2002年4月 過去から未来へ・・・ インド南風 ■南インド編
 ナマステ。
 南インドを片っ端からやっつけて、西を経て再びデリーのくっさい空気 を腹式呼吸で味わっている まさしです。

 南インドでは、一日の半分くらいを上半身裸に短パンで過していたため、真っ黒に焼けてしまいました。一年前の今ごろ、ネクタイ絞めて会社に通勤してた自分が嘘のようです。そして、通勤していた時よりも、旅中の今の方がハードな毎日を過しているという事実も嘘のようです。

 予定よりも少々長く時間を費やしてしまった南インド。語りだしたらきりがないので、前回予告であげた3つをとりあえずサラッと。サラッとね。

 まずは、予言者アガスティア・ナディンが世界中の人の運命を椰子の葉に刻んだと言われる
 「アガスティアの葉」
 見つけにくかったけど、探し当てました。

 これも説明すると長くなりすぎて読者の眠気を誘ってしまうかもしれないので、結果と補足だけ。

 結果! まさしの葉は出てきました。

 そこには、僕の70歳頃までの人生が大まかに書かれていました。正確に言うと、僕は一番安いコースを頼んだので大まかにしか教えてくれませんでした。それでも、ほとんど1年か2年単位での細かさなので十分です。
 なんとかトリックを見破ってやろうっという意気込みで、質問タイム中質問者の表情から眼球の動きまで凝視していました。

 質問にはYES/NOで答えるのですが、余計な情報を与えるようなヘマはもちろんしません。

 最終的に両親の名前と職業、兄弟、今の僕の社会的立場、生年月日などを相手に言われました。少々、うさんくさいトリックじみた所もあったのですが、なにはともあれ、日本にこれだけ多くある職業の中から両親とも当てられ、さらに名前までも言われたことには 「お見事!」っと思うしかありませんでした。まして、インド人が です。

 僕の人生は、
「人より少々職業を決定する時期が遅い」、
ということ以外は、とってもハッピーっということでした。なんでも疑ってかかってしまう僕は、今でも疑っていますが、なぜだかとても良い気分になったことは紛れも無い事実でした。ルンルンでした。

 もっと詳しく知りたい人は、僕自作のイラスト入りで説明したノートがあるので、
うーん また、いつか。

 はい次!
 仏教とともに大陸に伝わった、空手、カンフー、テコンドーなどの武術の元祖・・・ではないかって言われてる、インドケララ州 伝統武術「カラリパヤッツ」。

 やってきました。

 中国嵩山ある少林寺武術学校の時のようなガッツーン! という驚きは無かったですが、なかなかやりおるわい、カラリめ!
 動物を型どったすごく野生的な動きが多く、部類分けするならカンフーに近いものでした。
 今回時間の関係でみっちりは出来ませんでしたが、タオルをつかった布術と盾術を少々かじらせてもらいました。
 これ以上深い話は武道家以外には退屈しそうなので、ここでヤメー。

 はい次!
 自然治癒力を最大限に生かすインド伝統医学「アーユルヴェーダ」。

 ケララ州コーチンで本場のアーユルヴェーダを受け、且つ盗んでこようと思っていました。
 ですが・・・。

 インド最南端カニャークマリへ行った時、ホントの先っちょ最南端エリアで丸一日、南のインド洋に向かって座り、左のベンガル湾から太陽が昇って右のアラビア海に沈むまで、座禅を組んで瞑想していたら、極度の日焼けで全身皮膨れ状になり、えらいこっちゃになってしまいました。南国の太陽をナメテました。

「陽射しが大変強く、海からの照り返しを含めますと紫外線の量は何倍にも膨れ上がり、直に日光を浴びてしまうと全身皮膨れ状になってしまいますので、必ず日焼け止めをご使用していただくようお薦めします」

 っと、そう、 オーストラリアでツアーガイドをしてる時のバスガイディングで、こんな台詞を自分が言っていたのをふっと思い出しました。
 そうか・・・ これが 皮膨れ状!  はい、学習!

 っと言うわけで、マッサージどころか自分で触れることさえも、嫌ぁん ってなくらいなもんでしたので話を聞きにいっただけで体験はできませんでした。
 あきらめかけてたところ、インド西砂漠の都ラジャスターン州の州都ジャイプルで、思わぬ出会いがありました。
 ホテルのオーナーに
「職業は何をやっているの?」
っと聞かれたので、適当に
「マッサージ師です」
っと答え、
「ホスピタルで働いていました」
っと言ったら、
「ぜひ教えて欲しい!」
っと言ってきたのです。

「バカタレ! そんなちょっとやそっとで、出来るようになるもんじゃねー」
っと思ったら、そのオーナーは実はアーユルヴェーダ大学の教授だったのです。 っと言うわけで、エクスチェンジ(交換学習)することになりました。
 さらに、それだけでなくその教授の大学と一緒になっている病院はインド最大のアーユルヴェーダ病院だったのです。そして、その病院と大学を視察する権利を得たのです。ドクターに連絡を入れてもらい行ってきました。
 これはめったに無いチャンスでした。生の治療と学生たちの生の声を聞けたのです。
 そして、 感想。

 うーん、はっきし言って大した事ありませんでした。中国を上回る気の長ーい自然治療。これは、インド時間だからできるのかも しれません。っとはいえ、いただける技術は全てこってり頂いてきました。

 まさし治療術にアーユルヴェーダが加わりました。  はい、ラーニング!

 っとまぁ、こんな感じで、なんだか短い文章にまとめちゃうとつまんないな。あんなに辛い思いをしたのに。つっこむと恐ろしく長い話になってしまうので、やっぱりこれで止めときます。

 最後に一つ、砂漠の入り口の都ジャイプルでの出来事をもう一つ。

 この都では8つの面白い出来事が起こり、そのうち2つ大きな影響をもたらすことがありました。

 1つは長く付き合ってきた思いのこもりまくった「帽子との別れ」。
 そうです、僕がいつもかぶっていたあの帽子です。僕と少しでも旅を供にした人なら、この重さがわかると思います。
 これについては、番外編として時間のある時に文面にしようかと思っています。

 そしてもう1つは、ジャイプルにある「風の宮殿」から。

 僕が子供の頃、小学校へ上がるか上がらないかぐらいの頃です。祖母の家にあった「世界の景色」の本を、なにげなくパラパラ全10巻ぐらいのやつをめくっていました。その時に、強烈に印象に残った建物がありました。それが風の宮殿でした。
 全部の本の中で、これだけが記憶に残っていました。当時僕はこの写真を見て想像を膨らませ子供なりにいくつかのお話を作ってひたっていました。ワクワクしながら、にんまりしていました。

 この当時の僕は、少し変わっていたようで、母親が
「この子はひょっとして アホ ではないか?」
っと不安になり、病院に連れていって、僕は椅子に座った状態で 頭にたくさんコードを繋がれたり、へんなトンネルに動くベットで入っていき、脳の検査を受けた記憶が今でもあります。
 検査後、医者はかがんで僕に言いました。
「うん、まさしくん。脳みそ、いっぱい詰まってるよ!」
っと。
 それを聞いて、にんまり まさし少年。
 今から思うと、ヘイ、ドクター! それが園児に言うセリフか!?

 そんなまさし少年が見ていた写真。もちろん何処にあるのか? 何のために作られた物なのかなんて知るよしもありません。ただ、たしか「風の家」、とだけ覚えていたのです。
 それが、インドにあるということを今回の旅に持ってきたガイドブックで知りました。あの時と同じ写真が載っていたからです。すぐにわかりました。
「あっ、あれだ! 行かなかん!」 思わず名古屋弁になってしまいました。

 そして、数ヶ月後、ついにその日が来ました。
 サイクルリクシャー(自転車タクシー)にのって、少しずつ近づきました。ドライバーのおやじが
「おい! あれだよ。あれがハワーマハール(風の宮殿)だよ。ほれ! 見ろよ! ほーれ!」
っと吠える中、僕は帽子の鍔で上手に隠しながら真っ正面まで顔を伏せていました。そして、あの時の写真と同じ場所と思われる所辺りで、せーのでとりゃー! っと顔を上げました。

 そこには・・・

 あの日のまんまのそれが、風を受け止めていました。
 建物事体はさほど大きくもなく、クオリティーも世界遺産級ではないのですが、その様は時間を越えてあの頃の震えを蘇らせました。感受性の穴が詰まりそうになりました。

 努力をして夢を叶えようとすることは誰もがあることで、叶った時・達成した時の喜びはたまりません。しかし、今回のこの場合は、それとは少し異なるような気がします。

 「目的」とは異なる、なんとなく頭の中にあったもの、それが現実の物として目の前に現れる。努力というよりは、運命的な要素が強い、まるで出会いのようです。

「旅は出会い」

 今回のこれも、その内の一つに入りそうです。

 ここに来るまで出会いとは、対「人」、もしくは「事件」、くらいに思っていたのですが、こうゆうのも‘あり’みたいですね。

 少し落ち着くと、次には無理も無い感想が浮かんできました。
「小さいな」、と。

 想像の中、写真の中のあれは、とてつもなく巨大でしたが、目の前のそれは、やはり小さく見えたのです。
 それはまるで、子供のころ高く感じた電気傘や家や車庫の屋根などが、自分が大きくなるにつれて、ふっと気が付くと、低く小さく感じるのとよく似てました。
 そして、視覚的な意味では、両親を始め、親戚のおじさんおばさんも昔は大きく見えたのに、気が付けば見下ろして話していたのと同じ感じがしました。

 裏に回り中に入ってみました。
 裏や中から見ると、なんてことない・・・ 装飾は表だけだったようです。
 しかし、そう一瞬見えたのは、自分が多くの世界遺産級の建造物を見てきたからであり、普通の建物からしてみると、もちろん立派なモノでした。

 世間で言う
「目が肥えた」
っというやつは、必ずしも良い影響をもたらすとは限らず、大切なのは、

「本質を見抜く目」と「経験によってマヒしない感覚」

を保つことだと思います。
 そして、なにより素敵な場所は世界中にありますが、そこにたどり着くまでの過程や特別な思い入れがある所が、その人にとってとびきり素敵な場所であり、そこでどんなことをモノにしていくかが大切なんだと、自分に対してはこう思います。

 裏から見た宮殿は、まるで「父親の背中」のように見えました。
 世界の目で見たらたいしたものではなく、剥がれ落ちた塗装や染みだらけだけれども、立派に建っている建物。そう・・・ それはまるで父親の背中の様でした。

 ボロく見えるが、近づき触れることにより身近な者には大きく見える裏っかわ。

 背中を見る目は合気道部で身につけたはず。しかし、まさかこんなところで「建造物」という異なった形で再確認するなんて・・・ 面白いですね。

 そんなこんなを考えながら、ついここでも服を脱ぎ、蜂の巣状になった無数の窓から吹き抜ける宮殿の名の由来となったそれに体をされるがままにさすられていたら・・・

 ぶぁックショーン!
 風邪をひいてしまいました。 うぅ・・・ さすが、風邪の宮殿。
 僕はアホですか?

 今回の報告メール、もうちょっと風のようにサラッとさせるつもりが、つい情が入ってしまい、やっぱりこってりになってしまいましたね。まぁ、なんせクド顔なもんで文章もついね。ちなみにクド顔の条件は、目と眉毛の間の距離が狭いことらしいです。はい、どーでもいい話でした。

 なにはともあれ、南インドを経てくるり一周、無事再びデリーに帰ってきました。

 アガスティアの葉では未来を意識し、カラリパヤッツとアーユルヴェーダでは過去に自分が学んだものを新しい種類の異なる術により、未来にもっと昇華させようと励まされ、風の宮殿でも過去の風に「大きくなれよ」と背中を摩られたような気がしました。

 過去から未来へ・・・ ここはまだまだ通過点。

 さて、東西南北中とくるり一周したこの後は・・・

 さらに北へ向かいます。ダラムシャーラーでダライラマに会いに。
 そして、ヨガの本場ガンジス河の源流、リシケーシュでヨガの合宿に入ります。

 それでは。
 SEE−−−YAA−−
                        FROM まさし

P.S ムンバイのYMCAでの合気道道場は・・・  デマでした。
    「AIKIDO? なに、それ?」 って言われた。 うーー ギャフン!