは既に閉まっているから、俺が安くておいしい店に連れて行ってあげるよ。そこで一緒に食事をしよう」と誘ってきました。
 ここで本当に悪いヤツだと行き付けの店に連れて行って睡眠薬でもまぜた食事を出す手はずになっていて襲われるという手の込んだ手口もあるはずだと疑ってもみたのですが、おそらく大丈夫だろうとふんで警戒しながらおススメ店とやらに付いて行く事にしました。

 そこはすぐ近くにあったローカルファーストフードの店でした。
 この男とテーブルで迎えあうように席に着き注文しました。
 この男は名前を「ロブ」と名乗り、なぜかやたらと顔が広いようでこの店に来るまでも何人もの人とすれ違い際には挨拶を交わしまくっていました。どうやら悪く危ないヤツでもなさそうでした。しかし少しきになったことはロブと声を掛け合っていた人をよく見ると、みんな人はいいけど頭は悪いと言った感じの貧しそうな人たちが多かったような気がしました。
 「ロブは何の仕事をしてるんだい?」
と聞くと
 「俺はアーティストさ☆」
とビシッと親指で自分の顔を指して堂々と答えました。
 ホンマかいな? と思いながらも、なんの専門かを尋ねたら、
 「油絵さ☆」
そう堂々と言われちゃ否定のしようもないのですが、ちょっと試しに
 「へぇー、すごいね。それじゃ絵が上手なんだ。どんなタッチの絵を描くのか是非みたいな。ちょうどここに紙とペンがあるからここに簡単なものでもいいから描いてみてよ」
 そう言って僕が紙とペンをすかさず用意すると、ロブはこういったペンは専門じゃないから上手く描けないと拒みました。
 しかし、僕にとってはロブの正体を暴くためにもなんとか絵を描かせてみたくなりました。少し描かせればその人に絵心があるかどうかなどすぐ判るはずです。

 「今日、僕はウィニペグ動物園に行ってきたんだ。カンガルーが懐かしくって檻の前に一時間もいたんだ。ロブはカンガルーを見たことある?」
 カンガルーの檻の前で眠ってしまったことは言わずに、何気ない雑談を吹っかけた後でその場で紙にカンガルーの絵を描いて見せてあげました。そして続いて、
 「初めて白熊も見たよ。ロブは白熊を見たことある?」
と聞くと「あるよ」と答えたので、
 「ちょっとこの紙に白熊の絵を描いて見せてよ。このカンガルーみたいに適当でいいからさ。お願い」
 しつこく頼みました。さっきと立場逆転です。

 ロブの手に半ば強引にペンを握らせ「はい、どーぞ!」と描かずにはいられない状況をつくりました。
 そこまでされたらさすがにロブもペンを構え描き始めました。絵なんてものは30秒から1分もあれば上手くなくてもそれなりの形になるはずです。絵に覚えがある人ならなおさらです。数分間の沈黙。絵を描くには十分の時間が経過しました。

 「うーん、上手く描けなかったけどこんな感じかな」
 そう言って出したロブの絵を見たら・・・、なんと!
 小学生の絵か? と思えるほどの白熊とはかけ離れたど下手くそなオブジェが描かれていました。
 化けの皮剥がれたり! こいつは99%油絵アーティストではないと思いました。とは言え、そんなに悪いヤツでもなさそうだしどうせ残りわずか2時間足らずの付き合いで今夜のうちに夜行バスに乗りウィニペグをおさらばしてしまう僕にとっては関係のない話なのでもう少し付き合ってあげることにしました。

 ロブは僕が持っていたペンに興味を示しました。そのペンは右に回すとボールペン、左に回すとシャープペンシルに切り替わるタイプのもので日本人の僕らにとっては特に特別なものではなかったのですが、ロブはそのペンをしきりにカチャカチャ切り替えまくっていました。そして、
 「これはすごい!違う色のボールペンに切り替わるペンなら今までに見たことがあるが、シャープペンシルが出てくるとはなんと画期的なアイディアなんだ! これはマサシが考えたのか?」
 んなわけねっつーの!

 日本では普通に売られていると話したら驚いていました。
 「なんと、なんとすばらしいアイディアなんだ!」
 ロブは連呼して言いました。
 なんと乏しいアイディアしか持っていないんだ! 僕は思いました。

 今までのパターンで考えてみると何かしらの利益を狙って日本人に近づいてきた怪しい外国人というのはすぐに人の物を欲しがるので、こいつも今に「このペンちょうだい☆」と言い出すだろうなと待ち構えていたのですが、結局欲しいとは言ってくることなく返してくれました。
 
 しばらくすると、また一人の男が現れました。
 その男は肥満体の体を揺さぶりながらやって来てロブに挨拶すると、通路を挟んだ隣のテーブルの席にドスンと腰を下ろしました。
 彼は席についてからしばらくすると遠くのほうを見ながらいきなり一人でブツブツと話始めました。どうやら知的障害者のようです。この症状、視線の配り方、体の揺らし方から見て「知的障害度数2級」といったところでしょう。
 僕がロブに「彼は?」と尋ねると、
 「友達さ☆、だがこいつはちょっと頭がおかしんだ。悪いヤツじゃーねーんだがよ」
 そうロブは自分のこめかみを人差し指でチョンチョンと突きながら言いました。
 なーんだ、そういった判断はロブにもできるんだ。と僕は知らず知らずのうちにロブのことをなめすぎていたことに気づきました。

 またしばらく時間が流れると、ロブが立ち上がりました。そして他の席に行きそこの席に座っていた客が残していったバーガーセットに付属している小さなサラダを2つ持ってきました。
「あいつらは2人ともサラダを残しやがった。まったくもったいない。俺はこのサラダが大好きなんだ☆」
 そう言いながらサラダを食べるロブになんと言葉を返したらいいのかわかりませんでした。
 「そっ、そうだね。もったいないよね。ロ、ロブはよくこの店には来るの?」
 すると、
 「俺の行き付けの店さ☆」
 そぅ、ビシッと親指で自分の顔を指して答えました。
 きっとしょっちゅうこうしてお客の残り物にあやかっているんだろうなと容易に推察できました。
 
 そんなこんなで、時間も過ぎそろそろバスの出発時刻がせまってきました。

 僕がそのことを伝えるとロブは見送りに行くよと言いました。
 ここまでくればもう分かると思いますが、間違いなくこのロブという男はアーティストでもなんでもないことはもちろんのこと、下手をすればただのホームレスです。
 今までの経験から予想すると、こういった人に関わり合った最後は必ずと言っていいぐらいお金をいくらか恵んでくれよと頼まれ、そいつを断るのにいつも嫌な思いをするのでした。ひどいヤツだと逆ギレしてお金を出さない僕に対して敵意を持つ人もいます。
 そういった面倒くさいことにはなりたくないので、適当なところで区切りをつけて別れようと思いました。
 「おっと、もうバスの時間に乗り遅れないように急いで行かなくっちゃ。僕は走っていくから見送りはいいよ。ここに居ていいよ」
 そう言って軽く手を振って店を出ようとしましたが、
「ちょ、ちょっと待った! 行く前にマサシが持ってるペットボトルにこの店に置いてある好きなジュースを詰めて持って行きな。俺はこの店の常連客だからいつもジュースのお替りや持ち帰りがタダなんだ」
 そう言ってカウンターの中の従業員にジュースを詰めてあげてくれと頼んでくれました。
 こういうところは抜け目なく、ちゃっかりしているヤツです。
 まさかここで睡眠薬でも混ぜられるってオチじゃないだろうな? と疑いの念も出てしまいましたが普通にお客さんに出していたジュースの機械からお替りを注いで渡してくれました。念には念を入れバスに乗るまでは口をつけるのはやめておきました。

 早歩きでバスディーポに向かう僕をロブは走って追ってきました。僕について来ながらもロブは何かを拾っていました。タバコの吸殻です。
 「いやー、ゴミ拾いとはなんと人間のできた人だー、関心、関心!」
 なんて思うわけありません。案の定、彼は拾ったタバコの吸殻に火をつけて吸い始めました。間違いなくこの男は「物乞い」です。このままいくとこの結末は目に見えた状況になると察し、なんとかこの男を撒いてやろうと、
 「あっ、ロブ!あそこにタバコの吸殻が沢山落ちているよ!」
とこてこての手口で注意を逸らしてみたら、
 「おっ、本当だ!」
と慌てて拾い始めました。
 まさかこんな手口にまんまと引っかかるとは。だめもとでやってはみたものの・・・、ちょっとビックリ!
 「じゃー、僕は急いでいるからバイバーイ!」
そぅ、言い残して走り去りました。

 バスディーポに着き、一安心。
 バスの出発まで列に並んでいたら、そこにロブが現れました。
 「マぁーサぁーシぃー!見送るよぉー」と。

 あちゃー、列に並んでいる以上、ここから動くわけにはいきません。
 「あっ、ありがとね」
とちょっと引きつってお礼の言葉をこぼし、15分ほど最後のおしゃべりをしました。

 するとロブは言いました。
 「そうだ! ちょっとマサシ、さっきのペンを貸してくれないか?」
 来たっ! そう思いました。きっとこいつは渡したが最後、想い出だとかジュース代だとか言ってペンをちょうだいと言い出すに違いない!
 僕はペンを渡すのを迷いました。僕はこの男に
 「案内してあげたお返しにペンをくれよ!」とか
 「お金を少しでいいからくれよ!」
とは言わせたくありませんでした。それを言わせてしまったが最後、この男が利益目的で僕に近づいてきたことが100%立証されてしまうからです。仮に99%そうであったとしても1%でいいから、この男が利益とは関係なく、ただ僕を食事に誘っただけだと信じたかったのです。
 しかしここまできたら僕も腹をくくりました。中途半端な気持ちでこの男と関わった僕も僕です。しかもなんだかんだで、僕の短いウィニペグでの想い出の3分の1ぐらいは彼との想い出になったことは事実です。これも何かの縁です。お金を求められたら断るけど、このペンぐらいはあげてもいいかな? と。

 僕はペンを渡しました。
 すると彼はちょっとはなれて行ってテーブルのところで何かを書き始めました。

 バスの出発時刻がきました。運転手の案内により次々と乗客達は乗り込んでいきます。
 僕の番も近づいてきました。ロブはまだ遠くにいます。
 「やっぱりな・・・、まっ、いいかっ」
 そう思ってバスに乗り込もうとしたその時、ロブが走り寄って来て一枚の紙と僕のペンを手渡し、
 「これが俺の住所だ。旅が終わったら手紙でもくれよな☆」
 そう言って手を振ってくれました。

 僕は後から乗り込もうとする乗客に押し込まれるようにバスに乗りこみました。
 バスの外ではロブがまだ手を振っています。

 僕はなんだか罪悪感を覚えました。

 結局このロブという男は怪しげながらも、一度も僕に対してお金も物も求めませんでした。本当にただ単に武道家である僕と、食事をしたり話をしたかっただけなのかもしれません。それなのに僕は最後に彼を撒くような感じで別れようとしてしまったのです。

 もちろん危険の多い外国ではこういった警戒は必要不可欠です。特に間違った対応をしたとは思いませんでしたが、実際純粋な好奇心で近づいてくる人も100人に一人ぐらいはいるわけですから、誰もかれもに邪険な対応をしてしまうのもよくないことだと改めなおしました。

 そういえば昔、まだ僕が小学校1、2年生のころ、公園に居たホームレスと池の周りに座って話をしたことがありました。
 たわいもない話だったのですが、そのホームレスとは笑顔で手を振り合って別れられました。その話を家に帰ってから両親に話したら、
 「何かされなかった? 危ないからそういった怪しい人には近づかないようにしなさい。ましてや後なんか付いて行っちゃ駄目ですよ!」
と躾けられました。しかしその後で確か父親がこう言いました。

 「でもああいったホームレスの人達も、世間から相手にされずまともに口さえきいてもらえないものだから、今日みたいに子供といえども話ができただけで嬉しかったんじゃないかな? 彼らが本当に持ってないのは家でもお金でもなく人との関わり合いなんだろうな」
と。

 確かにウィニペグ動物園のカンガルーの檻の前で子供達に逃げられた時の妙な寂しさは、人が自分のことを化け物でも見るかのような目で見て離れて行ってしまう、そんな孤独を感じたような気がしました。

 ポケットを探るとまだ「対ロブ撃退用の石」が3つ、4つ入っていました。

 僕はバスが出発して見えなくなるまで手を振り続けてくれたロブを見て決めました。
 「旅が終わって日本に帰ったら、この住所にシャープペン付きボールペンを郵送してあげよう」と。

 この住所も本当に彼の家の住所なのかさえも疑わしく思えます。ひょっとしたらどこかの施設の住所なのかもしれません。数年後にも彼がこの住所に住んでいる保障もありません。
 きっと彼の未来は僕の未来以上に先の見えないものでしょう。
 おそらくその日のこと、もしくは数日後のことしか考えていないのだと思います。しかし、彼はそんな未来を恐れているようには見えませんでした。

 自分のことを堂々とアーティストだと言い切る。ある意味彼は本当のアーティストなのかもしれませんね。
 「自分はアーティスト肌の人間なのか?」、
 「アーティストになれるのだろうか?」、
 「アーティストになりたいのだろうか?」、
 そう、考えながらオカナガン湖の畔を歩き、そこにあるどこかのアーティストが作ったであろう不細工なオブジェにケチをつける。そんな僕なんかよりも、よっぽど白黒はっきりした生き方をロブはしていると思いました。
 誰の目も気にすることなく我が道を行く彼は、確かにアーティストです。

 動物園で動物を見て、動物としても見られ、ホームレスにも見られ、ホームレスのような人と接した今日のウィニペグ。
 そして「アーティスト」を感じたここまでの旅。

 まだまだ東カナダへのプチジャーニーは始まったばかりです。

 さて、バンフがあるアルバータ州を出て中部カナダであるサスカチュアン州、ウィニペグのあるマニトバ州を終えたこの次は?

 引き続き東カナダに向かいます。って言うか、まだ中部カナダであり東カナダにさえ入ってないですね。なんだかんだでカナダは広い国です。

 それでは、今度は本当に東カナダから。

 それでは、SEE−−YAA−−−−−−−−−−
                         FROM まさし