タシデレ! 病み上がりのまさしです。
食中毒や高山病を何とか直し、やっと、やっとこさチベットまでたどり着く事ができま
した。
日本を出ておよそ2ヶ月。中国をさまよって、ここにたどり着くまで色んな事がありました。
ハルピンで細菌兵器人体実験部隊七三一部隊からの苦悩を、自分なりに消化するのに力を使い、列車のチケット取る時、横は入り組みを注意したら複数にぼろくそにまくしたてられたり。夜行列車の硬座の禁煙車内で、6時間タバコを吸い続けた酔っ払いに「タバコ煙返し」と息吹きかけ合いで戦い、
山に登って帰れなくたったり。蚊と蚊取り線香の中、がまん対決をしたり。少林寺の武術学校で、子供相手に本気になったり。ワクチン1本うつのに、何人もの中国人ドクターと口論し、病院をたらい回しにあったり。ゴビ砂漠通過中食中毒になり、自力で直し、自転車で万里の長城にそって走っていたつもりが迷って、ドイツ人と二人自転車引きずりどえらい目にあったり。敦煌で夜忍び込んだ砂漠にのまれたり、
闇バス(違法格安バス)にドキドキしたり。その闇バスの中で、モンゴリアンと巨大ラマ(デカイ体のチベッ
ト僧)と場所の取り合いでもめまくり、そこで体力を削り、挙げ句の果てにチベッ
ト高原にて、高山病にかかりヘロヘロになりました。
そしてやっとここ、チベットのラサに腰を落ち着け、高地になれつつ、チベタン(チベット人)相手に人生についての問答を繰り広げているつもりです。今ではなんとか高山病も落ち着き、毎日ポタラ宮やジョカンの周りをコルラ(時計回りに回りながら歩く巡礼)し、マニ(宮の周りにある巨大なローラー)を回しながら巡礼することが日課となっています。
このポタラ宮やジョカンを取り囲むマニの列は予想以上に長く、全てを回転させながら回ると手は真っ黒になり爪は割れ、割れた爪の間に取れにくい黒い汚れの塊が詰まります。しかし、経を覚え修行をつんでいる僧に比べたら、こんなダメージは屁でもないです。
べつに僕は仏教徒ではありませんが、「郷に入ったら郷に従え」の精神で、コルラや五体投地に短期間ながらも参加しています。どこでもそうですが、チベットにはチベットの生活・習慣・ルール・マナーがあり、これらが集まりその街の雰囲気、そして文化を造っていくので、今の生のそれらを感じるためには、参加・体感が一番だと自分に言い聞かせています。
こうゆう時には、うすっぺらなこだわりは破り捨て、日本人に多い「無宗教」という特徴を生かしながら、経験に変えています。
それにしてもここラサは空気が薄い! ここに来るまでの山道よりはまだましだけど、とはいえ4000m近い所なので歩いたり階段を上ったりするっだけで息が切れ、なんだか情けなくなってきます。
ここに来る途中のバスの中、5000mを越えたあたりで高山病にかかり、やばいレベルまではいってないものの、ものすごい頭痛と疲労感に襲われました。道路は舗装されてないガタガタ道なので、頭痛の頭に30時間以上頭突きされてる状態でした。おまけに一人で二人分場所を取ってる巨大ラマ僧と、寝タバコ吸いまくりで足癖の悪いモンゴル人に挟まれ、潰されないけど、潰されそうでした。
高山病はまさに長時間耐久アイアンクローでした。 病がピークの時・・・バスを降りてトイレに行くのに全力を使っていた時に、ぼけた頭ながらに感じました。
何かが視界に入ったり、何かが頭をよぎったりした時、一番大事な核となることしか見えなくなったのです。力が無い分、余計なことを気にしている力も無くなり、とても素直な気持ちになれたような気がしました。そう、病気で本当に寝込んだ時みたいに。
「何かを迷った時、一番大切なことだけを考えれば、答えはすぐに見つかります」、っと誰かが言いました。頭では解ってるけど、それができれば苦労しない。
でもそんな広い器で物事に 対応していけたらいいなー、っぐらいに頭の片隅の引き出しに挟んでいましたが、余力の無くなりかけた時、頭の引き出しがピシッときしんだ音が聞こえたような気がしたので、開けてみました。おそらく こんなことは体が老いれば、誰でも自然に感じることなんだろうけどね。
ひょっとしたら、チベット僧達が「聖地」と崇めるこの高地にて業が行なわれているのは、こういった気圧による人への影響もどこか関係しているのかな? そういえば、昔の偉人・達人・高僧をはじめ、怪しい自称仙人やヒクソン・グレイシーなどが山へ修行しにこもるのも同じようなものかもしれませんね。
オーストラリアの農場で働いていたある日、僕は高熱を出しました。無理矢理働かされましたが、土の上で畑を耕しながら土まみれになっている時だけは少し体が軽かったような気がしました。
「自然をまとえば、力を吸収できる」と達人たちは言いました。これは精神の力でしょうか? それとも自然の恵みの力でしょうか?
人と自然は、とってもインタレスティングです。
今日でチベット7日目。なにはともあれ、この高地の宿の屋上で、杖(僕がいつも持ってる合気道の武器の棒)を息を切らしながら振り振り、あーでもない、こーでもないと酸欠を楽しんでいます。
世界の屋根はだてじゃない! っと言わんばかりの山脈の風景の中、風になびくタルチョ(チベット人が祈りを込めて家の屋根や山や岩のいたる所にくくり付ける経や模様の入った布の旗)に向かって、オーケストラの指揮者気分で、杖という指揮棒をリズミカルに振っています。
今回の旅の最初の大きな目的地チベット。
さて、この次は。
来週に、エベレストに挑みます。
それでは、 SEE−YAA−−−−
FROM まさし