2003年5月 ドラゴン‘リ’クエスト ■インドネシア編
 スラマッシアン!
‘陸路でオーストラリア’を目標にインドネシアを下っている まさしです。

 インドネシアのスマトラ島を脱出した後は、首都ジャカルタのあるジャワ島へ渡りました。ジャカルタなんて汚れた中途半端な都会はさっさと抜けて古都ジョグジャカルタへ向かいました。ジャワ島はインドネシア唯一鉄道が通っているところです。もちろん乗りました。たまたま空席が無かったりしてビジネスやファーストクラスにまで乗ることになってしまいましたが、値段にそこまでの大差はありませんでした。

 「たまには小さなゴージャスを」と思いきや、小さな期待はすぐに壊されました。ビジネスクラスでさえエアコン無しの扇風機、ファーストクラスはエアコン入ってるものの寒すぎ。しかも蟻んこうじゃうじゃでした。列車そのものがボロいのです。

 熱帯の日差しによって剥がれかけた腕の皮を出来るだけ大きく捲っては、このファーストクラスの同乗者達にサービスとして与えてやりました。
 やられたのはビジネスクラスでクッションを配られたので受け取って使ったら、電車を降りる前にクッション代をとられたのです。乗客ほぼ全員払ってました。
「クッションぐらいでせこいマネするなよ」と思いながら払い、ビジネスクラスという響きに油断したなと反省していた矢先のことです。次のファーストクラスに乗ったときも同じようにクッション代を取られてしまいました。ファーストクラスの夜行列車だったのでクッションとブランケットらいはあたりまえだと思っていたら、クッション代&ブランケット使用料ダブルで取られてしまいました。ファーストクラスという響きに‘エコっ子’の僕ちゃんすっかりやられてしまいました。
 ‘メロン味’のネーミングで惹かれ、緑の着色料にがっかり って感じ。

 古都ジョグジャカルタ、通称ジョグジャにある世界遺産ボロブドゥールとプランバナンでは、インドネシア人のマナーの悪さに発狂し、ユネスコ社員気分で説教垂れながら歩きました。
 その後すぐにバリ島に渡りました。

 多くの人が訪れる人気のバリ島。実はちょっとだけ期待していました。いったいどれほどのものかと。
 さて、ここで説明と感想。
 人気のある所故、辛口で評価します。抽象的な誉め言葉を並べたところでそれから得られる情報は、どこのリゾート地でも体験できることばかりで特徴が伝わりにくいので、批判的に説明するぐらいで程よくその国の光るものが浮き出ると思うのです。

 まずは‘宿’。
 観光地だけあって宿の種類はピンからキリまでそろっています。ピンは何処に行ってもそう差がでるわけもなく、キリに関してはインドネシアの中では少々高めで、清潔度は東南アジアの平均です。ただやはりリゾート地だけあって呼び込みやぼったくりに出会う機会が多かったです。つまり、嘘と欲が目に付きました。

 次、‘移動’。
 狭い島のわりにはバスのルートが片寄っていて、本数も少ないです。公共バスはあまり無く、乗り合いバスがメジャーなのですが、他に比べて乗換えと盗難が多く、タイやマレーシアよりも不便です。ラオスやカンボジアのトラックの荷台に比べればかなりマシです。金さえ出せば車を希望の行き先まで出してくれるドライバーはそこら辺にうじゃうじゃいます。もちろんぼったくり。地形的には平坦で単純な道のりで、時間も2時間以内で動けてしまえる所ばかりです。つまり、本当は移動しやすい所なのですが車をチャーターさせることによって利益を得ているのです。ここ、ちょっと汚いね。
 ただ、2時間ぐらいの道のりなら車を一台チャーターしても1000円ぐらいです。円換算するのもなんですけどね。
 ちなみに乗り合いバスだと1時間乗っても50円もしないです。バスツアーが確保されてるツアー客は何の問題も無いでしょう。バスさえあれば移動に時間をとられるところではありません。

 次、‘食べ物’。
 特別なものは、はっきし言って無いです。普通のインドネシア料理です。インドネシアの料理は世界的に見てもレベルが低いです。ご飯は適当な炒め物、麺は全てインスタントの乾麺です。インドネシアで料理に期待してはいけません。バリは食べ物の物価も高いため、他のインドネシアにいるときの倍かかりました。

 次、‘アクティビティー’。
 ビーチは豊富にあります。しかしやっぱりビーチはビーチの枠を超えることはできません。良質かどうかはそれぞれの趣味の枠に入るでしょう。マリンスポーツはリゾート地ならどこでもあるように一通りは揃っています。

 次、‘文化’。
 ヒンドゥー文化ですがどこか中途半端な感じ。特に目を見張るような光景ではないし、飛び抜けて驚くような風習も発見できませんでした。何処の国にだって年に数回の集団儀式やお祭りはあるのです。ただ舞踊芸能が他の国に比べて身近な存在であることは、この国の文化の特徴でしょう。

 そしてこの国の要である‘芸能’。こいつはかなり洗練されています。

 まずは‘舞踊’。
 よくある地方の伝統舞踊よりかは念蜜に洗練されています。しかし数も多いので質の低い団体も多く存在します。
 宗教儀式から発展したものは特に異質な雰囲気を放っています。他のものは個性的とはいえ舞台で舞いながら物語を進めていくタイプのものです。

 そして‘楽器’。
 インドネシアの楽器と言ったらやっぱりガムランでしょう。
 ガムランとは簡単に言えば、竹や青銅や鉄などの素材で作られている木琴のような打楽器に笛を組み合わせた、アジアンアンサンブルといったようなもの。音楽的にも洗練されていて耳にした者のほとんどが心地よく感じられる万人うけのいいもの。僕もこのガムランの音は大好き。
 しかーし、実際インドネシアを渡り歩いてみると少しがっかりしたことが!
 それはガムランが使われるのは舞踊の中やコンサート、世界遺産の敷地内でショーとして行われている程度で、あまり生活に結びついていなかったことです。僕の中では友人や本からの情報で、もっと庶民的なものであり、その上に洗練されたプロの楽団がたくさんいるのかと思っていたのですが、しかし現実は街を歩いていてもガムランの音を耳にすることは少なく、流しているレストランも少数でした。何十回とバスにも乗りましたがBGMはロックや現地の歌謡曲ばかりで、ガムラン音楽が乗り物の中で流れたことは一度もありませんでした。
 音楽的には洗練されているが耳にするのはコンサートや儀式ぐらいで、ストリートミュージシャンがいないのはもちろんのこと、テープやCDでさえかけられる頻度が少ない。これでは日本人から見た雅楽や和太鼓と親しまれ方がかわらないのではないでしょうか? 芸能大国を名乗るならもう少し飛び抜けていてもいいのではないでしょうか?
 せっかくすばらしいものなのだから、もっと日常的に身をゆだねる機会があるとよかったなと思いました。

 ‘芸術作品’も派手でインパクトがあります。しかし厳しく見ればレパートリーが少ないんじゃないかという気がします。
 とは言え、一ヶ所から買えるお土産という視点で見れば十分です。身近な存在であり手に入りやすいです。

 っとこんな感じでバリの様子をつらつらっとなぞってみましたが、つまり勝手にまとめてしまうと・・・
「リゾート地の条件は満たしていて特徴的な芸術鑑賞もできますよ。お土産も買えますよ。けどボリも多いですよ。嘘吐きはうじゃうじゃいますよ。料理は期待できないですよ」
っとこんな感じ。

 あら? なんだか味気なさげな評価に聞こえてしまうのですが・・・。
 うん、はっきし言って見た目は派手だが芸能以外はそこまで興味深いところじゃない。やっぱりここも東南アジアの枠内であって、世界的な強烈な一撃に欠けてるんじゃないか!? って僕は勝手にほざきます。

 とは言え、観光には適していると思います。観光に来る人たちはほとんどが‘撫でる’手前の‘眺める’だけなので、このくらいの物価と派手さとカルチャーショック具合とリゾート環境が丁度いいのかもしれません。
 仏教色のジャワ島、イスラム教色のロンボク島とスンバワ島、キリスト教色のフローレス島。この近くにある他の四つの島と比べて、どうして同じような場所にあるのにバリ島だけが飛び抜けたのか気になっていたのですが、なんとなく解かったような気がしました。

 さて、この国の要となっている舞踊。見るも良し、習うも良しですが、見るはどうしても一夜の夢となりがちなので、習うとまではいかずともここはひとつ体感という意味でも触れておかねば! とレッスンを受けに行きました。

 それにもってこいの場所が、バリ芸能・芸術の中心地 ウブド。
 ここは参加型の街。見に行くというよりは目的を持って訪れればその期待に答えてくれる場所なのです。
 僕のお目当ては昔から気になっていた‘ケチャ’です。
 ケチャックダンスとかモンキーダンスとか言われ、民族色溢れる儀式が、インド古代叙事詩ラーマヤ−ナを基に舞踊化したもの。原型である集団催眠による宗教儀礼級のものは今ではお目にかかることはできないだろうけど、トランスの雰囲気だけでも感じられたらなーと思いこいつを選びました。

 地元一押しのケチャのコンサートを観に行った翌日、さっそくレッスンに通いました。

 上半身裸でサロンという布の腰巻一枚で、変なおっさん(先生)と向かい合い2人でチャッチャッ言い合うのです。
 ケチャは普通100人ぐらいで夜に炎を囲んで行うためすごいムードに包まれるのですが、真昼間から2人でやるケチャは人様に見せたくない光景です。ある意味すごいムードに包まれていますよ。癖になっちゃう前にさっさと卒業です。
 基本はマスターしました。最大の弱点は1人じゃケチャは踊れません。いやっ、踊れるけどマヌケです。

 遠い将来「明日があるさ」のインドヒンドゥー版「来世があるさ!?」で歌手デビューを狙っている僕のファーストシングルのカップリングは、この「1人ケチャ」で決まりです。

 ケチャックダンス、この何にも使えない・・・使いたくない技術。はい、ラーニング!

 ケチャのCD買いました。これでお茶の間でもチャッチャッチャッできます。したくない!

 このダンススクールで何人かの日本人に会いました。この子達は‘レゴンダンス’という女性専用の宮廷舞踊を習いに来ていました。彼女たちはバリの芸術大学に通う大学生だったのです。住んでるだけあってインドネシア語も見事なものでした。
「インドネシアに留学、しかも舞踊を習いに・・・」 あまり耳にしない話でした。

 真っ黒に日焼けして楽しそうに踊りを習う彼女達を見ていたら、聞こえのいい西洋や語学留学だけが留学でないことを再認識したと共に、こうゆう大学生活もありだなーってな気分になりました。コンパや不健康な遊びに知らず知らずとはいえ、つい時間を費やしてしまう可能性が低い環境に思えました。

 僕はこれでも法学部。しかしそれは名ばかりで、実際は授業時間を裂いて合気道部に入り浸りだったので‘アホウ学部’です。将来なんの役にも立たないでしょう。合気道部にて一生ものの技術・思想・集団生活を学び、仲間と想い出を手に入れたので、後悔はまったくしてませんが、どうせなら武道大学とかに行ったほうがよかったのかな? と煌びやかに舞っているアジアンフェイスの日本女性達を眺めていたら、一瞬そう頭をよぎりました。
 んが、もし武道大学に行ってたら、今頃こうしてバックパッカーなんてしてなかっただろうなー、と思うと、「我が選択に狂い無し!」と勝手に小さくガッツポーズです。うん、ポジティブ。
 こう思う時点で、既に何かが狂ってしまっているのかもしれませんね。

 バリのウブドを出てからもさらに島を渡り進みます。ここからは一般人があまり耳にしないローカルなエリアが続きます。旅の不便さと難易度も上がる、どっぷりど田舎です。
 外国人をあまり目にしたことのない人達とのコミュニケーションは旅の醍醐味の一つです。
 ある村でこんなことがありました。

 子供達に「どこから来たの?」と聞かれたので日本と答えたら、子供達の1人が 「ドラゴンボール!」と声を上げました。
 さすがに日本の漫画は有名だなーと感心していたら、別の子供が言いました。
「ねぇ、ドラゴンボールって本当にあるの?」と。
 僕はこのあまりにもピュアな質問をするこの子を、思わず抱きしめてしまいました。天然記念物を見つけたような気分でした。
 ドラゴンボールが本当にあるのかって? はぁーっ、そうかー、そうゆう世界で育ったのね。
「この子の夢を壊してはいけない!」そう思い、こう答えてしまいました。
「あったりまえじゃないか! 何を隠そう僕はドラゴンボールを集めるために世界を旅して回っているのさ☆」、と。
 私、嘘をついてしまいました。
 それを聞いた子供達、「すげぇーーー!」。
 嘘の蛇口は一度開いたら締りが悪い。
 僕は手にしていた杖を派手に一振りしてほざきます。「これが如意棒!」。
「おおおぉーーー!」っと子供達。
 クルリと背中を向けて背中のリュックを指差し、「これが修行に使う重い亀の甲羅」。
「うおおおぉーーー!!!」 もぅ、どうにでもなれです。
 信じちゃってるのか僕をからかってるのか、子供達はピュアな瞳で次々と無理難題を振ってきます。

「シッポは? 見せてー」 っていつの間にやら俺、悟空?
 うー・・・ 「神様が取っちゃった」と僕。

「カメハメ波!カメハメ波!」 できるかっつーの!
「オラ、腹減って今、だせねぇー」と苦しい答え。

「きん斗雲!きん斗雲!」
「今、修行中だから亀仙人のじっちゃんがきん斗雲使っちゃ駄目だって」
 もー、いっぱい いっぱい。

 そんな中、思いもよらない質問がきました。
「ドラゴンボール揃えたら、どんな願いを叶えてもらうの?」っと。
 えっ!? そんなこと考えもしなかった。
 その場はとっさに
「食べきれないほどの苺ってのも捨てがたいけど、やっぱり素敵な恋人よねー」
 と記憶の奥から引っ張り出してきた、どっかの誰かさんの台詞をそのままパクらせてもらったけど、もし・・・もし本当だったら、僕は何をリクエスト(懇願)するのでしょうか?
 なにはともあれ、子供達に最後に一言、
「嘘をついて人を騙したり、ゴミをポイ捨てしたら願いは絶対に叶えてもらえないよ」と、私、嘘をつきました。
 あれ? ダメじゃん! オレ。

 このピュアで些細な出来事は想い出の宝箱にそっとしまい、この架空の小さな宿題は僕の‘世界の関門&課題リスト帳’の裏に、こそっとメモっておきました。

 そんな微笑ましいひと時を過ごしていたら、イガラッポイおやじが短いタバコを気にしながらやって来て、こうほざきました。
「おいっ! ゴジラは本当にいるのか?」と。
 ・・・なんだか、どつき殺したくなりました。
 どうして人ってのは、こうも相手によって態度が変わってしまうのでしょうかね。
 うん、摩訶不思議!

 別れの時に「バーイチャッ!」と一声かけて、その村を後にしました。
 今思えば、番組がちがいましたね。

 そんなこんなで、ど田舎村を幾つもぶち抜いて今回の課題の一つであるコモド島の手前まで来ました。

 そうです。あの世界最大のオオトカゲ、コモドドラゴンの生息地として知られるコモドドラゴン国立公園。もちろんユネスコ世界遺産です。

 ここでも予想外のことがありました。なんとコモド島行きの公共の船が運航停止になってしまったのです。理由は昨年のバリ島デンパサールで起こった爆弾テロ事件。
 こいつのせいで今ではバリ島を含めたインドネシアへの観光客が激減してしまったのです。こいつに駄目押しするかのようにSARSも流行してアジア全般への観光業がヒーヒー言っているのです。ましてコモド島なんて行き難いところはなおさらです。

 これは島を訪れる観光客相手の商売を主な収入源としていた島周辺に住む人達にとっては死活問題なのです。
 長い間、コモド島の存在にあやかりまくって生活していた地元の人達が、他に手に職を持っているはずもなく、客が減っても彼らの武器はコモドドラゴン一本。
 ここで彼らの頭に浮かんだ発想とは、
「客が減ったのなら、一人頭からぶん取る金額を増やしてしまおう!」ときたもんだ。大した頭ですねぇ。
 そこで打って出た行動とは?
 まず公共の船を政府に頼んで運航停止にしてもらい、自分達の持つプライベート・ボロボロボートでコモド島までの橋渡しをする。もちろんぼったくり料金です。
「島に行きたきゃUS100ドル払え!」ってね。大した行動力ですねぇ。

 一般の観光客はツアーで申し込んであるため、もともと専用の船でコモド島までの交通手段が確保されているのでなんの支障もないのですが、我々バックパッカー(個人旅行者)にはたまったもんじゃーないのです。彼らが打ち出した対策によって被害を受けるのは、よりによって金無しのバックパッカーだけなのでした。
「バッキャーロー! どうせ金ぼったくるならツアー観光客のような金持ってる奴らからにしろよなー!」
 そぅぼやいてみたものの、彼らからしてみれば先進国のよそ者が‘金持ってる奴ら’に相当しているのでしょうね。
 それにしても彼らもまったく手のかかる手段を選択したものですよね。なんせこっちとらバックパッカーも必死。普通の観光客のように「はい、そうですか」と金を払うわけがない。現地の物価の相場を知り尽くしたバックパッカー。ましてや、こんなインドネシアの先のほうまで来るような連中が一筋縄でいくわけがありません。
 ここで醜い金銭がらみの‘天下一武道会’が開かれるのです。
 英語巧みな嘘吐き交渉の手練達が仁王立ちで船着場にてヨダレを垂らしているのです。

 ここで引き下がっては肩書き‘旅人’の名が廃る。帽子を深く被り直して、杖を一振り。

 ジャジャン! 勝負の刻です。やりたかないけど、やらなくちゃ。

 はい、やりました。さて、ハウマッチ(勝敗は)?

 本当に公共の船がないのかという下調べと交渉で2日ほど費やしましたが、納得のいく値段で船を出してもらえました。日本円にするのもなんだけど客僕一人のチャーターで2700円。
 それにしてもまったく分が悪い闘いでした。なんせ外国人は僕一人。旅行者が減っているという現状は、どうやら本当みたいです。
 嘘吐き達は久々の獲物に群がります。
「なぁ兄ちゃん、ここまで来たのはご苦労だったが公共の船は出てないぜ。残念だったな。だがな兄ちゃん、一つだけ方法があるんだ。オレたちゃ船もってんだ。あの遠い島までの往復は本当に辛いが兄ちゃんのためなら一肌脱ごう。US100ドル払うなら乗っけてってやってもいいぜ。せっかくここまで遥々来たんだ。世界でここにしかいないコモドドラゴンを一目見ておかないと一生後悔するぜ!」 ときたもんだ。

「はっはっはっはぁー、片腹痛いぜ愚か者! どうやら客はオレ一人。みんな喉から手が出るほど客ほしいんだろ? でっかいトカゲなんかにゃ興味なかったけど(これはったり)、オレも優しい日本人、値段によっちゃー考えてやってもいいんだがなー。さぁ、誰が一番安くする勇気を持ってるのかな?」 あぁ、醜さ天下一!

 そんなこんなで、一度は無理かと思ったコモドドラゴンとの対面が叶うことになりました。
 今回僕が行ったのはコモドドラゴン国立公園のうちの‘リンチャ’という島でした。
 隣にあるのですがコモド島本土ではないために料金が少し安いのです。リンチャの方がドラゴンの数も多く、より野性的ということらしいのでこっちを選びました。本土はホテル等が建てられているため、どうしても柵等が作られ観光化されてしまったので、ドラゴンの野生レベルが下がったと聞きました。
 島に着き桟橋に足を踏み入れると・・・、いました! 入り口の門の周りに小さいのが2匹。
「これがコモドドラゴンだぁー!」
 と船を操縦していたおっさんがまるでテメーの手柄のごとく得意げに叫びました。
 が、僕には
「これは小物ドラゴンだぁー!」と聞こえました。
 こんないかにも門の前で飼育されてそうな小物は、ただのデカいトカゲだと無視してズンズン奥に足を進めました。
 しばらく行くと入場料を払うカウンターとレンジャーがスタンバイしている唯一のぼったくりカフェがありました。
 そうです。ここコモドドラゴン国立公園を散策するにはプロのレンジャーを雇って同行しなければいけないのでした。
 スタンバってたレンジャーは腕の細いジイさんだったので、
「いらないっ!」 と言ったがダメでした。
 ヒョロッチョイジイさんは先端がY字に分かれている長い棒を一振りして「行くぞっ!」と僕に言いました。なーんか、頼りないねぇーっ。
 間違いなく棒術でも素手でも闘って負ける気がしない相手に守ってもらうなんて。
 でもこのジイさん、嘘か本当かこの道何十年のベテランと言っていました。
 5分ほど歩くとヒョロジイがピタリと止まり、ビシッと指を指しました。
「これがコモドドラゴンの糞じゃ」と。
 そこには木工用ボンドをぶっかけたような白い灰の塊のようなものがありました。
 コモドドラゴンの糞は白いのです。
「何を食べるの?」と聞くと、
「猿、水牛、馬、ヤギ、鹿じゃ」と答えた後に
「場合によっては人間もなっ・・・」
と背中が僕のリアクションを期待したような雰囲気を漂わしていたので、おもいっきり声をだしながら、あくびをしてやりました。

 コモドドラゴンに韓国料理を食べさせたらピンクの糞がでるのかな? そして、きっと僕の読者ならそう思うにちがいない! そんなことを考えながらジャングルをジイさんの後に付いて進みました。

 僕にはコモド島に来る前から気になっていたことがありました。それは、
「コモドドラゴンの弱点はどこだろう? もしコモドドラゴンに襲われたら、いったいどうやって闘えばいいのだろうか? どこを攻撃すればいいのだろうか?」でした。

 ほとんどの生物には弱点があります。例えばイヌ科の動物には生態系から見て腹筋がないので、腹に一撃入れれば内臓に直にダメージが伝わり、キャウーン キャウーンです。
 牛等の大型の遅い動物には背中の上からの脊髄攻撃が効果的です。上手いこと脊髄を掻っ切ることができれば膝からガックンです。
 ライオンや虎などの大型の速い動物、こいつらに勝てたら‘虎の穴’卒業もんです。闘うわけがありません。
 タランチュラのような蜘蛛類は真上からの攻撃にはノーガード。蛇はご存知の通り首。蛭にはタバコの火を近づければポロリッと落ちるし、塩を振り掛ければナメクジ同様 ドロドロに溶けていきます。
 無敵に見えるワニ。こいつもかなり厄介ですが、ワニは口を閉じる力は1トン以上とものすごいパワーなのですが、口を開く力は人間の力でも十分押さえ込めてしまえる程度なのです。オーストラリアにいる時に‘対ワニ’を想定して調べました。それにだいたいワニは水中では速いが陸では遅いので逃げられそうですよね。

 そーこーでー、いかに闘う? 偽動物愛護戦士!
 さすがに合気道でも空手でも少林寺拳法でも詠春(ウィンチュン)でもテコンドーでもムエイタイでもカラリパヤッツでも亀仙人流拳法でも‘対トカゲ’や‘対ドラゴン’は習いませんでした。 ってかドラゴンって本当にいるの? て感じ。
 背中や腹? いや、蛇と同様筋肉でぐるりと覆われています。頭? きっとカウンターくらってガブリッです。首は? きっとしっぽでドカンです。逃げる? いやいや、厄介なことにコモドドラゴンはめちゃくちゃ速く走れるのです。追っかけられたら間違いなく逃げれないそうです。軽く40キロは出るそうです。
 危害を加えない限り怒らないし、怒らなければ人を襲うこともないそうなのですが、万が一ということも考えいろいろシュミレーションしてみたものの、なかなかこれという打開作が思いつかないのです。

 諦めてヒョロジイさんに聞くと、
「え、弱点? そんなの無いよ。はっきり言って無敵だね!」
 んじゃテメーはどうやって闘うんだよ! と聞くと、
「とりあえずこの先割れY字棒で首を押さえ込む。その間におぬしは逃げなされ。わしは後から隙を見つけて逃げる。それでも追ってくるようなら、またこいつで首を。この繰り返しで何とか逃げれるはずじゃ」
 はずじゃって・・・はずじゃー困るだろうが。
 でも確かにこの棒で首を押さえることができたら尻尾攻撃は当たらないだろうから上手くいくような気もしないでもないけど、はたしてこのジイさんの力で押さえ込めるのかな? だいたいこの木の棒もこんなモロそうなやつじゃなくって、せめて先端に麻酔を塗った針ぐらいは付けて・・・  そんな不安の中、ガサガサ!!!

「動くなっ!!!」
 彼はそう言って手の平を僕の目の前に広げ立ち止まり、棒を構え直しました。
 2人の緊張感が一気に高まったジャングルの中の沈黙。
 頼りなさそうだったジイさんから闘気が立ち上り、確実に戦闘力がアップしていくのが判りました。フライパン山の火も消しちゃいそうな勢いでした。
「スカウターをはずせ! こいつは戦闘力を自在に変化させることができる」
と何処からともなく空耳が聞こえたような気がしました。 なんのこっちゃ?

 ガサガサッ!
 出た! 体長3メートル以上の巨大なトカゲがズルリズルリと10メートルほど向こうの方に姿を現しました。

 僕はその瞬間、カメラを構えた・・・のではなくて、ファイティングポーズを構えたことから、自分が観光客でないことを再認識したと同時に、こいつにはパンチは効かないと判断しすぐに登れそうな木を目でマークしました。

 巨大な体を引きずり7メートル、6メートルと距離を縮めてくるドラゴンと呼ばれるそれを目の前に胸が高鳴りました。ドラゴンは少し進路を変え、ちょうど僕達の前を横切るような形となり、ゆっくりと歩いていました。
 登れそうな木を確かめた後、できるだけ近くで写真を撮ってやろうと僕からズリズリ近づきました。絶対に望遠は使わないと決めていました。3メートルが限界でシャッターを切り、再び‘ヒョロジイさん’から‘ドラゴンレンジャー’に変身した彼の所まで下がりました。するとレンジャーはぼそりと呟きました。
「お前さんは運がいい。こんな大物めったにお目にかかれんぞい」と。
 そして、
「だいたいあんなに近くまで近づくヤツがあるかっ! この命知らずめ!」と叱られました。

 ゆっくりと茂みの中に消えて行く長い尻尾を、最後まで2人は見つめていました。

 後から聞いたのですが、コモドドラゴンは木にも登れるということで、もしそれを知っていたら僕はあんな近くで写真を撮れなかっただろうなと思いました。その後も数時間ジャングルを歩きましたが、それ以上の大物は現れないままスタート地点まで戻って来ました。
 ここでレンジャーとはお別れ。「お見事」と硬い握手をしました。

 1人で船着場である桟橋に戻るまでの1本道、
「♪この世ぉ〜はデッカイ宝島ぁ〜 そおさぁ〜今こそアドベッ・・うわっ!!!」

 恥ずかしい歌を口ずさみながら歩いていたら、茂みの中からいきなりコモドドラゴンが一匹現れ道の前で立ち塞がりました。体長は2メートルぐらいの中型。とは言え今回はレンジャー無しの丸腰です。ヤツはこっちを見ています。
 僕もヤツに釘付けです。怯んで立ち尽くす僕を見つめるヤツの目はこう言っていました。
「オマエはこれを望んでいたんじゃないのか? 冒険家さんよ」
 うっ・・・確かにそうです。
 旅する者・・・いぇ、楽しく生きたいと願う者みんなが何か胸高鳴る、刺激的であり夢のような出来事に出会うことを心のどこかで期待しているはずなのです。自分にとって想い出となる出来事、知識・経験となる出来事、自分に利益となりそうな出来事、武勇伝や笑い話になりそうな出来事などなど、それらの出来事を求めに行く人・待ち望む人と手段は人それぞれですが、心の何処かで期待しているはずだと僕は言い切ります。

 じゃあ、その出来事に直面した時、いったいどんな態度がとれるのでしょうか?
 おそらくその時は必死。気が動転してしまったり、何を言ったかさえ覚えてなかったりするでしょう。しかし、こういった出来事の回数やインパクトの数値が多ければ多いほど、次回何かに直面した時に味のある対応がとれるようになり、その積み重ねが人徳や印象に繋がっていくものと考えます。
 仮に正しくなくとも、味のある対応。これを‘個性’とでも呼ぶのでしょうか?

 僕もドラゴンを睨み返します。普段視線を合わせない僕も眼力を使う時は正中線を合わせ下丹田をキメた状態で相手の脳に語りかけます。
「オレはこれから大物になる男だから、こんなところでオマエなんかにゃやられないぞ!」と。

 そして僕は両手を上げて独特のステップを踏み歌い始めました。
「チャッチャッチャッチャッチャ〜!!!」っと。
 そうです。ここ数日頭にあった‘ケチャ’をしました。
 すると・・・あら、不思議! コモドドラゴンはクルリと向きを変えて去って行きました。
 ヤツが向きを変える瞬間に、ボソッと「アホかっ」と呟いたこと、こいつは空耳ってことにしておきます。
 レベルアップのファンファーレが鳴りました。こいつは空耳ではありません。

 習いたてのケチャ。何の役にも立たないと思っていたけれど、まさかこんなに早く実用することになろうとは。
 だから世の中、面白い。

 一人でコモドドラゴンと向かい合った時とレンジャーがいた時では、獲得した経験値が全然違いました。やはりレンジャーに甘えてしまっていたのですね。少し悔しいです。
 ツアーガイドと海外を一緒に同行するときも、こうゆう気持ちになるのでしょうか?
 レンジャーとツアーガイドは絶対必要度数は違うものの、被案内側によっては同じようなものかもしれません。今の僕にはツアーガイドは必要ありませんが、必要としている人に必要な情報を届けてあげる任務の重要性も少しは理解できているつもりです。そいつを今回は違う角度から再確認したような気がしました。
 ツアーガイドと同行することが損か得かの話ではなく、その土地でのプロフェッショナルであるガイドと言うものの影響力をひしひしと感じました。

 本当のコースはコモドドラゴンだけでなく、レンジャーと一緒にこの島の中にいる猿や水牛や鹿の群れを見て回るコースが一般的なのですが、僕は今更これらの動物を見るのに時間を使いたくなかったので、その部分をカットして全部コモドドラゴン散策に費やしました。それでも時間が余ったので、近くの無人島に連れてってもらいビーチで頭の中を整理する時間をもらいました。水着を持っていませんでしたが、なんせ無人島なのでめったに無いチャンスと思い、スッポンポン フリフリゴロンゴロン ブリブリシャーです。
 ん? ブリブリシャーって何!? まさか・・・。

 今回コモドドラゴンと遭遇するまでに予想以上の時間と費用がかかってしまいました。生活の糧をコモドドラゴンにあやかりまくって生きている地元の人達。悪く言えばドラゴンの存在は地元の人達を駄目にしているのかもしれませんが、それはひょっとしたら今だからいえることであって、昔はコモドドラゴンという唯一の武器があったおかげで、この辺りの村人がこの故郷において生き延びることができたのかもしれません。
 コモドドラゴンにあやかって生きている人達からしたら、コモドドラゴンこそ正に、‘神龍’ですよね。

 この同じような気候で同じような島々からなるインドネシアで、どうしてここだけ? どうして世界でここにだけこんな恐竜の生き残りと言われる特殊な生物が生き残っているのでしょうか? そう考えるとひょっとしたらその昔、誰かがドラゴンボールでも集めて既に願いを叶えたんじゃないのかな?
「出でよドラゴン! そして願いを叶えたまえ! この辺の村人がこの先ずっと生活の糧としていけるような‘何か’を与えて下さい。そんな豪華な物や贅沢な物でなくとも結構です。我々が生きていくために、数限られる消耗品等ではなく後世にも残るような物を与えて下され」
 するとどうでしょう。その辺にいたトカゲ達がみるみる巨大化していくではあーりませんか!
「これで世界中から人間達がこいつら目当てに集まってくるはずだガォーン!」
 な〜んてね。そんな気にさえなっちゃいました。

 僕自身、ドラゴンの生態系に対しての驚きとかよりも、ドラゴンと会った時の出来事から受けたインスピレーションで収穫がありました。僕にとってドラゴンとは危険性を含めた胸高まる出来事であり経験値を上げるための一手段でした。でっかいトカゲを見たか見てないかではないのです。
 これから旅先でも帰国後の日本でも‘確かな偶然’を信じて、一匹でも多くの‘ドラゴン’に遭遇できるように、惜しむことなく足を動かしていくつもりです。

 ‘ドラゴン’を、

 ‘リ’ ンチャ島にて、

 弱点や存在価値を‘追求(quest)’しながら、‘捜し回った(quest)’、リアルなゲーム。
 僕の‘リクエスト(request)’した通りの内容と興奮を体感できました。
 今回は同じ名古屋出身の‘鳥山 明の世界’がちらほら頭をかすめました。

 そんなこんなを考えていたら、島の近くを船が一艘横切って「HELLO−」と声をかけてきたので、僕も「ハロー」と手を振り返すと・・・ あらっ、イヤ〜ン!
 僕ったら全裸!
 いや、待てよ・・・。こんな姿も恥ずかしいけど、ここで急にあたふたして「イヤ〜ン」なんてやってたらもっとかっこ悪いかも・・・。どうする?
「オレはこれから大物になる男だから、こんなところで恥ずかしがんないぞ!」と。

 そして僕は両手を上げて・・・ チャッチャッチャッ〜 って、するかっつーの!
 カッコつけてるうちは、当分大物にはなれそうにないですかね?

 さて、コモドドラゴン国立公園を後にしたこの次は・・・、

 さらに下に進みます。フローレス島からいよいよチモールに渡る船を捕まえます。

 それでは。
 SEE−−−YAAA−−−−−−−−−−−
                        FROM まさし