2003年5月 インドネシアのハル ■インドネシア編
 スラマッシアン!
 ‘陸路でオーストラリア’を目標に引き続きインドネシアのど田舎島をバスと船を使って爆進中の まさしです。

 バリ島、ロンボク島、スンバワ島、コモド島を順番に抜けた後は、フローレス島にやって来ました。フローレス島は名前から想像がつくようにクリスチャン文化の島で、人口の95%はカトリックの信者なのです。
 これまで長距離をバスで移動してきましたが、乗客のほとんどがモスリム(イスラム教徒)ということもあって、祈りの時間になると必ずバスをモスクに停めて祈るという習慣に巻き添えを食っていて、移動時間に対して到着時間が遅くなっていたのです。やっとモスリムワールドから脱出できると思うと、それだけでも少し旅が楽になったような気分です。

 それにしてもバリ以降の島々では、嘘吐きインドネシアンにたっぷり騙されました。もちろんいつも警戒はしているんですが、なかなか敵もやりやがるのです。
 例えばA地点からD地点まで行こうとバスのチケットを買うとします。しかし、いざそのバスに乗っているとB地点やC地点で下されるのです。
「ふざけるな! D地点まで行けよ!」と怒っても、
「このバスはここまでなんだよ。行きたきゃ勝手に乗り換えな」と他のバスにふられるのです。
 つまり偽乗車券を売られたということなのです。
 もしくはバスのスタッフが夜行バスにて、こっちが寝てるにもかかわらず叩き起こして、「ここでバスを乗換えなくちゃいけないから、早くあっちのバスに乗り換えな! 急いで!」と急ぎ足で違うバスに移され、乗ったが最後「はい、さようなら」。運転手に聞いても、「その乗車券とこのバスは関係ないからちゃんと金払え」と言われる始末。
 半分まどろんだ寝起きの頭に「ん? これは夢かな? きっと夢だよね?」。
 はい、現実逃避。

 バスを乗り換える時に運転手や周りの人に確認しても、その時そいつらは適当に「うん、うん」と返事をしますが、到着間際になると「知らぬ存ぜぬ。はい、金払え!」って感じ。
「テメーさっき聞いた時‘うん’と返事しただろうが!」と口答でのやり取りを問い詰めても時間の無駄。知らぬ存ぜぬのアジア堂々巡り。これ、アジアでは日常茶飯事。
 乗車券を買う前にも、どんなに念を押したり何人もの人に確認しても無駄。みんなグルなのです。
 ちょっとでも疑うと、決まって彼らはこう言いました。
「本当だ、絶対本当! 神に誓って嘘じゃない。信じてくれ、ビリーブミィー」ってね。
 まったく、よく言うぜ。しかし、彼らの表情は真剣そのもの。その勢いにちょっとでも押されたり、もしくは同情して信じてしまうと・・・あぁ〜らら。それが嘘だと判るのは、バスから下された時なのです。いったいどんな心情で言葉を口にしているのでしょうね?

 この手の犯罪は、もうこの場所には戻って来ないだろうと思われる旅行者がターゲットで、確かにわざわざ戻っていたら時間もお金も労力ももったいないので、諦めてしまうのが実情です。怒りに任せて何度戻ってぶっ飛ばしてやろうと思ったことか。しかしそいつがシラをきってしまえば何の証拠も無いのです。乗車券も偽物。こんないいかげんな所では乗車券はあって無いような物でまるで証拠にならないのです。インドでもこの手の軽犯罪は珍しくないのですが、僕がひっかかったのは6ヶ月間で2回。ここインドネシアでは不覚にも一週間に3回もかかりました。う〜ギャフン!

 情報もめちゃくちゃで10人に尋ねると10通りの答えが返ってきます。もちろんこんなことはアジアではよくあることなのですが、インドネシアの人達は自信満々で、さも本当の事のように話すのです。時間に余裕がまったく無く、先を急いでいたことが原因かもしれませんが、他の国の嘘吐きよりも少し読みにくい気がしました。

 ある日フローレス島の小さな村で、西チモール行きの船に乗るため、朝7時の出航に合わせ朝6時からチケットを買い、港にて出航をウキウキしながら待っていました。
 実はこうして朝この場所で船を待つのは3日目で、昨日も一昨日もこうして待っていました。船会社に電話して出航日と時間を確認の上待っていたのですが、船は来ず、たまたまいた港のスタッフに聞くと「その船は明日だよ」と言われたのでしぶしぶ次の日にも待っていたら、港でまた「その船は明日だよ」って。
「グララァーガァー!!!」っと僕がその場で発狂すると、
「明日には必ず来るから。絶対」と言いましたが、港のスタッフは無視して村人や漁師達に尋ねまわると、明日には確かに西チモール行きの船が来て朝出航すると言うので、3度目の正直と祈りながら、「や〜っとこさこの水道も無い小さな村から出られるぞ」とウキウキして待っていたのです。

 この朝はけっこうな人数の乗客者達が港で待っていました。出発時間の7時になっても船の姿は何処にもありませんでしたが、出発時間に出発しないのなんて、それこそアジアでは日常茶飯事なので、気にもとめずに他のインドネシア人達とお喋りをしていました。3時間ほどたった頃に話をしていたメンバーの一人が港のスタッフに状況を聞きにいってみると、
「夕方の5時まで来ねぇーってさっ」
 全員、がっはっはぁー です。
 僕も既に2日待たされているので、頭おかしくなって がっはっはぁー です。

 みんなで食堂にでも入ってようぜぇーっと、ひとまず港を離れ、食堂の一角を陣取りました。このメンバーの中に英語が話せる薬剤師がいたのでコミュニケーションがとりやすかったのです。昼ごろまで駄弁ってダラダラしてきたところに、1人のインドネシア人が僕の前に来て、
「あの〜、日本人ですか?」と日本語で話しかけてきました。
 どうせまたバリかそこらで観光客相手に覚えた‘日本語話たがりぃー’かなってぐらいに思っていたら彼は、
「僕は研修生として日本に住んでいました」と言いました。

 ‘研修生’。そうです。僕はここに来るまでにも何人かの研修生と名乗る人達に会ってきました。
 インドネシアには日本とマレーシアに研修生という呼び名で労働者として3年間だけ住みながら仕事ができる制度があるのです。もちろん人気はダントツ日本。会社の社宅に住むことができ、業種は様々ですが主に溶接や工場での流れ作業など、日本人にとって少々抵抗を感じてしまうような仕事が一般的のようでした。キツイ仕事の割りには給料も安く、だいたい1ヶ月に15万円ほどらしいのですが、インドネシアの物価から考えれば信じられないほどの夢のような金額なのです。
 もちろん誰もがこの制度に参加出来るわけではありません。ちゃんと試験もあり日本語レッスンも1年ほど受けて、日本の企業に送っても大丈夫だと思われる選ばれた人だけが合格とされるのです。
 そんな制度があるとはまったくの初耳だったのですが、年間に何十人もの研修生が日本に送られているそうなのです。
 彼もそんな研修生の一人。名前は「ハルム・ラウレンツス」というのですが長いので「ハル」と呼ぶことにしました。
 ハルの日本語力はお世辞にも上手とは言いがたいけど、普通のコミュニケーションをとるには何ら支障のないレベルでした。日本で学校に通うことはなく、テレビで勉強したと言っていました。さすがに3年も日本に住んでいただけあって、日本の文化とまではいかなくとも生活の中での一般常識やマナー等はしっかりと理解できていました。

 キラーン☆ これはチャンスです。
 この場には日本語が話せる日本生活経験者ありのインドネシア人と、英語が話せる見た目もちゃんとしている真面目そうなインドネシア人が同席しているのです。僕は今まで溜まりに溜まったインドネシア人への怒りと疑問を洗いざらいこの場で解決してやろうとぶちまけました。
 アジアで人だかりを作ることなんて、口笛を吹くことぐらい簡単なこと。こんな辺鄙な所にいるめったにお目にかかれない外国人とコミュニケーションをとっているこの一角のメンバーは、最初から注目を浴びていたので、少し話し声を大きくすればあっという間に僕らを取り囲むように人だかりができました。
 キラーン☆☆ これはまたまたチャンスです。
 質問に対する答えの統計や返答のパターンは数が多ければ多いほどいいのです。
 わざと周りの野次馬達も巻き込むかのように席の配置を少し移動し、僕達を中心としたちょっとした会議場のような場ができあがり弁論大会が始まりました。
 僕はペンとメモを手に議題をだします。

 まず始めに‘ゴミのポイ捨て’。

 この議題を出した瞬間にハルが「あちゃーっ」と頭を抱えて言いました。
「まったく恥ずかしいことです」と。

 まさし:「インドネシア・・・っていうかアジアではほとんどがそうなんだけど、何でゴミをそこら辺にポイ捨てするの? いったいどうゆう心理状態で捨ててるの? 罪悪感はないのか? 慣れて無くなったのか?」と聞くと、

 ハル:「ちょっとその質問は危険です。もしそのまま訳すと自分達インドネシア人が馬鹿にされたと思って、ひょっとしたらこの中の誰かが怒り出すかもしれません」
と、ハルが気を遣ってくれました。

 それでは僕もちょっと言い方を変えて、
 まさし:「清潔と不潔、どっちが好き?」と尋ねてみました。
 するとおやじ達全員が、「きれいがいいに決まってんだろ」と答えました。

 まさし:「じゃぁ、この店(食堂)のトイレはきれい? 汚い? どっちだと思う?」と僕。
 おやじ達:「きったねーなー」と全員。よかった。きれいと汚いの価値観は解かっているようです。

 まさし:「なんで食事をする所なのにあんなに汚いのかな?」
 おやじ代表:「あったりまえじゃねーか。みんなが使用する所なんだぜ。すぐに汚れちまうよ」
 まさし:「みんながきれいに使えば?」
 全員あっさり「無理!」と返答。

 まさし:「みんな自分達の家はどう?」
 おやじ代表:「自分達の家はきれいにするぜ」。続けてみんなもうなづく。
 まさし:「自分の家はきれいにするのに、他人の所は汚れても気にならないの?」
 おやじ達:「おめぇ、さっきから何言ってんだ? あったりまえじゃねーか。自分の家はきれいにするけど他人の所なんか知るか!」 っとまぁ、よくも堂々と。こいつらの思想が見えてきました。

 まさし:「日本ではゴミをその辺に捨てちゃいけないことになっているんだけど、ここはどうなのかな? 外を見てるとすごく気になるんだけど」
 おやじ達:「ここはいいんだよ」
 まさし:「いいの? 自分達の村が汚れるし、衛生的にもよくないよ」
 おやじ達:「すぐにどっかに行っちまうさ」
 まさし:「今もめちゃくちゃちらかってるよね? ゴミ箱もないし。きれいな方がいいんじゃないの?」
 するとハルが、
 ハル:「もぅ、これぐらいでゴミの話はやめましょう。みんなきれいな方がいいに決まってるけど、はっきり言ってめんどくさいだけなのです。みんな、はっきり言って頭悪いのです」

 そう言われちゃーしかたがない。議題変更。

 次、‘子供のタバコ’。

 まさし:「インドネシアの子供達、小学生ぐらいから煙草吸うよね。日本ではダメなんだけどどう思う? 体には悪いよね? 実は日本だけじゃなくって世界的にもダメなんだけど・・・」
 おやじ達:「ここではいいんだよ。自分で決めたことなんだから吸いたければ買うか誰かからもらえばいい。ただそれだけだ」
 まさし:「でもまだ子供だよ。自分で自分のこと責任持てる年齢じゃないし、いいのか悪いのかの判断もまだできないんじゃないの?」
 おやじ達:「自分で決めたんだからいいんだよ!」と、堂々巡り。
 ハル:「インドネシアでは他人の事で口を挟むと喧嘩になります。何も言わないのが一番です」
 まさし:「じゃぁ、自分と違った意見を言われて、すぐに暴力に走る人をどう思うの?」
 ハル:「それはもちろん良くないことです。だからみんなちょっと頭悪い。だからインドネシアはビンボー」

 なんだかハルがちょっとかわいそうになってきちゃいました。議題変更。

 次、‘家族計画’。

 まさし:「日本では一家族、両親と子供2人の4人家族が一般的で、子供は多くて3〜4人。それ以上産むと育てるのにお金も手間もかかって大変。他の発展途上国は子供の数が多いんだけど、それでも10人ぐらい。でもどうしてインドネシア人は15〜20人も子供つくるの?」
 おやじ代表:「俺達は寒い日にSEXをするんだ。ここは暑いから寒い日じゃないと暑くてやってらんねぇ。寒い日にSEXをすれば体が温まるだろ。そうすると子供ができちまうんだよ」
 全員大爆笑。でも、みんな頷いてる。
 まさし:「マジ!? 何で子供が多いの? っていう質問の答えが‘寒い日に体を温めるため’なの?」
 おやじ達:「まぁ、それも本当だがインドネシアでは結婚した女方の親に金を払って一生養っていかなくちゃいけないのさ。だから娘が産まれりゃ大金持ちに。息子なら1銭も入らねぇんだ」
 まさし:「金のためなの?」
 おやじ達:「金のためだけとまでは言わないけど、それが一番大きな理由だ」

 すると別のおやじがこう言った。
「日本はここよりもっと寒いんだろ? 何で子供が増えないんだ?」と。

 まさし:「アホ! テメェーらアニマルと一緒にするんじゃねーよ!」とは言わず、
「我慢もするし、コンドームだってつけるんだよ」とまともに答えました。

 はい次、‘嘘吐き’。

 まさし:「インドネシアに来て僕は何度も騙されたし、お金もぼられた。嘘を吐いて人を騙すことについてどう思う?」
 おやじ達:「日本には嘘吐きはいないのか?」と質問返しがきました。
するとハルが、
 ハル:「日本人とインドネシア人の一番の違いは、嘘を吐くか吐かないかです。日本では嘘を吐くことは良くないこととされているから、めったに嘘を吐かないのです。だから安全で信用できるのです。インドネシア人は嘘を吐くことに抵抗が少ない」
 そう、みんなと僕に言いました。続けて、
「例えば落し物。もし落し物があったらインドネシアでは見つけた人の物になる。しかし日本人は警察や店のカウンター等に届けるのです」

 そう、ハルが熱く語ると、一同から「おおぉー!」と声があがりました。

 まさし:「お金がテーブルの上にあっても日本人は盗らないよ。これ誰のー? ってみんなに聞いて回るよ」と言うと、ハルが訳してくれて再び「おおぉー!」。
 なんだかわからないうちに次の議題へ。

 次、‘キリスト教徒とイスラム教徒’。

 まさし:「インドネシアはほとんどイスラム教徒だけど、この島はクリスチャンが多いよね? 喧嘩したりしないの?」
 ハル:「その質問も訳すとちょっと危険なので僕が答えます。普通に声を掛け合ったり話をしたりはしますが、互いの思想の話はやっぱりしないようにしています。だから喧嘩もしません。学校は宗教によって分かれているところがほとんどです。アメリカやイラクやラディンの話も絶対にしません」とのこと。ふーん。

 はい次、‘着色料’。

 インドネシアには‘チャンプル’と呼ばれている食べ物があり、こいつはかき氷の中にシロップと着色料ゼリーをドボドボに入れ混ぜ込んだ甘い飲み物。お気付きになった方も多いと思いますが、そうです! ‘沖縄チャンプル’と同じ発音なのです。
 発音だけではありません。‘チャンプル’とはインドネシア語で‘ごちゃ混ぜ’という意味なのです。つまり同じ言葉。昔日本軍がインドネシアを占領した時に使っていた言葉が今だに残っていたのですね。チャーハンなど混ぜる物すべてチャンプルと言うのです。インドネシア人はチャンプルするのが大好き。スパイスでもデザートでもチャンプルしたものが多いのです。

 まさし:「インドネシアの食べ物には着色料が使われたものが多いよね? 特にあの‘氷チャンプル’、蛍光ピンクとか蛍光グリーンとか混ざってるけど体に悪いよね? 意識してる?」
 おやじ達:「えっ!? あれ体に悪いの?」、「うまそーだよなー」。
 駄目だ、話にならない。

 はい次、‘外国への意識’。

 まさし:「インドネシアっていう国名の語源は‘インド’は‘普通にインド’、‘ネシア’は‘島々’だよね。インドの政治体系を意識している島々から成り立つ国家っていうところから‘インドネシア’と名付けられたと本で読んだんだけど、みんなはインドっていう国がどんな所だか知ってる?」
 おやじ達:「へぇーインドネシアの名前の由来ってそうだったの? みんな知ってた?」、「いや、知らねぇー」
 まさし:「そんなことで感心してないでインドについてどう思うの?」
 おやじ:「全く知らん! 興味も無い!」。はっきり、きっぱり。

 まさし:「じゃ、日本がどんな国だか知ってる?」
 おやじ達:「知ってるぜ。サムライや忍者がいて、責任取る時に‘ハラキリ’して謝るんだろ? すげぇーよなぁ。なのにハイテク」。
 ハルがしきりに笑いを堪えていました。その後ハルが、それは昔の話で今は知っての通りハイテク社会だよ、と説明するとみんな驚いて、「えっ! サムライいないの?」って感じ。

 まさし:「日本人のイメージは?」
 おやじ達:「やっぱり金持ちばっかりだよなー。まったく羨ましい話だぜ」
と皮肉っぽく言うので、日本国内での物価の高さに対しての給料、仕事から受けるストレスと労働日数と束縛時間を説明したら、しばらくみんな黙ってしまいました。
 沈黙を最初に破ったデブがこう言いました。
 デブ:「それにしても日本は神に守られている国だ。戦争で原爆2つも落とされて負けたくせに、たったの50年そこらで先進国になっちまった。絶対神がついてるよ」と。
 まさし:「僕達の親や祖父母世代の血も滲むような努力を、ただ‘神のおかげ’で括られたらたまったもんじゃないな」と返すと、
 デブ:「でもオレは知ってるんだぜ。‘カミカゼ’をよっ」
 他のおやじ達の「カミカゼって何?」という様子に対して、滑稽に見えるほどの得意気な表情で「日本は神風によって戦争に勝ったんだ」と語り始めました。
 その顔にちょっとカチンときた僕は、
 まさし:「日本人は嘘を吐いて人を騙したり自然を汚したりしないから、神様も見ていて下さるのかもねー」と時代背景めちゃくちゃな会話だと解かっていながらも、売り言葉に買い言葉で返してしまいました。

 ここで僕は注文してあった‘コピスス’というミルクコーヒーを一口啜りました。
 ミルクコーヒーといってもインドネシアの物は、粉が沈殿したバリコーヒーの中に練乳をたっぷり垂らし込んだもので、すこぶる甘いのです。
 まさし:「ねぇ、これ甘すぎない? 体に悪いよ。インドネシア人はこの味で平気なの?」とハルに聞くと、
 ハル:「そうですね。インドネシア人は濃い味が好きです。日本ではこんな甘い物は子供ぐらいしか食べないですよね。インドネシア人の頭の中は子供と同じだから、こうゆう物がちょうどいいのです」
 あらっ・・・僕が辛口で攻める前に、こうあっさり認められちゃったので調子狂っちゃいました。

 おやじ達からも攻めてきました。
 おやじ達:「日本人はいつもきれいな水飲んでいい物ばっかり食べてるから、日本から出た時に水も飲めないらしいな? 食べる物が無くなっちまったらオマエらどうやって生きていくんだ?」
 痛い所を突いてきました。
 その場は「今の僕みたいに、いざとなれば免疫なんてすぐに作ることができるんだ」
と答えましたが、もし本当にそうゆう事態が起こった時は、体の弱い人やアレルギー体質の人を含め、かなりの騒動になるだろうなと思いました。
 そして、「いざとなれば」と言ってしまったように、裕福な環境に甘えきっていることを認めざるえなかったことがくやしかったのです。誇れるはずの同じ日本人が‘除菌・抗菌・安心’と謳っている愚かにも見える今のテレビCMや必要以上に騒ぎ立てるニュースはまだしも、それに影響される世間の反応から解かるように‘クリーンの悪循環’にはまってしまっている姿をなんとか鏡に映して見せてあげられないものかと、今も頭の片隅に引っ掛かっているのです。

 若者達から意外な意見もでました。
 若者達:「日本人ってカッコいいよね」、「日本人みたいにモテたいなー」と
 まさし:「それってきれいな服着て金持ってるからカッコいいってこと?」と聞き返すと、
 若者達:「違うよ、日本人は背が高いし肌の色が白いからカッコいいんだ。女性からの人気、かなり高いよ」

 これには意外でした。聞く所によるとインドネシア男性の平均身長は160cmないそうで、確かに日本人より低いですよね。それに彼らが肌の白さに憧れているとは驚きでした。てっきり自分達と同じ色を求めるかと思いきや、男達は色の白い女性が好みだと言ってました。

 次に穏やかな感じの紳士が口を開きました。
 紳士:「とにかく日本は我々アジアの誇りなのだよ。アジアの中でトップなのはもちろんのこと、世界のトップを行くアメリカと比べても同じかそれ以上の経済力を持ち、発展途上国に対し多額の援助金を送り出している日本の存在は、同じアジア人として鼻が高いのだよ」と。
 そう言われて一瞬言葉に詰まってしまいました。確かに僕は日本人の努力と能力に誇りを感じ、高く評価をしているけれど、改まってインドネシア人からそう言われると「彼らにもそう感じてくれている一面があったんだな」とうれしく感じたと同時に、同じアジア人に声援を送られた気がしました。
 今までも「日本ははっきり言って‘アジア’じゃないからねー」と言ってた僕ですが、地球的視野で広く見て、国の経済レベル・習慣・文化といった後付された細かい事を取り除いて考えてみると日本は十分‘アジア’であり一目瞭然で‘同種’なんですよね。
 本当は‘人間’という枠で括りたい・・・嫌、「枠で括りたくない」のですが、括ったことによって生じる連帯感をいい意味で仲を深める力になっていったら理想なので、いつもながら‘いいトコ取り’で受け取りたいです。うんポジティブ!

 とりあえず僕も、
「インドネシアのみんなも持ち味生かして働いて、せめてヨーロッパレベルの経済的余裕ならびに心の余裕を持てるようにがんばってよ」と日本人が心の余裕が持ててないことを棚に上げ、その場はえらそうに言っておきました。

 最後に、「自分の国の中で一番誇れる物って何?」と聞くと、ハルが代表して
「笑顔が多いことかな」っと答えました。
 おっと、また言葉に詰まってしまいました。今さっき偉そうなことをほざいたばかりなのに「はたして日本は笑顔が多いくになのかな?」と考えた時、自信を持って「はい!」と言い切れないと思ったのです。

 以前旅先の安宿で、ヨーロピアン7人とアジア人僕1人で雑談していた時のことでした。
 そこに日本語ぺらっぺらのイギリス人が現れました。彼は日本人女性と結婚して日本に10年以上住んでいるとのことでした。自然と流れは、日本についての話題に変わっていきました。物価が高くてなかなか行くことができない、他のアジアとは別世界と言われる未知なる日本という国に関心を持つ欧米人は、結構多いのです。
「日本人ってどんな人種だ?」という質問を、あえて日本人の僕ではなく同じヨーロピアンで、且つとっても解かりやすいネイティブイングリッシュスピーカーのイギリス人にみんなは問いました。
 すると彼は日本の先進国ぶりと几帳面さを説明した後に、こんな説明を付け加えました。
「日本人は‘アンハッピーな人種’だ」と。
 ん? 不幸な人種? 一瞬自分の訳し方が悪いのかな? と思い、一区切り付いたところで割り込んで聞き直しました。すると彼の話はこうでした。

「日本は生活水準が高く、情報と物が溢れているため、たいていのことが可能になる。何でも手に入る環境があたりまえ化してしまっているため‘幸せだ’と感じる瞬間が少なくなっている。短い流行が繰り返され、物事にも飽きっぽく、外からの新しい刺激にも鈍感になっている傾向が見た目にも感じられる。仕事のなかでのストレスも多く休みが少なく拘束時間も長い。世界規模のアンケートでも‘あなたは幸せですか?’という問いに対して‘はい、幸せです’と自信を持って答えられた人数がトップクラスに少ないという結果が出たらしい。自分が裕福だと感じてる人もほとんどいないし、その数とは対照に‘あたりまえ基準’が高いために、ちょっとしたことに対して不快感を感じてしまう人数がこれまたトップクラスに多いという結果が出ているらしい。
 クレーム大国と言われる理由も納得がいく。だから、一見なに不自由無く暮らしているように見える日本人は、データの数値で見れば世界の中で自分自身のことを幸せでないと感じている人種と言われているのだよ」

 この話を聴いて否定もしたくなったけど、あまりにも多くの心当たりがチラつきすぎて何も言い返せなかったのです。
 「人によるよ」としか言えませんでした。おかしいですね。こんなに恵まれているはずの環境なのに。

 音楽家の坂本龍一は「今の日本を治すには若者みんなが何年か発展途上国に出てしまえば、すぐに日本人が本来持つ良さを取り戻して帰国してきますよ」といいます。

 ジャーナリストの落合信彦なんかは数えきれないほどの日本に対する打開策をあげています。

 やっぱり治療が必要な国なのでしょうね。日本は。

「誇れるものは、国民の笑顔です!」 うん、ご立派!

 タイで従兄弟の結婚式のために来ていたタイ人の日本語通訳さんも同じ事を言っていました。
「え?タイで世界に誇れるもの? やっぱり笑顔かなー」ってね。

 まったく偉そうなことを言ってしまいました。
 僕の鼻が伸びかけた時には、いつも正面からパシコーン! っと叩かれて、あぁ〜 顔まで真っ平ら。今はまだ、やり込めるより「あ痛ぁ〜」と一発もらうぐらいが丁度いいのです。

 はい、弁論大会。これにてお開き!

 そろそろ出航の時間です。予定出航時刻、朝7時。遅れて予想出航時刻、夕方17時。でも実際出航したのは夜19時。 まっ、こんなもんでしょ。

 船内はおびただしい数のゴキブリの数。殺す気も失せました。ハルと2人で小さなスペースを陣取って、交代しながら横になりました。船の中でもハルを通じて、そこら辺の兄ちゃん捕まえて質問攻めにしました。ハルも、よくもまぁ嫌がらずに相手をしてくれるものです。
 ハルが居てくれたおかげでインドネシアのローカルな謎が幾つも解けました。
 僕が、「テレマカシー(ありがとう)」と言うと、「サマサマー」と答えてくれます。
「サマサマー」とはインドネシア語で「どういたしまして、お互い様ですよ」という意味です。

「日本人と話していると、とても日本語の勉強になります。それにマサシさんが言うように、改めてそうはっきりと質問されると確かに変ですね。面白いですよ」とハル。

 ハルの日本生活も聞きました。
「日本人はホントにすばらしい人たちです。日本のお父さん(社長)お母さん(社長夫人)は僕を家族のように接してくれました。会社の仲間も優しい人ばかりだし、道で歩いている人もお店で働いている人も嘘吐かないし、いい人ばかりでした」
 そう、目に涙をいっぱい溜めながら話してくれました。

 まだ帰国してから3ヶ月。仕事も無いけど、とりあえず西チモールに住んでいる姉さんの所に挨拶に行く途中みたいです。

「手紙は出したの?」と聞くと、
「それが・・・住所は一応聞いたけど、字が上手く書けないから出せないのです。日本語ホントに難しい」

 はっはっはっはっはぁーーー! 僕は船酔いした体を弾けるように跳ね上げ、立ち上がり天に向かって吠えました。
「そーのー手紙、とーどーけて しんぜよう!」

 ハルは会ったばかりの僕を、姉の家に招待したいと言ってくれました。通訳にも散々使いましたし、現地人が一緒だということで船の中も心強かった。何かお礼を・・・。と考えていたところ。おやすい御用です。

「ふっふっふっ、ハルくん。キミは運がいい。なにを隠そう、僕は文章を書くことが得意ではないが、大好きなのさ☆」
 そう言った瞬間、ハルの頭の横に‘?’マークが浮かび上がりましたが、すぐに彼はニッコリ笑ってくれました。

 ここは腕の見せ所! できるだけハルの口からでる‘言文’ならぬ‘原文’を崩さぬよう、且つ相手先に伝わりやすいよう手を加え、且つ泣かせる内容を織り交ぜて書き上げるのが理想。
 なんだかこのためだけにここまで旅して来たような気分になっちゃいました。
 うおぉーー震えるぜハート! 燃え尽きるほどヒート! って、ぉぃぉぃ いつの台詞やつーの。

 ハルは僕の手を取って嬉しそうに、
「ありがとう」
と日本語でお礼を言います。
「おやすい御用さ。お互いサマサマー」
とチャンプル返答の僕。

 そんなこんなで、西チモールの州都クパンに到着しました。
 予定到着時刻、朝7時。実際の到着時刻、夜22時。まっ、こんなものでしょう。って遅すぎ! 夜じゃねーか!

 船を降りました。夜は危険がいっぱいです。ましてや、新しい土地での夜の移動はできるだけ避けたほうがいいのです。でもこの日の気分は別でした。なんせ現地に詳しいハルが一緒なのですから。安心して全てを任せていました。
 今夜はハルのお姉さんの家族の家にお泊りです。港で待ち伏せしていた沢山の乗り合いバスの中から、家の方向に向かうものを選んで乗り込みました。
 西チモール、クパンの町並みは州都ということもあり、インドネシアにあるその辺の街なんかよりは大きな感じがしましたが、なんせ夜だったものでよく判らず、街灯もほとんど無い道路の左右には電球の明かりが灯されており、闇の中へと続いて行く小さな光の道をひたすら進むといったものでした。

 しばらく走ると次々と他の乗客はバスを降りて行き、20分後の車の中には僕とハルだけになってしまいました。
「もうすぐ着きますよ。ほらっ、この路地を入った村に姉の家があります」
 運転手と助手席に居るスタッフに細かく指示しながら、そう嬉しそうに僕に話しました。

 薄暗い路地に入ってもう後5〜6分くらいかな? ってとこでした。いきなり車がキィッ!と急停車し、運転手達2人が何だか騒ぎ出しました。
 なんだ?なんだ?と思っていると、車の前に10人ぐらいの若者達が道を塞いでいるのがフロントガラスから見えました。ハルの顔色が変わりました。
 若者達は車の周りをぐるりと囲み、その中の2人が運転手に近寄って何かを言っているのです。嫌なムードがそこら一帯を包んでいるのが解かりました。よく見ると若者達の手にはナイフが握られているのが見えました。
 えっ!? マジ? ナイフってことは・・・。   十中八九、強盗です。

 武器を持ってる、こんなあからさまな強盗はカンボジアでの‘クメール竹槍軍団’の時以来です。
「いやぁー懐かしいなーこの迫力!」
 などとほざいている余裕は全く無く、頭の中で手持ちの現金の確認と盗られた後の対処法などの現実的なことを思い浮かべては、左手に握り締める杖の紐を解きました。

 思ってることとやってることが違いますよね。傍から見たらやる気満々って感じ。

 しばらくすると運転手がその日の稼ぎをぶん取られました。助手席のスタッフも財布を取られました。

 そーこーでー、おまえはどうする武道家さんよ!

 おめおめと金巻き上げられるのか? 手元に抱きかかえた武器は、お飾りなのか? 手持ちのルピアをとりあえず全部差し出し、後はトラベラーズチェックだと説明して諦めてもらうか? しかし日本人だとバレれば、金じゃなくても金目の物を全て巻き上げられるに違いない。パスポートやIDさえも危ない。また韓国でワールドカップの試合の時のように中国人になりきるか? 駄目だ! ID見られればバレバレだ。
 いっそのこと殺るか? ・・・殺られるかも・・・。
 逃げっ・・・・・れそうにもなさそうだ。
 杖術連続技で2〜3人ぶん殴って、道作って逃げるか? 敵も怯むかも・・・。
 でも、逃げるって何処に? あっ、しかもハル、置いてけぼり。

 合気道技奥義!
「自分を殺しに来た相手と、友達になるのです」
 など、とても通じそうな相手じゃない。言葉もわかんないや。

 あーでもない、こーでもないと考えている間に車の後部座席のドアが奴らによって開けられました。僕らの乗っている車はミニバンです。後ろのドアは1つだけで、真ん中にハルが、そして一番後ろの奥に僕が座っていました。
 連中がハルに何か言っていますが、僕にはさっぱり解かりません。ハルが財布を取り出していくらか渡しました。どうゆうわけか財布ごと取られなかったのです。
 その間僕は帽子を深くかぶり、小さなカバンを股座に挟み、膝の上に杖を構え、じっと気配を絶って鎮座していました。
「居ない居ないよ。僕はここに居ないよ」  はい、現実逃避。

 次は間違いなく僕の番です。確かチモールはキリスト教徒の国。僕は亀が手足を甲羅の中に引っ込めるようにしてじっと目を閉じて祈りました。
「あぁ、神様。もし今まで僕がマザーハウスでしてきたボランティア活動をほんの少しでもありがたいと想っているのなら、この悪行を重ねる哀れな愚か者どもが、これから先できるだけ多くの人に良い影響をを与え続けていこうと励む‘今だ磨かれていない原石だけを甲羅にこべりつかせたのろまな亀’の僕ちゃんに対し、お慈悲の心を与えますようどうかお力を・・・」
と、自分勝手で自信過剰なお祈りをしていると、

 ガラガラピシャッ! と強盗たちはドアを閉めて去っていきました。
「えっ!? マジ?」
 車は再び動き出して闇に包まれた草木茂る路地を進んで行きました。

 ハルが振り返って、
「いやー、危なかったですねー」と僕に言います。
「えっ、どうゆうこと?」と僕が聞くと、
「今の彼らは、悪い奴らです」とハルは言いました。
そんなことわかってるっつーの! なんで僕は盗られなかったのか? と聞くと、
「奴らは今運転手2人からたくさんのお金を盗りました。それである程度満足していたので、僕はあんまりお金無いんだと話したら少しでもいいとぞとオマケしてくれて、後ろの友達もすっごくビンボーだから見逃してあげてよと頼んだら、見逃してくれたのです。奴らも早く逃げようと焦っていたので、僕達の方まであまり時間をかけていられなかったみたいですね」
と説明してくれました。

「あぁ〜、テレサァ〜!」 ん? なんでキリストじゃないのかな?

 なにはともあれ、危機脱出!

 あっれぇーっ! もったいぶった割りには、こんな結末? まぁ、そう言わないで下さいませ。結果オーライだっかが故に、今こうしてあーだこーだとほざいていられるわけで。
 にんともかんとも、世界は怖いですね。

 聞くところによると東チモールの独立紛争後、ならず者達を含めた東チモールの人達が東から西へ逃げてきたらしく、どさくさ紛れに悪さをしでかす愚か者どもが急増して、東チモールだけでなく西チモールも物騒になっているとのことでした。何処でもそうですけど、こうゆう事態には必ず現れる‘犯罪便乗組み’には困ったものです。
「警察には連絡しないの?」とハルに聞くと、
「無駄ですよ。こういった強盗事件程度では警察は動いてくれません。犯人もすぐに逃げてしまうため、捕まえようがないのです」との返答。おいおい、それじゃー悪党の思う壺じゃないですか。
 本当に怖いのは強盗なんかじゃなく、強盗事件が「この程度」と思えてしまえるこの環境ですよね。

 5〜6分走るとハルのお姉さん家族の家に着きました。
 ハルのお姉さんはインドネシアのフローレス島にある実家から、ここ西チモールの家に嫁いで来たのでした。家の外見は普通の民家だったのですが、中はすごくきれいで中流階級並みの中身でした。とは言え、窓にガラスははまってなかったし水は溜め水でした。
 この夜はサッカーの試合が深夜に放送されるとのことで、テレビのあるこの家に近所の友人達が大勢集まっていました。今まで見たことも無い日本人相手に最初はみんな照れていましたが、次第にハルを通して質問をしてくるようになりました。サッカーの試合が始まる深夜まで、珍しい先進国からの訪問者を交えた座談会は続きました。

 翌朝家を出る前に、ハルの‘日本の父さん母さんへの手紙’の下書き作成をしました。ハルが語る想い出を書き写し、本人には面と向かって言えなかった事や今だから言えるような反省等を問い詰めていきました。とりあえずメモ用紙に書き連ねて、清書は日本に帰ってから。
 ハルから聞いた住所もカタカナ書きで解かりにくく少し曖昧なので、帰国後に僕が電話をして住所確認をすることにしました。
「どうかヨロシクお願いします」
 そう、一つ小さな使命をお土産にハルと姉さん家族、そしてクパンの街に別れを告げました。

「お邪魔しました。ありがとう」
 日本式伝統スタイル‘お辞儀’をすると、ハルもペコリと頭を下げながら言いました。
「お互いサマサマ〜」。

 旅をしている時や旅に出る前にはいつも、
「世界の何処かで誰かが自分を待っている!」
といった、ちょっと勘違い入っちゃってるかも? みたいな想いが燃え滾っているのですが、こういった些細な出来事が燃料となって、せっせと大きな出来事に向かってレールの上を走っていけるのです。
 小さな出来事が結ぶ大きな出来事。起こる予定の確かな自信。ここにありです。

 西チモールのクパンを出た後は、こりゃまた小さな村々を通り東へ向かいました。
 ここからは同じチモールという島なのに国が変わります。
 建国、未だ数年の東チモール。ついこの前まで紛争を起こしていたような所です。

 さぁ、どんな所なんでしょうね。

 ここでインドネシアも終わりです。そんなに長い間滞在していたわけでもないのに、なぜかインドネシア語にも少々名残惜しいような気がします。
 ひどい連中も沢山いたけど、ハルのような心に残る人もいました。

 そういえば、ハルがこんなこと言ってました。
「日本には四季があって面白いです。特に春。あの満開の桜には本当に驚きました。インドネシアは年中夏なのでつまらないです。あーぁ、インドネシアにも春があったらなー」と。

 そうですね。インドネシアにもっとハルのような外のことに関心を持ち、素直で正直で、自分達の悪い習慣を客観的に見て「良くない」と考え直せる人が、インドネシアにいてくれれば・・・ ここももっと変わっていくんだろなー。

「インドネシアに春があったらなー」は、

「インドネシアにもハルのような人がいたらなー」

 そんな風に聞こえてしまいました。

 そんなこんなでインドネシア脱出です。次足を踏み入れるのは‘秘境ボルネオ島’かな?

 ‘南半球に掛けられたエメラルドのネックレス’、インドネシア。
 スラマッティンガル!(インドネシア語で旅立つ者が、残る者へかける別れの挨拶)

 さて、インドネシアを抜けきったこの次は?

 東チモールへ潜入します。そして、そこからオーストラリアへ。船があったらいいですね。
 偽ジャーナリスト気分で東チモールの‘市民レベルの実態’に迫ります。
 それでは、SEE−−−YAA−−−−−−−−−

                     FROM まさし