2002年7月 若草色のルンタの騎士 ■モンゴル編
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 モンゴルにて馬に揺られてお尻ヒリヒリ、チリにまみれた乾燥した風に吹かれて喉はガラガラ、乳製品づくしのモンゴル料理にお腹をやられ、う○ちゆるゆる、と体調はイマイチですが、アジアで気づかぬうちに溜まっていた、人間同士の擦れ合いによって出た垢をモンゴルの大草原にて、濡れた犬が水を弾くがごとく、ぶるるっと振るい落としてきて気分スッキリの まさしです。

 モンゴルの印象、それは「ゲームの世界」でした。
 広大な黄緑色の草原は、ロールプレイングゲームのフィールドのようで、盛り上がった山のような丘、ゴツイ岩、川に架かった短い石の橋、車線も無い単調な道路、典型的な木らしい木、理想としたい青い空、とどれをとっても絵に描いたようなものばかりで、そのうちには、襲い掛かってくる番犬や纏わりつく蝿さえも「モンスター」に見えてくるため、こいつは愉快でたまりません。
 叩けば叩くほどボロボロに崩れていくモンゴル製の蝿叩きを振り回しながら、レベルアップの音に耳を傾けていました。

 職業は、‘武道家’といったところでしょうか? 今回‘杖’は、荷物と一緒に北京に置いて来てしまったので基本は拳で、室内ではモロい蝿叩き。
 装備は、おなじみ‘旅人の服’、布の帽子、臭い取りのため10円玉が幾つか入ってて、歩くとチャリンチャリン音がする‘幸せの靴’、腕にはジャッキ―チェンの映画を見た後のように強くなったと錯覚を起こす‘少林寺の腕輪’と、守備力が高くなったと錯覚を起こす‘ガジャン(首長族)の腕輪’、ポケットには誰も眠ったりなんかしない‘妖精の笛’と心強いアイテムが盛りだくさん! インドで手に入れたアーユルヴェーダの漢方薬のようなビタミン剤、こいつが‘やくそう’にでも値するのでしょうか? っと、作り始めたらきりが無いほど話は勝手にモクモク膨らんでいきました。

 最初に中国からの国際列車に乗って、モンゴルの首都ウランバートルまで来ました。
 ウランバートルはそこそこの大きな街です。モンゴルの人口の大部分を占めている住宅地建ち並ぶ街なのですが、なぜかそこには「生活感」が無いのです。
 不思議な感じがしました。人はいるのに生活感がないのです。お店は店頭に商品を陳列したりはせず、看板も目立ちません。何屋かよく判らない店に足を踏み入れ、2つ目の扉を潜ると初めて商品が目に入る、という造りの店がたくさんありました。店内にはBGMもかかってなく、数人の客が黙々と古くなった輸入物の食料を買っているのでした。

 街中も中国のように大声でおしゃべりしている人もいなくて、雪のように大量に舞い上がる植物の綿毛(巨大なタンポポの綿毛のような物)混じりの風の中、マスクをしたモンゴル人がトボトボと歩いていくのです。女性はマスクに付け加えサングラスもしています。変装かっちゅーねん!
 廃墟を感じさせる建物の造り、広い道路、バスや車は走っているのに、やっぱり生活感を感じさせない街。これもまるでゲームの中の街のような気がしました。

 この寂れた街の雰囲気は、ロシアそっくりだ、と欧米人達が言っていました。

 ウランバートルからバスで20分ほど郊外に出れば、そこはもう草原の世界。
 ‘地平線’とまではいかなくても、都会の人間の目を満足させるには十分なものでしょう。
 五家畜(らくだ、牛、馬、山羊、羊)と暮らす草原の生活にその身を溶かし、少年の頃の瞳に大きさを変えると、‘山ねずみロッキーチャック’を見た後のような、心の安らぎを感じることができました。

 さて、今回のモンゴルでの目的を果たすために、まず情報を集めなくてはなりません。
 課題は‘馬の旅’、2つの声を同時に出す‘ホーミー’、そしてあわよくば‘モンゴル相撲’でした。

 まずは‘馬’。
 モンゴルといえば馬。「モンゴル人は馬の背中で生まれる」と言われているほどで、どうしてもここでは旅のスタイルを馬にしたかったのです。レンタルではなく、できれば購入してしまおうと情報を集めました。値段は普通でUS$150と2万円もしないくらいなので、馬にしてはかなり安いのです。しかし問題は「僕、一人」だということと、「滞在日数に余裕が無い」ということでした。普通は最低でも3人ぐらい組むことが必須とされ、そのパーティーには馬への知識と土地への知識を兼ね備えた人がいなくてはならないのです。
 僕はオーストラリアのタスマニアで、一応馬の乗り方は学びましたが、それはあくまでサラブレッドの話で、今回は小さく気性の荒いモンゴル馬でした。土地の知識も絶対で、水の問題では自分の水はなんとでもなるのですが、馬の水の入手が難しく、そのためには、どこに村や井戸があって水の補給ができるかなど、しっかりと日数をかけて調べなければいけませんでした。
 始めの馬選びにも、日数をかけて慎重に選んだほうがいいし、売るときもそこそこ日数がかかるとのことでした。結局今回は、移動はローカル公共交通機関で、そして行った先で馬をレンタルするというスタイルをとらざるをえませんでした。

 でも、これはこれでまどろっこしい手続きも無く、モンゴルの草原は味わえたので、それなりに満足しました。
 がっかりだったのは、馬がちーっとも言うこときいてくれなかったことでした。
 2年半ぶりとはいえ、まさかここまで腕が落ち、且つモンゴル馬との相性が合わないとは思いませんでした。レンタルで試しておいてよかったです。何事も「試し」と「継続」は大切ですね。

 続いて‘ホーミー’。
 ホーミーとはモンゴル伝統芸の一つで、喉を思いっきり開いて、舌や唇、頭蓋骨、歯、助骨などを調節して響かせ、2つの音を出して歌う歌い方。元は遊牧民の間で親から子へ引き継がれ、草原にいる家畜に向かって吹いていたものが、曲として洗練され、今ではモンゴル式チェロの馬頭琴とともに伝統芸能としてコンサートも開かれ親しまれています。
 ホーミーを聴いた者は脳から‘アルファー波’が出ると言われ、あの「ユーミン」こと松任谷由美もその魅力を探りにモンゴルへ足を運んだと聞きます。
 これはもう、ホーミーをラーニングするしかないだろ! と思いました。
 自分の声により他人にアルファー波を出させることができるなんて、なんと素敵なことでしょう。
 日本にいる家族や友人に聴かせることはもちろん、まだ見ぬ僕の妻、はたまたその中にできる我が子のため、「僕は、四六時中ホーミーを腹に向かって浴びせつづけてやるぜぇー!」
っと、モンゴルの青い空に日本から用意しておいた‘喉ぬーるスプレー’を掲げ、意気込んでいました。

「ホーミーのできるおっさんがいる!」っという情報を掴んだので、早速彼の住むゲル(モンゴル式移動型プレハブ)へと足を運びました。
 体格の良い、人の良さそうな‘おっさん’というより、おじいさんが現れ、その彼が噂の「ホーミーおじいさん」でした。
 僕はあらかじめ用意しておいたモンゴル語で彼に言いました。
「私はホーミーを学びたいです。どうか教えて下さい」と。
 彼は顔をしわくちゃにしてうなずき、「ん! ぅんん!」っと2、3回喉を鳴らしました。
 翁は腹からこみ上げる重い呼吸と共に低い唸りをあげ始めました。
「出るか!? ホーミー!」っと、思ったその時! 部屋はリンと静まり返りました。
 翁はしわくちゃの顔を上げ「こんなとこかな・・・」と言わんばかりの表情で、己の喉を満足そうになでていました。
「へ? もう、終わり?」
 僕は‘点’になった目をアーチ状に戻し、
「もうちょっと続けてくれませんか?」と頼みなおす。が、やってはくれるものの、4秒と続かないのです。しかーも、声は2重になってなーい。
「もっともっとー」っと体をくねらせてせがんだが、5秒ともたない1重の唸りが、こやつの限界のようだ。1重の声・・・ 意味ないじゃん! っていうか、誰でもできるじゃん!
 こんなんでも「できない」とは言わないのは遊牧民族の誇りだろうか?

 最後に‘モンゴル相撲’。
 おそらく無理ではないかと思っていたモンゴル相撲でしたが、うまい話がぶつかって来ました。

 僕がホーミー目的で訪れたゲル、あの‘ホーミー翁’ならぬ‘唸り翁’の息子が、なんとモンゴル相撲大学に通っているとのこと。将来は小学校の体育教師になってモンゴル相撲を教えていきたいそうだ。大学は今夏休みで、ここ実家に帰ってきているのです。
 「うん、こいつはあわよくば・・・」っと思っていた矢先、教えてくれとも僕が武道家だとも言ってないのに、彼の方からこう言って来たのでした。
「大学の授業の中でビデオで見たんだけど、日本の武道ってすごいよね。特にあの‘合気道’っていう人をポイポイ投げるやつ、あれは本当にすごいね。ぜひ一度投げられたいなー」
ってね。

 わっはっはっはっはっはっはっはっはっはぁぁぁーーーーーー!!!
 僕は弾けるように立ち上がり、腰に手をあてて天に吠えました。
「その望み、かーなーえーてー しんぜよう」

 自分の庭に、新たな珍しい花でも植えようと考えていたら、望みどうりの鉢植えを引っさげた来客がノックをして来た気分でした。お土産は、この庭の中からお好きな花をどうぞ、ってね。
 お互いそんな感じ。
 その若き力士とエクスチェンジ(交換学習)したのですが、さすが現役だけあって元気なもんでした。柔道のように‘服’を必要としないモンゴル相撲の技は、僕にとっても興味深いものであったし、合気の技をくらう度に子供のようにはしゃぎ、どうやって投げたのかを仕切りに問う彼にも一撃あったかと思います。

 モンゴルでの僕の課題‘馬’、‘ホーミー’、‘モンゴル相撲’。この中で思い通りになったものは、意外にもモンゴル相撲だけとなってしまいました。
 いつも一度に「全部」と欲張ってしまうのですが、今回モンゴルでは、僕の中に、
「今回は・・・ そして、いつの日にか・・・」
っという気持ちが少しずつ生まれてきたのです。
 これは「次があるさ」、「また旅しに来ればいいさ」っといったような、次をあてにし、先送りにしてしまっているものではなく、
「モンゴルの一番の魅力は、‘風吹く草原にあり!’」ということを、左脳突き抜け右脳で感じてしまったがため、気持ちに余裕ができたからかもしれません。そしてその余裕は、焦りの貪欲の心を抑え、下積みを積むことにより、
「またいつの日にか、やれる時にやりたいスタイルでやれるのだ」という、一生単位での心の余裕へと変わっていきました。

 だらだらと期間を延ばしたり、先送りにしてしまわないよう、いつも「これが最後!」っと自分に言い聞かせてきた僕の旅ですが、ここモンゴルでは、空と雲と大地のせいか、短期間に人ができることの尺度を改め直させられた気がしました。
「‘諦め寄りの満足さん’にはなるものか!」
っと拳を握ってファイティングポーズをとる僕に、
「‘薄っぺらな欲張りくん’にもなるなよ!」っと
風馬(ルンタ)に乗って駆け寄ってきた常緑の衣を纏いしもう一人の自分に、フライング・モンゴリアンチョップをお見舞いされました。

 チョップのダメージによりガクンッと片膝と手の平を大地に着いた時、今までよりもほんの少しだけ大地に近くなったせいか、草の香りが微増した気がしました。

 馬での長距離の旅は、仲間を集めて、またいつか。
 いったい誰と一緒に行くんでしょう? 恋人か友人か? それともまた家族か?

 はたまた、自分の子供かな? 自分が子供を連れて行くのか、それとも子供に連れて行ってもらうのか?
 先のことは分かりませんが、楽しくなることは間違いありません。

「ニュースだよ! ニュースだよ!」っと、ロッキーチャックに出てくる‘あの鳥’
噂で聞きました。
 モンゴルの西の果てに「ホーミー村」があるらしく、村人のほぼ全員がホーミーっれるというのです。彼らは‘遊牧騎馬民族’。彼らの村を馬に乗って探し歩くっていうのもオツなものではないでしょうか?

 ここらでモンゴルの思い出の一部となった、お馬鹿なお話を1つ。

 モンゴル人のゲルに泊まって、何日か経ったある朝のことでした。

 早朝っというかまだ夜中、時計がAM4:00の合図をピピッと鳴らした頃。
 トイレに行きたくなり目を覚まし、モンゴルの夜は寒いのでフリースを一枚着込み外へ出ました。
 もちろん、そこらでシャァー―。
 用をすまし暗闇のゲルに戻り、自分の寝床の上に座りました。すると、心持ひんやり・・・それでいて温もりのある湿り気をお尻の辺りに感じました。
 それは、パンツの中!?
 まさか、と思いパンツを下ろしました。

 そのゲルの中は僕一人ではありませんでした。昨晩アイルランドの若い女性が、このゲルを尋ねて来て二晩だけ泊まっていくとのことで、今夜はその最初の晩。狭いゲルの中で2人きり、わざわざ肩を並べて寝るのもなんなので、ある程度距離をおいて寝ていました。
 ゲルの中は、真の暗闇。見えやしないと思い暗闇に溶け込んだままパンツを下ろしました。
 脱いだパンツのお尻の辺りを手で触ってみると、やはり、湿っていたのです。

 モンゴル人のゲルに来て数日間、僕は現地人と同じ食事をしていました。彼らの食事は、ほとんどが自家製の乳製品から作られています。小麦後をただ揚げたモノにバターをつけ、クリームチーズ、ホットミルク、どんぶりいっぱいのヨーグルト、お茶の中にまで牛乳が入っています。
 これがほとんど朝、昼、晩。ヨーグルトとホットミルクは、おやつを合わせると1日4回出てきます。その度に、どんぶりいっぱいずつ飲むのです。つまり計2杯。

 さすがにバイキンには免疫ができた僕のお腹も、数日後には乳製品のせいで下し始めました。
 1日6回はトイレに駆け込むほどになり、しだいにゆるゆるの‘ほとんど水’状態になってしまいました。そんな状態だったある朝のことだったのです。
 どうやらこの湿り気は・・・僕、ちょっと・・・ちびってしまったようです。

 小便をした時に勢い余って・・・か、もしくは寝ている間に既に・・・。
 この時はそんなこと、もう問題ではありません。荷物のほとんどを北京に預けてしまい、パンツの替えを持っていない僕はどうすればいいのか? という問題と、‘水’とはいえ、この年にして うんちをちびってしまったという事実にショックを受けていました。
 しばらく考え込み、とりあえず形だけでもトイレットペーパーでお尻を拭いていると、向こうの方で寝ているはずのアイルランド人が目をさましたようで、僕に一声かけてきました。
「まさし、暗かったらローソクつけてもいいわよ」って。
 ドキッ!っとしました。だって僕は暗闇の中でフルチンでお尻を拭いていたのですから。
「あ、いいよ。大丈夫」、と断ったのですが、彼女はすぐ
「私、懐中電灯持ってるから、今、出すね」っと言い、闇の向こうでごそごそやり始めました。
 じょじょじょじょじょじょじょ 冗談じゃぬぁい!
 こんな姿をライトアップされた日にゃー  アイリッシュ、絶叫もんです。
 言い訳もできません。
「だって僕、うんこもらしちゃったんだもん」、だなんて。

 僕はマッハのスピードで自分のエリアに戻り、手探りでズボンを探しました。なんとしてでも、アイルランド人が懐中電灯を見つけ出し、スイッチを入れる前にズボンをはかなくてはなりません。
 でも、こんな時にかぎってなかなかズボンは見つかりません。そう、辺りは真の闇。だからこそ、アイルランド人も懐中電灯を見つけるのに手間取っているのです。
 僕の方が先に探り当てました。飛び跳ねるように、鮮やかに‘空中ばき’をキメ、着地した瞬間、「パチッ」、とライトが照らされました。間一髪セーフでした。
「まさし、大丈夫? どうかしたの?」ネイティブ・イングリッシュで優しく囁きます。
 冷や汗だくだくの僕は、どもりながら一言、「ノ、ノ、ノ、ノープロブレム」。
 もう少しで、「ビッグ プロブレム」でした。

 僕はとりあえずローソクを持って外に出ました。
 ‘直接ズボン’をヒャ―っと楽しむ余裕も無く、岩陰に隠れてズボンを下ろしました。
 水分たっぷりのアレが、はっきりしないタイミングで出て、しばしの間、僕は釘付けになりました。
 風が強いためローソクを持ってはいたけれど、火は灯さずにいました。すると・・・
 闇の向こうの岩陰から何やら「キーッ」っという鳴き声がしました。 ん?
 それはどうやら複数のようでした。そう言えば・・・昨日お爺さんがこんなことを言っていたのを思い出しました。
「この辺には、明け方になると‘タルバガン’の群れが出るんじゃよ」と。
 タルバガン! それは、マーモットと呼ばれる大ねずみのことでした。このネズミ、昔はモンゴル人は食べていたのですが、ペスト菌を持っていることが発覚して以来、政府が国レベルで食べるのを禁止したというものでした。
 ゾクッ! っとしました。動けませんでした。周りでガサガサ音がします。
 モンスター‘毒ネズミ’に対抗できる装備は何もありません。それどころか、パンツもはいてません。
 あるのはライターとローソクのみ。とっさに思ったことは、
「動物は火を嫌うはず、よし、火を灯そう!」でした。
「カチッ」っと押したのですが、突風で  ぷぅ・・・、再び闇。
 僕は藁をも掴む思いで、‘ナウシカ’のように祈りました。
「風の神様、どうかお助けください」と。
 するとどうでしょう。嘘のようにピタリと風が止んだのです。僕はこの耳に
「立派な風使いになりおって」と、‘ユパさま’の誉め言葉を聞きました。
 今なら、メ―ヴェにだって乗れる、とまで思いました。

 ローソクに火を灯しました。がしかし、自分の周りがほのかに明るくなっただけで、敵の姿までは見ることができませんでした。フルチン姿の自分が炎により浮かび上がっただけでした。
 こんな所を誰か人が通った日にゃー  モンゴリアン、絶叫もんです。

 次に僕の口から出た言葉は、「ニャ―オ!」でした。ネズミには猫です。
 尻出しウンチングスタイルで「ニャ―オ」と鳴く己のその様に、僕は泣きそうでした。
 モンゴルの諺でこんな言葉があるのを思い出しました。

「鳴きながら 鳴きながら 動物は 家畜 になり、
       泣きながら 泣きながら 人間は 人 になる」

「ニャ―ゴ」と鳴きながら、泣きながら野グソをする私は、いったい何になるの?

 あー 鳥になりたい。    はい、現実逃避。

 ニャ―ニャ―鳴いてるそんな時、追い討ちをかけるように「ザーッ」っと雨が降ってきました。
「ニャンだと!?」
 ローソクの火は消され、私は再び闇の中へと消えて行くー いないないバババァー。

 そう言えば、「うんこ」のこと関西では「ババ」って言ってたっけなー。どうでもいい事思い出す。
「水の神様、どうかお助け下さい」
 雨やまず。どうやら風使いは水にはダメみたい。
「ねぇ、もしかして・・・そこにいるのはロッキー? ロッキーチャックなの?」
 はい、現実逃避アゲイン。
 こんな所で襲われペストになった日にゃー  まさし、絶叫もんです。
 絶対・・・ たぶん絶命! っと思ったその時!
 草原の向こうから日の出の明かりがぼんやり広がって来ました。光のせいか、雨のせいか判りませんが、周りにはいつの間にやら生物の気配はありませんでした。
 雨もすぐやみ、お尻も拭き、昇り始めた朝日にしばし仁王立ち。
 ふっと振り返ると、草原に伸びた影、それ見て気付く。自分がパンツをはいてないことを。

 ゲルに無事戻り、もう一仕事。それは、「パンツ・・・どうしよっか?」。
 このまま直接ズボンでいるのもなんだから洗うか、っと思いモンゴルの冷たい水に手をかじかませながら洗濯をしました。
 こんな時間にパンツだけ手もみ洗いしてるとこ見られちゃったら、僕ちゃん何て言い訳したらいいの? きっと夢精でもしたんじゃないの? って疑われるに違いない。
 夢精とうんこ・・・どっちが恥ずかしいのでしょう。え?両方?
 そんなこんなを考えながら、用意した言い訳をご披露する場もなく洗濯を終えました。

 ゲルの中に戻ると、寝てればいいのにアイルランド人、目を覚まし問う。
「何処行ってたの? こんな時間に?」
「あぁ、暗闇で野グソをしてたらタルバガンに囲まれ、雨にも降られ、そんでもってちびった‘うんこパンツ’を洗濯してたのさ」、などと口が裂けても言えるはずなく、ゲルの天窓を見ながら呟く、
「モンゴルの星空は・・・いまにも降ってきそうだよ☆」
                            キマッた!

「まぁ、素敵☆ もぅ誘ってくれればよかったのにー」っとアイリッシュ。
 誘えるかっつーの!
 トゲの無いはずの何気ない一言一言が、サクサクとノーパンのお尻に突き刺さる。
 いつか行きたいアイルランドが嫌いになってしまわないように、大好きなアイリッシュ音楽を口ずさみながら横になる。選曲は‘コア―ズ’の「Run away」。
「I would run away 〜♪」ってね。本当に逃げ出したかったよ。

 現在、オーストラリアにいる親友がこんなこと言ってたのを思い出しました。
「俺、24か25の時、うんこもらしたよ」っと。
 僕はこれを聞いて「普通ならそんな人に言えないようなこと隠しておくであろうに、それをまぁ、堂々と・・・。なんてカッコイイんだ!」っと思いました。自分ならそんなこと人に言わないだろうな っと思っていましたが、彼の存在が僕の中でチラついているからこそ、今回こんなメールという誤解されやすい手段であろうと話すことができたのだと思っています。(誤解も何もないんだけどね)

 結局モンゴルってどんな国だったのか・・・。帰りの国際列車の中でまとめてみました。

 顔は中国系(こてこての漢族と言うよりは新疆ウイグル地区やチベット系)なのに、語学は誰も中国語を使えずロシア語が主流。モンゴル語自体もロシア語に近い。ロシアからはロシアの州の一つぐらいにしか思われていなくて、見下されているのが事実。ちょうどインドとネパールの関係。宗教はチベット仏教。
 寒い土地からか肌が白く、ほっぺが赤い。食べ物は主に中国と、なんと韓国からの輸入で成り立っている。だからハングル文字の製品がいたるところにある。後は現地の乳製品。
 草原だけでなく街中にもゲルが点在し、実際その中でくらしている。
 中国人と違い、話をするときにヂェスチャ―(身振り手振り)をつけて話すことができるし、地図も書ける。しかし、地図は間違っていることが多い。嘘や暴利、犯罪はアジアの中では少ない。
 パーソナルスペースは狭く、遠慮も無い。時間の感覚もやはり長く1時間2時間なら平気で人を待たせる。モンゴル人の大人は、子供心を忘れてはおらず子供と一緒に遊ぶ。インドの大人達も子供のようだが、それは頭が幼稚く言い訳も幼い。

 比にならないほどモンゴル人の方がコミュニケーションがスムーズにとれる。
 昼が長く、夜10時まで日が沈まないため、子供たちが10時過ぎても公園で遊んでたり、‘青空卓球’(ネットは木の板)やバスケットボール(これ大人気)をしている。
 静かな人種で大声も出さないし、人見知りもする。しかし、訪問者にはいつでも受け入れる姿勢をとる。アジアの中では穏やかな性格で、物事に熱くなることもあるが気質は良いほうだと思う。
 昔は誰でも馬に乗っていたみたいだが、今は田舎の家の子か西の方に多く見る遊牧民ぐらいらしい。「馬に乗れるか?」、と片っ端から聞きまくったが、やはり「乗れない」と皆答えた。
 IQも僕の見たところ、アジアの中では、ベスト7位か8位には入るような気がする。

 長いモンゴルうんちく、ゴメンネ。

 一番引っかかることが「モンゴル人の親切」。
 人に親切にすることができるのだけど、金を取るのです。
 アジアではあったりまえだし、それ以上にぼってくるのが普通。けど、日本人の感覚だと、金を絡めるのは‘タブー’に近い。金を取ってしまったら、それはただの‘親切な人’ではなくなってしまう。
 もちろん場合によるけど、日本では一般的にはこうなっている。
 人を持て成す事のできるモンゴル人と接していると、感覚がアジアのものとは違うものになってきてしまい、つい自分の常識で見てしまいたくなってしまうのです。

 そこで金を請求されると、一瞬「えっ?」っとなり、「あ、うん、分かりました。いいですよ」っといった具合に。
 ちょっとがっかり、というか拍子抜けさせられてしまうことがあるでしょう。

 もちろんタダで親切にしてくれる人もいるでしょうが、それは余裕のある人でどこの国にもいるし、モンゴルを含めたアジア人をフレンドリーに感じるのは、それこそ僕らが日本人だからではないでしょうか?
「あからさまに損をすることは嫌だけど、酷い痛手にならない程度のことなら無償でしてあげたいし、自分に近い相手や思いの深い相手には‘さだめ’‘縁’だと思い、できる限りのことをしてあげる」、これが奇麗ごとならぬ「理想の普通」ではないでしょうか? 僕も日本人ですねー。

 モンゴル人を大声で「親切な人たちです」、とは言いがたいけど、他を受け入れ親切にすることができる人種であることは間違いないと思いました。

 そんなモンゴルをどうまとめていいのか困っていたら、列車の窓から風馬(ルンタ)に跨り、列車と同じスピードで走っている草と同じ色の服を着た‘あの男’がこちらを見ているのに気付きました。彼が、先に口を開きました。
「どうだった?モンゴルは?」
「うん、ゲームの世界のようで面白かった」

「一番、目に焼きついたモノはなんだった?」
「んー、草原かな」

「モンゴル人はどうだった?」
「・・・いろいろ思ったけど、世界レベルで見たら普通なのかも」

「モンゴル女と結婚できる?」
「まぁ、拒む理由は無い。人によるよ」

「モンゴルの食事はどうだった?」
「タラグと呼ばれるヨーグルト、食いすぎたけどアレは美味いね。プチプチ、シュワシュワしてて 何つーか・・・、スパークリング・ヨーグルトって感じ」

「モンゴルの文化はどうだった?」
「少しちゃっちく見えた。チベット帰りの自分には、特別目を引く物は無かった。遊牧民は興味深いけど、特に今自分がしたいとは思わなかった」

「モンゴルの自然はどうだった?」
「雰囲気がチベットに似てるからどうしてもチベットと比較してしまうけど、空はチベットの方が遥かに青い! でもキャンパス(空)が広いせいか雲の繋がりが生む深みは迫力があるね。草原は申し分無し! まさに‘ジュラシックパーク’。風や空気は、チリまみれでお世辞にもキレイとは言い難いけど、砂や綿毛舞う中での生活を見てると、自然の中で生きてる民の姿を‘風’が見せてくれたような気がした。
 これが‘風の国’と世間で言われる由来かな? 星は、期待してたほどではなかった。ガツン!っとくるほどのものではなかった。でも、北半球なのに天の川が見えた。このことだけでもそこそこの評価はできるはず。砂は、「鳴き砂」のようなクオリティーはない。今回ゴビ砂漠には足を踏み入れてないけど、そう変わるものではないはず。
 でもこの質感の方が‘世界の秘境’の一つと歌われる、この地に合っていると思った。後、風に舞う砂を見てて思った。天に届きそうだなーってね。ひょっとしたら夜空に浮かぶ星は、この風に舞った砂なんじゃないかなーって思ってみた。砂は‘星のカケラ’。それが、モンゴルの風に乗って天に撒かれる。それを見た大地の上の人間は星と思う。
 どう? これってちょと素敵じゃない? 砂がなぜ光るかって? そりゃ、天にあるものは、太陽の光を受けるだろ、月と同じ原理さ。でもこの場合、そんな原理なんてどうでもいい。砂を手で掬って擦ってみてよ。そして角度を変えて見てみて、キラキラ光るだろ? こんなキラキラ久しぶり。
 子供の頃、砂場で遊んだ時にはよく手についた。でも大人になってからは、手に砂が付いても すぐ洗い流してた。まるで、汚れをこそぎ落とすかのようにね。キラキラなんて見てる余裕無かったね。これって子供の視点を失っていたってことかな? モンゴルの風が、形を変えて忘れていたものを見せてくれてるような気がした。

 風、砂、星とどれも1つ1つではイマイチだったけど、合わせ技で一本ってとこかな」

「食や女や文化に比べて、自然へのコメントがやけに多いのは、キミが何に興味があるかが解るよ」
「本気で‘人’について語らせたら、こんなもんじゃすまないよ」

「忘れたいこと、何かある?」
「うんち・・・・・いやっ・・・、無いね」

「満喫できた?」
「満腹じゃないけど、できた」

「何か文句はある?」
「強いて言うなら、大草原に打ち込んである杭、それで仕切ってる仕切りかな。大自然の見事な風景に余計な物付け加えちゃってさ。でも、ある意味こんな秘境にも、こんな地味な手段で人の手が加わってると思うと感心しちゃうね」

「モンゴルに一生住みたいと思う? 永住権欲しいと思う?」
「いいや、思わない。自分には何処か他の地でやらなきゃいけないことがたっぷりあるような気がする。けど・・・子供はここで育ててもいいと思った。街ではなく少し離れた草原で。理由は、草原の子供を見てて思った。彼らは、生きる術と子供・・・っていうか人間として必要なことを知っているってね。教養なんて後からでもつけることができる。多すぎる食べ物は、食べきれず味もごっちゃになって、挙句の果てには腐らせてしまう。情報だって同じ。多くの情報は子供の頭を混乱させるだけで必要なこと残すのに邪魔になることがある。ここは、最低限の重要且つ必要なことを学ぶのに適しているような気がする。だからここは、自分が今までに思った、世界でも数少ない自分の子供を育ててもいいと感じた場所」

「じゃぁ、モンゴル好き?」
「うん、好き」

「んじゃー、また いつか」
「うん、また いつの日にかね」

 そんなこんなで、国境を越えました。
 再び中国。この次、国境を越えるのは、日本の波の上。

 旅もラストスパート。
「家に帰るまでが、遠足ですよー」ってね。

 モンゴルは、昔の気持ち、昔の言葉、昔の感触? を思い出させてくれました。

 ロールプレイング・ゲームを一気にクリアーしちゃう人なんて居やしません。
 ひとまず、コンテニュー  ピッ!

 アダプター抜きわすれないようにしなくっちゃね。おっ、こんなに熱くなっちゃって。
 それでは、
 SEE------YAA----------
                        FROM まさし

P.S
説明:「風馬」と書いて「ルンタ」と読みます。チベット語かチベット仏教用語かどっちだか忘れました。チベット仏教地によくある「タルチョ」というカラフルな布。これにはお経が書いてあって、風になびくと経が読まれたと同じ効果があると信じられてるそうな。なんと便利な。このタルチョにルンタがよく一緒に描いてある。経・祈り・願い・幸せなどを風のように運ぶ馬とでも解釈してくれればいいんじゃないかな? 間違ってたらゴメンなさい。
 だから、このメールの題名は「若草色のルンタの騎士」と読むので―す。あー恥ずかしっ。