2002年1月 水の国バングラ ■バングラディッシュ編
 ナマステ!
 再びインドインドのまさしです。

 先日までちょいと国境跨いでバングラディシュへ足を伸ばし、真っ黒になって再びカルカッタに帰って来ました。
 いやー、世界一のロングビーチ「コックスバザール」にて降り注ぐ太陽の下、リゾート気分で横になり、インドの喧しさからほんのひと時開放感に浸っていたら、いつのまにやらこんがりと黒く・・・、ならいいのですが、そんなことが今の僕の運命に許されるはずもなく、デリー・バンコクを越えて大気汚染世界一と言われるダッカをはじめ、排気ガスと砂埃に包まれたバングラを駆け足で走り回ってきたため、喉を痛めタンをぺっぺっはきながら汚れてきました。
 その真っ黒です。

 今回バングラに行こうと思ったきっかけは、日本で世界の国々に目を通している時に開けた百科事典から、何やらくっさい臭いをバングラのページから嗅ぎ取った所から始まりました。

 バングラは貧しい上に人口が多く、国民総生産などの方向から見て世界最貧国の一つと認定。
 世界一の寄付授与国として世界の先進国の皆様に世話になっちゃーいるものの、まるでそれを生かそうとせず、中でも悪いのは政府がその寄付をうまい具合に大幅にちょろまかしているとのこと。国は貧しくなる一方だが唯一の光として国民の大部分を占めるのが未成年ということで、国は国民に仕事はあたえてやれないが代わりに「教育」に力を注いでいるらしい。貧しい国だがインターネットの普及していく未来においては、バングラ国内にいながらも世界の仕事に着手していくことが可能なため、大きな可能性を秘めている国。だそうな。

 そうと知り、これは一度我輩の目で現状と未来の可能性を見定めなくては! っと地理的にインドとワンセットで関門の一つに数えたのです。

 そして、もう一つ。後付けになるものもありますが、バングラには良くも悪くもけっこう「世界一」が多いのです。

 まずは世界最貧国の一つ。続いてダッカは世界一の大気汚染都市にWHOが認定。
 世界最多額寄付授与国、ならびに世界最多額借金国(ちなみに最も寄付をしてるのはダントツで日本)。水害被害国土沈没面積世界一!(国土の三分の二が沈没)
 っとここまではいいとこなし。
 現在世界で唯一旧型外輪船「ロケット」が運行しているのです。しかも国営。
 後はオマケで、世界最長のロングビーチ、世界一幅の広い川、世界最大のマングローブ地帯、世界最大面積の大学などなど。
 っとまあ、 実は突つけばしぼむモノも多々ありますが、どんなことでも世界最大に触れることは、やっぱりすごいことが多いのです。

 んで、行くっと決めたら、はい、実行。行ってきました。そして 現状は?

 世界最貧国の一つバングラディッシュは、経済的に貧しい国という現状の上に狭い土地に人口が増えすぎ、仕事をしたくても仕事が出来ない環境になってしまったようなのです。
 どうしていいのか解らない人であふれ、藁をもつかむ思いでみんな首都であるダッカに仕事を求め出てきたものの、やっぱり仕事にはありつけず、一番手っ取り早いリクシャー(後部座席に客を乗せ走る自転車タクシー)に手をだしてしもうて、街はもうリクシャーだらけ。
 自転車タクシーと聞くとエコっぽいイメージを連想するかもしれませんが、トン トン トン と、とんでもない。リクシャーが巻き起こす大渋滞のせいで、街はディーゼル車&オートリクシャー(もちろんディーゼル)からの排気ガスでモックモク。
 あれやあれやと言ううちにスモッグの量は世界一にまでいく始末。街を歩けばリクシャーにせき止められ、徒歩なのに渋滞。もぅリクシャーは結構毛だらけ猫灰だらけ。黒く汚れた犬も歩けばリクシャーに当たるっちゅーねん。
 Oh− my ゴッホゴホ。ど田舎っぺの国民たちは、かーっぺ!かっぺ! っとタンをはきながらの自己紹介ときたもんだ。どーすりゃいいのさドラえもーん! っと煙の染みる両目を爪の中まで真っ黒な手で覆ってはみたものの、現実というヤツは鼻の穴からもやってくるのだ。はてさて、どうしたものかと汚れた髪をかき上げるが、不思議と悪い気持ちはしないのです。

 なぜかというと、人がいい人だからです。あれま、「いい人」だなんて僕らしくない枠の広い単語を使ってしまいました。
 バングラに行く旅行者はたいへん少なく、国や街側にも旅行者を受け入れる体制がほとんどみられないことが、ホテルの数や英語の普及率から見て解ります。外国人を泊まらせてくれるホテルは数えるほどしか無く、英語の案内やアルファベットが使われた店の看板も目にしません。カフェやレストランも無く、地元の食堂、つまりカレー屋だけです。インドはなんだかんだでイギリス・中国の影響を受けているのですが、ここは皆無です。
 移動をしても川が多すぎてバスごと巨大イカダに乗るのですが、ここも渋滞。一回イカダに乗るのに1時間以上は待たされます。そして決定的なのは見所となる所が、うーん、無いとは言わんがあると言い切れないのです。どーも、こう何処も うー・・・ しょっぱい。

 ガイドブックも日本では一冊しかなく、しかも最近やっと作られたばかり。内容も不十分です。
 飛行機を使うにしても、バングラ唯一の航空会社ビーマンエアラインしかなく、安くオンボロです。

 このように旅行者を寄せ付けない理由盛りだくさんのバングラですが、それゆえの利点が旅行者が珍しいということで、興味深々で旅行者に群がるベンガリー(ベンガル人)の目が澄んでいるのです。
 インドでも人は蹴りたくなるほど群がりますが、これは金銭絡みの営利が目的。

 ベンガル人の邪心の無さは、もちろん個人差はありますがすぐに感じ取ることができるはずです。

 今回バングラでの一番の思い出は、旧型科外輪船「ロケット」での船旅が出来た事でした。

 バングラは主に水産業と農業。川が無数に走り、低地で平地なので水害には毎回こっぴどくやられます。しかしベンガリーはめげません。彼らは言います。
「水害・洪水は土にたくさんの栄養を運んできてくれるから悪いものじゃない」、と。

 とは言いつつ水害による死者は出まくり、家も流され、かなりひどい目にあってるみたいです。

 このように水を恐れず、そして利用し、水害・・・水と共に生きる国バングラは正に「水の国」と呼ぶのにふさわしい所だと思います。この水の国をロケットにてベンガル湾、および川々をダッカに向けて移動する。これこそ最もバングラディッシュという国を味わうことのような気がしました。

 船から陸地を眺めていると、陸が川の水によってかなりグロテスクに削られていることに気付きます。「川岸」という感じではなく、川よりも高い位置が削られ大樹の深い根もむき出しとなり、あからさまに水に侵食されているのです。水害大国の現状を目の当たりにしました。
 川には踏ん張ることさえ許されなかった木々がバラバラになり、いまでは浮草と化しているのです。「壊」の水の力に、認めたくない敗北感をなんとかかき消せまいかと、頭の上にあるであろう「閃きの電球」を探していたら、代わりに南国の葉っぱでチラリズムをきざむ水と緑に住む民達の家々が目に入って来ました。それらには、洗濯物をはじめとする明らかに人の生活臭があり、よく見るとかなりの補修が施されていることに気づきました。

 素朴な言葉が込みあがって来たので、逆らわずフェンスから顔だして吐き出しました。
「なんであんな所に家建ててるの?」っと。
 今にも崩れそうな土の上に軒を重ねる家々もあり、水の中に2〜3本杭を立てて傾く家を半分支えてる家もありました。
「迷ったらすぐ聞く!」
 これは旅先での基本。英語が話せるベンガリーを片っ端からとっ捕まえて尋ねまくりました。一番多かった返事が、
「彼らは船を持ってるから、水が入ってきたら船で寝ればいい」
でした。
 これは答えのようで、僕の質問の的を獲ていません。次に多かった返事が、
「家が壊れたら、また建てればいい」
で、これは的をかすめてもいません。
 もうちょっと ましなもので、
「ひどい雨季になったら、高い所に一時的に移り住むんだ」
程度です。
 「的」をぶら下げた腕がプルプルと震え始めたころに、良識のありそうなベンガリー兄弟から、まともなヤツが飛んできました。
「彼らはこの土地で生まれたからだよ」
っと。

 その後、周りにいたベンガリー達にこの良識兄弟がベンガル語で僕の疑問を通訳してくれたのですが、そこにいた全員が「そのとおりだ」、っと口々に地元魂を説明しようとしてくれました。

「生まれた土地ねー」
もっともらしい答えにアッチャ(ベンガル語&ヒンドゥー語で「わかった」という意味)。
 まぁ、こじつけかどうかは知らないが、少なくとも根性見せてるのは一目瞭然。

 ここでトリップ。

「生まれた土地への思いと 、そこに住むというこだわり とはどんなものか?」

 僕は生まれも育ちも生っ粋の名古屋っ子ですが、どうも自分の故郷に対して住みたい!っという欲求が弱い気がするのです。街への思いはけっして弱いものではありません。

 最初の旅から帰ってきた時に強く感じたのですが、ただの電車の窓からの町並みさえも、そこはまぎれもなく 自分が育ってきた街であり、長いこと通学通勤を重ねた思い蘇る場所なのです。
 各市内に無数に広がる数々の思い出の場所などは言うまでもありません。実家に住んでいる僕は、今日までに二回の引越しをしました。同じ区内とはいえ、それぞれにそれぞれの香りを嗅ぎ取れます。
 その香りは、日本の他の土地を含め今まで旅してきた思い出の場所ベスト3と比べてみても血と水ほどの違いがあるのです。重複になるが、想い入れはけっして弱くない。

 けど、けんどね、思いが深いってのと、これから先に住みたいってのは別問題のような気がしちゃうんです。

 たぶんこんなこと思う段階でブルルンっと血が騒ぐもの感じても、ドカーン!と根を下ろすガツン!とした決定打がないんだと思います。
 それとも足が動きやすいよう、少し植物的な表現ですが根が出てしまわないよう本能が奥に引っ込めてしまったのではないでしょうかね?
 ただ、今はまだ名古屋に住む気がしないのです。なんだか少し悲しくもあります。

 水と血は、それぞれ比べることの出来ない次元で両方大切です。

 血が騒ぐのは想い出のせい。騒ぐ血に身を任せるか? それとも水は新たな血を作るのか? ガツン!っとした決定打とは? 友人達はどの辺に絡んでくるのか?
 ・・・今はまだ、わかんなくてもいいことですね。

 こんな根っこのことを考えるようになったのは、人が安定を求める心理の現れでしょうか?
 それとも水の上にて大地より離れたことによって、本能的に地を連想してしまったのでしょうか?
 ここは都合のいいように、大地に思いを寄せる水の民の思いを感受し、それにより連想がすすんでしまっただけ! っとでもまとめておきます。

 そんなことをロケットに揺られ、水と大地と現地人を眺めていたら日が暮れてきました。

 バングラの川の水の色はなぜか濁った緑色です。日の光に照らされた濁り水は輝き、太陽を映し、バングラディッシュの国旗を浮かび上がらせました。

 こんな風に視覚というよりは感性を開いて見ていると、数時間前は陸を削り砕けた木々を流す「壊」の水の力に恐怖すらかすりましたが、一日水を見てベンガリーと話し、夕日に照らされていると、この風景には「生」の水の力を感じてしまいました。

 人の印象というものは、ずいぶんといい加減な ものですね。
 しかし、それでいて昇華する可能性をもつ素敵なもののような気がします。

 水の力を気持ちの良い方向に感受することができ、民と触れ合え、自分の中の気持ちを確認する時間が持てて、国旗の意味に気付く事ができた。これだけでもバングラに来た甲斐があったと思っています。

 気にかかっていたことは十分には調べる事ができませんでしたが、それなりに満足するものがありました。

 将来有望かと思われた「バングラの子供たち」については、子どもに限らずみな生き生きとした瞳をしていたし、インドでよく見るずる賢い父親を見て育つ、幼くしてずる賢いガキにはほとんど会いませんでした。細かい教育システムまでは知りませんが、なんかそれ以前の問題があの生活環境からあるような気がしました。
 インターネットの普及については、まだ当分ないんじゃないでしょうか。
 あまりにも大きな地理的な問題をかかえ、且つ人はいいけど所詮インド周辺国特有のI.Qの低い民から成り立つこの国が、発展していくのはまだまだ先のことだと思いますが、日本のように世界的評価で優れてはいるが、忘れてしまったことの多い民族が学んだり、思い出したりするのに必要なものを持ってる国だと思いました。

 バングラなんて日本で働く人のほとんどの人にとって関係を持つことの無い国だとは思いますが、バングラがどうのこうの、っと言うふうにはとらずに、みんなに各自刺激を受けやすい姿勢をとってもらって、それぞれに都合の言いように前向きに僕のメールを読んでくれたら嬉しいです。
 今回の報告メールは、長いわりには面白味がかけてる気がしました。がんばります。

 今、僕は、インドカルカッタにあるマザーハウスにて、ボランティアの一人として働いています。 またまたこいつも、僕のインドの中ででかい関門の一つです。
 今回は丸腰でマザーテレサに挑みます。詳しくは次回のメールで。
 それでは。
 SEE−−−−−−−−YAAA−−−
                        FROM まさし