2002年5月 ラスト ナマステ ■インド編
 ナマステ!
 再びカルカッタのくっさい空気をヨガ合宿で覚えたてのクムバカ呼吸法で味わっている まさしです。

 カルカッタに戻ってきた理由はタイへ 飛ぶためです。

 そう、今回の旅で一番の目的としていたインドを発つ日が来ました。

 今回の目的としてインドを選んだ理由、それは
「常識の通じない場所」
と言われていたからです。
 おそらくこれは日本をはじめとする先進国と呼ばれる国の人達、そしてそれに次ぐ中級クラスの国々の目から見た肩書きだということはふんでいたのですが、実体験で確認してみたかったし、理由も知りたかったのです。そしてなにより 「常識」という言葉の壁を越えたかったのです。

 僕は日本でぬくぬく育ってきました。ぬくぬくといっても人並みには経験を積んできたつもりですので、社会に出ても申し分無くやっていけるレベルにはあったと思っています。とはいえ、前回の1年2ヶ月の旅で先進国としてオーストラリア、アジアとして東南アジアを経て、見解は確実に広くなりました。日本の常識にヒビを入れるのには十分でした。
 常識は環境が作り、気付かぬうちに己に染み込んでいるもの。もとの世界(環境)に戻れなくなるほどの脱線はいただけないけど、勝手に引かれた白線を越え、世界を広めることの大切さをあえてここで語る必要は無いと思います。
 もちろん、「浅さ」、「時間」などのリスクも伴いますが それこそ自分の選んだ道。

「リスクがリスクにならないように・・・」

 そう昔、手の甲に書いた落書きは、アジアの埃をぬぐっても消えずに今も残っています。

 前置きはさて置き、
 インド、 まとめるのにはかなり難しい国です。インドライフは十人十色と言われています。そして、賛否両論。意識を払った洞察眼と数々の実験により得た答えをもとに、僕のインドをつらつららーっ、とナゾッテみます。

 無限にあげられそうなインドのおかしな習慣と行動。外国人の流行語は、
「Why?」
 けれど、それもいつしかそれぞれの中から無くなる。
 理由は、答えが
「Because here is India」
だから。
 僕はこの答えが嫌い。

 対人にならいい。
「アイツだからしょうがない」
「だってアイツだもん」
って、これは個人の個性。生活や社会において原因や理由と向き合おうとしないのは、寛大さを装った逃げ。頭の中をカラッポにしに、または自分の時間を作りにどこかに行くならまだしも、日々学ぶ者にはこれは許されないことと思います。

 インドで気になった代表的なことが、
「カースト」、「 ウソ 」、「インド時間」、「ノープロブレム」、「ドラッグ」、「浄・不浄」、「宗教」、「その他のインド人の特徴」、などあげられましたが、

 今回は、その中から 「インド時間」 について。

 インド人の時間の感覚は、かなりおかしいです。
 なんでかな? っと思いました。やはりただの「いいかげん」じゃーなかったのです。

 ‘インド時間’では、大きく3つのひっかかることがありました。
 ‘神’と ‘ゴミ’と ‘物’です。

 まず、最初に‘神’。つまり宗教とも繋がります。インド時間と絡めて少し宗教の話をします。
 インドがらみで‘宗教’っていう単語がでると、これまた説明がめんどうになっちゃいそうですね。

 多数の宗教が混ざり合った国インド。でもその代表となるのが、やっぱりヒンドゥー教。 ヒンドゥー教は、現世の自分の姿(存在・身分)をカルマ(前世の罪)のせいだと信じています。
 貧しい人は、前世に良くない行いをしたがため、現世においてその罰を受けているとされ、来世には良い生活を送れる身分の高い人間に生まれ変われるよう、日々神に祈りを捧げているのです。

 さぁ、これを聴いてあなたはどう思いましたか? これはとーんでもないことですよ。

 ヒンドゥー教の‘うんちく’は、
ヴェーダと祭祀を中心としたバラモン教が、紀元前3世紀から2世紀の仏教の隆起に刺激されて地方の土着の信仰を取り込み、新しい宗教として変貌したもの。長い時間をかけて複雑に習合した複合体。ゆえに開祖もなく聖典もない。宗教というより‘生き方’全てを含んだもの。 っと、なっている。
 開祖といった人ではなく、神々を崇めるヒンドゥー教の根源なんて、誰もちゃんと説明できやしないでしょう。

 だから僕は、勝手に思います。
 時代と共に都合の良いように変ってきたヒンドゥー教が今もインドで信仰されてる理由を。

 これは、
「貧しさから生まれた、今の苦から逃れる術」
ではないでしょうか?

 カーストによって一生を決められているも同然のインド人。一生靴磨き、一生床掃除。
 最下位身分の‘アンタッチャブル’と呼ばれる‘不可触民’、簡単に言えば、見ただけで汚れると言われ、仕事ももらえず路上でなんとか生きてる人達。

 もし自分がアンタッチャブルだったら、どう思う? はっきり言って「お先真っ暗」。
 生きてられるかどうかもわかりません。彼らに救われる道はインドに居る限りないのです。
 もちろん、外になんて出れっこありません。

 そーこーでー 煌く☆ ヒンドゥー教!
「さぁ、今の私たちは、前世で悪いことをしたからしょうがないんだ。罰を受けよう。っていうか受けざるおえない。だからといって暗くなるなよ! もっと前向きになろうじゃないか! 来世があるじゃないか! 祈りに励み、絶対来世には幸せな生活を送ろうぜー!」
っときたもんだ。

 どうです!? これ?

 このポジティブまさしが、強烈なボディーブローを一撃くらいました。

「まぁ、今回の人生はあきらめて、次に生まれてくる時の為に・・・」 って・・・
ねー。

 人間とは強い生き物です。

 「死んだほうがマシ」っと思える状況だって、なにかしらの光を掴むのです。宗教として神に祈り、自分を・・・ 自分達を助けるのです。まったく、Oh− my God だぜ。

 それにしても、まったく気の長い話です。日本の歌であったよね。
「明日があるさ!」  インドバージョンで「来世があるさ!」ってね。
 インドの人口から考えてミリオンセラーは間違いなしだね。
 さっ、誰か僕とユニットくまない?

 インドなら「来世があるさ!?」でもいける!

 ん?えっ?今誰か
「くだらねー事、言ってないで早く就職しろ!」
って言った?
 なーんだ、空耳か。

 話を戻して、そんな100年単位で物事を考えている、気の長ーいインド人。
 どう? インド人がたらたら仕事してたり、時にはしてなかったり。電車が6時間遅れたり、10時間遅れたり、2日間遅れたり、全ての時間にいいかげんなこと少しは納得できたでしょうか?

 だから、このことは次の「ゴミ」の話にも繋がります。

 インドって、んもう、そりゃー ゴミだらけ。なんでかな? 僕は思った。
 中国でも思った。ネパールでも思った。
 答えは簡単、みんな所かまわず捨てまくるから。
 また思う。「なぜ、所かまわず捨てる?」

 えー、僕の旅も早9ヶ月が過ぎました。つかみました!

 答えはとってもインタレスティング。

 はい、まず中国!
 中国人の沢山あるアホな特徴・・・っというか、考え方の一つに、
「目の前から問題が無くなれば、それは解決した」
っというのがあります。これは中国人が書いた中国の醜い所をあげた本より答えを得ました。食べ終わった後のカップラーメンのカップやくずゴミ、もういらない。邪魔ですよね。では、列車や車の窓から投げてしまいましょう。ポーイ。
 はい、問題解決。
 どう? 信じられないでしょ? ニッポン人悲しくって涙でてくぅらぁー ちくしょーめー!
 くらえー!  空手チョーーーップ!!!

 はい、次ネパール。
 ここは・・・うん、ちょっとだけ、ほんの欠片だけわからんでもない。国が貧しくって、政府がゴミの回収に費用を回せなくなりやめてしまったのだ。 って、止めていいの? そんなこと?
 だから、だーれもゴミ集めない。捨てたら溜まる、これ自然。さらにゴミ溜まるにつれて人の感覚までおかしくなる。
「もう、何処に何捨てたって同じじゃん!」

 あーぁ。

 まさに「トイレの悪循環」
 汚いトイレは皆が汚す。はみ出たって知らんぷー。ほりゃ 遠くからしちゃえー! ノブ汚いから流さないっとこーっと。 ってね。キレイなトイレは皆が気分良く汚さない。掃除の手間おしむとツケは自分に回ってくるぜー ってね。
 ネパールはこれの強烈ヴァージョン。さて、どんな子が育つのでしょう?

 関係ないけど、ちなみに僕の一番嫌いな言葉は、「悪循環」です。
 だって、悪が循環しちゃうんだぜ! うん・・・ まんまやねー 。

 話しもどして、インド。
「ゴミ捨てても土に帰る」 、と思ってる。
 うーん、間違っちゃいないような錯覚に陥りそうになるけど・・・答えは・・・
「土で作った土器なら、割って道端に捨ててもノープロブレム」
「果物の皮などの植物系のものなら、捨てたって土の栄養になるからノープロブレム」
 バカめ! 山のような破片のゴミが見えないのか? 腐ったゴミ山に蝿がたかりウジ虫がわくのが解らんのか? その蝿やウジが足を怪我した路上生活者の足に寄生して腐った片足を引きずりながらマザーハウスに助けを求めに来る者の対処を誰がする?
 雨期の長いインド、病原菌流れ出まくってるのを知らないとは言わせない! 感染者は、いつだって社会的弱者。 ・・・答えは・・・ はい! 間違ってます!

 さらに、インド人の「区別できる頭がない」というのが拍車をかけている。
「土器は土に帰るからノープロブレム」
 うー、百歩ゆずって認めたとして、
「ついでに、このハッポースチロールのカップとプラスチックもビニール袋に入れてポーイ!」
って、このバカ! あきれて言葉も出ません。

 普通の感覚なら頭に血ものぼるでしょうが、インド人は違う。だって時間の単位が100年単位なんだもん。「ま、いつか土に帰るんじゃないの?」
「土に帰る!」じゃなくって、「土に帰るんじゃないの?かもね」 でも捨てるインド人。

 そして最後に「物」。
 インド人、物を丁寧に扱わないんだよね。なんで?
 瞬時に扱い方を判断出来ない、IQの低さは確実にある。
「そこ、そんな風に持ったら壊れちゃうでしょ」
「その素材、とっても破れやすいんだけど・・・」

 でも、それ(IQ)だけじゃなかった!
「色即是空」 そう・・・、形ある物はいつかは壊れる。これ、たしか仏教の教え。インド人、これちょっと入ってる。しかも「いつかは・・・」っていう時間の感覚が長すぎて、もぅいいかげんに扱っちゃう。
「いつか壊れるんだし・・・」って、おい! 「俺の物を今、テメーが壊すなよ!」
 あぁ 叫びたい! 排気ガスで見えない夜空の星に向かって、あぁー 叫びたい!

 っとまぁ、ヒンドゥー教影響する「インド時間」、いかがだったでしょうか?
 とーんでもないでしょ?

 今回の最大の目的地だったインド。最初は3ヶ月だった予定はテロのおかげで崩され、なんの因果かヴィザギリギリの半年間もいることになっちゃいました。
「満腹だけど、満足じゃない。がしかし悔いは無い」、そんな心情。

 あー、ホントはもっと話したい。チューか、書きたい。「カースト」「浄・不浄」「ドラッグ」などを始めとしたインドでの小ネタ。書ききれなかったマザーハウスやサイババアシュラムやバラナシ・ガンガーでの思い。でも報告メールじゃとてもとても。言葉の多い写真集でさえ、たかが知れてる。会って話してもすぐに時間は来るし、それ以上にこっちも聴きたいことがある。
 本でも出さなきゃ無理なのかなー?
 それともみんなこうして死んでいくのかな?

「ひけらかしたい」
じゃなくて、
「伝えたい」
その欲張りバージョン。

 多少の影響は有るはずだから、ただの「自己満足」じゃーないと思う。
 さぁ、どーしよー。インド時間で考えるか? 駄目じゃん、それ。

 ヨガの発生の地リシュケシュでのヨガ合宿を終え、変態レベルを更に上げました。
 業の1つ、鼻からロープを突っ込んで口から出しごしごしやるやつ。おえつを吐きながら鼻から口へロープが通った瞬間には、
「チャラチャラ チャー ラッ チャー♪」
って、ドラクエのレベルアップの音楽がはっきりと聞こえました。この旅で何度聞いたことか。

 その後、ダージリンで紅茶を少々買い、その足で国境越えブータンへ行ってジャブだけ打って今、カルカッタ。出発前日だというのにマザーハウスで働いて、何思ったのかミサにまで出る。
 そこで、マザーの墓に頭を付け祈る。
「現世も来世も幸せになりますよーに」ってね。 ん? あ、ここキリスト教だった・・・
 ま、いいか。「神と信仰の国」とはよくいったものだ。

 もうひとつの肩書き、
「インドは自分を映す鏡」
 たしかに極端なものを見た事によって自分の世界を見直し、自分の世界はどうなのかということを気付かせてくれる役目を果たしていますね。
 しかし、自分の姿を見直すのに鏡は必ずしも必要ではないのです。窓ガラスや水溜まりでも。気付けばそっこらじゅうにあるもの。鏡を見に行かなくてもできること。
 今回のメールが、ほんのちょっとでいいから読者となっている僕の友人の姿を映せたら・・・ えへへ、しめ しめです。

 もう、フライトまじか。

 長いこと吠えてた出だしの挨拶も変わります。

 少し覚えたヒンドゥー語とベンガル語、そして挨拶程度の各地のローカル言語。すぐに忘れてしまうんでしょうね。でも、忘れないものもたくさん手にいれたので、一生ぶら下げて生きていきます。お披露目も一生かけて。孫の代まで残るかな?
 あれ? こんなとこだけ‘インド時間’。

 インドよ、ナマステ! (インドでは出会った時も別れの時も挨拶は同じナマステなのだ。これ、ちょっとステキじゃない?)

 今回の僕のインドの鍵(キー)は、 ‘常識’。

 インド時間で探してこっ、世界のいいとこ探し。

 あれっ? これって・・・  見つけちゃった! ‘インド時間’のいいところ。

 さて、今回の旅、初のフライトの行方は・・・
 タイへ行きます。はぁー2年ぶり。さ、どう変ったか、タイと僕。

 タイ式マッサージの本家ワット・ポーにて、マッサージスクールに通います。
 それでは。
 SEE−−−−YAA−−−−−−−−
                        FROM まさし