2002年4月 ヤツの名はサイババ ■インド編
 ナマステ!
 カルカッタを出て早数週間。サイババワールドに足を踏み入れてきたまさしです。

 多少の空振りはあったものの、思っていたより早くサイババの足取りをつかみ、お目にかかる事ができました。

 今回も下調べ無しで訪れたわけですが、サイババワールドの大きさにちょっとだけひるみました。敷地はその辺の広い大学よりもさらに広く建物も新しく清潔です。

 中にはショッピングセンター、郵便局、銀行、図書館、サイババ博物館、小学校から大学・専門学校までそろっています。そろい過ぎです。だから、一切外に出る必要がないのです。
 これはこれで、少々恐いというか危険ですよね。

 もちろん、宿泊施設もあります。普通の部屋もあるのですが、ほとんどの信者・訪問者はめちゃめちゃ安い体育館のような建物の中にマットをひいたりして寝ています。天災に襲われた時に避難している気分が味わえました。天井にはファン(プロペラ・吊り下げ式扇風機)がいくつも回っていて、これまた「オーム真理教」の施設を思わせる宗教チックな雰囲気を醸し出しています。

 サイババに会うには、少々骨が折れます。
 正確に言うと、最前列にてサイババを近くで見ようとするには並ばなければならないのです。この並びかたが尋常ではないのです。

 朝、AM3:00から並び始め、さらにその列をいくつかに区切り、前から順にさらに20人づつくらいの短い列を作り、くじ引きをさせます。そのくじにより、サイババの歩く道に沿って1列目2列目と場所が決まっていくのです。サイババが現れるのはAM6:50です。つまり約4時間待ち続けなのです。
 これが2〜3日ならどってことないのですが、信者達は毎日なのです。もちろん後ろの方からでもサイババを見れさえすればいいという信者もいます。そういった人達はもう少し遅い時間にホールに集まります。

 初日から僕も朝3:00から、蚊にボッコボコにされながらも並びました。たしかに並んで待つ事は辛いことかもしれませんが、信者の様子を見ていると彼等は待つ時間を瞑想の時間だと言い、くじ引きをまるでギャンブルをするかのように楽しむ人もいました。

 時間も迫り、空気が緊迫してきました。すると突然、爽やかなフルートのBGMにのって、遠くの方にオレンジカラーの衣を纏った小さな聖者がその姿を現したのです。

 一面に曼荼羅が描かれた天井に無数の豪華絢爛たるシャンデリアが吊るされた、中級サイズのコンサート会場ぐらいの広さのホール。その中に詰め込まれた1000人以上(数え切れない)の人達。彼等の視線が一点に集まる瞬間を見ました。

 サイババは体から・・・特に目からエネルギーを放っていると言われ、周囲の者を始め、目が合った時に人々はパワーをもらうことが出来ると信じられています。
 そのため、人々の視線はその聖者に、正に  ‘く・ぎ・づ・け’ です。

 朝3:00から行列をつくり、待ちわびた人々の間をサイババはゆっくりと歩いていきます。
 予想以上に小柄なその人の顔には、写真や映像で見たはりは無く、かなり老いてしまっていたのです。健在なのは、生きた眼光とトレードマークのアフロでした。

 サイババは、右手の平を上に向け小さく回しています。ココから「ビブーティー」と呼ばれる物質化した聖なる灰を出すのです。歩きながら周囲を見渡し気になった人の前で立ち止まり、小さく話かけるのです。そして、気になった人にだけ後で来るように言い、人々はサイババとの面接の権利を得ることができるのです。

 サイババが前を通る時に、あらかじめ用意しておいた手紙を彼に渡そうとする人もたくさんいます。サイババが近くに来たこのチャンスに自分の思いを込めたメッセージを渡すのです。
 何が書いてあるのか、気になりますよね。

 サイババはゆっくりと歩き、立ち止まり話し掛け、時々ビブーティーを出し 与え、人々の手から手紙を受け取ったり受けとらなかったり・・・。そうして建物の中に消えていくのです。
 この間約20分くらいです。サイババがいなくなるや否やすぐにBGMは消され、人々はそそくさと、おそらく朝食へと去っていくのです。

 これを毎日、朝6:50と午後の3時ぐらいに1回の計2回。一日の中でサイババに近づくチャンスがあるのです。その前後ぐらいに歌・・・キリスト教でいう讃美歌のようなものを歌う時間が30分から1時間ほどあります。もちろん午後も行列です。そして、午後は朝よりもサイババがいる時間は短いのです。

 っと言うことは・・・
 1日でサイババを見ることが出来るのは、たったの数十分だけ! その為に人々は1日の3分の1を歌と待つ時間に費やすのです。

 行事が終わると人々はそれぞれの生活に戻ります。と言ってもほとんどの人が昼寝に時間をつかいます。無理もありません。朝3:00前起きですから。寝ない人は何やら呪文のようなものを唱えたり、瞑想にふけっています。

 サイババアシュラムの中で避けては通れない事が行列です。

 広いとはいえ信者・訪問者・関係者を合わせた滞在者の数はすごい人数です。そして、1日は朝と午後の時間の決められた儀式に合わせて送られるのです。そうなると、自然に人々の食事をする時間、寝る時間等が決まってきて、生活パターンが皆同じとなるのです。そのため何処に行っても行列です。儀式・買い物・食堂 すべてに行列は付いてまわります。

 っと言うことは、一日の中で「待ち」の時間が尋常じゃなく長ーいのです。
 早朝起きて並んで4時間待って、儀式後朝食で並び昼近くまで寝て、昼食で並び、午後の儀式に向けて早めに並び、儀式後は夕方で食堂オープンするまで買い物でもして待ち、その買い物でも並んで、そして夕食のために行列を作ります。夜は9時には消灯で8時くらいには寝始める人もいます。この待ちの生活、これには中国人・ロシア人もビックリです。

 欧米人達が口々に言ってました。
「ここにいたら太っちゃうよー」って。
 あたりめーだコノヤロー!

 視点を片寄らせないために、僕は儀式に対しての姿勢を3タイプに分けてみました。

 1つは、信者と同じ「サイババ集中型」。

 2つ目は、サイババを見るのは一切止めて信者達の反応だけを見る「客観視型」。

 そして、外の様子を見るため、儀式中ホールの中には入らず歩き回る「外界散策型」の3つです。

 さて、こんな僕の感想は?

 まず、生サイババ。

 僕は特別、神がかったパワーは感じませんでした。しかし、群集の中を歩く 穏やかにして堂々たる姿、腹の座ったあの落ち着きは見事だと思いました。この信者の数と様子、ここまで来たら彼の物質化能力が嘘かホントかなんて関係ありません。
 ここまで人の心を引き付けた男の姿に敬意をはらう気になりました。

「あなたは神ですか?」と問われたら、彼はこう答える。
「はい、私は神です。しかし、神はあなたの中にもいるのです」
 器も大きそうだ。

 僕はサイババに対して、人として偉大さを感じました。がしかし、それと同時に彼の普通さをも感じました。おそらく 60〜70くらいまで生き、それまでに懸命に自分を磨いて来た人で、あのくらいの器を持っている人は何処の国にも世界(ジャンル)にもいるような気がするのです。
 それは経験豊富な裁判官であったり、売れない作家であったり、世界を巡るドクター、商店街に軒を連ねている食堂の板前さんかもしれません。毎日の通勤ラッシュの中にも、それは存在するかもしれないのです。

 環境がもたらした影響は確実にあると思います。それだけに彼に対して‘下町の偉人達’との差を感じませんでした。これはサイババの株が下がったのか? はたまた下町のおっさんの株が上がったのか? どっちなんでしょうかね? どっちでもないのかな?

 次に信者。

 まず、信者のすごいところ。
 彼等にとって、サイババはすんばらしーい存在です。正に、‘くびったけ!’です。
 羨ましいことですよね。くびったけになれるものを見つけた、出会うことが出来たなんて。
 そして、この力は彼等にとって生きる源、もしくは手助けになっていることは間違いありません。信仰心という手段により力を得る術を身につけた信者達。すごいことです。

 サイババが現れると信者は両手の手の平をいっぱいに広げ、気持ちの問題だと思うのですが、少しでも広い面積でサイババパワーを受け止めようとしています。

 僕は信者ではありません。だから、放たれるパワーを見ることが出来ません。パワーを得られません。でも信者達には見えるのです。信仰心という力が見せているのです。そして、彼等の生きる力になり、時には病気さえ直してしまうのです。外からの力を信仰という術により自らの力に変えてしまう。
 信者の‘合気’、とでも言いましょうかね。

 僕から見た信者の問題点、それは視野の縮小です。
 信者は恐ろしく視野が狭ばっていると思いました。たとえばサイババが通る時、信者は手紙を渡そうとします。その時の信者の目は正に「我先に」です。
 他の人は見えてません。そして、サイババの気持ちさえも汲み取ろうとはしていません。ただ夢中になり、自分の欲求を果たしたい念でいっぱいなのです。サイババとの距離が10mぐらいあっても、サイババが振り向き、そちらの方角を向いただけで信者は「あぁー 私のことを見て下さっているー」
と、半ば中腰まで立ち上がり自分の手紙を渡そうとするのです。絶対届きそうにない距離なのに。間にいる群集や距離は見えてないのです。
 その様はアイドルのコンサートを連想させました。
「きゃーぁー キムタク、今、私を見た! 私みたぁーー」ってね。
 見てねーだろ!!!

 視野が狭ばると、外のこと、他人の言うことにも耳を傾けなくなります。特に全てがこの中だけでそろってしまうサイババアシュラム。危険だと思いました。

「信じるが故、苦にならぬ苦行。がしかし、信じたが故、閉ざされる視界」

 うーん、忍ともかんとも。

 信仰心を励みとし、生きるプラスの力として得、上手に世の中に散ってくれたら理想なのにねー。
 ひょっとしてそんな器用な人には、宗教はいらないのかもしれませんね。

 外の様子は思った以上に冷めてました。もっとホールの外とかでも地面に頭とかつけて祈ってる人がいるかと思えば、誰も気にしずスタスタと通り過ぎるだけでした。
 どうやらサイババパワーは建造物という障害物はすり抜けれないようです。
 アシュラムの外の人や、店の人に声をかけて尋ねてみました。
「今サイババ登場だけど見に行かないの? サイババ信じてる?」ってね。
 すると、
「あれはインチキだ! たっぷり金とってるし、よくないな」とか、
「信じちゃいないが、彼の人気のおかげでこっちは商売できてるからねー。どぉ、ポストカード買わない? ねぇ?」
って、買うか! ボケ!

 アシュラム付近といえどもいろんな意見があるもんです。

 サイババ信者に溶け込みたくはないが潜入するため、服装を信者の正装である白でマーク入りの信者服に着替えました。とても知人には見せたくない姿でした。やばすぎます。

 そして、‘ジャパン グループ’という日本人信者のグループにも入会しました。
 ここがまたキッツイんよ。みんなもう、目がちがうよ。目が!
 日本人なだけあって、僕にはとってもわかりやすかったです。彼等に関して気づいた点はたくさんありましたが、長くなるのでまた、いつか。

 僕もメンバーの証である「サイババ写真付きペンダント」を首から下げて、ジャパングループからもらった白の正装を着てサイババアシュラムの中を歩き、ジャパングループのミーティングや勉強会に足を運んだ日々のこと。
 忘れません。あぁー忘れたい。

 日本人だけじゃなく、他の国のあぶねー信者もたくさんいました。
 宿というか体育館というか、ドミトリーはすごい面々です。儀式の時間以外はずっとサイババの写真に向かって祈ってるヤツとか、瞑想にふけるヤツ、足を組み麻原みたいにジャンプしてるヤツ。と、バラエティーに飛んでいるのか片寄っているのか? よくわからないシチュエーションで、皮膚の色の異なる面々がそれぞれのワールドに浸っているのです。
 外から見たら、こいつら絶対一つのワールドだなっと思えてしまうのに。

 サイババアシュラム内は男女に別れています。
 道さえも性別ごとにあったり、食堂、ホール、売店の利用時間も違います。少しは男女共有の場所もあるのですが、基本は別です。

 だから、ホモ もいました。
 インド南はほとんど熱帯と変わらないので、とても暑いのです。みんな上半身裸でパンツいっちょです。彼等にとっては、ここは美味しすぎる場所かもしれませんね。

 そこで気づいた、どーでもいい話。
 アシュラムの中、ブリーフ人口が異常に多いのです。しかも白。一応サイババ信者カラーだね。数えたら、50人中 47人がブリーフで、その中で30人が白ブリーフでした。ちょっと気持ち悪いです。なんだか誰もかれもがホモヤローに見えてしまいます。ちょっと目が合っただけで「ヤロー、俺のこと狙ってやがるな?」なんてね。
 誤解をされないように気をつけて、さりげなーく人数を数えました。
 はい、どうでもいい話でした。

 今回のこのサイババ経験で、どうしてもわからないことがありました。
 それは、「なぜ、信者達は信者になったのか?」、でした。
 信じることは、先ほども書いたように良い事だと思いますし、確かに信じるものは救われるのです。では、どのようにして信じるきっかけが起きたのでしょうか? サイババ小学校からサイババ大学を出た人なら、「すりこみ」と言う事で納得がいくし、一般の人に多少の偶然・奇跡もあったことでしょう。でもそれにしては数が多すぎるじゃありませんか?

 そう・・・ 頭を悩ませていた時、1人の友人と再会しました。彼は中国からの知り合いで、何度も偶然会ってきました。今回も偶然でした。
 彼は言いました。
「僕はサイババ信じてますよ。別に日本に帰ってまでサイババ写真立てて祈ったりはしませんが、信じるから力が得られるんじゃないかと思いますし、サイババという媒介を通して自分の心が少しでも清らかになれればいいんじゃないかなー」
っと、ここまでは僕も思ってた事とほとんど同じで、気になる
「なんで、信じたの?」
っと尋ねたら、彼は
「よくわかりません。でも、今回はとりあえず信じる事にしました。別にどっぷり漬かるわけでもないし、うーん、信じちゃう事にしました」
っと。
 うー、なるほどねー。

 僕は少し答えを求めすぎていたのかもしれませんね。

 彼の言うように、
「とりあえず」
として、もうワンステップ先に行くことも時には大切な事かもしれません。

 固くなった頭と自信に、これを機にセルフマッサージを。

 「職」に関しても同じなんでしょうかね? 僕の場合、もうワンステップツーステップ踏まないと一生の職は決められないのかもしれません。

 旅は僕にとっては助走。大丈夫! 目測を誤り助走で疲れきるようなヘマは絶対にしません。元陸上部だしね。遅かったけど。あっ! 僕の専門、ハードルだった! ピョンピョン飛びまくりじゃん。はぁー、がんばります。

 今回のサイババワールド、マザーハウスと合わせ技で、宗教というものを改めて感じさせてくれました。宗教を必要とする人はたくさんいます。ですが、今の僕には必要ないのです。

 コップの中の水を空にしなくては、新たに水をそそぐ事はできません。しかし、水を捨てる気はまったくありません。代りにコップをいくつも並べる事に専念します。

 「選択」と「味付け」は後から。

 宗教は一つのコップしか持ってはいけないようですね。
 さて、何処で、どのコップに、どんな味をつけるのでしょう?
 楽しみです。

 本当はどのコップを選んでも同じ味になる事、気づいてるはずなのに。面白いねー。

 サイババさん サイラーム(サイババアシュラムの中でこんにちは、ありがとう、どういたしまして、さようならなどのすべての挨拶に使える便利挨拶)

 さーて、この次は?

 引き続き南インドをまわります。
 世界中、全員の名前と運命を葉っぱに書き込んだといわれる「アガスティアの葉」。

 空手・テコンドー・カンフーの元祖ではないか?、と言われている「カラリパヤッツ」。

 インド伝統医学として古から伝わる「アーユルヴェーダ」。

 この、3本に迫ります。

 そして、オマケでムンバイにあると言われている合気道道場。道場にタダで泊まらせてくれるなら住み込みで稽古したいなーってね。
 それでは。また。
 SEE−−−YAAAAAAAAAA−−−−−−
                        FROM まさし

PS ビブーティー、いくつか持って帰ります。ほしい人は・・・うーん、家まで取りに来て! 早いもの勝ちです。