2003年5月 レッドライン ■マレーシア〜インドネシア編
 スラマッシアン!
 タイを出てマレーシア経由でインドネシアに入り、オーストラリア目指して陸路&航路で移動を続けているまさしです。

 タイ・マレーシア国境では、‘SARS’を意識した厳しいチェックがありました。もちろんすんなりパスできたのですが、陸路で国境を越える時のいつもの緊張感に拍車が掛かるように‘新天地’を意識してしまいました。

 マレーシアに入って驚いたことは、そこにインドの世界があったことでした。特にペナン島でのインド系マレーシア人が占める割合はかなりのものでした。
 顔はまんまのインド人。服装は女性はパンジャビードレスが一般的で、ルンギを巻いてる男性もいました。CDショップには、あのインドミュージックがジャカスカ流れ、街中のVCDには、大勢で同時に踊ったり、ぶ男がきれいな女性といちゃつく3流ラブストーリープロモーションビデオが映しだされ、ポスターも「おまえのどこがカッコイイんだ?」と突っ込みたくなるインド俳優と綺麗なインド女優のものが張り出されていました。
 インドと聞くとつい、ファイティングポーズをとりたくなってしまうのですが、ん? ・・・待てよ・・・。
 ここは何かが違うのです。
 何が違う? そうだ! ‘目’が違うのです。
 マレーシアのこの人たちは、インド人のようにいやらしくうさん臭い目をしていませんでした。

 インド人の目は、まぶたが少し緩んだ感じでいつも見下げた視線で人を下から上までなめまわします。顔の角度も気持ち上を向いています。
 タイ人はどちらかと言えば三白眼。だから顎も気持ち引きめです。
 カンボジアのクメール人は、このタイ人の顔の眉間にしわを寄せれば完成です。(もちろん人によりますけど)
 んじゃー、マレーシア人は? まっすぐでした。って言うか、向かい合った時に普通の印象を受けました。容姿がインド人に近いだけに、なんだか拍子抜けた感じがしました。バス停やチケットショップ、食堂で会った人みんなに何処の出身なのかを尋ねてみました。すると、マレーシア・インドネシア・インドときれいに3分の1ずつに分かれました。もちろんこのインド人は、マレーシア在住のインド系マレーシア人です。ちなみにこの質問調査はインド系と東南アジア系の人だけに聞いたもので、中国系は一目で判るので聞きませんでした。

 マレーシアの人たちは予想以上に普通の人たちで、おそらくタイとそんなに変わらないと思うのですが、なんせ顔がインド系入ってるだけに良い人に感じてしまいました。
 街中にはいたるところに漢字が使われているのに、歩いてる人はパンジャビードレスとモスリム(イスラム教徒)スタイル。品物は中国製にマレーシア語を付け加えた物が目に付きました。
 なんだかあの仲の悪い中国とインドが共存しているようで変な感じがしました。

 ふと気になったこと、それは「この人たちは手で食べるのかな?」
 視線を悟られぬよう帽子を深く被り、食堂に入ってカウントしました。
 結果、半々でした。んー、なんか面白くない結果ですね。

 久々に僕もカレーを注文し、忌わしくもいとおしくもあるインドの想い出に浸りながら手で食べていると、インド顔の店員達が
「おっ、日本人なのになかなか上手だね」と言い寄ってきたので、
「まぁね、日本人のI.Qならこの程度の技術、すぐにマスターできるのさ」
とは言わずに、
「I like India.」 と返答しました。
 その後、上機嫌になったこの店員達はさらに仲間を呼び、マレーシアについて語ってくれました。
 ここの連中はちゃんと話の解る人達でした。インド人がアホなのは血のせいじゃないということを改めて再確認しました。

 そう言えば、この時飲んだジュースで変なのを見つけました。
 缶に「SARS」と書いてあるのです。
 マジ!? と思って手に取り、くるりっと回してみると「SARSI」でした。
 これはもう、飲みたかないけど飲まなくちゃ!
 はい、飲みました。お味は?
 ケミカルテイストのただの着色料サイダーでした。ちゃんちゃん。

 SARSをまったく意識していないマレーシア〜インドネシア国境の緩いチェックを抜け、船でインドネシアに入りました。
 インドネシアに入ると中国語は消え、モスリムカラーが一層強く出てきました。パンジャビードレスとインド顔は無くなり、モスリムスタイルと東南アジア顔が出てきました。

 さて、最初の関門はジャングルと活火山で形成された民族色の強いスマトラ島です。

 スマトラ島に住む民族は屋根に特徴があり、葉で造られている物、木で造られている物、トタンで造られている物と様々でした。
 中でも代表する2大民族、北にある東南アジア最大の湖周辺に住む‘バタッ人’、そして南にある赤道の街ブキティンギ一帯に栄えている‘ミナンカバウ人’が個性的だという噂を聞き、行ってきました。

 北のバタッ人の家の屋根は船の形をしていまいた。巨大な湖周辺で生活するこの民族は、漁業が盛んで自分達の伝統文化を尊重しているのでした。
 その民族チックな家を見て、同じ船に乗り合わせたフランス人バックパッカーは大声で、
「アメージング! ファンタスティック!」
と周りの人・・・っていうか僕に聞かせたいのか、フランス人なのに英語で歓喜の雄叫びを上げながら、写真をパシャパシャ撮っていました。アジアの民族の雰囲気に慣れっこになっている僕には、アメージング級の衝撃は感じませんでしたが、熱帯に生息している得体の知れない虫にやられた自分の足にアメージングでした。

 南のミナンカバウ人の家の屋根は、牛の角。牛の角をモチーフに両端がクイッと反り返っているのでした。

 自分達の誇りを屋根に・・・か。自分だったら何を誇りとしてのせます?
 金のシャチホコ・・・ 別に名古屋人、特に気にしちゃいないです。
 時計台・・・ なんだか時間に追われた日本社会って感じがしちゃうかな?
 風見鶏・・・ っていったい何を誇ってるの?
 なにはともあれ、民族における統一感は何かパワーを感じます。

 このミナンカバウ人、牛の角の由来は‘闘牛’でした。
 数百年前、この地方に迫ってきたジャワ王国に対し、国王は民主的に解決したいと考え、
「水牛による一対一の勝負で勝敗をつけよう!」
と申し出ました。それを承知したジャワ王国。両国の代表の水牛を出し闘わせ、みごとジャワ王国を破ったこの国は、地の占領を免れたのです。この地の言葉で「ミナン」は「勝つ」、そして「カバウ」は「水牛」の意で、合わせて「ミナンカバウ」という名が付いたとのことでした。

 そんな理由からこの地では、名物として闘牛が行われる事になったのです。
 インドネシアは国内全土でギャンブルを禁止しています。ここも例外ではないのですが、伝統芸という事で警察も見て見ぬふりをしているのでした。そいつをいいことに、全国各地からギャンブラー達が集まって来るのです。
 毎週火曜と土曜の週2日行われていて、たまたま僕が訪れたのが火曜日だったので、ちょいと足を伸ばして行って来ました。
 するとどうでしょう。凄い人数の人達が、大人も子供も関係無く、咥えタバコに紙幣を握り締め試合開始を待っていました。
 なんだか嫌な胸騒ぎがしました。僕の嫌いなギャンブル場ではしばしば感じられる、人から放たれる‘欲の臭い’がしました。

 試合が始まりました。今まで鎖に繋がれていたものの、暴れるわけでもなくとぼとぼと静かに歩いていた水牛は、飼い主か雇われ人か知らないけど、両牛サイドのスタッフ達に尻を叩かれ勝負をけしかけられます。もともと大人しい性質の水牛、けしかけられては頭を相手にぶつけ、力と力の押し合いが続きます。次第に試合は勢いを増していきます。と言うか両サイドのスタッフが勝負を決めようと、牛の尻を引っ叩きまくりまくりまったくりくりやがるのです。
 僕は素直に「あのスタッフを突き殺せ!」 と思ってしまいました。
 そして周りの人達の反応はと言うと、意外や意外! そんなに興奮しているわけでもなく、歓声をあげるわけでもなく、ただちらほら勝負の行方を気にかけながら金を数えているのです。べちゃくちゃお喋りをする観客達、しかも見たところ闘牛とはまるで関係の無い話。タバコの吸い殻をポイポイ闘技場に投げ込みながらです。
 なんだかだんだん頭にきました。
 その時、闘いを続ける牛達が僕の方まで来ました。目の前で血まみれになりながら凄い鼻息で呼吸しています。少しの間でも動きを止めるとスタッフがまた尻を引っ叩きました。その瞬間、僕は牛がこう言ったのをはっきりと聞きました。
「モー、勘弁してくれよ」と。
 別にシャレのつもりじゃありません。本当にそう聞えました。

 久々に涙が噴き出しました。 滲む涙はあっても、噴き出したのは久しぶり。
 勝負の行方は、結局1頭の牛が柵をぶち破って逃げ出しました。慌てて追っかけるインドネシアン。勝者となった牛は血を拭かれ、隅っこに繋がれていました。

 僕はその勝者となった牛の前に行きました。そこには僕だけでした。
 他の人はというと、今の試合の掛け金の分配を済ませ、次の試合の始まりに備えているのでした。

 んぐぐぐぐぐぐぐっ  「グララァーガァーーー!!!」

 たまらず真っ黒になって吠え出した。

 こんなのってありか!?
 確かにギャンブルの世界ってこんなものかもしれないし、牛も闘うことによって牛自身とその主人と周りの人の生活を支えている。んが、それにしても残酷なイベントじゃないのか? もともと大人しい力が強いだけの動物を無理矢理けしかけといて試合が終われば見向きもしないなんて。もし観客がワールドカップの試合のように総立ちになり興奮して、
「行けぇー! ゴンザレス! 俺はおまえを応援し続けて早10年。俺はおまえにくびったけだぜぇー」
「そこよーアレキサンダー! あなた牛だけど、私あなたになら全てをゆるしちゃうわぁーん」
ってな感じで、この試合そのものが観客である国民達の生きがいになっているというほどのものならまだしも、この観客達の様子を見る限りでは、生き物を傷つけているというデメリットに対し、イベント自体のメリットが小さ過ぎる気がしました。
 後で調べてみると、勝ち牛のオーナーには50万ルピア(円にするのもなんだけど7500円)の賞金が与えられるようです。しかし、敗者側にも40万ルピアと大して差のない金額が与えられるのです。次のゲームに繋ぐために。つまり、このゲームは観客のためのものでオーナーはただ闘わせていればいいのです。なのにその観客達の態度と言ったらこの有り様。

 こんなことをほざいている僕は‘偽善者’でしょうか?
 それとも、ただの‘ギャンブル嫌い’なのでしょうか?

 恥ずかしながらこれだけ世界を回っていても、こんな答え一つスパコーンっと出せなかった自分に青さを感じると共に、未熟故にカッカと熱くなる自分に、旅を続けていく力がまだまだたっぷりある事を再確認しました。

 このスマトラ島は南北に細長い島で、面積は日本の約1.25倍、平野はほとんど無く、活火山とジャングルでできているため、ここを陸路(バス)で動くことはかなり困難とされ‘世界三大悪路’と呼ばれているのです。
 もちろん僕はこだわりの陸路派ですが、スマトラ島に至っては半分はバスで、もう半分を船で抜けるつもりでした。
 しかーし! ここ最近その船が無くなってしまったのです。理由は飛行機の料金。たったの30万ルピア(約4000円)。このルート、陸路・航路では不便過ぎて飛行機利用者が急増し、料金も下がってほとんど飛行機と船の差がなくなってしまったので中止になったとのことです。
 じゃ、バスは? ツーリストバスだと250万〜300万ルピア、ローカルでも150万〜200万ルピアとほとんど大差がないのです。
 そのくせ待遇には雲泥の差があります。
 バスは軽く見ても30時間。アップダウンのグルグル坂山道です。
 飛行機は、一時間半! ひとっ飛びです。

 そーこーで、どうするトータスまさし!

 僕のスタイルは陸路もしくは航路が基本です。特に今回の旅は「陸路・航路でオーストラリア」をキャッチフレーズにしているものですから、もしここで飛行機を使ってしまったら、いったい何のために苦労して陸路・航路でオーストラリアへの道を探しているのか解らなくなってしまいます。
 これはもうお金の問題ではないのです。
 これまでも立てた課題はやり通す姿勢を保ってきました。ここで妥協してしまっては今後の旅にも支障が出かねないのです。
 本当の僕は自分に甘い人間なので、何からも強制されていないことには、つい甘えてしまいがちなのです。本来は何からも強制を受けないのが‘旅’というものなのですが、僕は自分の旅というものに大変誇りをもっているが故、そいつが甘ったれのはずの僕の‘リンゴ飴でできたハート’を、そりゃーもぉ‘べラの鞭’のごとく、高笑い上げながらしばき続けるのです。

 能書きが長くなりましたが、乗りたくないけど乗らなくちゃ。

 はい! 乗りました。さて、乗り心地は?

 悲惨でした。
 まずは北から半分まで。ここは元々バス移動を予定していた区間だったのですが、予定外の事もありました。ポイントは‘ローカルバス’。熱帯でのエアコン無しはあたりまえとして、狭さと汚さも覚悟の上でした。しかーし、バス会社に、
「キミのバス、嵐に巻き込まれて動けなくなったそうだから、急ぐのなら今着いたこのバスに乗ってね。補助席だけど我慢して」
 そう言われ乗り込んだバスの座席は、ビールビンの箱でした。

 はっはっはっはっはっはっはっはぁーーー・・・ グララァーガァー!!! でした。

 バス会社のスタッフは僕の肩をポンっと叩いて
「グッド エクスぺリエンス!」 そう、ほざきました。
 うぅ、グッドじゃないけど、エクスぺリエンス(経験)です。

 バスの中は夜行なので闇。乗客全員モスリムで、白い歯だけがビールビンの箱に座る僕を見て、闇の中でニヤついていました。
 僕にはバックパッカーにとって致命的な弱点が一つあります。僕、バス酔いするんです。
 っていうか乗り物酔い体質なんです。高校3年間、通学帰宅で毎日酔ってました。
 今までの旅、正に根性で耐えてきましたが、ここは‘本気’を出しました。夜行バスなので寝る気満々だったところの本気です。

 シートとシートの間にある狭い通路に、狭すぎて最初は入らなかったお尻をねじり込ませ箱に座ります。鉄骨むき出しの肘当てが肋骨に食い込みます。
 急カーブごとに「オッ、オェー」
 アップダウンのガタガタ尻打ちに「アッ、アガペ!」
 さすがにこの揺れでは、現地人と言えど乗客のモスリム達もたまらず「オッ、オェー」と吐きまくりました。嫌な響きと臭いがバス内を輪唱していきました。
 ものをすぐ床に捨てるアジア人。何をとち狂ったのか、中身入りのゲロ袋まで、ちょちょいと適当に縛ってポイッ。おまえら、いったいアラーから何教わってんだ?
 この爆弾がこりゃまた転がって中身出ちゃうからアジャパーです。
 こいつら正に‘バステロリスト’です。
 転がってきた2つの袋が同時に弾ける音を聞きました。正に‘同時多発ゲロ・・・テロ’。

 そう言えば、トレードセンターでのテロが起こった時、僕は旅先でした。場所が中国だったので映像はもちろんニュースでもサラッと流していた程度でした。テロの映像を見ていなかった僕は1年後に日本で‘1周年特別番組’で見ました。事件の凄まじさに興奮を隠し切れなかった僕は、友人にこの興奮を伝えようと思わす電話をしました。
「お、おいっ! トレードセンターが凄いことに・・・」
「うん、知ってるよ」 とあっさりした返答。
なんだかその瞬間、この事件にドキドキしているのは世界で自分だけなんじゃないのか? って気がしました。このバスで必死で耐えている時にも、イスラム教徒に脅えているのは世界で自分だけ? という気がしました。

 夜の効果って不思議。よく学生の時、テスト勉強で徹夜してるとふと思った。
「今この世で起きているのは、自分だけ?」、て。んなわけないんだけどね。
 あーぁー 話外れまくり! っていうか、この時はもう頭こんがらがってて昔の色んな事が頭を過ぎ去って行ってたのです。もしやこれが走馬灯!? とまで思えました。

 途中バス故障4回の18時間耐久ローカルバスの旅。こうして島の半分まで来たのです。
「もぅ、スマトラ島でのバス移動は嫌ぁーーー! でもこれからは船移動だから一安心♪」っと思った矢先の先ほど言った船中止。ローカルバスの旅、再びです。
 しかし、今度は30時間。椅子には座れたもののダニダニだらけの座ると痒くなるボロボロシートに、床からはロングサイズの熱帯ゴキブリが足を伝って登って来るのです。
 どうでもいいけど、どうして熱帯のゴキブリってこうもデカイのかね? さすがにオーストラリアで遭遇した手の平サイズの世界最大種のゴキブリほどではないけれど、軽く中指ぐらいはあるのです。

 ある時、僕の前の座席のモスリム女性の頭にゴキブリが止っているのを見つけました。っていうか目の前です。真っ白なきれいな布で覆われた頭の上に黒長いゴキブリ、くっきりはっきりです。
 僕は思わずサンダルを振り上げました。すると、
「もし、おまえがそのサンダルでこの女の頭を少しでも叩けば、今度は隣に座っているこいつの旦那におまえがぶち殺されるぜ」
とゴキブリが長い触覚で語り掛けてきました。
 そうです。イスラム教徒は他の男が自分の女に話し掛けただけでも、その話し掛けた男を殺してもいいことになっているのです。もちろん法律では人殺しは犯罪になっているのですが、イスラム教徒の中の常識でOKということになっているのです。恐るべしモスリム思想!
 やむえず振り上げたサンダルを下ろすと、ゴキブリはササッと頭から隣のシートに移動しました。
 そしてゴキブリの背中からちょっとだけ羽が姿を現しました。これはたまりません。ゴキブリは飛べば戦闘力が10倍になるので、サイヤ人のしっぽを大猿に変身する前に切り落とすがごとく秒殺しようと、水平チョップの構えをとった瞬間、勘のするどいヤツは飛ぶのを止め隣に座っているモスリム男の髪の毛の中に入って行ったのでした。

 このモスリム男、熱帯天然パーマ入っててゴキブリは脱出不可能となってしまいました。これもある意味たまりません。とても見たくない光景です。しかし、これは気になる。僕の視線は釘付けです。なんせ自然の宝庫熱帯ジャングルにて、古代生物が人体から育った環境適用毛‘天然パーマ’によって捕らえられているのですから。とってもナチュラル度数の高いシチュエーションです。

 教えてよいやら・・・ 叩いてよいやら・・・ うーん、えーい寝ちゃえ!
 目が覚めた時には男はバスには乗っていませんでした。彼はいつまであのままだったのでしょうか? ゴキブリは性行為無しで卵を生むことができると聞きます。もし卵なんかを頭の中で産み付けられた日にゃー・・・ あーもう、考えるの止ぁーめた。

 そんなこんなで退屈もせず、2回のバス故障により計40時間かけてスマトラ島を脱出し
ました。
 予定時間30時間のところの30+10=の40時間です。これがまた辛い。

 僕は陸上部でした。苦手な長距離を走らされている時に、
「ラスト一周!」の掛け声で全力を振り絞りラストスパートかけてゴールした瞬間に言われたコーチからの一言、
「おまえ遅いからもう後5周ね」 って、あーーがーーーぺぇーーーー!

 もしくは、子どもの頃から何度でも、トイレ我慢して帰宅してる時、ギリギリピクピクで滑り込み。パンツを下ろしたその刹那! うっ・・・ セ、セーフ☆
 その時思う。もしあそこの信号に捕まっていたら、俺はもしや間に合わず・・・!?
 いやっ、違うね。家(トイレ)がすぐそこまで近づいて来たという認識があったからこその‘甘え’から生じたギリギリセーフ。この未熟者!

 乗車時間30時間を越えてからの毎時間、今か今かとラストスパート後の一踏ん張りを続けながら、予定到着時刻から受ける‘己の認識’に心の余裕を説き伏せながら、この一戦を乗り切りました。

 スマトラ島をバスで南下し続けるその途中に、赤道を越えました。
 そこにはモニュメントがあるため、写真を一枚撮っておこうと、‘袖の下’代わりにあらかじめ用意しておいた‘インドネシア産栄養ドリンク剤’をバスドライバーに差し入れして、バスを止めてもらいました。
そこには退屈そうな記念館とちゃちな石像があっただけなので写真を撮る気にもならなかったのですが、入り口の隅っこに汚い地球儀があったので、地球好きの僕は大満足でこいつとパシャリ!

 シャッターを切ったその瞬間、灼熱に燃え盛る一本の道が東西に現れました。

 そう、ここは赤道の上。ちょいと僕は背伸びをして先の先まで見てみると、そのラインと交わる大陸は何処も赤色に点滅していました。
 頭の中のワールドマップと照らし合わせてみると、そこは、
‘秘境ボルネオ島’
‘南米エクアドルやブラジルアマゾン周辺’
‘ケニヤ等のアフリカ大陸’
と何処も一筋縄ではいかなさそうな難関ばかり。ついさっきまでゲロに塗れたバスの中でヒーコラ言ってた今の環境と赤く危険信号を放つライン上の国々と比べてみると、
「ひょっとしたらここが一番楽な所なんじゃないのかな?」
という気にさえなりました。

 この道は正に、地球の‘レッドライン’。

 赤道とは英語で「equator」と言いますが、僕にとっては単純なようですが「red line(レッドライン)」の方が右脳と左脳、両方にピンピンくるのです。

 この先この灼熱に燃え盛るレッドラインと幾度も交わることになるでしょう。その度に、ジュージュー音を出しながらその地を踏み締める足の裏を通じ、肉体にも体感としてピンとくるでしょう。
 子供の頃、石油ストーブの上に乗せてしまった‘キン消し(キン肉マン消しゴム)’の様に、ジュージューと凄い臭いを放ちながら足元から溶け出していかないうよう、20代の足を動く限り動かして行こう! そう、気合を入れ直しました。

 そんなこんなを考えながら、地球儀の前にたたずむ‘一見観光客’目掛けて、
「ハロー、ミスター! コニチワ ジャパン。Tシャツ安い、ちょっと見るだけ」と、
とても解りやすい人達が、遠くの方から駆け寄って来ました。
 汚れた帽子を深く被り直し、両手を口元に当てて、
「ティーーダーーブーーリーー!(いーらなーいよーーだ!)」
と一叫びして、南に向かって走り出しました。

 まったくこの地は・・・いえ、この世は、少しも僕に足を止める時間をくれません。

 なにはともあれ、赤道またぎ無事世界三大悪路スマトラ島を陸路で脱出しました。

 第3回目の旅もやっとこさ前半終了。
 そろそろ南国で焼かれた肌もはがれ落ちてきました。

 さて、この次は。
 まだまだ南へ下ります。首都ジャカルタ&古都ジョグジャカルタのあるジャワ島をサクッとやっつけた後は、バリ島にて‘ケチャ’のレッスンを。そしてコモド島にてコモドドラゴンに挑みます。
 それでは
SEE−−−−−−YAA−−−−−−−
                        FROM まさし

PS 今回の報告メール、ちょっとわかりにくい単語が幾つかあるかもしれませんので、簡単な解説を入れておきます。

 まずは、‘トータス’。
 これは‘陸亀’のこと。ちなみにタートルは海亀です。よく引っかけ問題で
「ウサギとカメを英語で言ってみよ」
なんてのがありますが、ラビットは飼いウサギで野ウサギはヘアなので、「ラビット&タートル」ではなく「ヘア&トータス」なのです。

 次、‘グララァーガー!’。
 これは宮沢賢治の‘オツベルと象’より。象が怒った時の声。この作品は擬態語が興味深いのです。

 次、‘べラの鞭’。
 そうです。‘妖怪人間べム’の‘べラ’です。
「あははははぁーーー、覚悟ぉし! べラの鞭は痛いよぉーー!」
 って、誰の鞭でも痛いっちゅーの!

 次、‘アガペ’。
 僕の天然口癖です。物心ついた時には、口走ってました。英語の「ウープス」だと思えば解りやすいです。ウケを狙ったものではなく、極めてナチュラルな叫び。

 ‘サイヤ人のしっぽ’。
 ドラゴンボールに登場するサイヤ人は満月を見ると大猿に・・・
ってなんだかバカバカしくなってきたので やーめた!