ナマステ!
ご無沙汰してました。カルカッタをソソクサと出て以来、なかなかメールを打てるところが見つからず、マザーハウス編を送るのに少々期間がずれてしまいました。
まぁ、あまり気にせずそのまま送信しちゃいますね。
マザーハウスのボランティアにやっと一区切りつけることができました。
今回の旅、インドを知るにおいて挑まざるをえない4人の人物の一人、マザーテレサ。(ちなみに、後の3人は、ブッタ、ガンディー、サイババ。ダライラマはチベットに入る)
うーん、やっぱりデッカイねー。
そして、マザーハウスでのボランティアの仕事は、これまたインドにおいて越えとかなきゃいけない壁の一つだったので、いつもにましてパワー全開でぶつかりました。
一口にマザーハウスのボランティアといっても、場所は一ヶ所ではなく仕事の内容も様々です。
マザーテレサのいた「マザーハウス」というのは、世界にカルカッタだけで1つしかなく、そこでの仕事は無いのです。
「ミッショナリーズ オブ チャリティ(Missionaries of charity)」
意味は「神の愛の宣教者会」と呼ばれる施設が世界中にあり、インドの中でも150ヶ所ぐらい点在します。
そこで、救いの手を必要とする者が集まり、時には集められ、助けを受けるのです。
カルカッタはさすが本家マザーハウスのお膝元だけあって、施設の規模も大きく、救いを要する者のジャンル別にハウス(施設)を設け、市内に計9個所、クリニックなどの特別施設を合わせると10〜12個所ものハウスが現存するのです。
ガイドブックなどには4ヶ所ぐらいしか載ってませんが、それは情報不足のうそっぱちです。
さて、そーこーでー、どこで働く 偽善者ボーイ。
ポジティブな臆病者の僕に‘捨てる勇気’はありません。
この特性は、いつもいつも小悪魔ちゃんの様に、あぁ いじらしく小憎らしいほどにぼくちゃんを困らせ、忙しなき道へと誘い込むのです。
僕の中で意図的に作られた「聖なるおみくじ」には、こう書かれていました。
「全部」、っと。
まぁ、なんて僕らしい結果ですこと。
この選択によって生じる利点は視野の拡大。生じる危険は、深くを感じそこなう浅さです。
この問題は洞察眼と積極性で補うことにしました。限られた期間は1ヶ月。この時間を最大限に有効活用するにはどうしたらいいか? 文系大学で鈍った元理系の頭を悩ませました。
僕の決めたプランは、まず全部のハウスを1日か2日ずつ回り、そして1回りしきった後でまた再度約1週間ずつぐらいの期間で1つずつ味わいながら働くというふうになりました。
ハウスの種類は、
「ニルマルヒルダイ(清らかな心)」、別名、死を待つ人の家。超重病人。
「ダヤダン(親切な贈り物)」、障害児の集まる家。
「プレムダン(愛の贈り物)」、重病人と捨てられた老人の集められた家。後天的なもの。
「シュシュババン(子供の家)」、孤児の集まる家。
「シュシュババン ハウラー」、孤児、正確には親はいるが子供を養えない家の子の集まる家。
「ガンディースクール」、貧しい子達に英語や簡単な数学を教える学校。
「ナボジバン(新しい人生)」、幅広い年齢の障害者。先天的なもの。
「シャンティダン(平和な贈り物)」、女性専用の精神障害・精神薄弱者。
「ハンセン氏病(らい病)センター」、らい病患者とその家族が住み、働く所。
の 9ヶ所。
このうち、ハンセン氏病センターはボランティアを受け入れておらず見学のみ。
シャンティーダンとシュシュババンは男は働けないので無理。
残るは6つ。
午前中に4つのハウスを1週間ずつまわり、午後に少しだけ時間がずれてるガンディースクール、そしてその後にニルマルヒルダイを毎日することにしました。
毎週木曜日は、休日とされていて一応働けないのですが、ダヤダンだけは人を募集していたため、毎週木曜日はダヤダンへ行くことにしました。
ん? ちょっと待てよ? っということは・・・ 休むところがないではないですか?
気づいた時には、もうこのプランの生活にサイクルを合わせた毎日を送っちゃってました。
欧米人達にはクレイジーだと言われ、自分でも少しキツイかな? っとも思いましたが、ここは日本人である特徴を活かそうと思いました。
日本人は世界の中でも言わずと知れたハードワーカーです。職業によっては残業なんてあったりまえ、休日出勤だって珍しいことではありません。日本で社会に出た人なら大抵の人が体験することであり、少なくとも僕らはそれを家族や友人を見てでも知識の中で知っています。
ここから引っ張ってきて、今の力に生かそうと思いました。
他のボランティアに比べて日本社会で育った僕の方が、長い時間働くことに対して不快に思う念が少ないのです。肉体的にも僕は丈夫なのです。ツアーガイドやってる時だって、1ヶ月以上休みが無かったわけだし、それに比べればへっちゃらぷーだと
思いました。
人間は 強くて弱い生き物です。
そして辛いことがあった時、人はすぐ「うわっ! 死にそう!」っと思ってしまいますが、人間はすぐ死にそうにはなるが、なかなか死なない生き物なのです。
勿論これは、人間がどれほど簡単なショックで命を失うかを承知の上での自論です。
多くを体験・吸収し、前向きに人生を歩んで行くために大切な姿勢だと僕は思います。
ズレた話をコキャっと戻し、できれば全部のハウスでの話を書きたかったのですが、書ききれる量ではありませんので、その中からマザーハウスの施設の中でも毎日通った想い出深い「ニルマルヒルダイ」での話を、さらに抜粋して少し書きます。
「ニルマルヒルダイ」、意味は清らかな心。
別名「死を待つ人々の家」、シスターやボランティアの間では通称「カーリー」と呼んでいます。理由はカーリーガートという場所に在るからです。
ここからは 「カーリー」と書かせてもらいます。
ここは最も有名で代表的な施設。患者は名前の通り、死を待つ人々がほとんどです。
「死」というのがキーワードになっているわけではなく、路上に生活していたり手当ても受けられないような超重病人に対して最低限の治療と生活を・・・、というのが始まりであり、目的の場所。「完全回復」ではなく「最低限度」ってあたりがポイント。とってもキリスト教チック。
収容患者数は80人くらい。男50女30ってとこ。でも入れ替わりが早く、人数の変動も多々。他界してしまうからです。さきほど「人間はなかなか死なない生き物」と言ったばかりですが、ここではその人間が次々と死んでいく様を目の当たりにします。
病種は様々。結核、ガン、エイズ、肝炎、などなど感染病をはじめとする不治の病がてんこもりの場所です。
その中で僕らボランティアの仕事は、食事と下(しも)の世話、風呂入れ、洗濯や食器洗い、マッサージやリハビリの手伝いや話相手になって患者とコミニュケーションをとったりすることです。
その中で僕の仕事は、案の定マッサージでした。驚いた事に、こんな大きな施設なのに整体・マッサージに関するドクターがいないのです。短期の素人ボランティアがオイルを塗って適当にさするだけなのです。そこで、カーリーのボランティアリーダー的存在であり実質的にもカーリーの患者に関しての全指揮者であるアンディー(ドイツ人で結構有名らしい)に患者リストをもらい、マッサージが必要な順に僕が担当する患者を任されました。
これは願ってもないチャンスでした。患者としても素人よりは絶対僕が触った方がいいはずだし、僕もマッサージ師としてあらゆる症状の患者に触れてみたかったのです。
そしてなにより、患者と直接話ができることが嬉しかったのです。
患者と直接接するにあたり、心配だったのが「感染」でした。
ただでさえあらゆる菌のはびこるカーリーの中で、僕は最初っから最後まで患者と接し続けなければいけないのです。結核は空気感染するし、スケービーズ(人の手から手へ移り、皮膚に潜って卵を生む虫)の感染力はかなりのもんです。こっちに切り傷なんかあった日にゃー、ドキドキもんです。
こーゆー時に限ってスリキズ、切り傷つくっちゃうんだよねー。マッサージしてる時も、顔を患者に近づけてるときにかぎって、いやーな感じのゴォホゴォホっていう、い・か・に・も・ってな咳を炸裂させてくれるんよねー。
おぉー 神さま アーメン
シスターに尋ねたら、
「絶対にマスクと手袋をしなさい!」
って言われたけど、アンディー(総指揮者)に尋ねたら
「うーん、マザーテレサは何十年もマスクも手袋もしてなかったけどなー」
って。
あ痛ぁーーー。憎いことをおっしゃる。
そー言われたら僕の性格上、
「やったろうじゃないの!」
ってねー、 また子供みたいにねー。
ちゅーわけで、マスク・手袋なしでやることにしました。
マッサージをしてて良かったことの一つに、全体を広い視野で見ることができる、というのがありました。あくせく歩き回るのではなく、1ヶ所に腰を落ち着けているので周りが見えやすいのです。他のボランティアの動きや患者の様子を見渡せるのは、いろんな問題に気づく事ができました。
患者と接して行く中で、いろんなジレンマも感じました。
いつものように患者にマッサージをしようとしたら、
「あ、今日は彼にはマッサージしなくていいよ。彼、明日死ぬから」、
と言われ、言葉を失いました。
その患者は、ただ黙って天井を見て横たわっていました。
「じゃ、最後だからこそ、彼が気持ちいい程度のマッサージをしてやりたい」、
と言うと、
「他にキミのマッサージを必要としている患者がいるんだ! 彼らにしてやってくれ」
、
と言われました。
なんとも消化し難い思いが残りました。
しょうがないので、後で表に出て奥義「地団太」で解消。
あぁー、地球よありがとう。
またある日、患者が「クッキーをくれー!」としつこくせがむので、あげてもいいかと尋ねたら、許可が下りなかったので駄目だっと言い聞かせました。その患者が、次の日死にました。
どーせ死ぬなら・・・っていうか、そこまで様態が悪化してたのなら、死ぬ前にクッキーぐらい食べさせてやってもよかったんじゃないのか?
消化しきれぬ思いが、あぁーー地団太 ダン ドン だーん!!! です。
マッサージしてて思いました。ここの患者に回復のための治療技術はまったく使えず、様態がその次元の話ではないということ。そして、他界しベッドを去るペースを見てると、なんとなく ここにプロのマッサージ師・整体師がいないのが分かったような気がしました。
カーリーガートについては、この辺にしておきます。その他のハウスの話は、僕の言葉の多い写真集か再会したときの土産話で。
ボランティア以外にもなにか自分に出来ることが無いか? と考えてみたところ、カルカッタの施設は世界的にも有名で、たくさんのボランティアが集まるにもかかわらず、インド他の地のミッショナリーズ
オブ チャリティーはほとんどの人が知らないのです。
だから人手も不足しています。カルカッタ以外の地にもハウスがあること自体が知られてないのです。なんとか広める方法は無いかと僕なりに色々と案を練り、シスターに相談というか、許可をもらいにいきました。
すると、
「何もしないでくれーい!」、
と言われました。
「全てのことは神様が御決めになることで、私たちはただ鉛筆のように使われているだけ。もし、本当に必要なことなら神様の力でなるようになっていくのです。だから、特に宣伝活動のようなことは絶対に止めて下さい!」
と、代表のシスター、その後に日本人のシスターから言われてしまいました。
「神様のちからで、なるようになっていくだぁー?」
いかにも宗教的な意見でつぶされてしまいました。ぎゃふん!
カルカッタを出る最後の日。仕事には出ませんでしたが、朝、マザーハウスへ行き、早朝のミサに出ました。
なんやかんやで期間を延長して、一ヶ月半マザーハウスの仕事に命を燃やしました。
休みの無かったこれまでの時間、今までの出来事と思いを整理するのに、とてもいい時間が持てました。宗教がもたらす「祈り」の時間の大切さ。祈りの中に見つける自分の答え。
ミサが終わった瞬間、外のカルカッタの交通事情の喧しい音がいっきに耳につきました。それほどまでにミサに集中していたようです。クリスチャンでもないのにね。
マザーハウスのボランティア活動。消化しきれぬ思い多々あり、速戦技術にはならないかもしれませんが、人生の中において大切なことを多く学んだと確信しています。
まさに 「自分のために ボランティア」っというやつかもしれません。
マザーハウスにあるマザーテレサの墓には、今もたくさんの人が手を合わせに訪れます。
そして、シスターやシスター見習いも頭をつけて癒しを受けます。
僕もまた、その中の1人となってきました。
最後には、偉大なる女性に深いおじぎを。
マザーのハウス おじゃましました。
この旅に、また一つ深い足跡が焼き付くほどに踏み込まれました。
地団太を含め、いろんな種類の足跡をいろんな人に場所に残して、長居したカルカッタを後にしました。
さて・・・ この次は?
いよいよ南インドに向かいます。
南インド、最初の関門は・・・ 「サイババ」です。
それでは、次回の報告メール「サイババ編」で。
SEE−−−−−YAAAAAAA−−−−−−−
FROM まさし
PS な、なんと! この日本にもミッショナリーズオブチャリティーがあったのだ!
東京と名古屋と別府
住所は以下に
3307-6 Aza yanobayashi oaza hamawaki Beppu-shi oita-ken 874
japan
tel 097-721-7044
Nishi-arai honcho 3-5-24 adachi-ku tokyo
japan 〒123-0845
tel 03-3898-3866
Yasumatsu 1-15 shippocho ama-gun Aichi-ken
497 japan
tel 052-441-5141
です。
おいおい、この日本においていったいどんな人がハウスに集められるというのでしょうか? 興味深々です。