2001年12月 インド人も ビックリ! ■インド編
 ナマステ! ご無沙汰してました。まさしです。
 ついに! つーいーにー足を踏み入れました、不可思議な三角亜大陸インド。

 チベットを終え、エベレストを越えて中国からネパールのカトマンドゥーへ入り、インドヴィザを申請した後、そこより西の街ポカラにてマチャプチャレ山に続いてアンナプルナ山をやっつけました。

 今ネパールは、おだやかじゃーないです。マオイスト(毛沢東思想復興テロ集団)のスカポンタン達の大量虐殺のせいで、まったく迷惑被りながらも予想以上に長く滞在してしまったネパールに別れを告げました。
 そして、もう一度気合を入れ直し、念願?のインドに入りました。
 そろそろインドライフも一週間。インド人の吐く嘘やインディアンイングリッシュ、さらに対日本人に向かって吠えるインディアン日本語挨拶にもすっかり慣れ、病気に感染しないよう気を付けながら、地雷のように散らばる牛フンを避けてこの国を歩いています。

 タイ、中国、チベット、ネパールを超える嘘つきの量と濃度、そしてしつこさに最初は少しテコズリました。振り切れないほどしつこいやつは、路地でそいつの顔の前に杖(僕が持ってる合気道の武器)を突きつけ「いいかげんにしろ!」っと、手間をかけて追っ払っていましたが、今となってはヒラリヒラリと軽やかにより柔軟に対応できるようになりました。

 僕は今バラナシ(ベナレス)にいます。ここ聖地バラナシは流々とガンガー(ガンジス河)が流れる、インド人の8割をしめるヒンドゥー教徒にとって人生の最終地点です。おなじみガンガーでは、洗濯・沐浴っといった「生活」から、火葬場・死体流し、といった「死」を目の当たりにすることになりました。

 インドは今回の僕の旅の最大の目的地。そしてこのガンガーは、そのインドの中でも大きな門と覚悟していた場所なのです。
 ガンガーの水を浴び、身を清める「沐浴」についていろんなウワサを聞きました。
「日本人は菌に対して免疫が弱いため、沐浴すると病気になってしまう」
というのを始め、
「体はいいが、顔・頭は水に浸けちゃいけない」とか、
ひどいものになると、
「周囲で滞在してるだけで、弱い人は病気になってしまう」、などなど。
 それに対して、
「全然平気!」というのもあります。
 噂というのは誰かの体験談から生まれるもので、こいつはひどく信憑性に欠けるのです。

 確かに、病原菌はウヨウヨしていることは事実。 たまたまなんかの病気に感染しちゃったかもしれないし、たまたま感染しなかったのかもしれません。病気や腹痛になったけれど、それはガンガーのせいではなく食べ物かもしれないのです。ここバラナシはかなり不衛生で、インドの中でもトップクラスです。この街で何日か滞在すれば、ほとんどの人が風邪を含めた病気や腹痛になるのです。
 そこでガンガーに入った人で、数日後病気になった人は「ガンガーのせい」にしちゃいます。確かにそうしちゃう気持ち・心理もわかりますよね。

 はい! そーこーで 「さぁ、オマエはどうする若大将!」っと、炎と水の中から死人が急かす。

 自己流瞑想スタイル(開脚して腹式呼吸)で視界を閉ざして己に尋ねてみる。
「入りたいのか 入りたくないのか どっちだ?」
「無知は勇気の背中を押すが、危険度の高い世界においてはあまり良い手段とは言えないのだ」
「なぜ、するの?」
「メリットとデメリットをあげてみろ」
 実績は無いけど大口はたたくオフェンス男の自問自答は、我ながら骨が折れる。

 厳しい突っ込みが開きすぎた脚の痛み以上に脳の奥まで響く。
 その中でも印象的だったのが、
「オマエは何しに来たんだ?」
こう言われ、今更ながら息をのむ。

「肉体の絶頂期間に、そして安定から一時離れることのできるこの立場の間に・・・   さらに、精神力、その中でも若いがゆえのハングリー精神が無くなってしまわないうちに・・・(歳をとると、しかた無しに金で解決・近道しなければいけない状況がきそうでね)  自分の可能性を広げるとともに業をつむため」

 いくつかある理由の中で、今回のケースではこれが一番近い「key」となりそうだ。

 現地にて現地人と近づき学び、体験を一つでも増やし視野を広げる。できるだけ体力のあるうちに、知識や理屈じゃなく体で・・・ ん? あれ? ・・・うーん
 どうやら答えは過去の自分が、「覚悟」というかたちで出してたみたいだ。

 ちょっと落ち着いたのか又はあきらめたのか、ホッと息を吐く自分にさらに追い討ちをかけてきた。
「 口は清めるのか?」
 うっ! そ、それは・・・。口を清める、つまり「うがい」。現地人は礼法の一つとして口の中まで清めるのだ。
 うーん・・・。この前、河に死体が流れてるのを見た。遺灰を捨てるところも。街はずれでは河に子どもが大便をしてた。そしてみんなが石けんで体を洗い、洗剤を付けて洗濯をする。人間の口の中は、肌・皮膚とは違う粘膜なのだ。っと、いろんな現実がチクチクと気合を入れた袋に穴をあけようと、ちょっかいをかけてくる。
「何を悩む? おまえはヒンドゥー教徒なのか? なぜそこまでする?」の問いに、
「それは・・・それは、現地人がするからです」、 こうとしか答えられなかった。
 これは日本人の特徴の一つである「みんながするから、俺も、オレも」、というものでは無く、「現地人に近づくこと」、これがその現地ならではのインスピレーションを感じれる方法だと思ったからなのです。
 ここでも毎度のことながら、日本人に多い「ほとんど無宗教」という特徴を「特権」にかえてチャンスの河へ浸れることを幸運だと感じました。

 次の日、さっそくガンガーに身を浸しました。
 ガートと呼ばれる川沿いにある水の中まで続く階段を、藻やらなんやらわからないヌルヌルで足を滑らさないようにゆっくりと下りていく。あの短く長い時間は、なぜだか以前に車でひかれて死んでいたウサギを抱き上げた時の気持ちに似てました。
 また、日本を最初に出ると決めた後、旅に用いるバックパックを店で選んでいる時と同じ気の高まりを感じました。面白いですね。
 おそらく、もともと臆病な僕は何らかのラインを越える前、いつも同じようにびびってしまうのかもしれません。この「恐れ」とは違う、気が高まった状態にある「びびり」、これをひょっとしたら「武者震い」と言うのかもしれませんね。
 何かする前、ちょっとびびっちまった時に余裕しゃくしゃくの表情で「武者震いがするぜぇー」っと一言で軽くかわすことができたなら、一回り器が大きくなったといえるでしょうか?

 ひとまず腰まで水に浸かり、そして沐浴する日本人に群がるインド人達に「沐浴の礼法」を教えてもらう。それから頭までドブンっと潜り、しばしの間、聖なる水とやらに抱かれました。
 この時、あらかじめ日本人の友人にカメラを渡し写真を撮ってくれるように頼んでおいてあるあたりは、まだ気持ちに余裕があったってことでしょうか?
 近くにいたインド人に、
「危険だから泳いで遠くまでいくんじゃねーぞー! 警察呼ぶぞ!」
っと言われ引き返す。ガートまで戻り、気がかりだったうがいをするため、 手酌で一すくい。
 あがぺっ! っと気合を入れて口にふくむ。味は・・・・   うーーん・・・

 まったりとして舌に絡み付くような口当たりと、洗剤と灰によるホノカナ苦味。藻から染み出たとろけるような甘みと、最高の贅沢ともいえる「人のガラ」、又の名称を「どざえもん」と呼ばれるマテリアルから抽出された深い風味のエキスとがハーモニーを醸し出し、味覚・視覚もさながら憎いタイミングで後から高級ワインビネガー顔負けの体液の香りが、こ憎らしいほどセンチなぼくちゃんを困らせ、瞳を閉じれば、もぅ、そこにはパラダイスが広がって・・・
 あぁーー ぅあーん ふぁーー・・・・・  略して、まずい!

 今インドは真冬。冬はインドでも寒いのです。震えながらも杖袋(杖を入れて持ち歩ための袋)を洗濯する。そして着ていた服を絞る。
 今回僕は、服を着たままガンガーに入りました。僕がいつも着ている旅人ルック(おそろいの緑色の帽子・ジャケット・ズボン)です。旅する者にとって旅道具は仲間と同じで、かけがえのないパートナーなのです。だからいっしょにドボンです。
 日本人ということでただでさえ注目を浴びるのに、この帽子をかぶったまま水に浸かるアゴヒゲもじゃもじゃ男(インド人はシーク教徒以外はほとんどあごひげをのばさないのだ)に、インド人もビックリです。

 こうして僕の沐浴は幕を閉じました。もう二度と・・・でも、ひょっとしたらこれが幕開けだったのかもしれません。

 あーだー、こーだー書き連ねましたが、本当のところ、ガンガーに入るだけならなんてことない事なのです。実際に日本人でも他に何人も沐浴してる話は聞くし、彼らがそれほど苦痛に感じているとは思えません。
 大切なことは、何か物事を起こす時、またその物事が深い意味を持つと言われている行動の時ほど、その物事に対する自分の姿勢というものを正し、自分の中で消化できぬとも自分のき気持ちを認識するようにすることだと勝手に思います。

 生と死、食べ物と汚物、信者と大嘘付き、富豪とこじきとが共存する街、聖地バラナシ。

 この後、デリー・アーグラー・カジュラホと小さく一回りして、またバラナシに戻ってくるつもりです。
 ひとまず、ごちそうさまでした。

 バングラディッシュのヴィザを取るためデリーに向かいます。このようすだと、クリスマスはタージマハールになりそうです。年越しは、再びバラナシかブッタが悟りを開いたブッタガヤーになりそうです。

 インドの旅は、まだ始まったばかりです。

 日本語が打てて安いメールショップを見つけたら、またメールします。僕のうだうだ聞いてください。返事をくださるみなさまに返事を返せなくてごめんなさい。いつも読まさせていただいては、離れた所の仲間の成長とうれしい励ましの言葉、この両方に背中押されながらニヤついています。
 それでは、また次のメールで。
 See−−yaaa−−−−−−−−−−
                        FROM まさし